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ヘリオス  作者: みおいち
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第2部 第9話

演者が揃って舞台に上がり、家元がお客様に口上を述べている。晴れの舞台って、こういうことを言うんだろう。


「本日は我が長女、凪についてお話したいと存じます」


「はあ?」


聞いていなかったことに思わず声が出て、ギロリと家元に睨まれる。隣で優成くんが震えながら笑いをこらえている。


「ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、娘は10ヶ月以上の長きに渡り、演奏会には欠場させて頂いておりました。これには実は、本人がスランプに陥ったという経緯がございます」


うわっ、それバラしちゃうの。冷や汗を搔きながら聞く。


「我が娘のこのスランプは、傍で見ていても辛いものがございました。もう二度と演奏が出来なくなるのではないかと、師匠としてまた父として、ハラハラしながらも何も出来ない我が身を、もどかしく感じておりました。しかしながら、本人は血の吐くような努力を長期に渡り弛まず行い、見事本日、復活致しました」


「私、吐血してないけど」


ボソッと言った私に優成くんは吹き出してしまったけれど、お客様の大きな拍手により搔き消された。


「既に次期家元として皆様にご了承済みの娘ですが、ここに改めて、我が道を継ぐ者として揺るがぬ能力を手にしたことを、子贔屓ながらご紹介させて頂ければと存じます」


有難くもまた拍手を頂く。もう二度と、頂けないと思っていたもの。せっかく直したメイクが、また涙で濡れる。


「つきましては本人からご挨拶を……」


げっ!急に振らないでよ!


私は涙で顔がめちゃくちゃになりながら、しどろもどろに挨拶した。




緞帳が降り舞台袖に下がると、晃輝さんがお母さんの横にちゃんといてくれた。私と目が合って微笑む。


「凪、晃輝君、話がある。ちょっと来なさい」


家元に呼ばれてついて行こうとすると、急に歩みを止めた家元が後ろを振り返って言った。


「ああ君もだ、山田君」


「……俺ですか」


優成くんは怪訝な顔をして、私を見る。私も訳が分からなくて、首を横に振った。


小部屋の方の楽屋に皆で入ると、家元の隣に晃輝さんが座った。対面して私が家元の正面に、その隣に優成くんが来る。


「凪、今日は本当に素晴らしかった。以前より力が落ちても致し方ないと思っていたが、スランプ前以上の質の高い演奏力を身に着けたな」


「恐れ入ります」


師匠である家元に褒められて、これほど嬉しいことはあまりないけれど、このメンバーは何なんだろう。


「これは、話しておかなければならぬと思ってな。実は、晃輝君の婚約破棄は、私の依頼によるものだ」


「……は?」


よく分からずに家元を、次に晃輝さんを見つめると、申し訳なさそうな顔をして晃輝さんが言った。


「ごめんな、凪」


「……え?」


「晃輝君は実は、海外転勤なぞしていない。凪がスランプから抜け出すためには、晃輝君の存在が足かせになると判断した結果だ」


「それって……凪先生を騙したってことですか」


なぜ呼ばれたのかよく分からず憮然とした表情をしていた優成くんが、怒りを露わにして質問する。


「そうだ」


答えたのは晃輝さんだった。




「お前の演奏がおかしくなったのは、晃輝君の存在があったからだろう。晃輝君の表現に酷似しつつ不快な演奏をするようになった凪には、晃輝君は相応しくない。あの時はそう判断した」


呆然としてことばが出て来ない。


「だけどそれならどうして、そうはっきり凪先生に仰らなかったんですか」


優成くんが代弁してくれる。頭がグルグル回る。


「俺が提案したんだ」


晃輝さんが言う。


「俺が提案したんだよ、凪。家元との関係が悪くなれば、跡取りとして支障が出るだろう」


「だったら!あなた一人が罪をかぶって逃げたら、何とかなるとでも思っていたんですか!」


優成くんが強い声で怒り出す。佳奈ちゃんのときは怒りを抑えることに気を配っていたのに。


「まあ、落ち着いてくれ山田君。実際、凪の演奏力は戻っただろう」


「......家元もご存知のはずですよね。凪先生は時に任せて自然とスランプを脱したんじゃありません。家元が仰っていたように、血を吐くような努力をして、指や心を痛めても演奏に向き合って、自ら崖を登るようにして、そうやって能力を取り返しに行ったんです。その痛みは本当に必要だったんですか。東雲さんがいたら、出来ないことだったんですか」


「仮定の話だが、晃輝君がいたら凪はぬるま湯に浸かって、いまだに晃輝君の真似事の演奏をしていたかもしれないだろう。心に痛みを与えれば、それをバネに凪は復活するだろうと見込み、その通りになった」


「そんな!そんなロボットみたいに、凪先生の心を謀ったんですか!痛みで無理矢理に能力をこじ開けるなんて、それじゃ強姦と一緒じゃないですか!」


そこで家元はふっと息を吐いた。


「山田君、君には理解し難いかもしれないが、我々は川崎流の駒なんだよ。私も凪もそうだ。2人は仲睦まじかったし可哀想だとは思ったが、私は凪の能力が戻るなら、この長く続いて来た歴史を守るために、最善を尽くすべきだと思った。この血を継がぬ者に、川崎流を簡単に渡す訳にはいかないんだよ。つまり凪にはどうあっても、スランプから脱してもらう必要があった」


