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地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
5章 新天地
41/63

41 烙印

 春彦達が和歌山支部に到着して、まず向かったのは支部長へ挨拶だった。支部長の顔を見るなり春彦は硬直した。第一印象は熊だ。ごつごつとした顔つきに黒い顎ひげ、がっしりとした体躯。立ち上がると身長は二メートル近くある。


「お前らが新人か」

「はい」

「返事が小さいっ!」

「「はいっ!」」


 骨にビリビリと響くほど大きな声に、二人の背筋がしゃんと伸びる。百瀬が部屋の外で待つと言ったのが分かる。熊倉は純粋に恐ろしい。


「挨拶来たんやったらまず名乗らんかい!」

「宇化乃朔です!」

「神崎春彦です!」

「そうか。ワシはここの支部長熊倉(くまくら)や。どうぞよろしく」

「「よろしくお願いしますっ!」」

「せや、それでええんや」


 熊倉だなんて、名は体を表すという言葉を今ほど実感したことはない。そして熊倉は和歌山県南部出身で、生粋の和歌山弁を使って話していた。


(偏屈そう……)


 体育会系の精神、御年六十五歳の経験と自信。春彦は熊倉に苦手感情を抱いた。この人に適応するのはかなり難しい。


「ええか、ここでは人の生き死には珍しない。特に特機……特別機動調査室は入れ替りも激しい。だからて死んで帰られてもこっちの目覚めが悪りなるさかい、しょね入れぇや」

「「はい!」」


 返事をしたものの熊倉が最後のあたり何と言ったのか分からなかった。朔に小声で尋ねる。


「……しょねって何」

「根性ってことだよ」


 熊倉は朔を見て顎のひげを撫でる。


「嬢ちゃんはどっかで見た顔やな」

「昨年和歌山支部第一課五係に配属されていました」


 すると熊倉のつり上がった目元が少し緩んだ。


「ああ、思い出した。そおか、あの時の子ぉか。今いくつになった?」

「十七です。今年十八になります」

「あっちこっち行かされて、若いのにえらい大変やな。くれぐれも無理はすんなよ」

「ありがとうございます」


 しかし春彦に向いた瞬間、熊倉の表情が元に戻る。


「お前はしょね入れぇや!」

「はい!」

(なんで俺にだけ厳しいんだよ!)


 熊倉は内線電話を取り、部下に指示をする。


「おい、黒基呼べ」


 しばらくして支部長室にあからさまに不機嫌な顔をした黒基が入ってきた。


(この人が朔を引き抜いた機動調査室室長)


 細身で背が高く、少し顔色が悪い。目元の険しさや不機嫌な表情から、熊倉とは違う意味で気難しい印象を受ける。


「ほら新人二人来たぞ」

「私が引き入れたのは宇化乃だけで、研修生は断ったはずですが」


 研修生というのは春彦だ。菜緒子が無理やり押し付けたというのは聞いていたが、あからさまに嫌がられている。


「アホか、本部第三課からの研修要請は拒否できんのが規則や。お前がいくら金ばらまいたところでこれだけはどうにもできひんからな」


 黒基はチッと舌打ちした。


(今のは俺を庇ったのではなく、黒基への攻撃として利用したのか)


 和歌山支部は一枚岩ではない。昔から地元で根を張っていた熊倉率いる『支部派』。十数年前に機動調査室を設置し、幅を利かせてきた黒基率いる『特機派』。この二派で構成されていた。


 昔から和歌山で戦ってきた熊倉達からすれば、突然現れ我が物顔で闊歩する黒基は気に食わないだろう。ここで支部長面して、春彦を研修生として押し付けることで黒基への嫌がらせをしているのだ。

 黒基は春彦を一瞥して、すぐに目を背けた。


「ついて来い」


 短く告げて歩き始めた。外で待っていたはずの百瀬は消えていた。危機察知能力は高いらしい。

 まんじりとした空気で調査室のオフィスへ向かう。和歌山支部は敷地が広く、演習場や駐車場も隣接していて、悪虚と戦う上でここがいかに重要な拠点であるかが分かった。


 そしてオフィスを見ただけで、どうして熊倉が黒基を邪険にする理由を理解する。


(和歌山支部は全体的に年季が入っているのに、ここだけ何もかも新しい。別支部みたいだ)


