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地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
5章 新天地
43/63

43 指導

 武器庫での手入れを終えたことを告げると、オフィスの掃除以外は免除となり、これからは訓練に参加するよう告げられた。意外ではあったがこの好機を逃がす訳にはいかない。


 ただ最後に、研師のおじいさんに挨拶に行った。特に関わることはなかったが、一ヶ月同じ場所で仕事をしたことで多少の情は湧いていた。


 おじいさんはパートタイマーであるため、出勤は朝遅く、夕方は即座に消える。そのため春彦はオフィスの掃除を終えて、おじいさんが出勤した頃に武器庫に訪れた。


「おじいさん、俺今日から武器庫の仕事は無くなって、特機で訓練することになったから。それじゃまた」


 返事を期待していなかったので、そのまま去ろうとした。


「汚かったここが随分綺麗になったのぉ。ありがとうなぁ」


 ぎょっとして春彦は振り返った。


「アンタ話せたのか!」


 言葉がしっかりしている上に、話し方も流暢だった。


「ああしてた方が仕事が増えんとええんじゃ。なのにお前さんがちゃきちゃき働くから、最近仕事が増えて嫌じゃったわい」


(そんな風に思ってたのか!?)


 おじいさんは長い眉毛が目にかかっていて髭も長く、表情はよく分からない。だからまさかそんな風に考えていたとはつゆも思わなかった。しかも親切のつもりだったのに迷惑だったのか。

 おじいさんは貯えた髭を撫でる。


「十六年前の大悪虚の前兆で、一度ここはすっからかんになっとった。それがいつの間にかこんなに増えとったんじゃな」


 その言葉に聞き覚えがあった。


「大悪虚の前兆って何だ?十六年前に何があったんだ?」

「大悪虚というのは悪虚の本体のことじゃよ。和歌山ではそう呼んでおる。十六年前、大悪虚の一部が地上へ現れたんじゃ。それはあまりに大きく、強大じゃった。多くの若いもんが死んだ。思い出したくもない悲劇じゃあ……」


 表情なんて分からないのに、眉毛と髭の下で悲しんでいることはよく分かる。


「春彦よ、生き急ぐなよ」






 演習場は屋外で屋根が無い。今日は快晴で青空が広がり、秋に近付いて気候も良かった。そこには春彦と朔、そして八城、藤堂、菱岡が集まっていた。


「さて、まずはその霊力固定をどうにかしないとな」

「それはそうやけど、藤堂くんがそれ言う?」


 指揮を執る藤堂に八城が首をかしげる。春彦に真っ先に圧力をかけた藤堂が、意外にも戦闘訓練参加の許可を出し、わざわざ春彦の指導に参加を表明した。


「どういう風の吹き回しだ?」


 春彦の指摘に菱岡ですらも頷く。


「そうだよ。あんなに厳しいこと言ってたのにさー」


 藤堂は機嫌の悪そうな顔で腕を組む。


「お前は俺が言ったこと全てやり遂げ約束を守った。だから俺もお前を研修生として教育する。それの何がおかしい」


 あまりの律儀さに春彦は目をぱちくりさせた。最初は何の罠かと思ったが、本気で指導してくれるらしい。

 すると菱岡が苦笑まじりに肩をすくめた。


「それが椿なんだよねー」

「うわーツンデレやん」

「はっとばすぞ」

「よかったね、春彦くん」

「ああ」


「で?」と藤堂は春彦に向き直る。真剣な眼差しに背筋を伸ばす。


「霊力を固体化することはできるんだな?とりあえず何か生成してみろ」


 ひとまず春彦は霊力を固体化させて、いつものおにぎりを作ってみせる。粒立ちやのりの質感の再現度は過去最高で、藤堂も思わず「器用だな」と呟くほどの出来ばえだった。


「なるほど、扱いは手慣れているな」

「でも空間で固定する感覚が掴めないんだ。実際使えたのも固定と言うよりはクッションみたいに落下の速度を下げる程度だったし」


 藤堂は自らの顎に手をやる。


「宇化乃、お前はどうやって身に付けた?しばらく苦戦したんだろ」

「私のきっかけは崖から落ちる時に無我夢中で、とにかくやらなきゃ私と春彦くんは死んでたので、正直その時の感覚は覚えていません。その後も自然と使えるようになったので」

