6 生きる意志
検査を終えると、朔がひょこっと顔を出した。
「検査はどうだった?」
春彦はブレザーの上着を羽織った。
「相変わらず霊力ゼロだよ」
「なんでなんだろうね、私は春彦くんが霊力の無い人とは思えないんだけど」
「そう言う根拠は何だよ」
「やっぱり昨日の悪虚と戦ってる姿を見たからかなぁ。あの時、春彦君の握る刀には霊力が纏われてた。初めてとは思えない。まるで生まれる前から霊力の使い方を知ってたみたい」
その言い方が妙に引っ掛かった。
「生まれる前は胎児だろ。それを言うなら生まれた時からだろ」
「あ、そっか。でもそのくらい自然だったんだよ」
春彦は菜緒子に構わずさっさと研究室を出た。昨日も来たので帰り道は覚えてるが、朔も一緒についてきた。その背中には布袋に入れた刀が背負われていた。
「春彦くんの帰宅監視と称して、今日は直帰が認められました!つまり働いてないのにお金を貰えるということ!」
「お前はつくづく拝金主義者だな」
「世の中何でもお金だよ!」
「吹っ切れてるな」
バス停に行くと、ちょうど次のバスが来るまで時間があったので、駅まで歩いて帰ることになった。その際だから気になっていたことを聞いてみることにした。
「お前はどうしてこの組織で働いているんだ?」
「一千万円の借金があるから」
「一千万!?」
思わず春彦の声が上ずった。
「五十億に比べたらちっぽけでしょ」
「どこがだよ。大金だろ」
「昔悪虚に襲われて霊力不足で死にかけたの。霊力欠乏症。その時殲滅委員会の科学班に助けられたんだけど、いわゆる霊力治療は保険適用外なの。それがとんでもない金額で、私は過去の自分の治療費を払う為に働いてるの」
「俺の治療とは違うのか?」
ふと春彦は自分の治療費を考えてゾッとした。春彦も昨日目が覚めたら病院のベッドに寝かされていた。いくらか治療も施されていた。
しかし朔はすぐに首を横に振った。
「菜緒子さんに聞いたけど、春彦くんは打ち身擦り傷程度で、霊力欠乏症の症状は見られなかったみたい。だから普通の怪我の手当てだよ。霊力治療じゃないから安心して」
「そうなのか」
ホッとした反面、彼女の胸の内はどんなに複雑だろうかと思った。
(自分は多額の借金を背負わされたのに、俺は借金が無いばかりか委員会への加入拒否。さぞ俺が恨めしいだろうな)
しかし彼女はあけっけらかんと笑った。
「でも霊力治療が施されてなくて安心したよ。もし霊力治療されてたら私みたいに借金地獄だったよ」
朔の言葉に春彦は目を剥いた。今自分が考えていたことの幼さに恥じいった。
「お前は…自分だけが苦しくて他人を恨んだりしないのか?」
何故自分だけなのか、どうして自分がこんな目に遭うのか。そんな自問自答の日々が、春彦にはあった。
朔は笑顔のまま少し考えて、首を横に振る。
「確かに借金返済は悩みの種だけど、でも私はここで働けて幸せなんだよ。誰かを救うことが自分を救ってる気がするから」
(綺麗事じゃないか)
思わずそう思った。でも彼女は実際そうなのだろう。でなければ春彦に対して、自分とは違って良かったなどと声をかけることは出来ない。
「俺は…お前みたいに誰かの幸せを自分事として受け入れられない。常に自分のことしか考えられないことが嫌になる。お前はどうしてそんな風に考えられるんだ?」
