49 欠片
春彦は朔から端末を受け取る。ディスプレイに映っていたのは菜緒子だった。手をひらひらと振っている。
「春彦くーん、久しぶり。調子はどう?」
「殲滅数は全くだよ」
朔も靴を脱ぐと、隣で足湯に浸かる。
「いいのよ、今年の三課のノルマは暁が達成させたから」
現在三課では暁一人のため、別チームと合同で殲滅活動をしている。
「八係と合同で任務してるんだってな」
「八係は新人が多いから、ありがたがられてるわ。なにより矢作係長の人柄も大きいわ」
矢作の名前を聞いて朔が嬉しそうだった。新人時代お世話になったと聞いたことがある。
「暁は?」
いつも暇そうに菜緒子の傍らでコーヒーを飲んでいるが、今日は様子が見えない。
「夜勤明けで寝てるの。また連絡するよう伝えておくわ」
「ああ。よろしく言っといてくれ」
そこで菜緒子は本題に切り出した。
「そういえば春彦くん、支部長からあなたの研修延長が許可されるの。あなたがその気ならもうしばらく調査室にいてくれて構わないわ」
不意に朔の顔が曇る。
「菜緒子さん、それは自由意思ですよね?」
「ええ。今回は強要してない」
「私のことは大丈夫だから、きちんと春彦くん自身で決めて。ここでは学べることも多いし、本部に戻って暁さんの元で研鑽を積むこともできる」
「俺は……」
すぐに答えられずにいると、春彦の端末が鳴った。菱岡からの呼び出しだった。緊急の呼び出しではない。緊急性は呼び出し音によって異なる。しかし菜緒子が気を利かせてくれる。
「呼び出しね。この話はまた今度」
「ああ」
「朔」
春彦は温泉から出て、朔を呼び止めた。
振り返るといつも通りの笑顔だが、いつもより少しだけ元気がなかった。
「次はちゃんと俺の意思で決めるから」
朔は少しだけ元気を取り戻して頷いた。
現場は走って川から五分ほどの場所だった。雑木林を切り開いた人けな無い空き地。現着するとすでに悪虚は殲滅されていた。すでに霧散し辺りには何も無い。
八城が二人に手を振る。すでに和涅、椿、菱岡もその場にいた。
「朝早くからごめんやでー」
「遅れてすみません」
「いや、たまたま僕らが近くにいただけ。和涅さんが先に察知してたから」
春彦と同様に、和涅も霊力探知が使える。しかも彼女は通常気配を察知できない独立型も感じとることができる。
「ここは温泉地ではあるけど、なにせ人が少ない。こういう場所には悪虚はあんまり出ぇへん」
「じゃあやっぱり異常出没」
「こうも自然に囲まれた場所だと調査も難しいな」
不意に和涅の動作が止まった。特機メンバーはその変化を瞬時に感じとる。
「和涅さん?」
春彦も黙り込んだ。
(なんだ、この胸騒ぎ)
悪虚の気配はない。でも何かが肌を這うようなぞわぞわとした悪寒がする。
「春彦くん」
朔の呼び掛けにも返事をする余裕がない。きっと和涅も同じ。全神経を研ぎ澄ませる。
ーーー来た。
延珠の声と同時に、突然背後に現れた気配に刀を抜いて振り返った。そこには巨大な個体が一目では数えきれないほど浮遊していた。
「え」
特機メンバーは目を剥く。全員に緊張が走る。
次いで悪虚出現のアラートが鳴る。これにも驚いた。
「まただ、悪虚が現れてからアラートが鳴った」
「これはこの前と同じパターン」
以前にも同様の事象があった。椿が精神干渉された時の悪虚、あの時もアラートが鳴る前にすでに姿を現していた。
「センサーが捉えきれなかったのか?」
「いや、これは『今』現れた」
抜刀する和涅。しかし菱岡はその意味が分からないようだった。
「でも普通、悪虚は近付いてきて現れるからセンサーが感知するはずじゃ」
春彦はハッとした。
(この違和感はそれだ、この悪虚は近付いてきてない。和涅さんの言ってた意味はそういうことか!)
延珠はクスクスと意地悪げに笑う。
ーーーあの女は精確に霊力探知を扱えているな。
確かに春彦も霊力探知を使えるようになったが、まだ出現方向や存在の認知に留まる。自身の中で解析できるほど知識と経験を持ち合わせていない。
(これが戦歴の差なのか)
しかし考えている暇は無い。悪虚は容赦なく襲い掛かってくる。触手を硬化させて、無茶苦茶な動きで突撃してくる。しかし隙だらけでもあり、今の春彦なら殲滅も難しくはなかった。
ただその悪虚の狙いが和涅だということはその場の全員が気付いていた。
咄嗟に春彦が延珠に力を込めた。待っていたとばかりに、延珠は遠慮なく霊力を吸い取り放出する。
ーーーフフ、フハハハハ!
延珠が楽しそうな声が聞こえる。狙いどおり、春彦の霊力に酔い狂った悪虚は様子を一変させて狙いを春彦に向ける。
春彦は刀から火の鳥を放ち、火の鳥は悪虚を燃やしついばみ蹴散らしていく。そして伐ち漏らした悪虚が延珠を構える春彦めがけて一目散に突撃してくる。それをすんでのところで椿が仕留めた。
「バカ!力を抑えろ!自分を囮にするな!」
「でもーーー」
正直ここまでしてしまうと、延珠の好き放題になり、コントロールするのが難しい。
すると八城が春彦の肩に手を添える。
「ほら、落ち着いて落ち着いて。僕らダテに少数精鋭でやってきてへんよ。息吸ってー、吐いてー」
八城の言う通りに呼吸をすると、少し身体の熱が引いた気がした。春彦に向かってきた悪虚をテキパキと殲滅する菱岡が苦笑する。
「でもこれで和涅さんが動きやすくなってるのが皮肉なんだけど」
凄まじいスピードで和涅が殲滅するのを、後方から朔がサポートしている。その圧巻の連携プレーに八城が舌を巻く。
「まずい、宇化乃ちゃんに補佐役取られそうや」
「お前がいつ補佐役だったんだよ」
「あと三体だ!」
椿が叫ぶ。しかし和涅の表情は依然険しい。何かを探しているようにも見える。そして最後に、一際大きい一体を春彦が殲滅し終えた時、霧散する中で、親指の爪ほどの大きさの赤い破片がキラリと光った。
「?」
春彦がそれが何か考える間も無く、和涅が目の色を豹変させて霧の中へと飛び込んだ。手袋をはめた右手で破片を掴むと、周囲に波動が飛ぶ。特機メンバーは飛ばされそうになるのを地面で耐えた。
「なんだ!?」
「和涅さん!」
和涅の手の周囲に霊力が集まって可視化されている。そして手袋は黒い炎に包まれ燃えて消え去る。和涅の青黒いの手が露になり、やがて波動は収まった。
和涅は糸が切れたように気を失い、地面に落下していく。
「和涅さん!」
朔が悲鳴混じりに名前を呼んだ。椿が滑り込んで和涅を受け止める。
意識の無い和涅は、右手を握りしめ、その周りには霊力の結界を張っていた。結界に触れようとすると静電気のような小さな痛みと共に弾かれる。
「これは……」
皆が言葉を失った。意識を気を失いながらも、彼女は確かに自身の意思で右手を何人からも遮っている。ただそれは何が目的でどうしたらいいのか、誰にも分からなかった。
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