 天井、壁紙、床のカーペット、備品全て、最近新調されたものに見える。空気清浄機まである。ここまで綺麗なオフィスなのに何を清浄する必要があるのか。


(和歌山支部に振り分けられた予算のほとんどを、調査室が殲滅のインセンティブで奪ってるっていうのは本当なんだな)


 運転三時間の間、百瀬が無駄に喋り続けた情報が役に立つ。


 所有する守護石の賃貸料により、潤沢な資金を得る和歌山支部。しかし戦闘員の悪虚殲滅に対するインセンティブは、和歌山支部内の予算で振り分けなくてはならない。その為圧倒的戦力を持つ調査室に予算のほとんどを持っていかれるのだ。熊倉と黒基の確執は金銭的な面でも存在している。


 オフィスに入ってすぐ、歓迎してくれたのは八城だった。他に人はいないようだった。


「春彦くん宇化乃ちゃん!久しぶりやね~」

「うん」

「えー!めっちゃそっけなーい!もっと感動の再会を喜んでよー!」

「うるさい」


 八城は相変わらず胡散臭い笑みを浮かべている。


「百瀬くんと無事合流できたんやね」

「八城、無駄口叩く前にコイツらに制服を着させろ」


 黒基から叱咤が飛ぶが、八城は全く動じない。


「はーい。さぁ二人とも行こか」


 朔は女性更衣室なので別行動になる。春彦は黒い制服に身を包み、着心地の良さに驚く。


「初めての制服はどう?」

「動きやすいな」

「そりゃ私服よりは断然そうなるわな」

「腕章はいらないのか?」


 あの手書きで落書きにしか見えないニコチャンマーク。八城は「いやいや」と笑う。


「あの腕章真面目に着けてるんは東京三課だけやで。他の課で着けてんの見たことないやろ」

「公式マークじゃなかったのか?」


 途端に八城が困惑した顔になった。


「普通に恥ずかしない?」

「それが理由!?」

「まあ制服だけで見分けはつくし、室長はあの腕章嫌いみたいやから着けんでいいよ」


 嫌いだから着けなくていいとは、本当に黒基本位のチームだ。

 ふと周りに人がいないのをいいことに、春彦は気になっていたことを聞いてみた。


「なぁ、黒基室長って俺のこと嫌いなの?」

「それはーーー」

「ーーーお前を鬱陶しいと感じているのは黒基室長だけじゃないぞ。戦えない無能は特機に置いておく価値が無い」


 振り向くと知らない男が立っていた。細身の長身。不機嫌な表情丸出しなのに、端正な顔立ちのお陰でむしろ様になっているのが不思議だ。というかここには不機嫌な奴しかいないのか。


「誰?」


 八城が肩をすくめる。


「あーあ、ストレートに言うてもた。僕知らんからね。春彦くん、こちら藤堂椿くん。機動調査室のメンバー。見ての通りいけずで愛想のカケラも無いから、気を付けて」

「勝手なこと言うな。研修生か何か知らないが、ここでは本部のように甘やかしてもらえると思うなよ」

「そんなつもりでここへ来てない」

「へぇ」


 藤堂の見下す視線と、春彦の噛みつくような視線がぶつかる。


「ちょっと椿!なにしてんの!」


 慌てて割って入ってきたのは温厚そうな表情の男だった。


「ごめんねー、コイツ他人に厳しくてさ。勿論自分にも厳しいんだけど。あ、僕は菱岡拓海。よろしくね」


 人の良さそうな笑みで春彦の手を取り握手する。


「みんなここにいるって言うから慌ててきたよ。あれ、宇化乃さんは?」

「女性更衣室だ。ここにいるわけないだろ」

「そうだよねー。よし、迎えに行こっか!」


 菱岡は藤堂のキツイ言い回しを軽く受け流して、まったく気にした風ではない。


(多分この人が一番メンタル強いな)