すぐに春彦は後悔した。
(どうして俺は大して知りもしない奴にこんなことを話しているんだ)
会って間もないのにめんどくさい人間だと思っているに違いない。
だがまたもや朔は春彦の予想を上回って、春彦に笑いかけた。
「そうかな?私は春彦くんがそんな人だとは思わないよ。だって春彦くんは危険を顧みずに私を助けてくれたじゃん。それに仕事に関係無く、春彦くんと話してると楽しいよ。私の監視対象が春彦くんで良かったと思う」
春彦は理解した。彼女はもうこの組織で働かねばならないことなど、とうに受け入れいるのだ。それどころか自分の境遇を嘆くことより、きっと先に問題を解決しようと動いている。そういう人間だから、他人と自分を比べない。彼女にはもう確固たる指針がある。
「お前はどうしてそんなに…」
突如、春彦の言葉を遮るように朔のスマホから警告音が鳴った。
「悪虚の出現アラート!」
「どうしたんだ」
「これが鳴ったということは急行しろってこと!ヤバイよ春彦くん!」
「何がヤバいんだ?」
「この悪虚、懸賞金がかかってるの!行かなきゃ!」
朔は背中から刀を取り出し、腰の金具に引っかける。
「おい朔!」
「春彦くん先帰ってて!私は現場に向かうから!」
またあの人間離れした跳躍力でみるみる内に姿が見えなくなった。
「いや俺の監視は放っておいて大丈夫なのかよ」
彼女を追いかけようかと思い、一瞬踏みとどまった。単に春彦が行っても足手まといになるという心配もあったが、理由は別にあった。
(嫌な感じがする方向だ)
春彦は時折何か嫌な予感がする。まるで行けば何か良くないことがあると本能が警告しているようで、そう感じる方向へ進んだことはない。
きっと朔は一人でも問題は無い。だが、本当に大丈夫だろうかと不安が募る。もし誰も見ていない時に朔に何かあれば、誰が彼女を助けられるだろうか。
(いや、助けるなんておこがましいことは言わない。でも放っておけなかった)
ふと目の前の解体現場から、一メートルほどのバールが道路に転がってきていた。
春彦は自分の鞄を置いて代わりにバールを拾った。
「これは担保だ。後で返しに来る」
そう言って春彦はバールを握り締めて彼女の後を追った。
走る春彦の背中を屋根の上から眺める男が居た。タバコを咥えた暁だ。
暁は煙を吐き出し、興味深げにその背中を見つめていた。
「まさか追いかけるとは。決断までは少々時間を取ったが、あの胆力は合格、か」
暁の腰にはいつも自分が使う愛刀と、もう一振の臙脂色の鞘に入った刀が吊り下げられていた。
全速力で目的地に到着した朔は電柱の陰に身を隠す。ここは分譲中の住宅地。まだ建物は建てられておらず、土地が区画分けだけされている平地だ。視線の先には体長五メートルほどの浮遊する悪虚。
「あれだ、懸賞金五十万、尖った触手を持つ悪虚」
通常の悪虚とは異なり、この悪虚は触手の先端が鋭利な刃物のように尖り、何人もの戦闘員が怪我を負わされ病院送りにされている。
朔の霊力に気付いた悪虚は朔の隠れていた電柱に触手を伸ばして攻撃してくる。
朔は瞬時に飛び退き、次々向かってくる触手を刀でいなして前へ進む。やがて朔は悪虚の間合いに入る。弱点である頭部が目前に迫る。
(捉えた!)
