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地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
5章 新天地
42/63

42 武器庫

 午後、郵便物の仕分けと食堂の食材発注を終えて武器庫で刀の手入れ作業を始めた。洒落っ気の無い無骨な作業場で、コンクリートの上に敷物を敷いて自分のスペースを作る。


 この場所での同僚は一人いる。刀鍛冶のおじいさんだ。齢八十以上と思われるが、まともに会話が成立しない。何を話しかけても「んん……」としか返ってこないので、春彦は伝えなければならない用事を一方的に伝えることしかしない。


 ボケてるのかと思うが、ただ手元はしっかりとしているので、腕だけは確かのようだった。何も話さず、ゆっくりとただひたすら釜の火と向き合っている。


 おじいさんが刀を叩いていると、刀修理の来客がおじいさんに大声で話しかける。


「じーさんこれ手入れ頼むわ!」

「……」

「聞いてるんか?おーい!置いとくで!」


 おそらく刀を叩く音で聞こえていない。春彦が自分の作業場から立ち上がる。


「そこに置いといて。名前と所属はここに記帳して」

「おお助かるわ!にーちゃん!」


 ここでは関西弁の人間が多い。配属先が関東圏と関西圏で分かれることが多く、人気の配属地といえどここも例外ではない。

 刀を持ってきた戦闘員はもう一人いて、しげしげと春彦を眺める。


「あの噂の新入りか。こんなとこでえらい大変やな」

「いえ」

「じーさん腕はええけど、ボケててかなわんわ」


(ひどい言われようだな)


 関西人はかなり辛辣なことを本人を目の前にして言う。ただ悪気はなく、正直すぎるという性質なのだろうと最近分かった。


「引き取りは約一週間後だけど、完成しているかは保証できない」


 おじいさんはまったく期日通りに仕事をしない。規定では一週間と定められているが、ここには修理を受けて一週間以上経った刀がざらにある。新規の修理を受け入れていいものか分からないが、断るわけにもいかない。


「やっぱそれは変わらんのかー」

「いっそにーちゃんが研いでくれよ」

「俺は手入れだけだから」

「残念やなー」


 そう言いつつも二人は、予備の刀を受け取りあっさりと受け入れて帰っていった。ここではよくあることなのだろう。

 二人は帰り際、気になることを話していた。


「そういや聞いたか、大悪虚の話」

「あれやろ、十六年前の『大悪虚の前兆』に続いて何かあるかもしれんて。和涅さんがおらんのはそれが理由ちゃうかて」


 春彦は預かった刀を抱えたまま首だけ振り返った。


(大悪虚ってなんだ?十六年前?)


 しかし今は倉庫にある膨大な数の刀を手入れ、管理しなければならない。ひとまず作業に戻った。


 数日経つと仕事も慣れて、春彦は終業後にも倉庫にこもって夜通し手入れするようになった。当然刀鍛冶のおじいさんは帰っている。あの人は朝ゆっくりと出勤して夕方飛んで帰る。


 自分の作業場所だけ灯りをつけて作業をする。今はまだ夏の終わりでそれほど寒くはない。それに刀の手入れだけがこの時間もできる。他にも薙刀や弓もあるが、修理を外部発注するので昼間の仕事にける。


 突然誰かが倉庫に入ってきて腰を浮かせた。入り口近くの灯りをつけていないので誰だか分からない。しかし軽い足音と、徐々に近付いてくる人影で小柄な女性というのは分かった。

 灯りに近付いてきて、入ってきたのが朔だと分かり春彦は目を丸くした。


「朔、こんな時間どうしたんだ」

「灯りが見えたから、もしかしてと思って」


 朔は至るところに怪我をしていて包帯だらけだった。見ているだけで痛々しい姿だ。霊力治療が傷の修復に間に合っていない。それなのに最近は実戦にも出ている。怪我は増える一方だ。


「少しだけ見てていい?邪魔はしないから」

「ああ」


 朔は春彦の隣に座って、ぼんやりと手入れを眺めていた。手入れを見ているようで、何か考え事をしているようだった。そしてふと隣を見ると、朔はすぐに眠ってしまっていた。そっと毛布をかけて、春彦は黙々と作業を続けた。


