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地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
5章 新天地
46/63

46 守ってきたもの

「なんやとー!!」


 和涅が公表した事実に、無線にかじりついて聞いてた熊倉が驚愕の叫びをあげる。支部長室を通り越して廊下まで響いていた。外では無線を聞いていない職員が何事かと驚いていることだろう。しかし今はそんなことすら気にならないほど、入相も驚いていた。


「神崎春彦が……あの二人の子供!?」


(こんなことがあるのか、偶然加入した一般学生が、委員会屈指の戦闘員の息子だったなんて)


 まるで出来すぎたシナリオのようではないか。


(いや、今思えば延珠安綱は突如暴走し、神崎春彦の元へ現れた。それはやはり生まれ持った霊力量からの宿命だったのか)


 だとすれば全て納得がいく。ただ同時に、過酷な運命から逃れられない彼に、同情だなんて言葉では言い表せないほどの感情を抱いた。

 対して熊倉は入相とは全く異なる感想を口にした。


「あの小僧が和涅の息子?いやそう言われたら、ワシと気ぃ合わん感じがよぉ似てるわ。あの娘、昔っからワシのこと避けよんねん」


 髭を撫でる熊倉。


(多分年頃の女の子はみんな避ける)


 賢い入相は心に留めた。


「おい入相、神崎ていくつな」

「今年で十六です」


 この支部では『十六』という数に特別な意味を持つ。


「十六年前大悪虚の出現で、なんで正嗣が和涅を庇ったんか、分かるな」

「はい」


 それだけを聞けば戦友の絆と思うだろう。しかし実際は、正嗣はそれ以上に親としての責務を果たしたのだ。そんな彼が和涅を恨んでいるはずがない。


 ただこの事実を隠蔽したことにより、藤堂に誤解を与え、要らぬ争いを招いてしまった。


 入相が立ち上がる。熊倉は内線電話の前でかじりついたまま、入相を引き留めた。


「どこ行くんな?黒基のとこなら行かん方がええぞ」

「黒基室長はこの事知ってたはずですよね」

「そして必死に隠しとった。ワシはそれが決して和涅の為だけとは思えん。今なら分かるやろ。アイツがほんまは和涅をどう思っとったんか。きっと今頃、手ぇつけれんほど荒れ狂っとるぞ。近付くな」


 三課課長だった黒基は人柄も良く、所属員からも好かれていた。特に直属部下だった正嗣を非常に気に入っていて、もう一人の直属の部下和涅にも優しくしていた。それが正嗣が死んで以降、人が変わったように苛烈になり、和涅に対しては過剰な暴力を奮うようになった。


 確かに正嗣が和涅を庇ったことに思うところがあるかもしれないが、それと和涅に当たるのはおかしいと思っていた。けれどももしそれが愛情の裏返しだったとするならばーーー。

 入相は椅子に戻った。


「すみません。また三課が和歌山支部にご迷惑をおかけすることになって」

「迷惑らかけられてない。いつだって三課は必死に頑張っとる。それは確かや。いつからか委員会では悪虚に対して危機感が薄れつつある。それは和歌山支部にも同じや。だから神崎を引き取って新しい風を吹かせたかったんや。そういう意味では、まあ風は吹いたわな。爆風やったけど……」


 それは良い風なのかどうか分からないが、どうやら熊倉はこの事実を吉と判断したようだ。振り向いた顔が心なしか明るかった。たしか熊倉も息子と娘がいた。普段人間味の無い和涅に、初めて親近感を抱いたようだった。


「春彦くんをこのまま和歌山へ置いていって構いませんか」

「おう、かまへんかまへん。何日でも置いとけ。黒基のことは心配すんな。親子の仲引き裂こうっちゅーたらどつき回したるわ!」


 入相は苦笑した。どうやら春彦は心強い後見を得たようだ。置いていたカバンを掴む。


「僕は本部へ帰ります。多分まだ終わりじゃありませんから」

「それはさっき言うとった反和歌山派か」

「はい。今回のことで副儀長は椿くんをとかげの尻尾切りにするはずです。でもあの人がこれで終わるとは思えない。まだ何かあります。それでは失礼します」


 言うだけ言って、入相は部屋を後にした。


「結局お前は爆弾ばっかり残していくな」


 残された熊倉は呆れつつ、支部のオフィスへ戻った。






 ※※※






 深夜の特別機動調査室のオフィス、誰もいないはずの時間帯に、デスクの明かりが灯されていた。一人ぼうっと佇んでいたのは和涅だった。


 藤堂は和涅に近付くと、彼女はゆっくりと視線を上げた。


「体調はもういいの」


 精神干渉を受けた戦闘員は検査を受ける。しかし今回は常に意識が覚醒していたことと、悪虚のコントロールよりも自分の潜在意識を呼び起こされたことによる感情の増幅が主な要因で、外的損傷が無い為早めに解放された。