「そうか」

「すみません」

「いや、実はここにいるほとんどは、空間固定を感覚的に身に付けていて、論理的に説明できる奴はいない。そうなれば当時の感覚を思い出せるようきっかけを作るしかないか」

「また崖から転がり落ちてみるとか?」


 春彦の提案に朔が全力で反対した。


「そんな!危険だよ!私は前に崖から海に飛び込んで死にかけたよ!」

「お前そんなことしたのか!」

「あーあったなぁ、そんなこと。自殺未遂やってちょっとした騒ぎになってたな」


 菱岡が目を丸くする。


「え、あれ宇化乃さんだっけ?」

「せやで。今井係長の監督不行届やわ」


 八城はチームは違えど、意外に彼は朔を気にかけていたことが分かる。

 本部の管理区画でも朔に厳しい声をかけていたが、彼なりの思いやりだったのだろう。暁はぶちギレていたが。


「じゃあ崖から転がる前に、とりあえず僕が教えてからでいい?」


 そう言って手を上げたのは菱岡だった。


「多分僕は多少上手く説明できるよ」

「コイツは委員会の新入職員の指導要領を作成してて、この手の話は得意なんだ」

「じゃあその後に椿の特訓でよろしく」

「分かった」


 菱岡は春彦の肩を軽く叩く。


「それじゃ始めようか。みんなは少し休憩しててよ」


 その場に留まろうとした朔に、春彦はふとあることを思い出した。


「朔、お前学校の課題がまだだろ」

「あ、二人して通信制高校に編入したんやって?ええなー!学生って未来があるわー!」


 朔は嬉しそうに頷いた。


「和涅さんが掛け合ってくれたお陰です」


 二人は秋から通信制高校へと編入することとなった。朔が学生身分のまま在籍することを許可されたのは、和涅が上層部に話をつけてくれたからだという。何故和涅が計らってくれたのかは不明だが、朔が喜んでいたので詮索はしなかった。


 そして春彦も、今後戦いに身を置くのなら全日制ではなく通信制の方が何かと都合が良いので、菜緒子に頼んで二人共々編入した。これに関して春彦の育ての親である泉美は反対せず、春彦の意思を尊重してくれた。


「じゃあすぐ終わらせてくるね」


 そう言って駆けていった朔に、八城も後に続く。


「ほな僕はアイスでも買ってこよかなー」






「八城」


 藤堂に呼び止められた八城は足を止めて振り向いた。彼の眉間には相変わらずシワが寄っている。そろそろ深い溝でもできそうだ。


「どうしたん?」

「お前、神崎について何を隠してる」


 八城は胡散臭い笑みを浮かべてはぐらかす。


「なんのこと?」

「とぼけるな。お前が理由も無く他人の面倒を見る訳がない」

「自分かて面倒見てるくせに」

「俺はアイツがあの刀に呑み込まれないようにしてるだけだ」


 あの刀というのは延珠安綱だ。延珠については輸送前から特機では物議をかもしていた。得体が知れない素材であるうえに、持ち主の霊力を吸い取る危険物体。


「あの刀はとても人の手に負えるものじゃない。お前だって分かっていただろう。それなのにお前は延珠安綱を本部第三課へ渡るよう差し向けた。何の為にそんなことをした。冬馬和涅の指示か?」

「和涅さんの?」

「お前は元々冬馬和涅の腰巾着だろ。前から気に入らなかったんだ。何を企んでるか知らないが、もし刀が暴走した時は、俺は神崎(あいつ)ごと切り捨てるからな」


 その言葉が本気であることは、藤堂の性格上分かっていた。真面目に本気で、彼は春彦を殺すだろう。だが八城の口から出たのは反対の言葉だった。


「……切り捨てるねぇ。優しい藤堂くんにそないなことできはるんやろか」


 八城の試すような口振りに、藤堂は眉をひそめる。


「できるさ」

「無理やね」


 きっぱりと言いきる八城。


「君にはできひんよ」

「何を根拠に」

「さー、どうやろね?」


 制服の上着の裾を翻し、八城は藤堂を残してその場を去った。


「八城!」


 後ろから名前を呼ばれるが振り返らない。

 藤堂にはまだ知らないことがある。果たして彼がその事実を知った時、その覚悟と決意をどうするのか。八城は考えないでおくことにした。






 ※※※

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