表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
7章 決戦
61/63

61 仕舞い

 炎に包まれながらついばまれ、無惨な姿になったナイリ。その残骸を触手が横取りし、ナイリは大悪虚に取り込まれた。もう()()に意識は無い、和涅の抵抗は実を結んだのだ。


「和涅さん!!」


 八城が飛び出て腕の止血を試みた。しかし出血は見られない。すでに血が止まってるのかと思ったが、最初から血が出ていないようだった。傷口を見て息をのむ。石でできた()()()()のようになっている。


「これは……」

「もう人じゃなくなってたのよ」


 和涅は自嘲ぎみに笑った。彼女の元へ特機メンバーが集まって、菱岡が持ってきた和涅のコートを八城が羽織らせた。一課の戦闘員が触手を阻み、時間を稼いでくれている。


()退()しましょう。あなたは極度の霊力欠乏状態です」


 菱岡は『撤退』という言葉を使わなかった。彼女がこの戦いに人生を賭けてきたことを、誰もが知ってるから。


 口を開きかけた和涅を八城が念押しする。


「嫌とは言わせませんよ、大悪虚の殲滅があなたの願いやったんや。絶対生きて見届けてもらいますからね」

「……くさびは」

「俺があと一ヶ所くさびを作る」

「いくら藤堂さんでも二ヶ所同時はムチャです」


 朔が反対する。そこへ特機メンバーに無線が入る。


『黒基より特機、応答せよ』


 黒基は各戦闘員のカメラを監視している。和涅が動けなくなったことを把握した上で連絡してきたのだ。


「こちら藤堂。どうぞ」

『作戦を変更する。くさびは一本でいく』

「かなり厳しいんじゃ」

『場所を核の真上に変える。核さえ狙えれば倒せる』

「核の場所……」


 確かに大悪虚といえど、悪虚であるならば核が存在する。しかし分厚く硬い巻貝に身を潜め、胴体がどこにあるのかすら分からない。


『核は和涅に探らせろ。見つけ次第後退だ。神崎のくさびがまだ残っているだろう、それを肥大させ再利用しろ。以上』


 通信を一方的に切られる。拒否は認めないという絶対的意思を感じた。それでも和涅に対して後退と発言したことだけが、彼なりの気遣いなのだろう。


「ですって、和涅さん」

「……了解」


 八城は和涅を抱き抱えた。


「核の位置は分かるか?」

「ここまで集中できる環境があるなら」


 まるでここだけ何も起こっていないかのような安全地帯になっていた。それは皆が必死で触手を排除してくれているから。

 和涅は目を閉じ、全神経を集中させて核の位置を探る。


「このまま海へ進んで」


 八城に指示を出し、移動していく。彼女の霊力探知は精密さが段違いだ。彼女がいなければこの戦いは何も進まなかっただろう。


 やがて和涅は殻の中心に近い座標を指定した。真上に立つと、触手が何かを察したように勢いを増す。


「そろそろ離れましょう。周りが限界です」


 守ってくれていた戦闘員は疲弊している。そして和涅の顔色も真っ青だった。


「後は任せて下さい」

「必ずやり遂げてみせます」


 菱岡と朔に目を配る。


「ええ、信じてるわ」


 椿には静かに頷いた。最後に、春彦に左手を伸ばした。春彦はその冷たく細い手を取る。思えば、かつて迷子になった春彦を抱き上げたのもこの手だった。


「和涅さん」

「あなたには助けられてばかりね。いつも私の不安を覆い隠してくれる」


 不在の右腕に、春彦は目をつむる。本来なら春彦の霊力を分け与えれば少しは楽になるはずだが、今はまだくさびを作らなければならない。何より和涅がそれを望んでいない。せめてこの手を少しでも温めたくて、包み込むように握り締めた。


