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地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
5章 新天地
44/63

44 遺族

 年季の入った床や壁が出迎えて、あまり予算の豊富さを感じさせない和歌山支部。ほとんどが特別機動調査室に予算が割り振られるとはいえ、実は支部側もかなり潤沢な資金を持ち合わせている。


 ただ支部長の熊倉がほとんど演習場や武器の整備に予算を配分し実務に全振りしてしまう為、施設はまったく綺麗にならない。それでも戦闘員の実力は確実に伸びる。


 支部長室のドアをノックする。やはり本部のドアをより古く、ノブを回すといびつな金属音が鳴る。

 入るとすでに応接机の前で足を大きく開いて腕組をしている、熊のような男が入相を睨んだ。かなり怒っている。


「来よったな、入相」

「お久しぶりです。熊倉支部長」


 入相は深々とお辞儀をした。しかし熊倉の機嫌は治らない。


「なんやお前、ちっと見ん間ぁに偉なったもんやな。ワシに神崎春彦を押し付けといて、舐めとったらどつき回すぞワレ!」


 腹の底から響かせる声が骨身に響く。入相は内心苦笑いした。


(この人、和歌山弁越えて単にヤカラなんだよな)


 入相は頭を上げて弁明する。


「ご説明が遅くなったのは申し訳ございません。ですからこうして直接挨拶に伺いました」

「なんやその喋り方は、すっかり東京もんになったみたいやな。お前が和歌山出身てばらすぞ」

「……別に隠してる訳じゃありませんよ。知ってる人は知ってますし。向こうでは向こうのやり方というものがありますから」

「ほんまか~?」


 熊倉の絡みが面倒なので、手っ取り早く話題を変えることにした。


「ところで神崎くんは調査室でどうですか?」

「元気にしごかれちゃあら。どーせ黒基の指図やろ。しかし黒基の嫌がる顔はケッサクやったな。あれを見れたんが唯一許せる点やな。まあそこ座んなぁ」


 促されて入相は熊倉の向かいに座る。クッションがへたれていて座り心地は良くない。


(相変わらず仲が悪い)


 熊倉の豪快な性格と、黒基の几帳面な性格は全く反りがあわず、とうとう和歌山支部に二大派閥を作り上げてしまった。


 しかし今回熊倉の協力が無ければ春彦を和歌山支部に送りつけることは難しかっただろう。支部長が受け入れを表明したことで、黒基も渋々受け入れたはずだ。勿論熊倉の嫌がらせと分かっているだろうが。


「内部者への茶は無いぞ。経費削減や」

「はい」

「ほなまずは、お前が第三課を復活させたワケでも聞かせてもらおか」

「三課復活は僕のやりたい事の一つでした。僕は元々三課出身ですから。三課を復活させ、あの頃のように勢いのある若者を育てたかった。そして同じ志を抱いていた徒塚菜緒子の後見人となった。そして宍戸暁が協議会へ流出しないよう三課に引き留めて、宇化乃朔のセーフティネットとなり、神崎春彦の委員会所属前の戦闘も揉み消して、かなりの労力をさきましたね」

「本部課長にもなれば揉み消しもお手のものか」

「いたしかたなくです」

「なるほど、まあそういうこともあるわな」


 熊倉はそういった裏の事情には理解を示す。だが、彼が三課に協力的かどうかは別だ。


「でもワシは三課復活には反対や」


 この人ならそう言うと、予想はしていた。


「確かに、あなたは本部第三課にはあまり良い思い出がないでしょうね」

「せや、十六年前のことは今でもよう覚えとる。若いもんがようけ死んだ。そこには本部から応援に来た三課の若いもんも入っとる。二度と繰り返したらあかん悲劇や。それをお前も分かっててなんでまた、三課の若造を和歌山へ寄越したんや?」


 大悪虚の出現は、当時所属していた和歌山支部の人間に深く刻まれている。特に当時一課課長であった熊倉は、自分が出動させた多くの部下が犠牲になったという苦い思い出を持つ。特にまだ正式な戦闘員ではなかった三課の学生を死なせたことは、いつまでも消化しきれないトラウマに近い。


 そんな熊倉が神崎を受け入れてくれたのは、黒基への嫌がらせだけではないと、入相は気付いていた。


「神崎を送り出したのは、勿論研修の為です。しかしあることも探りたかったからです。今本部では不穏な動きがあります」

「儀長か?」

「いえ、まだ正確には掴めていませんが、どうも和歌山支部を廃止させようとしているようです」

「どえらいこと言い出したな。ここが一番長い歴史のある支部や。そう簡単にはやられへん」

「そうでしょうね。しかし内通者くらいは送るでしょう」


 熊倉が眉をひそめる。


「スパイがおるんか」

「ええ」

「支部か、特機か?」

「僕の予想では特機、つまり調査室ですね」


 和歌山支部では特機、本部は調査室と呼ぶ。入相は和歌山支部に所属したことがないため、後者の呼び方となる。


「和歌山支部の最大戦力は残念ながら調査室です。その急所を突こうと探ってる可能性がある。黒基室長には色々と知られたくないことも多いでしょう。十六年前から、黒基さんは随分変わってしまった」