 だから藤堂と親しくできるのだろう。


 男性更衣室から出ると、朔がすでに着替えを終えて待っていた。珍しく髪は二つ結びになっていた。いつものパンクロックな姿とは違い、制服は甘さも幼さも掻き消して、朔の秘めた強さが浮き彫りになる。そしてその手には見慣れた布袋があった。


「悪い、待たせた」

「ううん。はいこれ」

「ありがとう」


 渡された布袋に入っていたのは延珠安綱。組織内での貨物輸送でもう届いたらしい。

 すると菱岡が興味津々に覗き込んできた。


「うわー!これが延珠安綱!お願い、触らないから見せて!」

「触っていいよ」

「え、いいの!」


 菱岡は恐る恐る布袋を外し、少しだけ刀身を出して感嘆のため息をもらした。春彦から見ても、今日の延珠はいつもより輝きが増しているようだった。


「美しい……見たことない刃紋だ」


 藤堂も横目で見る。


「五十億だからな」

「こんなに綺麗ならきっと和涅さんも使いたかっただろうな」


 菱岡から出た意外な名前に春彦は顔を上げた。八城は微笑んだ。


「元々その刀は和涅さんが使う予定やったからね」

「あの人が……」


 以前管理区画で、八城が語っていた上司のことを思い出した。


『僕ホンマはあの人以外にはこの刀は使えやんと思ってたクチやねんけど』

『あの人って誰だよ』

『僕の上司。常に冷静で冷徹で、僕なんか足下にも及ばんくらいの実力者。僕が心から尊敬する人なんよ』


 あの時はまさかそれが和涅だとは思わなかった。

 春彦は正直和涅に対してどういう感情を抱けばいいのか分からない。

 十年以上前から変わらない容姿、機動調査室室長補佐、そして春彦の実の母親ーーー。


「あの女に渡すくらいなら俺が使ってた」


 藤堂は不服そうに刀から目を逸らした。もしかしたら藤堂が春彦を気に入らない様子なのは、この刀の所有権も関係してるかもしれない。


(どこに行ってもこの刀は重要視されてる。そりゃぽっと出の新人に取られたら嫌だよな)


 これは安綱の使い手としての宿命かもしれないと感じた。

 ふと菱岡がキョロキョロと見回す。


「で、和涅さんは?いないよね?」

「そういや今日は見てへんな」


「それは」と朔が答える。


「黒基室長から言伝てです。和涅さんはしばらく兵庫支部に出張みたいです」

「和涅さんが?」

「ほなしゃーないな。今日はこの辺でお開きにして」


 と言いかけた八城を藤堂が遮る。


「宇化乃、お前はまず実力テストだ。以前五係在籍中は霊力固定を使えなかっただろ。どれだけモノになっているか見させてもらう」

「はい」


 朔の表情が固くなる。


「そして研修生」


 藤堂は春彦に向き直る。


「この和歌山ではお前なんてろくに戦力にならない。研修生だからと甘やかすつもりもない。そんなお前がこなす仕事は決まっている」


 連れてこられたのは武器庫だ。数十メートル四方の広さで、打ちっぱなしのコンクリートが剥き出しの倉庫。四方八方におびただしい数の刀と、あまり戦闘で見慣れない薙刀や弓もある。


 感心して見ていられたのは藤堂に仕事を告げられるその時までだった。


「明日からお前の仕事場はここだ。ここの武器全て手入れしてもらう」

「これ全部!?」

「これだけじゃない。始業までにオフィスの掃除、出動車両の洗浄を済ませろ。そして朝礼後に郵便の仕分け、武器庫での点検、食堂の食材管理発注、それからーーー」

「ちょっと待てよ!全部戦闘に関係無い雑用ばかりじゃねーか!」


(これじゃ朔を支えるどころの話じゃない!)