「みんなをお願い」

「はい」


 八城は和涅を抱えて前線から離れた。和涅の後退に誰もが心で不安を感じたが、それを打ち消すようにあの大声量が鼓膜に響く。


『全員仕切り直しや!!』


 熊倉の声で空気が一気に引き締まった。ここまで前線を率いてきた人間の言葉は重みが違う。その声が道標となる。


 春彦は移動させたくさびをより巨大化させ、空中から落下させた。重みで先端が殻に食い込む。しかしまだびくともしない。そこへ特機メンバー全員がタイミングを合わせて刀で打ち込んだ。V字の先端に圧力がかかり、殻に大きな亀裂が入る。






 ※※※






 前線から離れた八城は後ろの戦況に気配を傾けながら和涅を運んでいた。


(あの状況で、春彦くんのくさびはびくともしやんかった)


 和涅は悪虚が暴走し、椿は集中が途切れてしまった。意識が途切れたのは春彦も同じだった。それでもくさびを形成させ続けた。


(戦いはここからや。急がなあかん。でも和涅さんの腕のこと治療員に説明せんと……)


 不意に和涅が八城の襟を引っ張った。


「ここでいい」

「和涅さん」


 和涅は目をつむったまま話す。


「戻りなさい」


 和涅は八城が戻りたがっていることを見抜いていた。


「みんなを……」


 もう話すことすら億劫なようだった。和涅がここまで弱っているのを見たことがない。しかしやはり彼女の根底にあるのは大悪虚の殲滅。ならば自分のやるべきことは決まっている。


「分かってますよ、和涅さん。でもせめて医療テントへ送りますからね」


 今最も和涅の願いに近いのは春彦だ。八城は和涅をテントに預け、霊力の供与と点滴だけ指示してすぐに前線へ戻った。






 ※※※






 くさびが消失すると亀裂が入った部分が砕け、殻の間から大悪虚の艶やかな青い肉が露になった。くさびは殻と肉に阻まれ核にまで届いていなかった。

 黒基から指示が入る。


『核の破壊は神崎が主導しろ。他は散開して触手を落とせ』


 肉が心臓のように脈打っている。春彦が刀を抜くと、春彦から放出された霊力に反応したのかビクリと跳ねたのが分かる。


(延珠、聞こえるかーーー)


 春彦は残った霊力を目一杯に込めた。きっとこの霊力の大半が外に漏れ出ている。それが延珠の欠点だから。でもそれ以上に、延珠の威力は強い。


(お前の劣等感をぶち抜いてやる!!)


 刀に炎が宿る。今までの恨み辛み、その全てを(えんじゅ)に込めてその肉に突き立てた。その場に春彦ごと巻き込んで火柱が上がる。その炎は確実に核に触ったのが手の感覚で分かった。


 殻の中で大悪虚が暴れて、身悶えて地面が揺れた。そして大悪虚は殻から飛び出した。


「なんだ!」

「殻から何か出たぞ!」


 宙に浮いて回転する大悪虚は先程より二回りも小さく、通常の悪虚の姿ではなかった。ぐねぐねと動き回る触手で自身を包み込み、三百六十度触手が生え出た球体に変形した。

 触手は縦横無尽に蠢いて、無差別に攻撃していく。そして触手は菱岡の太ももを貫通し、地上へ落とした。


「ぐうっ……」

「優太!」


 椿は目を剥き、菱岡に駆けよろうとする。しかし椿も触手に側頭部を掠められ血が流れた。


「藤堂さん!」


 同じく駆け寄った朔を手で留める。


「俺はかすっただけだ!優太の止血をする、援護してくれ!」

「はい!」


 太ももには太い血管がある。一刻も早く処置をしなければ死に至る。

 朔が見上げた瞬間、春彦があの触手に囲まれた球体の懐に入ろうとしていたのが目に入った。


「春彦くん!?」


 朔は叫んだ。まるで自殺行為だ。しかし春彦は構わず、触手を薙ぎ払いって球体に刀を突き刺した。刀が纏った炎が春彦をも巻き込み球体を燃やす。

 思わず追いかけようとした朔の身体を、追いついた八城が抱き留めた。


「行くな!」

「離して!」

「死にたいんか!君じゃ力不足や!」

「春彦くん!!春彦くん!!」


 球体は炎ごと春彦を吸収しようと身体を変形させた。春彦は炎と肉に半身を飲み込まれ、しかしこれ幸いと、身体の中に腕を伸ばし核を探した。不思議と核がどこにあるのか気配で分かる。きっとさっき和涅が核を探すのを見て、どういう気配をたどればいいのか実際に目で見て学んだからだろう。


 口が塞がれて息ができない。身体もほとんどをもっていかれている。それでも手は核に触れかけている。ただもう息がもたない。


(もう、少し……!)