だが即座に後退され、朔の攻撃は避けられる。目にも止まらぬ速さだ。
「なるほど、触手以外も俊敏なんだ。さすが懸賞金付き」
ここで笑えるほどの余裕は無かった。悪虚は逃げながらも攻撃を止めない。距離を離せば逃げられる。
やがて触手の一つに肩をかすめられる。
「あ゛ぁっ!」
思わず悶絶し後退する。触手に打撃や繋縛されることはあったが、こういう刃物で切られる痛みは初めてだった。
朔は逃げて逃げて、いつの間にか追い回される立場になっていた。万事休すだ。
(弱いなぁ私)
ここまで手こずることは久しぶりだった。東京の悪虚に油断してたのかもしれない。でも手を抜いた覚えもない。これが自分の実力なのだ。
『自分だけが苦しくて他人を恨んだりしないのか?』
春彦の言葉が脳裏をよぎる。
朔も望んで組織に加入した訳ではない。他人はそれを不幸だと言う。
触手が下から潜り、朔の刀を上へとはねのける。前方が無防備になり、触手はもう朔の目と鼻の先だ。
(そりゃあ苦しいよ。痛いし辛いし、終わりの見えない借金で足が重い。いつも嫌になる。自分の気持ちを見て見ぬふりしてるだけ。信じていたらいつかは本当になるんじゃないかって思ってた。だってそうしなきゃ、私が私を守れなかったから。でも─ー)
ーーもういいかな。
「っ朔ーーー!!」
声を聞いてはっと目を見開いた。
「はあああっ!」
朔に迫っていた触手を、春彦はバールで叩きつけ地面にめり込ませた。
「飛び出てってやられてんじゃねぇ!」
「春彦くん!?」
春彦はバールで触手を振り払うと、金属がぶつかり合うような音が響く。少しでも気を抜けばその鋭く尖った硬い触手が自分に突き刺さるだろう。
バールを握る手が汗をかく。
(何をやっているんだ俺は!他人を助けに来て、こんな目に遭って!)
まるで自殺志願者だ。
『あなたは本当に死にたいの?』
不意に菜緒子の言葉を思い出して、怒りと涙がこみ上げてきた。
(うるさい!人の気も知らないで!)
本当は父に捨てられたあの時、気になっていたことがある。母は家に居た。外に出て春彦を探していなかったのだ。母が謝ったのは、父が春彦を捨てることを知っていて許容した自身についてなんじゃないか。
母は優しいから、いつも徹底して春彦を守っていてくれた。しかし母が春彦を庇えば庇うほど、父は母への当たりを強めていく。母は懸命にこらえてくれていたが、本当は心の内で限界だったのかもしれない。それを言葉無く思い知らされたことがより苦しかった。
春彦は帰ってきたことを悔いた。せめて父や母に恥じることの無い優等生になる為に勉学に励んできた。でも心には虚無が生まれるだけ。一体自分は何の為に生きているのか。
(なあ、母さんは俺のことを、本当はどう思っているんだ)
やがて触手の連撃に耐えられなくなったバールが木っ端微塵に砕け散る。
「春彦くん!」
刀を投げたのは朔だった。
隙を突いて春彦はバールの残った持ち手部分を力一杯悪虚へ差し込んだ。
「逃げるぞ!」
朔の手を引く。無数の触手が背中を追いかけてくる。
(どうしたらいい、どうしたら!)
起死回生のチャンスを探す。
不意に耳をつんざくような耳鳴りがした。思わず片耳を塞いで身をすくめる。
「な、何だ!」
「どうしたの春彦くん!」
「誰かが、呼んでる…!」
これは声にならない声。でも春彦にはその意志が汲み取れる。
ーー使え。
(何を?)
