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ヘリオス  作者: みおいち
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第2部 第1話

「凪、大丈夫か」


晃輝さんが家に来てくれた。玄関まで迎えに行き、部屋に着くなり私は晃輝さんにしがみついて、子どもみたいに泣いてしまった。晃輝さんはその間ずっと、髪を撫でてくれていた。


「俺に出来ることがあるか分からないけど、何かアドバイス出来るかもしれないから、弾いてみてくれるか」


そこで私はお箏を弾いた。酷い演奏で苦しくなる。




「演奏が……俺に似てきていないか」


「似せようとしている訳じゃないの!むしろ、似ないようにしようと思って弾いているのに、引力が強くて、勝手に似てしまって、だけど、自分なりの演奏に戻そうとすると、ぎこちなくなって、耳障りになるの!」



今まで常に、お弟子さんたちに「演奏中は心を無にして」と言ってきた。


上手く弾こうとか、感情を乗せようとか、何も考えないで、それでも知らず知らずのうちに演奏に入り込んだ表現こそが最高だと。


今はそれが出来ない。あんなに簡単に出来ていたことが。


無心で弾けば晃輝さんの、安っぽいイミテーションになってしまう。それならばと、足を踏ん張って自分なりの演奏に戻そうとすると、意識して弾いた演奏はちぐはぐで、美しく聴こえないどころか不快でしかない。


私はまるでファエトンだ。ヘリオスの馬車を操れず、左に向けても右に向けても上手くいかない。能力の差を馬車馬に見抜かれ、怒りを買い、何とか軌道修正しようと躍起になっても、炎に焼け焦げ失意のまま川に堕ちて行った、哀れなファエトン。


晃輝さんは私を抱きしめて言った。


「凪、スランプは辛いだろうが、演奏者なら誰にでもあり得るんだ。苦しいだろうが、凪はまだ若い。今スランプになったのは良い経験だったと、きっと思える日が来るから、しばらく箏から離れてゆっくりするといい」


「それは家元にも言われたの。来年8月の演奏会まで、全ての演奏会には出ないように、と」


「そうか、その方がいい。仕事はどうする」


「お稽古は人が足りないから、私がやることにしたの。演奏は出来なくても、教えることは出来るから」


「......無理はするなよ。この際、2人でいろんなことをしよう。行きたいところに行って、食べたいものを食べよう。そろそろ涼しくなるから温泉もいいな」


「……なんか……晃輝さんが言うとすごく、卑猥に聞こえる」


「ばれたか」


私を胸に抱いたまま、晃輝さんはニヤリと笑った。






「先生、昨年はこんなにすごい数の学校に行ったんですか!大変でしたね」


「そうなの。私はこういう仕事だから構わないけど、優成くんはきっと、相当大変だったね」


表向きは私は体調不良ということにしてあるけれど、私の教える中でも師範を取得済みのクラスには、自分がスランプになったから暫く弾けないと話した。一先ず来年8月までは演奏を中止し、代われるものはあなた達に代わって欲しい、と。


昨年、優成くんと回ったお箏の学校訪問も依頼することにした。7人しかいないから大変なことをお願いしなければならないけれど、演奏の腕を考えるとこのクラスにしか頼めない。


「優成、有給をほぼ使ったって言ってたもんな」


「昴!」


優成くんが珍しく昴くんに怒りの表情を向ける。


「そうだったの、優成くん。じゃあ、あの時はお仕事の調整も大変だったでしょう。ごめんね」


「謝らないで下さい凪先生。俺には本当に良い経験でしたし、純粋に楽しかったので」


「そうだね、私も楽しかったよ」


「優成、先生と同じホテルに泊まった、って喜んでたもんな!」


「同じホテルの別室だ!」


あの時は毎回、二人で電車に揺られて、二人で食事をして、学校の感想を言い合って、ハードスケジュールでも楽しかった覚えがある。


「とにかく量が多いのでごめんなさい。手分けして行けるところだけ行って頂けると有難いです。無理はしないで。埋まらない学校はお断りすることもできるから」


学校訪問のため、学校公開日の土曜日か平日でなければならないのが痛いところだ。私のお弟子さんで職業奏者は誰もいないので、本業の予定が優先になるからだ。


「俺、月末は無理でも、月初から月中の土曜ならできますよ。優成と同じ部屋に泊まって熱ーい夜を……痛っ!何すんだ優成!」


「お前は少し黙れ」


「あたし達は主婦だしパートだから、平日は任せといて!」


「私は隅田区近辺なら、子どもが学校の間に行けます」


「なんかみんなでペアを作って行くって、楽しいね!」


大変だろうに皆が快く協力してくれて、涙が出そうになった。良いお弟子さんに巡りあえたことに、感謝しかない。




お稽古が終わり皆が帰ると、ほっと一息つく。演奏能力が戻らなかったらどうしよう。一人になると嫌でも考えてしまうから、お稽古を続けられるのは有難い。


「凪先生」


ふと見ると、帰ったはずの優成くんが稽古場の入り口に立っていた。


「優成くんどうしたの。忘れ物?」


「いえ…ただ心配になって。大丈夫ですか」


優成くんはとても優しい人なんだった。心配をかけたらいけない。


「大丈夫だよ、ありがとう。お休みする口実にもなるし、この際いろいろと普段できないことをしようと思って」


笑って言うも、不安げな目で見つめてくる。


「その、眠れていないんじゃないですか、先生。目が……」


「やだ、腫れてる?」


「少し。いつも通り綺麗ですが……。何か俺に出来ることは無いですか」


「ありがとう。辛くないわけじゃないけど、今までがきっと順調すぎたの。だからたまには乗り越えないと」


そう言っても心配そうにしている。



「あとね、優成くん、YouTubeは本当に、一人でもやった方が良いんじゃない」


優成くんにYouTubeもできない旨を伝えたら、頑として「凪先生と一緒じゃないとやらない」と言われていた。


「いえ、俺は一人ならやりません、本当に」


「だけど、優成くんは今が伸びしろでしょう。それを私のせいで止めてしまうのは良くないと思うの」


「本業も忙しくなって来る頃だからいいんです。凪先生と一緒に休みますよ」

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