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地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
終章
62/63

62 エピローグ①

 大学一年の夏休み、春彦は電車の遅延で待ち合わせ時間ギリギリになってしまい小走りしていた。改札を出ると人が込み合っていて、それぞれの待ち人を探している。

 春彦も首を回して探していると、朔が手を振って呼び掛けてくれた。


「春彦くーん!」

「ごめん、待たせた!」

「クレープ食べてたから大丈夫」


 朔とは二ヶ月ぶりに会ったが、いつも変わらずの食欲旺盛ぶりを見せる。今日は髪全体をゆるく巻いていて、朔の好きなパンクファッションに磨きをかけていた。


 春彦がジェスチャーで口元に付いたチョコを指摘すると、手鏡で確認して「あはは」と少し照れて拭ったところで歩き始める。駅直結の商業施設に入る。


「ところで今日は何買いたいの?」

「母さんの誕生日プレゼント、化粧品考えてるんだ。でも男だと一人で行きづらくて」

「いいね、行こう!私も見に行きたかったの。でも離れて暮らしてるのに誕生日覚えてて偉いね」


 大悪虚を殲滅して約四年が過ぎた。春彦と朔は大学一年生になった。


 大悪虚殲滅後、各地の悪虚が消滅したのを確認された。その一年後、悪虚殲滅という存在意義を失った特別環境殲滅委員会と関係組織の相互協議会は政府により解体されて、職員は再就職先を斡旋された。

 春彦はまた普通の学生に戻った。この時通信制高校の学生だったので、大学受験にはかなりハードルがあったが、必死に勉強して無事国立大学に合格した。


 春彦は合格が分かるとすぐ一人暮らしを始めた。ちょうど四年間の安アパート代を賄えるくらいの退職金があった。それに寮暮らしを経験していたお陰で一人暮らしはそれほど苦労はしなかった。


 母泉美との関係は良好で週に一回は連絡を取るが、父昌義とは音信不通だ。どうしているか聞いていないし、泉美もあえて何も伝えなかった。


 あんなにも認められたいと執着していた昌義に、今は何の感慨も湧かないのだ。半ば強制的に委員会という組織に身を置いて、新しい世界を見て自分に確固たる自信が生まれた。虚しさを覚えることも、昌義のことを思い出さない日の方が多い。人生でこんなにと清々しい日々が訪れるとは思わなかった。


 エスカレーターに乗った朔が振り返る。


「化粧品何にするの?」

「化粧水とハンドクリームかな」

「女子必須アイテムだね。喜んでくれそう!」


 二人は泉美のよく購入する化粧品ブランドの売場に立ち寄る。化粧水と乳液、そしてハンドクリームまで付けるとその値段は安くはないが、日々のバイト代を使った。


 退職金に割増金があるとはいえ、短期間しか所属していない春彦の金額それほど多くない。ただ別途大悪虚殲滅の報奨金もあったので、生活費はそれとバイト代から捻出し、大学費用は泉美から借金している。泉美は返さなくていいと言うが、コツコツ返していく予定だ。


 販売員から勧められたのを見ていた朔が、バッグから財布を取り出す。


「私もお母さんにそのハンドクリーム買おうかな」


 朔は大悪虚殲滅後、報奨金と退職金で委員会への借金を見事返済した。そして再び家族と暮らしている。


 春彦と違い特別機動調査室の正式メンバーであったことが幸いし、春彦とは異なる破格の報奨金と退職金をもらえた。そして残ったお金で国立の看護大学に通い、今は助産師を目指している。成績は非常に良く、休日は好きな格好をして出掛けるのが息抜きになるらしい。


 ショッパーを持った二人はエスカレーターの前で立ち止まる。


「次どこ行く?」

「俺は用が済んだから、朔どこか行きたいとこあるか?」

「じゃあ紳士売場行きたい」


 そう言って向かったのは時計売場だ。


「暁に?」

「うん。そろそろ買い替えるって言ってたから」


 朔は少し照れながら時計を選んでいた。並ぶのは中々値の張る時計ばかり。しかし性能が良いので値段が張るのは致し方ない。


「バイト代大丈夫か?」


 看護学生は勉学に忙しいので満足にバイトができない。そして彼女の拝金主義の性格も委員会の頃のまま。最初は笑顔で見ている朔だが、表情が固まって動かない。


「大丈夫、じゃない、けど、なかなか会えないから。あといつもご飯全部奢ってくれるし」


 選んだのは五万円の黒いステンレスの時計。ソーラー発電式で、気圧防水になっている。朔はなけなしのバイト代で支払った。報奨金ではなく、自分で稼いだお金で支払いたかったらしい。


「まさかあのサボり魔の暁が自衛官になるとは思わなかったな」


 暁は陸上自衛隊に入隊した。他に良い仕事が思い当たらなかったと言っていたが、全国転勤で昼夜問わない大変な仕事だ。並大抵の気持ちではやっていけない。それでも本人は今の仕事にやりがいを感じていて、タバコもやめて呼吸が楽になりちょうど良かった言っていた。


