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地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
5章 新天地
40/63

40 見知らぬ場所

 東京空港から和歌山空港まで約一時間のフライト。天候に恵まれ予定通り現地に到着した春彦と朔は、キャリーケースを受け取ってロビーに出る。ロビーとは言いつつも、東京空港とは比べ物にならないくらい空港規模が小さい。端から端が簡単に見通せた。


「意外と近かったな」

「うん」


 その短い返事に春彦が朔の顔を覗く。


「大丈夫か?」


 朔はハッとして慌てる。


「あ、大丈夫!久しぶりに来たら緊張しちゃって」


 キャリーケースを引いて歩き始めた。


(無理もないか。元々嫌な思い出があるって言ってたのに、また同じ場所に帰ってこなきゃならないのは辛いだろう)


 すると入り口近くで立っていた、薄い色のサングラスをかけた近付いてきた。細身で青いアロハシャツ、年は二十代前半くらいに見える。


「もしかしなくても本部から来た新人だよな。俺、和歌山支部の百瀬ね、ヨロシク」


 迎えがあるとは聞いていたが、あまりにラフな装いなので、一瞬観光ツアーガイドと見間違えた。


「なんで俺達だって分かったんだ?」


 いつも腰や背中に携えている刀は別口で輸送されている。飛行機への持ち込み許可を申請すると手続きに時間がかかるようだった。刀も制服も着ていない二人をどうして認識できたのか。

 すると百瀬は端末を取り出した。


「八城さんから写真もらってたからすぐ見つかったわー」


 そこにはカメラに目線がいってない春彦と朔が写っていた。写真を取られていることに気付いておらず、何か話している。


「盗撮じゃねーか!」

「いつのまに」

「八城さんに迎えに行けって言われたけど、委員会の制服着てないっていうから、じゃあどうやって観光客と見分けるんすかーって聞いたらこれ送られてきた。本部の第三課って制服着ないんだろ?三課はあくまで育成機関で、正規職員としての位置付けじゃないって意味らしいな」

「それは今初めて知ったけど」

「詳しいだろ?俺出世したいんだ。だからこうして、お前らを迎えにいくという面倒な雑用も進んで引き受けてるわけ」

「赤裸々だな」


 百瀬は魂胆と下心を同時に教えてくれた。しかし本人にそれを恥じる様子はない。


「願いは口に出さなきゃ叶わないだろ。さ、早く行くぞ。迎えには来たが、実は俺今日非番なんだ。こんなとこで時間をムダにしたくない」


 百瀬が運転してきたのはワゴン車だった。ナンバープレートを見ると和歌山の文字があり、ここが東京ではないと実感した。春彦と朔は後部座席に乗り込む。知らない匂いがした。


「アンタ車運転できるんだな」

「ここクソ田舎だからなー。若い人でもみんな軽自動車は絶対持ってるよ。反対に俺は東京出身だから、ここ来てそれなりに苦労したよ。まあ慣れればラクだけど」


 百瀬は空港から出てわざと遠回りをして観光地の海岸沿いを走ってくれた。海水浴場は白い砂浜と透き通ったターコイズブルーの海が綺麗で、夏が終わるこの季節でもまだ海水浴客で溢れていた。


 けれども海水浴場を離れると途端に、海の色は群青色に変わって、果てのない大海原が広がっていた。波も大きくゆったりとしていて、まるで生き物のように見える。


「観光地の海と、太平洋の海は随分違うんだな」

「観光地は人口海岸だからな。今見てる海が本物だよ」

「海が黒く見えるのは黒潮だからか?」

「それは気のせいだろ」

「でも海、綺麗ですね」


 朔は窓を開けた。車内に潮の香りが入り込む。

 やがて海から離れて山道を上り始めると、窓を閉めた。高速道路の入り口へ向かう。


「自然を眺めてられる内はいいぞ。だんだん都会が恋しくなる。俺は早く大阪へ異動したい」

「和歌山支部は行きたくても行けないエリート支部って聞いてるけど」

「他に道が無いわけじゃないだろー?そういや俺、宇化乃さんの穴埋めで和歌山支部第一課五係に配属されたんだよ」


 不意に朔の顔が曇った。


「すみません」

「いや、最初に希望出したのは俺なんだよ。そこは自業自得。最初はエリートコースきたー!って喜んでたけど、単に田舎が合わないんだよなー。上司とも合わないし」


 朔は軽く目を見張った。


「……今井リーダーはお元気ですか?」

「元気だよー。でもあの人教えるのヘタだよね」


 百瀬はやはり赤裸々に答える。


「そう思いますか?」

「思う思う。実力だけでリーダーやってるって感じ。俺ここで全然伸びねーもん。あー早く戦闘員引退して管理職したいなー」


 また窓の方を見ていた朔がどういう顔をしていたのか分からなかったが、ほんの少しほっとしたような様子だった。

 高速道路で車に揺られて一時間、ようやく下道に降りてまた海沿いを走る。この辺りは海と山ばかりで見飽きてしまうが、百瀬が喋り続けるので退屈はしなかった。

 不意に春彦は寒気がした。


(近くに悪虚が居る)


