59 信念
大悪虚の圧倒的な力と強さ、そして仲間の流れる血を見せつけられた戦闘員達に徐々に不安が伝染していった。
「もう十数人も死傷者が出てる」
「このままだと俺達もすぐに出撃だな」
「死を待つ時間か」
「……いや、まだ分からない」
そう呟いたのは春彦だった。この暗闇の中で彗星のごとく駆ける一筋の光。和涅の動きだけ一際異彩を放っていた。
「特機八城より室長へ」
八城が無線で呼びかける。今日は他部隊との合同作戦となるのでコードネームは使わない。
『こちら黒基、どうした』
「和涅さんの代わりに報告です。大悪虚は他の悪虚と違って浮遊してない。前に現れた精神干渉系でもそうでしたけど、突発的に出現した悪虚は動くことに慣れてない節があるんです」
『何か策があるのか』
「大悪虚の問題は硬い殻です。和涅さんの考えを伝えるんで、室長、本部の方どうにかしてくれません?」
『分かった』
黒基は八城の話を聞き無線を切った。そしてその結果はすぐに無線で知らされることになる。
無線は全体に一斉に送られた。
『こちら熊倉ぁ!』
菱岡はぎょっとして声をあげる。
「え、支部長!?」
今回は本部主導のため熊倉の権限は大幅に制限されている。しかしそんなこと知ったことではないと言わんばかりに堂々と声を張る。
『お前らよぉ聞いとけよ!ええか!本部のちんたらした作戦ら忘れろ!』
すると後ろから何か別の怒鳴り声が聞こえた。ガッガッと雑音も混じる。椿と菱岡にはなんとなくどういう状況か想像がついた。
「あのオッサン、勝手に指示出してるだろ」
「なんか後ろで黒基室長と揉めてるぞ」
「いいから指示出せよ」
「あ、支部長がマイク奪ったみたいです」
朔は真剣に無線に耳を傾けていた。
『まず和涅が大悪虚を横に倒して動きを鈍らせる。そして殻に複数のヒビを入れて殻を破り、一斉攻撃を仕掛ける!』
春彦は耳を疑った。
「そんなことできるのか!」
『ここからは後衛も加わってーーー』
突如ここでジジッとノイズ音が入る。作戦本部にジャックされたのだ。
『こちら作戦本部磯崎。今熊倉支部長が指示したことは撤回する。作戦本部の指示ではない為、各自元の持ち場で応戦せよ。繰り返す、支部からの指示は撤回、各自持ち場で……』
※※※
熊倉はすぐに作戦本部との通信し、モニターに繋げる。
「どういうことや!磯崎!」
磯崎は丸眼鏡を指先でくいと持ち上げる。磯崎晋也、前副議長足尾に代わって副議長に就任した男だ。常に口をへの字にして、とっつきにくい性格から熊倉は磯崎が嫌いだった。
『勝手な指示は慎んで下さい熊倉支部長。作戦指揮はこちらで執ると伝えたはずです』
無論磯崎も熊倉が嫌いである。同い年の二人が睨み合う中、黒基がモニターから熊倉を押し出して前に出た。
「だからといって今の作戦を取り消す必要はなかったでしょう。現場はすでに劣勢です。策を講じる必要がある」
『いや、そもそも劣勢なら一度引いてもいい。貴重な戦力を削って攻めるほどのものではないでしょう』
その言葉にはさすがの作戦本部メンバーも違和感を覚えた。ここまで悪虚本体が牙を剥いているというのに、あまりに後ろ向きな発言。
いや、磯崎の経歴を考えれば当然とも言えた。黒基は嘲笑うように唇の端を吊り上げた。
「さすがは神奈川支部出身というだけありますね、磯崎副儀長」
神奈川支部と聞いて明らかに動揺を見せた。
『なんだと』
「歴代神奈川支部に在籍していた職員は、悪虚本体を叩かず野放しにしておくことでこの組織を半永久的に存続させようとする風潮がある。それは足尾前副儀長も同じ。あの人は霊力値が高い血族で、親族一同組織で甘い蜜を吸っていますからね」
『私は違う!』
「そうでしょうか。磯崎副儀長は女性戦闘員の年齢制限撤廃に反対していましたよね」
あまりに古く、無意味な掟。それにどれだけの戦力を奪われ、無法な輩をのさばらせてしまったか。そしてこの男は副儀長の器ではない。ただの穴埋めだと確信していた。だから容赦しなかった。
「あれは旧時代に制定された意味のない慣習であるにも関わらず、戦闘員のポストを空けやすくしようとした策略でしょう!まだそんなものにしがみつこうとするのか!あなた方は組織存続にしがみつくようだが、私達現場の人間はいつだって血反吐を吐きながら悪虚殲滅を心に刻みつけてきた!撤退?ふざけるな!裏切り者はすっこんでろ!」
黒基が上層部に対し激昂する姿に、熊倉は隣で大人しく眺めていた。しかしそれはかつて三課を率いていた若き日の彼の姿そのもの。何かをふっ切って、彼はようやく自分を取り戻したようだった。
磯崎はモニター越しでも分かるほどわなわなと怒りに震えている。
『お前、それでただで済むとーーー』
『作戦を許可しよう』
言葉を断って割り込んだのは栄だった。
『儀長!あの謀反人をを即刻解任します!黒基の言葉は事実無根です!』
『黙れ。私が君の素性を知らないとでも思っているのか』
栄の睨みに青ざめる磯崎。熊倉は首を傾げた。
「なんや?」
「色々あるんでしょう。聞かなかったことにしましょう」
『我々はあくまで慣例に従って東京に作戦本部を設置したまで。しかし和涅の作戦に異存はない。続けたまえ』
「ありがとうございます」
黒基は言い終えると同時に無線に切り替えた。
「こちら和歌山支部、作戦を再開する」
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