 そして今、暁は朔と付き合っている。朔から告白したらしい。春彦からすると、やっとかという思いだ。


 お互いに目当てのものを手に入れ、最後に地下でお菓子を買って別の商業施設に向かった。そこの催事場に、菜緒子の働くアパレルブランドが期間限定で出展してる。


 菜緒子は二人を見て、パッと顔が明るくなった。そして両手を広げて朔を抱き締める。


「朔ちゃーん!来てくれたのねー!」

「菜緒子さーん!」


 抱き締め合って、菜緒子は春彦の頭もポンポンと叩く。


「春彦くん、また背が伸びた?」

「いまだに成長期だよ。これ俺と朔から差し入れ」


 さっき買った菓子折りを渡す。クッキーとラングドシャの詰め合わせだ。


「ありがとう!みんな喜ぶわ」


 ふとマネキンの着ている服を眺める。


「オフィスカジュアルか」

「今はメンズ商品も製作中よ」


 いい値段だが、環境に配慮した染料や国産のシルクを使用しており、そのこだわりと使いやすさが評価され、イベント出展の依頼も増えている。


 この会社は、かつて委員会を辞めた北条涼華が立ち上げたアパレルブランドだ。菜緒子は営業として働いている。ようやく意地の張り合いをやめたといつか菜緒子が笑っていた。


「あなた達が社会人になったら買いに来てね」


 菜緒子は幸せそうに笑っていた。その左手の薬指には指輪が光っていた。


「菜緒子さん、涼華さんと同棲してるらしいよ」

「こっちもやっとか」

「こっちも?」

「いや。ところでもう一ヶ所行きたいとこあるんだけど」


 春彦は子供用品売場へ向かっていた。子連れの家族が多く、子供達は並べられたおもちゃで楽しそうに遊んでいた。

 棚に見かけないおもちゃを見つけた春彦は目を輝かせた。


「新しいおもちゃが入荷してる!しかも知育玩具!」


 朔がじとっとした目を向けてくる。


「あんまりおもちゃ買いすぎちゃダメだって、和涅さんに言われてるんでしょ」

「なんで知ってるんだよ」

「和涅さんが言ってたから」


 実は和涅は朔の仲はかなり良好で、マメに連絡を取り合っている。委員会に入るまでの境遇が似てるからか、和涅の方が気にかけているらしい。特機の頃から戦闘でもよく組んでいたこともあり、姉のように慕っている。


「家がおもちゃまみれになるって」

「仕方ないだろー、妹が可愛いんだよ!」

「私暁さんが自衛官になったことより、和涅さんが藤堂さんと再婚したって聞いた時の衝撃の方が今でも忘れられないよ」

「確かに……」


 和涅と椿は東京へ戻ってきて結婚した。正式には和涅と正嗣は籍を入れてなかったので、再婚ではなく初婚だが、椿自身が和涅の気持ちを汲んで再婚と称している。でも誰かが和涅を支えるのなら、椿でよかったと思っている。


 そして和涅は春彦の生みの母なので、椿との子供秋羽(あきは)は正真正銘春彦の妹だ。もうすぐ二歳になる。最近よく喋るようになったと椿が動画を送ってくれてる。直接会うことは少ないが、いつか「にーに」と呼ばれることを楽しみにしている。


(でもこうして妹の存在を喜べるのは、和涅の体質が普通の人間に戻ったからだよな)


 和涅も身体から悪虚が完全に取り除かれ、義手も馴染んでいる。そして再び歳を取るようになった。ようやく二十代半ばの容姿まで進んだ。これまでの人生を取り戻して生きて欲しいと春彦は願っている。


「そういえば、毎日椿さんに秋羽ちゃんの写真と動画送ってもらってるんでしょ」

「だからなんで知ってるんだよ」

「和涅さんが二人して甘やかさないで欲しいってぼやいてたよ」


 椿は娘を目に入れても痛くないほど溺愛している。そして和涅と秋羽を養う為に、自ら実家のツテとコネを使いまくって大手メーカー事務職に転職した。現在は都内のマンションに暮らしている。


 そして椿は、兄の子であり甥である春彦を娘と同じくらい可愛がってくれていて、よくご飯に連れってくれる。春彦にとって椿はどこか父親のような存在になり、二十歳になった時初めてのお酒は必ず自分と飲むようにと約束させられた。


「じゃあおもちゃじゃなきゃいいんだろ。となると何を買えばいいんだ?」

「そういうことじゃないと思うけど」

「でも服は難しいんだよな。秋ちゃん、どんどん成長してるし」

「帽子はどうかな?最近よく外で遊ぶんでしょ?」

「じゃあそうしよう」


 ピンクの帽子を購入し、店員にプレゼント包装を頼む。


「和歌山旅行明日だね。秋羽ちゃんも来るんだよね?」

「ああ。多分楽しみで眠れない」


 案外冗談でもないと分かったので、朔は苦笑いしていた。






 ※※※

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