 恐らく支部長クラスには戸籍関連で、足尾からのスパイだと勘づかれているはずだが、呼び出しはされなかった。そもそも今回の一件で、副議長から見切りをつけられる予定だ。だからその前に和涅に会いに来た。


「いつから俺のこと気付いてた?」

「名前を聞いたことがあった。それに正嗣に顔が似てたから」

「室長も気付いていたか?」

「おそらく」


 見逃されていたのか。確かに特機は性質上恨まれることも多い。その全てを打ち払っていてはキリがないだろう。まさか、足尾の手先で復讐を目論む弟を見逃すほどの度量だとは思わなかったが。

 藤堂は空いている椅子を引いた。


「俺だけ手のひらで踊らされてたってことか。で、お前は自身は息子と会って今どういう心境だ?」

「どうもしないわ。私は産んだ時にあの子の顔すら見ていないし、二度と会うことはないと思ってた」


 藤堂は驚いた。これほど徹底していたというのか。それならより一層疑問は増す。


「何もかも話せ。兄さんとお前に、何があったんだ」


 生前正嗣は三課の写真を見ていたが、本当は和涅だけ見ていたのだろう。しかし当時九歳だった藤堂には分からなかった。足尾からの情報にも偏りがある。

 藤堂はただ真実が知りたかった。和涅は手袋をはめた自らの手を見つめる。


「あなたには知る権利がある」


 そして和涅は自らの過去を語り始めた。




 十三歳の頃、両親の博打の借金で担保として、和涅は委員会に引き取られ生活を強いられた。委員会が借金を肩代わりしたのだ。


 当時の委員会には今ほどモラルも規律も無く、三課に配属されてから異常な量の訓練と殲滅任務に明け暮れた。当時三課課長で八歳上の黒基は優しかったが、それでもこのろくでもない人生に失望した。けれどもこれしか生きていくすべが無いのなら仕方がないと諦めきっていた。


 次の年に正嗣と出会った。彼の父親は政界に通ずる人物で名門の家柄だった。そして母親である前妻が他界し、後妻によって半ば追い出される形でこの組織に入れられた。しかし正嗣は苦難も逆境も乗り越え、明るく優しい人柄で多くの人に好かれ、黒基にも特別気に入られていた。彼は黒基とはまた違う、和涅が人生で初めて見る種類の人間だった。


 加入して間もない正嗣を、和涅が戦い方教えていた。二つも年下の指導を、彼は嫌な顔一つせず聞いていた。やがてバディを組んで任務にあたるようになり、段々と互いに信頼していった。




 そして和涅が十五歳の時、組織から悪虚移植の命令を受けた。拒否した。これまで殲滅してきた敵を体内に埋め込むなんてことは生理的に受け付けられなかった。しかし当時子供だった和涅はどうしていいのか分からなかった。


 それを正嗣が手を引いて逃げ出した。逃げてもどうすることもできないと分かっていても、彼は一緒に逃げてくれた。和涅はそれだけで十分と、また二人で委員会に戻った。


 ただ和涅の悪虚移植に対する嫌悪感は変わらず、一人で死ぬつもりだった。ずっと死に場所を探していた。


 十六歳の春、大悪虚の一部が出現したことにより応援要請があり、正嗣と和歌山支部へ出動した。行きの飛行機で酔ったのか非常に体調が悪かった。しばらくしても体調は回復しなかった。最近生理不順であったこともあり、黒基には報告しなかった。この頃は生きることがどうでもよくて、報告するに値しないとも思っていた。


 そして現場に行って驚愕した。今までの悪虚とは桁違いの大きさ、威力。それでも触手が数本しか地上に現れていないのに、多くの犠牲者が出た。和涅も大悪虚による攻撃で脇腹を損傷した。撤退を余儀なくされるほどであったにも関わらず、不思議なことが起こった。傷口が自ら治癒した。


 和涅は霊力治療が使えない。誰かが近くにいる気配がした。霊力探知は悪虚の気配のみ分かるはずなのに、何故だか自分の内部から巨大な霊力を感じた。そして自分に宿る新たな生命を知った。


 途端に和涅はいつものように戦えなくなった。動揺していた。手が震えて、頭が真っ白になって、ただ反射で敵からの攻撃をかわしていた。和涅の不調に正嗣が気付いた。戻れと言われたが戻らなかった。戻れなかった。もしも戻ればこの子の存在が知られて、自分と同じ運命を辿ることになる。