 そういった日々が何日も続いた。日数を重ねるごとに朔からは包帯が減って、少しずつ顔色も良くなってきた。特機での指導が身になり始めたのだろう。以前和歌山に所属していた頃とは違うようで、春彦は安堵していた。

 ある日朔が差し入れを盆に載せて持ってきた。


「春彦くん、食堂で夜食をもらってきたよ!」

「サンキュ」


 載せられていたのはおにぎりと味噌汁だった。春彦は作業を中断し、ラップに包まれたおにぎりを手に取る。形が良いので食堂の人が握ってくれたのだろう。中には種を取った梅干しが入っていた。酸っぱすぎず、ほのかに甘いので食べやすい。紙コップに入った味噌汁には細かい豆腐が入っていた。


「最近はどうだ?」


 ここにきてしばらく経ったが、初めて朔にこの質問をした。すると朔は微笑んだ。


「特機の人は厳しいけど、ちゃんと自分が成長してるのが分かる。前に和歌山に来た時とは違う」

「そうか。ならよかった」


 朔は少しだけ気まずそうに膝を抱える。


「付いて来てもらってから言うのはずるいって分かってるけど、謝らせて欲しいんだ。私のせいでごめんね。春彦くんは学校でずっと頑張ってきたのに」


 春彦と朔の学校がどうなるかまだ未定だった。菜緒子が色々と手を尽くしてくれている。どこに編入するのか、朔の学生身分をどうするのか。

 どのような結果であれ、春彦には何の悔いもなかった。


「学校の勉強は、ずっと父さんに認められたくて頑張ってた。でも最近は、朔にとって恥ずかしくない人間になりたくて頑張ってんだ。気にするなって言っても気にすると思うけど、学校だけが全てじゃないよ」


 温かい味噌汁を胃に流し込む。この頃少し肌寒くなってきたので、温かさが身体に染み渡る。紙コップを盆へ戻す。


「俺は望んでここへ来たんだ。後悔はしてない」


 朔の為になり、なおかつ自分が目的を成し遂げる為の力を付けなければならない。その為にはきっと、この土地で得られるものは大きいと確信していた。






 春彦が和歌山に来て一ヶ月経った。徹夜明けで倉庫の扉を開けると、ちょうど朝陽が昇る瞬間だった。平野で美しい朝焼けが広がっているが、その光は徹夜明けの目には眩しすぎた。

 春彦は大きく伸びをする。


「疲れた……」


 武器庫の手入れは一段落を終えた。あとは業者に修理に出して、刀鍛冶のおじいさんが自力で修理を終わらせるだけだ。

 すると珍しく延珠が話しかけてきた。


 ーーー三日間も徹夜をすれば身体を壊すぞ。


「今日は休みだから、さすがに休むよ」


 ーーーお前が万全でなければ私にも関わってくる。


 ぶっきらぼうではあるが、心配してくれていることは伝わってきた。


「分かってるよ。でも本当はあまり疲れないんだ。ここは兵庫と同じで自然霊力で溢れた土地なんだって。やっぱり東京と違うか?」


 全ての霊力は悪虚本体から溢れ出たもの。そして悪虚は他の霊力しか感じられない為、自ら溢れた自然霊力は吸収できない。

 しかし人は自然霊力を吸収し、体内に取り込むことができる。そして人が取り込み変換した霊力を、悪虚は吸収する。


 ーーー皮肉なことだが、ここに来てからお前の霊力保有量は肥大した。勿論私の調子もすこぶる良い。


「それならよかった。これから俺はここで、お前を酷使しないといけない」


 ーーー言ってくれる。どのくらい強くなれるか楽しみだな。


 しかし春彦に残された猶予は残り二ヶ月。朔と違っていつまでもここに居られる訳じゃない。


 ただこの一ヶ月間も無駄ではなかった。郵便物の配達で長い距離を往復することで体力がつき、ショートカットするために日常的に霊力を使っていた。東京本部のビル内ではできなかったことだ。