 意識が薄れる中、誰かに肩を掴まれ無理やり肉から引き剥がされた。掴んだのは椿だった。

 椿は刀で大悪虚の肉を剥いで春彦を引きずり出し、二人で地上へ転がり落ちた。春彦はむせながら半身を起こす。椿は春彦の襟首を掴んで引き寄せた。


「馬鹿か!!生きて戻ることも考えろ!!大悪虚を倒したいのと同じくらい、お前に生きてて欲しい人間もいるんだよ!!」


 その言葉に、不意に涙がこぼれた。


「でも、ああするしか……!」


 春彦の腕は火傷で赤くただれていた。胸が痛く呼吸も苦しい、肋骨が折れている。あの時命を費やして核を潰せていれば、この戦いはここで終わっていたはずだった。

 けれどもこうして引き留めてくれる人がいると安堵している自分がいるのも事実だった。まだ死にたくない。


(どうしたら……!)


 すると東の空が白み始めた。辺りが明るくなりつつある中で、不意に誰かが春彦の隣に立った。赤い服の裾が視界の端に映る。


「え」


 朔が突如現れた()()に目を見張る。春彦も仰ぎ見て言葉を失った。そこには赤い軍服ロリータにステッキを持った金髪の美少女。


「延珠」


 口から彼女の名前がこぼれ出た。朔と椿が仰天する。


「延珠安綱!?この子が!?」

「子供だったのか!?」


 菱岡も痛みを忘れて延珠をまじまじと眺めた。


「ちょっと想像と違ったんだけど……」


 八城が興味深そうに考え込む。


「刀匠が外国人だったことが影響してるんかもね」


 延珠は相変わらず不遜に笑っていた。


「どうして現実に現れてるんだ?」

「啖呵を切った割にあまりに無様でな、呆れて私自ら出向いてやったのよ。しかし……」


 延珠は空を見上げ、大悪虚の姿に目を輝かせた。カツカツとブーツのヒールを鳴らしながらくるくるとその場を回る。


「見よ、あの醜く滑稽な肉塊を!地上出たさあまりに焦り、このようなお粗末な結果となったのだ!今や霊力も使い果て知能さえ失せたと見える。やはり()()は前々から能が足りなかったのだ」


 振り向き、ステッキで春彦の顎を持ち上げた。


「ようやった、褒めてつかわす」


 そして延珠が春彦に霊力を流し込み、春彦の傷はみるみると治癒されていった。火傷は消え、呼吸楽になる。


「お前、霊力治療が使えたのか!?」

「霊力は私の貴重な貯蓄だが、能力はあくまで春彦自らのものを借りたまで。お前は生まれながらに霊力治療が使えたのだ。才能に溢れ生まれてよかったな。まあ私ほどではないが」


 呆気に取られた春彦に延珠は手を差し伸べる。


「さあ立て。()()の本領発揮といこうではないか」


 春彦がその手を取ると、延珠は再び刀の姿となる。延珠が(たかぶ)っているのを感じる。これならやれる、根拠は無いがそう確信した。春彦は全身全霊ありったけの霊力を注ぎ込んだ。空中に大量の霊力が放出される。


 椿は春彦がしようとしていることに気付き、すぐさま指示を飛ばす。


「八城は菱岡を連れて退避!他は構えろ!来るぞ!」


 大悪虚は弱っている。だから余計敏感に春彦の霊力に当てられた。酔い狂ったようにぐにゃぐにゃと形を変え、春彦に向かって猪突猛進に触手を伸ばす。春彦は触手を避け、斬り落としながら触手を駆け上り、やがて本体に近付いた。