ーー私を。
「春彦ー!!」
声高らかに名を呼んだのは、電柱の上に立つ暁だった。
「リーダー!?」
朔が驚く。暁の手には彼自身の刀と、いつか見た臙脂色の鞘の刀。
「俺のクビと引き換えにかっさらって来た!使え!」
何の遠慮も無しに刀をぶん投げる。朔は驚愕した。
「えぇぇ!?クビ!?というかリーダーその刀触って大丈夫なんですか!?」
春彦は片腕で刀を受け取る。柄を握ったその瞬間、心臓がドクンと脈打った。
隣に立っていた朔は全身が粟立った。
「え」
朔が驚いたのは自分自身の行動にだった。朔は無意識に刀を握っていたのだ。それは暁も同様。これは防衛本能だった。
何に『怯えた』のかは言うまでもなく、春彦に対して。
暁の頬に冷や汗が流れる。思わず笑ってしまった。
「俺達に霊力探知なんて能力は無い。だが分かる。やっぱりアイツは霊力ゼロなんかじゃない。刀の渇望する霊力を『満たした』ほどの霊力保有者だ」
春彦が抜刀すると、悪虚の様子が変化する。先程までと打って変わり、冷静さを失って、血に飢えた獣のように飛びかかってきた。
春彦は刀を構える。刀を習ったことはない。あの時は無我夢中で振り回しただけ。
ーー案ずるな、恐れるな、走れ。
聞こえた声の通りに春彦は走った。
ーー我が名は…。
その名を叫ぶ。
「いくぞ!延珠安綱!」
刀を振りかざした時、刀身が炎に包まれやがてそこから火の鳥が現れた。熱く眩しい大きな翼の鳥。悪虚を絡めとるように包み、燃やし尽くした。暴れる悪虚に、春彦がトドメの一撃を刺す。
あっという間の出来事だった。今目の前ことは到底信じられるものではなかったが、春彦が悪虚を殲滅したことは確かな事実だ。悪虚は炭となり灰となり、地面へと吸い込まれていった。
春彦は身体から力が抜けて膝を着く。
「春彦くん!」
朔が春彦の元へ駆け寄った。
「大丈夫か、朔」
「私より春彦くんだよ!大丈夫!?」
「ああ」
そこへ暁が一足で二人の元へ、軽やかに着地した。
「お前、いつ刀の銘を知ったんだ」
春彦は握っている刀を見やる。この前のように手が離れないことはない。
「刀から声が聞こえて」
「刀から?」
暁が眉をひそめた時、エンジンをふかした音とけたたましいクラクションが聞こえる。
「おーい!そこの三人組ー!無事かしらー!?」
「菜緒子だ」
「やっと追いついた。本部から車飛ばして来たんだよー!」
「だから応援より早いのか」
車から降りた菜緒子が救急箱を持ってくる。
「ねっ、今刀の声が聞こえたって言ったわよね!」
「ああ」
すると菜緒子はひどく同情した顔をした。
「可哀想に、その年でノイローゼとは。病院行く?」
「え、みんな刀から声聞こえないのか?今も聞こえるけど」
「何それ怖!」と朔は悲鳴を上げる。
「何も聞こえねーよ。お前相当ヤバイぞ」
「でもこれ特別な刀なんだよな!?」
「いや、さすがに刀と意志疎通出来るなんて聞いたことがないわ」
「嘘だろ!」
「大丈夫、殲滅委員会に加入すればいつでも都立病院通い放題よ」
「刀じゃなくても私達が相談に乗るからね」
「やめろ!俺を可哀想な奴みたいに扱うな!」
暁はタバコを携帯灰皿で押し潰す。
「ならいつまでもウジウジしてねーで、自分の意志を持て」
暁は真っ直ぐに春彦を見据えた。
「誰かの為じゃなく、お前はお前の為に生きると誓んだ。他人に左右されるな。お前の人生は誰のものでもなく、お前のものなんだから」
「暁…」
「死にたくないんだろ」
春彦は息を飲む。暁の目には揺るぎがない。
「死にたい奴は戦わない」
確かにそうだ。朔を守るだけではなく、春彦は自分自身で生きようとした。だから刀はそれに応じ、戦い方を教えた。それを願ったのは紛れもなく春彦だ。
「どうなんだ春彦」
やがて春彦は頷く。
「ああ」
その答えに暁は満足げに笑う。菜緒子は春彦の手を取って空へ突き上げた。
「…よし!春彦くん加入決定ー!」
春彦はぎょっとした。
「え、今のってそういう?」
「三課にようこそ春彦くん!」
「しまった乗せられた!」
暁はまた新しいタバコに火をつける。
「まだ霊力の証明って壁があるけどな」
「大丈夫、私が何とかするから!」
「お前は降格もかかってるもんな」
「は!忘れてた!」
なんて騒がしい奴らだと呆れつつ、内心では。
(まあいいか)
ほんの少し、ほっとしていた。
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