 そして気付いた。自分は死のうとしていない。生きようとしている。


 自身に対する驚きから、一瞬動きが遅れた。大悪虚の触手は和涅の隙を見逃さなかった。


 それを正嗣が庇った。触手は心臓を一突きした。口から滝のように鮮血が溢れ出る。


 そしてその触手は和涅の右腕にも致命傷を与えた。無意識に右腕で自分の腹部を庇っていたからだ。


 二人が本当に守ったのは和涅のお腹の子だった。


 どれだけ謝っても済むものではない、それでも和涅は謝り続けた。しかし正嗣は微笑み『生きろ』と言った。そして最期に『頼んだ』と言ってこの世を去った。




 戦いが終わり、全てを知った黒基は怒り狂った。彼は正嗣を部下として、ある時は年下の友として信頼していた。


 しかし彼は正嗣の遺志を受け、和涅が子供を秘密裏に出産、養子に出す手筈を整えてくれた。これを知るのは組織でもごくわずかな人間のみ。


 そしてこれは黒基と和涅だけが知る事実。今後生まれた子が検査で引っ掛からないよう、新型霊力計測器のプログラミングに細工を施した。ちょうど新型機への移行時期で二課の設計担当で現二課課長杉澤を買収した。特定の生年月日を入力すれば霊力がゼロになる仕掛けだった。


 また、悪虚の出現が極めて少ない地区に住む夫婦に引き取ってもらい、演習場から強奪した守護石も渡した。これで悪虚から狙われる可能性も極力減らされた。


 これ以降、息子のことは忘れ去り二度と関わらないこと言い付けられ、黒基に忠誠を誓った。そして和涅は、息子を隠してもらった代償に、動かなくなった右腕に悪虚を移植した。


 すると右腕は神経をも回復し、以前のように動くどころか尋常ではない力を発揮するようになった。いつからか見た目も変わらなくなった。自分が人から離れていくのをこの身をもって痛感させられる。


 ならばこの恨みは大悪虚を殲滅することで必ず晴らすと誓いを立て、やがて和涅はあらゆる感情を捨て去った。




 和涅が語り終えた時、二人だけのオフィスに静寂が落ちた。まるで悲劇を見終えた後のような、やるせなさが藤堂の中で燻っていた。


「少し予想外だったのは、新型計測器移行後に研究が進んで、全ての人間に微量でも霊力があることが判明したことだった。結果、神崎春彦に霊力があるという可能性を消しきれなかった。そしてもう一つ、現在、あらゆる地域での悪虚出現が増加している。十六年前にもこういうことがあった」


 藤堂は息をのんだ。


「まさか、大悪虚がまた近付いてきているのか」

「そうなのかもしれない」


 和涅は冷静だった。しかし何故彼女が冷静なのか、藤堂はまるで信じられなかった。


「……お前が刀を取り戻しに行ったと聞いた時、腑に落ちなかった。そこまでして手に入れる価値があるとは思えなかったからだ。だが今なら分かる。本当は、()()()をこの組織に巻き込みたくなかったんだろ。だから室長にさえ何も言わずに東京に行ったんだ」


 刀を取り戻しに行ったと知った黒基の怒りは不自然なほどだった。


 普段黒基は和涅を和歌山支部管轄地から出さない。他支部からは出し惜しみや、特別に重用しているからだと思われている。


 しかし春彦が和歌山に来ると突然、兵庫支部へと行かせた。勿論殲滅活動で兵庫支部へ貸しを増やしたのもあるが、それが本当はどういう意味だったのか、今の話を聞いて理解した。これは単なる黒基の私情に過ぎない。


 もう二度と息子と会うなと言われても、それでも会わないで彼が幸せに生きられるならと、彼女は自らの幸せをかなぐり捨てて生きてきた。


 なのに遠ざけたあの子が、また定められたレールに戻りつつある。


「あの子を戦いから遠ざける方法はないのか?」

「刀は人を選ぶ。引き離すのはあの刀を壊さない限り不可能よ」

「まるで生きているような言い草だな」

「生きているわ。私の腕のようにね」

「あの刀は悪虚なのか……!?」


 そうなれば必然的に組織からも離れられない。和涅があの刀を問題視し、固執していたのはこれが理由だったのか。


「副儀長から右腕のことは聞いている。また侵食が進んだそうだな。悪虚に干渉しすぎだ。いつか呑み込まれるぞ」

「……」


 何も答えない。でも和涅なら、もしそうなった場合自分をどうするか、少しの間でも共に働いてきた藤堂には分かる。それは新たな悲劇となるだろう。


「もう一つ聞きたい。それだけ必死に守ってきたものを、お前は無線で全ての人間にさらけ出した。俺の為に全てを崩す必要はあったのか?」

「ーーーあなたを救えるのなら」


 藤堂はゆるゆると目を見開いた。


「正嗣は、あなたを可愛がっていた」


 たったそれだけのことで、彼女の生涯築き上げてきたものを、自分という存在が崩し去ってしまったというのか。

 和涅は立ち上がって刀を腰に差した。


「私にはまだやることがある。私が大悪虚を殲滅した後、その時この命をあなたに差し出すわ」


 藤堂が答える間を与えることなく、和涅はオフィスを立ち去った。


 一人仄かな明かりと共に、藤堂はしばらく動くことができなかった。


 次の日、黒基が全職務を放棄したと通達があった。しばらくの間特機の室長は和涅が代行することとなり、また藤堂は特機を異動しなかった。







 ※※※

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