「ここでずっと考えてた、俺ができることは何なのか。やっぱり悪虚本体を倒す為の力を得なければならない。朔とお前の為に」


 ーーー相変わらず変わった奴だな。


 何故だか延珠はいつもより元気がないことき気付く。いつもはもっと不遜で自信に溢れているのに、今日の言葉にはどこか覇気が感じられない。


「延珠?」


 ーーー気を付けろ。『奴』は徐々に近付いてきている。


 奴、というのは悪虚本体のことだ。悪虚本体は和歌山の地下深くに隠れ潜んでいる。


「悪虚本体が地上へ?」


 ーーーああ。そして、『あの女』にも気を付けろ。


 春彦は視線を感じて顔を上げた。遮るものがない平野のずっと向こうに、長い黒髪の女が佇んでいた。その立ち姿だけで誰だか分かった。ずっと兵庫に単身で遠征に出ていたが帰ってきたのか。

 彼女は黒いコートの裾を翻して立ち去ろうとする。


「待って!」


 春彦は思わず追いかけた。徹夜明けで速く走れない。痛む肺と心臓に鞭打って、和涅に叫んだ。


「待ってくれ!」


 追いついたところで、ようやく和涅が止まってくれる。相変わらず表情が薄く、まるで二十代のような姿。会えたら何と言おうかずっと考えていた。

 疲労と緊張で心臓が痛い。息を整えるのを、和涅は静かに待ってくれていた。


「本部で助けてくれて、ありがとう」

「大したことじゃないわ」


 淡々として、表情の薄い和涅。ふと彼女はチラリと延珠に視線をやる。


「その刀……」

「あの時からだいぶ延珠を理解できるようになったんだ」


 和涅は表情を変えず延珠を見つめた。


「随分と刀に絆されたのね。私が壊してあげようか」

「え」


 唐突すぎて何を言われたのか分からなかった。


「今のあなたなら他の刀でも戦える」


 淡々とした言葉に反し、和涅の目は真剣だった。どういう意図かは分からない。しかし嫌がらせではなく、彼女なりの何か信念でそう発言しているような気がした。春彦は首を横に振った。


「俺は今までコイツに助けられてきた。それを仇で返すつもりはない」

「所詮は悪虚、人と相容ることはないわ」


 春彦は目を見開く。


「どうして延珠が悪虚だと」

「私も同じだからよ」


 驚いて彼女の紫紺色の刀を見る。しかし延珠が否定した。


 ーーー違う、腕だ。


(腕?)


 和涅は右手の革手袋を外した。その肌は人間離れして青黒く変色してる。それは悪虚の触手の色に似ていた。


「この腕には悪虚を移植してる」


 一瞬時が止まったかのように感じられた。彼女が言ったことがまるで理解できなかった。


「移植って……でも、気配は感じない」

「独立型だからよ。あなたの霊力探知では古の霊力しか分からない。だから変質した独立型の霊力は察知できない。でも悪虚というものは霊力に対して人よりもっと敏感になる。だから分かるのよ。あなたの刀のこともね」

「でもあなたもそれが分かるというのは……」


 春彦は言葉を途中で切った。それは彼女に対して非常に失礼なことだと気付いたからだ。

 けれども和涅はそれを否定しなかった。


「そう、私の身体は悪虚に侵食されつつある」


 自らの右手を睨む目は、怒りと憎しみに満ちていた。


「私はこの腕を今すぐ切り落としたいほど憎いわ。悪虚が私の全てを狂わせたのよ……!」


 春彦は息をのむ。その目は悪虚と対峙する朔と同じだった。あまりに苦しそうな彼女に、かける言葉を見つけられなかった。

 冷静さを取り戻した和涅は再び手袋をはめる。


「言葉が分かるそうね」

「ああ。あなたも?」

「言葉までは分からない。でも微かな意思は感じる。……周りには刀のことは黙っていなさい。正体を知る者は少ないわ」


 そうして和涅は去っていた。その背中を春彦は見えなくなるまで見つめていた。

 そんな二人を遠くから見ていた男がいた。藤堂だ。彼は何かしらの会話をしていた春彦と和涅に、眉をひそめていた。





 ※※※

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