「大悪虚殲滅の応援で来たんが黒基と、冬馬和涅、それと夏賀正嗣やったな。夏賀はあんま話してへんけど、アイツはええ奴やった」


 若干十八歳にてこの世を逝去した若手のホープだった。

 入相は脳裏に彼の笑顔が浮かぶ。


「僕も大好きな先輩でした。実はその夏賀正嗣について、お話ししておくことがあります。彼には腹違いの弟がいました」


 熊倉は片眉を上げる。


「えらい訳アリやな」

「前妻と後妻なんですよ。そしてその弟は、兄が死んだのは、和涅さんのせいだと思っています」

「それは違う。あの戦いでは誰も悪ない」

「ええ。でも遺族としては違う。その部分だけフォーカスして聞いてしまえば憎しみが募る。やがて彼は復讐を心に誓い、名前を変え、戸籍を隠して組織へ潜り込みました」

「そないなことできるはずない。組織はあらゆる手段を使こうて身元を調べこむ」

「協力者がいればいい」


 支部長室にひんやりとした空気が流れ込む。


「戸籍を隠せるほどの権力者に推薦された優秀で才覚に溢れた子が、特機にいませんでしたか?」

「まさか」


 その時支部長の業務机に置かれた内線電話が鳴り響く。熊倉は苛立ったまま受話器を取る。


「なんや!……おぉ、それで」


 突然熊倉のトーンが下がる。緊急事態が起こっているのだろう。


「……はぁ!?なんやと!」


 突然また声を荒げる。


「何してんのや!さっさと和涅に行かせろ!」


 電話を殴り付けるように受話器を置く。向こうの人間は鼓膜を痛がっていることだろうと不憫に思う。


「どうしたんですか?」

「えらいことになった」






 ※※※






 時は少し遡り、菱岡による特訓を終えた頃、八城がコンビニの袋を持って帰ってきた。朔も隣にいた。


「菱岡くん調子はどーお?」

「見て、霊力固体階段」


 春彦の隣に青白い階段が十段ほど形成されていた。


「これは地面に着いてるけど、ひとまず霊力の上を歩く感覚を味わって貰おうと思って。聞けば空間固定もまだ完全な固体じゃなかったらしいからさ」


 朔が階段をコンコンとノックしてみる。中までしっかりと詰まっている音がする。


「すごい出力と強度」


 朔が感心していたのは、手から離れた霊力が固体を保つこと自体が難しいからだ。本部一課一係の柏木ですら、長時間固体を保つのはナイフ一本が関の山だった。


 けれども春彦は寸分の疲れすら感じていなかった。霊力に関しては恵まれていると感じていた。

 この出来に菱岡も満足しているようだった。


「筋が良いから、きっとすぐできるようになるよ」


 その言葉だけで菱岡の人となりが分かる。朔が特機で成績を伸ばした理由も納得だった。


「それじゃーはい、抹茶アイス。みんなの分もあるよー」


 八城が買ってきたシャーベット状の固い抹茶アイスを頬張る。モナカで蓋をされ、中身はさっぱりしてて控えめな甘さが良かった。


 そこへ藤堂も合流する。戻ってきた彼は何故か思い詰めた顔をして、心なしか顔色も悪かった。八城が不思議そうに首を傾げる。


「どうしたん?そんなに仕事あったっけ?」

「なんでもない」

「アイスあるよ」

「いい。とにかく裏山に行くぞ」

「ふーん」


 椿は答えようとせず、一人駐車場へ向かう。八城は余ったアイスを朔に渡した。

 車で五分ほど走ると、裏山と呼ばれる場所に着いた。普段戦闘員が野戦を想定して訓練する場所で雑木林が広がっていた。しかし雑草は生えておらず、足元は歩きやすい。

 そして椿が足を止めたところで、春彦は上を見上げて絶句した。ほぼ限りなく絶壁に近い急斜面。


「死ねと?」

「大丈夫だ、前にここで草刈り用に飼ってたヤギが登ってたから」

「義経みたいなこと言うなよ」

「俺は登れって言ってるだろ。下るのはハードルが高い。まずは崖に足場を作る要領で登ってみろ。さっきの拓海の訓練を見て思いついた」


 簡単に言ってくれるが、命綱も無しにこんな所から落下したらどんなことになるのか想像しただけで恐ろしかった。しかも下で受け止めてくれると明言してくれた人もいない。


(さすがに朔は受け止めてくれるかな)


 不安を胸に抱きながら、崖に霊力をくっつける形で霊力の足場を作る。恐る恐る足をかけて、少しずつ登っていく。


「上手いなー」


 菱岡が感心する。しかし上に行くごとに段々風も強くなり、春彦の不安は増すばかりだ。


「これやったら和涅さんが帰ってくる前に、できるようになるかもね」


 八城の言葉に反応しかけた時、ガサッと近くの茂みが動く。そして春彦は『突如』あの気配を感じとる。


(え、この気配は……!)