「だけど、東雲さんは他の手段を考えなかったんですか。凪先生に相談して、どうして話し合わなかったんですか。どうしてもう少し、待てなかったんですか。演奏力が戻って結果は収まっても、これじゃ痛みはいつまでも残るでしょう」


優成くんは晃輝さんの方を向いて言った。


「……スランプは演奏家なら、誰にでもなり得る。だけど実際は、そこから抜け出せなくて、辞めていく者も多いんだ。這い出るのは実は、簡単なことじゃない」


晃輝さんはそこで息を切った。


「俺は凪が幸せでいてくれれば能力が戻るんじゃないかと、当初はそう思っていた。だが俺がいた頃は、戻る気配が無かっただろう。俺には力が足りなかった。そんな時家元から打診があった」


「だから、だから逃げたんですか貴方は!貴方がいない間、既にスランプに陥っていた凪先生が、どれだけ苦しんで来たと思っているんですか!そんなことも想像しなかったんですか!」


優成くんが立ち上がって怒りのセリフを吐く。


「優成くん、いいよ。ありがとう」


話に頭の回転が追いついていかない私は呆然としながら、優成くんを止める。



「実際、私は晃輝君がいなくても、君がいれば凪は大丈夫だと思ったんだよ」


家元が優成くんの方を向いて言うなり、優成くんの顔から表情が消える。


「俺は代役ですか」


「......そうだ。晃輝君は凪と実際に婚約破棄をしたかった訳ではない。私は一つ賭けをしていたんだ。凪がスランプから抜け出せたのなら、戻って来ても良いと、晃輝君に伝えていた。まだ晃輝君にその気があればの話だがな。


だが、山田君、君の存在は凪にとって決して軽いものではない。凪が苦しい時、常に支えてくれていたのは君だろう。私は凪が君たちどちらを選んでも、川崎流の将来の繁栄に繋がると思っている。


山田君、君が代役のまま引き下がるか、凪の心からの伴侶となるかは凪に決めてもらおう。私がいると話づらいだろうから、後は3人で話し合いなさい。この部屋はまだ使えるように取ってある」


そう言って家元は出て行った。


「……東雲さん、貴方も、家元のように思っていたんですか。貴方がいなくなっても、俺が代役を務めればいいと」


「......その通りだ」


「ふざけるな!」


優成くんが怒鳴った。


「あなたはどれだけ傲慢なことを言っているか、分かっているんですか。凪先生は人形じゃない。心を持った人間なんだ!」


声が震えている。


「......そうだな。俺は酷いことを言っている。だけど山田君、君の存在だけが救いだったんだ。君はとても強くて優しい。俺と凪の結婚が決まった時でさえ、君は凪の側から離れず、凪の嫌がることは決してしなかっただろう。


君のあの『龍歌』の悲痛な演奏を聴いて、それでも凪の側にいる君を見て、君ならもしかして、凪を救えるかもしれないと思ったんだ」


晃輝さんは表情を崩さずに淡々と言う。


「だから逃げたんですか」


「……君は凪が苦しい時、どんなに君が辛くても、きっと側で支えてくれる。凪の悪いようには決してしない。そう確信した」


「それで凪先生を……俺にくれてやると……?」


「俺が側にいると、凪の演奏は穢れて行った。対して君と凪の演奏は相性が良い。……言い方は悪いが、凪の能力が戻らなければ、或いは」


私は心臓が張り裂けそうになった。これ以上壊れることはないと思っていた心臓が。


私の表情を見て、自分が傷つけられたような顔で優成くんが言う。


「……貴方はどれだけ自信が無いんだ。それは凪先生も俺も傷つける刃だ。俺は6年も凪先生の近くにいたのに、心を掴むことが出来なかった。それをぽっと出の貴方に取られたんだ。それでも凪先生が幸せそうに見えたから、どうにかなりそうでも、何とかこの想いを抑えようと思った。そうしたら貴方は逃げた。あんなに凪先生を苦しめておいて簡単に、俺が代わりになるなんて言うな!」


「優成くん、もういいよ」


涙が止まらなかった。晃輝さんは私を置いて行っても良かったんだ。優成くんと、別の人と幸せになれば良いと、そう思っていたんだ。そんなに軽い気持ちだったんだ。所詮はお見合いで出会っただけの、ただの都合の良い相手だったんだ。


「俺が強いとか、優しいとか言いましたね。そういう世間一般に好ましいとされることをすれば、人の恋情が動く訳じゃないでしょう」


そこで晃輝さんが、はっとしたように息を飲んだ。


「それだったら俺は、3度も振られてなお、貴方の亡霊に、こんなに苦しめられていなかった!」




暫く誰も話さなかった。優成くんの話したことが、心の中に反芻して離れない。




「どれだけ傍にいたって、代わりになれる訳がないでしょう。貴方はどれだけ俺を貶めれば気が済むんだ。どんなに傍にいても心を埋められないで絶望している俺が、こんなことを言うのがどれだけ辛いか分かるか!」


優成くんも泣いていた。


「……信用できない。簡単に凪先生をおいて行った貴方に、一番辛い時に側にいなかった貴方に、本当は絶対に凪先生を渡したくない。だけど、俺じゃ駄目なんだ。駄目なんだよ!」

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