 車に備え付けの無線が鳴る。


『支部より各戦闘員へ。明鏡地区海岸付近にて悪虚出現観測。急行せよ』


 百瀬が「げぇ」と呻く。


「うっわモロここじゃねーか」


 車を道の脇に寄せ、三人は車道に降りる。朔と百瀬は青い海原をキョロキョロと見渡すが、春彦だけはある方向をじっと見つめる。そして春彦の見つめた方向、道路から約百メートルほど向こうの海面から水しぶきと共に悪虚が現れた。

 体長十メートルもの悪虚に、春彦は目を剥いた。


「デカい!」

 身体の大きさだけではない、藍鉄色の触手や身体の甲殻、今まで何度となく見てきたのに、何かが違う。その異様さ不気味さは唯一無二のものだった。

 しかし百瀬は腕を組んでのんびり構えている。朔も驚いていない。


「なんだ、普通の悪虚だな。あの大きさならこの辺りじゃよく出る」

「いや大きさもだけど、東京と雰囲気が違う」

「ああ、悪虚は時代や地域で少しずつ姿形が変化している。でも和歌山の悪虚は原初の姿に最も近いの。それは悪虚本体がこの地下に居るのが関係してるって説が濃厚だ」

「あれと戦うのか?」

「予備の刀はあるが、お前ら和歌山支部での戦闘許可まだ無いだろ」


 春彦は驚いて朔を見やる。


「事前申請じゃないのか?」


 こうしている内にも悪虚がゆっくりとこちらに近付いてきている。


「和歌山支部では他支部からの干渉を少なくするために、一度和歌山支部で手続きしないといけない独自ルールがあるの」

「じゃあ百瀬は戦うのか?」

「嫌だよ、俺今日非番なんだってば」


 朔が首をかしげる。


「非番だと休日と違うから、緊急要請には出動義務がありますよね」

「GPSは切ってあるから大丈夫だ」

「いや、そこに悪虚がいるんだから大丈夫じゃないだろ」


 しかしまるで動く気のない百瀬。戦闘員が嫌だというのは重々分かったが、果たしてこれで出世できるのか微妙だ。

 すると百瀬は悪虚と別の方角を指さした。


「この辺りは悪虚頻出地帯なんだ。俺達じゃなくても、巡視してる部隊は他にいる」


 そこへモーターボートが猛スピードで悪虚に近付いていった。マリンスポーツを楽しむ一般人かと思ったが、二人の人影が宙を飛んだ。そして何もない場所を足掛かりに、軽やかに宙を動き回り悪虚へと刀を奮う。

 二人が現れてから悪虚は瞬く間に殲滅されてしまった。驚く春彦とは対照的に、朔と百瀬平然とその様子を眺めていた。

 開けていた窓から車内の無線が響く。


『特機より本部、目標殲滅。帰還する』


 その声には聞き覚えがあった。


(八城の声だ)


 和歌山機動調査室から東京本部へ出向していた八城。あの時は研究員として在籍していたが、やはり本職は戦闘員だったのだ。


「あれが特別機動調査室、通称『特機(とっき)』。お前らの先輩だな」






 悪虚を殲滅して。足元でチリになるのを見届ける途中、海岸沿いの道路に乗用車が停まっているのに気付いた。そしてピンポイントにこちらを見ている見物人が三人。悪虚を認識できる人間だ。

 隣にいた藤堂椿が整った顔をしかめる。


「おい、八城。あれ百瀬じゃないか?」

「せやなぁ」

「あの距離なら戦闘に参加するべきだろう」


 早速百瀬のGPS切断作戦が露呈していた。非番の日の彼の手口だ。だが本人はあくまでシラを切り、平気をGPSを切り続ける。

 反対に藤堂は生真面目な男だ。百瀬とは前々から反りが合わないようで、恐らく今回のことも支部へ報告するだろう。

 藤堂はさらに目を凝らして隣の人物に注視する。


「隣に居るのは宇化乃か。あと一人は誰だ?」


 八城は苦笑する。八城はコンタクトで視力矯正はしているが、藤堂は裸眼の上に非常に目が良い。


「藤堂くん目良すぎん?朔ちゃんの噂の神崎春彦くんやで。本部の第三課から研修で来るって朝礼で言うてはったやん」

「あぁ、ヌシに武器無しで攻撃できなかった役立たずか」


 調査室のメンバーは鋳瀬村でのことを聞いている。刀が無ければ何もできない、なんて人間はハナから使えない。ここでは無いものの上を駆け、何も無くても作って戦う、その程度の実力は当然に求められる。

 しかし八城には春彦を贔屓にしているので全く責める気はない。笑って藤堂を宥める。


「キツ~そないなこと言わんでええやん、まだ学生なんやし」

「学生の頃から優秀だった人は大勢いる」

「まあ、それはそう」

「にしても室長が研修生を受け入れるとはな」

「実は裏で手回しはったんは支部長らしいわ。あの気難しいオッサンにしては珍しいわな」

「お前どこでそんな情報を」

「ヒミツ~」

「フンッ。しかし室長は宇化乃と研修生に対して『好きにしろ』と仰せだ」


 その発言の意図に気付いて八城は苦笑いした。


「あんまり厳しせんといたってや」

「当人次第だな」


 和歌山支部に来たというのは、虎の巣に飛び込んできたのと同じ。新人は誰もが厳しい道を辿ることになる。

 それに対しては八城も助け船を出すつもりはない。


(頑張りや、春彦くん。ここは厳しい場所やで)






 ※※※


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