 他の触手も生き残った戦闘員の懸命な戦いによって刈り取られ、大悪虚は禿()げ散らかしていた。そして春彦は天高く飛び、身体を反転させながら刀を振りかざした。刀から斬撃が飛ばして肉を裂く。


 しかし大悪虚は身体ごと春彦を追いかけてきた。向かい来る速度と迎え撃つ勢いを合わせ、刀身を大悪虚に突き刺した。切っ先は核を捉えて木っ端微塵に見事打ち砕いた。ただの肉の塊となった大悪虚の死体は地面に潰れて落ちる。


 春彦も力尽き地面に落ちそうになるところを、すんでのところで朔と椿が受け止めた。


 刀はやがて火の鳥そのものへと姿を変えた。春彦の手から離れ、大悪虚の死体に炎の息を吹きかけ燃やし尽くしす。


 燃え盛る炎の向こうで水平線が光った。太陽が昇ってきたのだ。黒焦げになった大悪虚が光に照らされる。それは霧散せず、黒焦げになって崩れていく。


 ゆっくりと目蓋を押し上げた春彦の上空を、延珠がキラキラ輝く羽を散らしながら旋回していた。そして一鳴きして太陽に向かって飛んでいく。春彦は身体を起き上がらせ、その名を叫んだ。


「延珠ーーー!!」


 延珠は最後に別れの一鳴きを響かせる。それが不思議と延珠の笑い声に聞こえた。火の鳥となった延珠は、やがて太陽の光の中で燃え尽き消え去った。


「……終わった」


 誰かが呟いたと同時に歓声があがった。


「特機藤堂より本部、春彦と延珠安綱が大悪虚を殲滅しました!!」


 春彦は朔と椿と抱き合った。誰もが喜びを分かち合い、そして咽び泣いていた。


 新しい一年が始まった。そして新しい時代が幕開けた。もうこの世に人を脅かす悪虚はいない。とうとう人類は忌々しき悪虚との戦いに終止符を打った。


 やがて戦場に夢幻のごとく現れた延珠は『地殻の魔女』と呼ばれ、後世に語り継がれることとなるのだった。






 医療テント内でもその朗報は大々的に伝えられ歓声があがった。重傷を負った戦闘員達も意識がない中で涙を流していた。

 医療に休息はない、さすが戦地を駆け抜けてきた治療員達は冷静だった。しかし懸命に涙をこらえていた。


 和涅は無言で点滴の針を外し、片腕でよろよろと立ち上がった。治療員の制止を振り払って医療テントから離れる。


 外に出ると、夜明けと共に辺りがキラキラ光って見えた。この幻想的な景色は幻なのだろうか。もしかして今見ているのはあの世の光景なのだろうかとすら思えた。


 遠くに大悪虚の消炭が見えた。この世に悪虚のいない世界、ずっとずっと待ち望んでいた世界。あの化け物がようやくこの世から消え去った。


 太陽の光が眩しい。思わず目を細めると、光の中から誰かが現れた。


「和涅」


 懐かしいその人は、あの頃と変わらぬままの笑顔を見せてくれた。


「正嗣……」


 和涅はゆっくりと彼に歩み寄って、やがてその胸に寄りかかった。正嗣は片腕になった彼女をそっと抱き止める。


「ありがとう……」


 ずっと伝えたかった言葉を呟いて、和涅は目を閉じる。


「疲れただろう、少し眠るといい」

「そうね……ようやく、終わったから……」


 そして和涅は深い深い眠りについた。彼女に寄り添う幻影は正嗣ではない。しかし椿は兄の代わりに彼女を強く抱き締めた。きっと兄ならそうすると思うから。今は彼女の為に都合の良い幻影でいたかった。






 ※※※

いつもご拝読ありがとうございます。

もう少し続きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