57 剣呑
日々の巡視や戦闘に疲れすっかり夢の中に落ちた春彦に、彼女は枕元で立って、そっと春彦の顔を覗いた。金髪の髪を揺らし、長い睫毛を伏せがちにしてそっと囁く。
「『奴』が来るぞ」
朝になり、目が覚めた春彦は枕元の刀を見やった。
「延珠?」
夜中夢うつつで延珠の気配がした。ふとそれが現実だったのか、いつもの夢の世界だったのかよく分からなかった。
延珠が現れた夜、大晦日。家族団欒と過ごしていた和歌山支部員全員が容赦なく緊急招集された。
竜骨岩付近の環境霊力の周波が異常な波形を見せたのだ。それは十六年前の大悪虚の前兆と同じ波形、つまりとうとう地上に大悪虚の一部かその全てが現れるのだ。
特機オフィスから聞こえてきた情報に耳を傾けつつ、春彦は戦闘服に着替えて、ホルダーに掛けた刀の最終確認を行う。刃こぼれや曇りが無いかを見ていると、刀身に写った自分の目の鋭さにハッとした。
無意識に緊張していた。きっとこれが最後の戦いになる。しかし以前大悪虚の一部が現れた時、かなりの人数が死傷したと聞く。そして春彦の実の父親である正嗣もその一人。
(俺も生きて帰ってこれるかな)
不意に春彦は肩を叩かれる。
「なに固なってんの?」
「八城」
八城は笑みを浮かべながら春彦の隣の席から椅子を引っ張った。
「大晦日にえらい迷惑な話やで。今日は実家帰ろうと思ってたのに」
本当に迷惑と思っているのか、相変わらず裏の読めない顔をする。
「準備は整ったのか」
「勿論。ずっと前からこの日を待ってたよ。でも五月に君と会った時、まさかここで一緒に戦うとは思えへんかったよ」
「俺もだ」
思えば春彦は今年の五月に、普通の学生から特定環境殲滅委員会へと半ば無理やり加入させられた。最初は東京本部第三課、そしてここ特別機動調査室へと経験を重ね、本当に目まぐるしい一年だった。それがもうすでに遠い昔のように感じられる。
そこへ、いつになく真剣な表情の朔が来た。
「春彦くん、私、この戦いでは春彦くんと組むことになったの」
「朔は和涅さんとじゃないのか?」
「和涅さんは八城さん。あと藤堂さんは菱岡さん」
「そうなんや、じゃあ和涅さん探してこよ」
八城が離席したので朔に椅子を勧める。
「まあ歴で言うとそうなるか。でも最近の戦績を考えれば、室長はお前と和涅さんを組ませるかと思ってた」
「春彦くんと組みたいって私が室長にお願いしたの」
朔は真摯に春彦を見つめた。
「特機に入って三ヶ月経つけど、私はずっと春彦くんとの戦闘スタイルを想定して戦ってきた。本当はね、私は勝手に春彦くんは和歌山支部に残ると思ってた。そして残ってくれた。だからまた一緒に戦いたい。私を助けてくれた、あなたを助ける為に」
朔の決断に、すぐには応えられなかった。きっと誰と組むかで配置も重要度も変わってくる。それでも彼女がそう決めたというのなら。
「本当にいいのか、和涅さんといた方が戦果は挙げられるぞ」
「これはきっと最後の戦いになるよ。だから私は、私が好きなようにしようと思うの」
あまりに晴れ晴れとした顔で、春彦は思わず声を出して笑ってしまった。ずっと彼女のこの顔が見たかった。
(そうだった、コイツは俺なんていなくてもいつだって強くて、前に進んでいた。本当に助けられてばかりなのは俺の方だ)
そして学ばされるのだ。自由とは、生きるとは、自分とは何か。
「実は俺、最初は自分の父さんに認めさせてやるとか、延珠のこととか、お前の借金のこととか考えてた」
「私のことも考えてくれてたんだ」
「そうなんだ。勿論それは今も変わらないけど、でもいつの間にか『やらなきゃ』じゃなくて『やりたい』になったんだ」
「分かるよ、その気持ち」
「今ここに朔がいてくれてよかった」
春彦と朔は互いに両手を固く握った。
「一緒に戦って、生きて帰るぞ」
朔はにっこりといつもの笑みを浮かべてくれた。
「うん。……フラグにならない?これ」
「やめてくれ」
遠目に二人を見ていた菱岡は椿に目配せする。
「僕達もあれする?」
「なんでだよ」
「えー!だって僕とお前の仲だろー」
「子供じゃあるまいし」
「子供でも大人でも、仲間なんだからいいだろ」
椿は菱岡の顔を見上げた。
「僕はお前と一緒に特機で過ごした時間、全部嘘じゃなかったと思ってるよ」
長い間ここで過ごしたというのに、椿は菱岡に自分のことをほとんど話してこなかった。それは彼にできるだけ嘘をつきたくないという本心からでもあった。
「兄さんのこと隠してて悪かった」
「何か訳ありなのは分かってたよ。でもあの一件以来お前の肩の荷も下りたみたいでよかった」
「下りたように、見えるか?」
それは自分でも判断のつかない部分だった。でも本当は、半分だけ分かっていた。
それを菱岡が自信を持って頷いた。
「ああ」
頼れる親友の存在に感謝しながら、無言で突き出された握手求める手を見つめた。
「結構やるのかよ」
椿は苦笑まじりに菱岡の手を取った。
和涅は一人静かに窓を開けて、慌ただしい外を眺めていた。漆黒の髪に黒いコートを着た彼女は、窓の外の夜に溶け込んでしまいそうに思えた。
「室長はどこか行かはったんですか?」
「熊倉支部長の所よ」
「あのクマ嫌いの室長がちゃんと仕事しはるなんて、時代も進みましたね」
「それよりあなたはどうなの。今朝もめまいがするって言ってたでしょう」
和涅は八城に振り返った。八城はいつも通りの笑みを浮かべる。笑顔は鎧だ。今は決して自分の不調を見せる時ではない。
「僕は元気ですよ。たとえ元気じゃなくても、この戦いは和涅さんに付いていきます」
和涅は微かに眉根を寄せたが、八城はかまわなかった。
「大悪虚を倒すことが和涅さんの願いでしたよね?僕の願いはきちんと叶えてもらいました。だから僕も約束を果たさせて下さい」
大切な後輩を救ってくれた彼女に、最大限の感謝と尊敬の念を込めて、八城は頭を下げた。
和涅は小さく息を吐き、八城の肩を叩いた。
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