 しかし藤堂は表情一つ揺らぐことなく、また周りの調査室のメンバーも口出ししない。


「戦えないから雑用をさせるんだ。お前の研修内容の設定は特機に一任されている。そもそもお前程度の戦闘員はここでは何の役にも立たない、ここに置いてもらえるだけありがたく思え」


 けんもほろろに突き放された。


「せめて空間固定くらい使えたらなぁ」

「せやな。菱岡くん教えるの得意やろ。教えたげたら?」

「八城、拓海に余計な仕事を増やすな。それに使えるだけなら誰でもできる。お前も過去に使えたことはあるんだろ。それで今はどうなんだ」


 春彦は何も言えなかった。朔の表情が曇ったのが分かった。


(確かに崖から落ちた時以降、全く使える感覚すらない)


 準備する時間が無かったなんていうのは言い訳だ。鋳瀬村の件から一ヶ月経った。それでもどうにもできなかったのは春彦の問題だ。

 そして今ここで、必要な時に使えない。役立たずの烙印(らくいん)を押されても仕方がない。


「ここは学校じゃない。嫌なら東京へ帰れ」


 春彦は悔しくて、むしろ自嘲じみた笑いが込み上げてきた。


(きっと朔は和歌山(ここ)で、今の俺以上に苦しんだんだろうな。俺は東京でのほほんと育てられて、今までどれだけ朔に助けてもらったんだよ)


 暁にも彼女のことを頼まれた。菜緒子も心配そうに見送っていた。


(ここで腹括らなきゃ、いつやるんだ)


 春彦はぐっと顎を引いて、藤堂を真っ直ぐ見据えた。


「俺は帰らない。雑用でもなんでもやってやるよ。帰るまでに絶対お前らの度肝抜いてやる……!」


 その覚悟と威圧に、藤堂は軽く怯んだ。朔と菱岡も驚いた様子で、八城はニヤリと笑った。


「さすがやわ」






 翌日、春彦の一日は早朝五時から始まった。東京でも自分と朔の弁当作りをしていたのが功を奏して、何も苦ではなかった。オフィスの掃除、車両の洗浄も難なく終える。食堂では一番乗りに朝食を済ませ、食器を片付けた後に菱岡と遭遇した。


「え、もう掃除終わったの!まだ七時過ぎだよ!」

「これから支部内のゴミの回収に行くんだ」


 軽快に走り去る春彦の背中を見送る菱岡。そこへ藤堂も現れた。


「椿のパワハラにびくともしてないよ。あの子将来有望だよ」

「さてどうかな。問題は郵便物だぞ」


 九時になると、郵便局から膨大な量の郵便物が届いた。本部ではほとんどメールのやりとりで、ハガキや封筒は見なかった。


「ここもいまだに紙文化なのかよ!しかも業務関係無いDMも多いし!」


 いつも郵便物の振り分けをしている事務の女性が苦笑いしつつ教えてくれる。


「田舎だと特に多いのよねー。請求書とか商工会議所からの手紙とか。PDFというワードが伝わるかすら分かんないわよ」

「田舎というか高齢社会だな」


 部署ごとに分けた郵便物を、その部署へと配達する。ただこの支部の敷地は無駄に広い。だだっ広い。自転車で爆走し、その後階段を何往復もする。


「これはここじゃないよ」


 そう言われることもしばしば。まだ完全に地図が頭に入っていないので、効率は考えずとりあえず行ける所から行く。


 途中演習場で朔の戦闘訓練が見える。シミュレーションではなく、鞭で物理的な攻撃を与えるマシンと対峙していた。本部には無い装置だ。安全性に乏しく、気を抜けば鞭で身体を叩かれてしまう。朔はすでに傷とアザだらけになっていた。

 けれども彼女は痛みに耐え、泣き言一つもこぼさず刀を握っていた。


(速く、もっと速く進まないと、今のままじゃ朔に追いつけもしない!)


 春彦は今はぐっと堪えて、とにかく走った。






 ※※※

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