 見下ろしたと同時に悪虚が出現し、悪虚出動アラートが大音量で鳴り響く。


「悪虚!?」


 誰もが驚くと共に反射で刀を抜いていた。

 春彦だけは崖に掴まっていて抜刀できなかった。

 特機メンバーが何より驚いたのは、悪虚が表れてからアラートが鳴ったことだ。通常はセンサーが感知してすぐに鳴るはずなのに、それがなかった。


「一瞬アラート遅れたよね、故障?」

「だとすれば全員の端末が故障してます」

「集中やで集中」


 確かに春彦も、悪虚の気配が突然現れたことに驚いた。いつもは遠くから来ることを予想できていたのに、こんなことは初めてだった。

 突然耳鳴りがして、全身に鳥肌が立つような悪寒がした。冷たい汗が頬を伝う。


「まさか、精神干渉」

「和歌山で?」


 すぐに八城が声をあげた。


「支部へ連絡や!菱岡くん連絡!僕と藤堂くんで応戦して、宇化乃さんは援護を!」

「はい!」

「了解!」

「藤堂くん!」


 しかしいつもすぐさま攻撃に入る藤堂が動かない。八城が振り返ると、藤堂は頭を抱えて震えている。


「椿?」

「う、うぅ!!うわぁああ!!」


 藤堂は叫び声をあげ、刀で空気を一閃した。霊力の波動を八城は頭を下げて避ける。波動は木々をなぎ倒した。


「椿!!」

「アカン!干渉されてる!菱岡くん離れろ!」

 刀を振り回す藤堂に、春彦と朔は息をのんだ。あんなに感情剥き出しの藤堂は見たことがない。

「……はどこだ」

「え?」

「和涅は、どこだ!!」


 その言葉に八城と菱岡の顔色が変わる。


「和涅さんを呼んでる?」


 戸惑う朔。菱岡は端末から手を離し、支部へ連絡はせず、代わりに何か操作した。


「宇化乃さん!和涅さんは来させちゃいけない!」

「え」

「八城くん、アラートは誤作動で報告したよ」

「よし。作戦変更や!宇化乃ちゃんは悪虚、僕と菱岡くんで藤堂くんを押さえる!春彦くんは頑張って降りて、宇化乃ちゃんのフォロー!」


 八城と菱岡は藤堂を止めにかかる。

 春彦は階段を飛ばしながら降り、朔の元へ戻る。

 それを見計らって朔が先行して悪虚へ斬りかかった。


(やっぱり今までと動きが違う)


 異動してから格段に動きが良くなっていた。回りの触手も手際よく排除し、春彦の助けなど要らないくらいだ。それに加えてこの悪虚も不思議だった。この土地の悪虚にしてはいくらか動きが鈍い、まるで自分自身が身体の感覚を掴めていないように見える。


 しかしこちらも精神干渉で気分が悪い。思考に膜が張りそうになるのを、必死に堪えて刀を奮う。


 やがて朔が悪虚の頭部に刀を突き立てようとした時、何かが横から勢いよく飛んできた。寸でのところで春彦が叩き落としたが、朔は体勢を崩し地面に着地した。転がったのは藤堂の刀の鞘だった。悪虚に操られた藤堂が投げたのだろう。しかし十分威力があった。


「おい八城!ちゃんと止めとけよ!」

「ごめんごめん、僕らも人間相手やとやりづらくて」

 八城と菱岡は藤堂に苦戦していた。普段は対悪虚に特化して訓練している。対人戦闘は慣れていない。しかもそれが仲間が相手だというのなら尚更難しい。二人は藤堂の両腕を押さえる。


「本当に、まずいよねこの状況」

「ラチがあかへん。菱岡くんなんか呼びかけてよ。僕じゃアカン気がする」

「椿!僕達の言葉が分かるだろ!」

「うるさい!!」

「椿!」

「いいから和涅を出せ!!兄さん、仇!!」

「兄さん?君一人っ子じゃ……うわっ!」

「!?」


 菱岡と八城が強い力で振り払われる。椿が春彦の方を向いた。まるで怒り狂った獣のようで、春彦は思わず身震いした。その隙を突くように真っ直ぐ春彦に斬りかかってくる。

 春彦は動けなかった。相手は人間だ。


(どうしたらいい!?)


 突然、空気を切り裂く音が鼓膜に響く。風を感じた時にはすでに、その人の背中が目の前にあった。椿の刀を受け止め、弾き飛ばす。長い黒髪が風に揺れていた。

 春彦は目を見開いた。


「和涅、さん!?」

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