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地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
4章 深淵
38/63

38 任務完了

 菜緒子は民泊に待機中、鋳瀬村での出来事を本部経由で知らされた。そして相互協議会の関与を聞き、全てを察した。入相が何を企み、三課をこの高度な任務に参加させたのか。

 ただ三課全員が無事と知り、それだけは安堵した。


 すぐに車に乗って鋳瀬村へと向かった。法定速度はゆうに越えていたが、この辺はパトカーの巡回が少ないことは把握していたので、とにかく現着を急いだ。


 菜緒子は到着後、委員会の身分証を検問で提示する。検問をしていたのは協議会の職員で、気を利かせて入相を呼び出してくれた。入相は入村時、自分の端末を持っていなかった。


 現れた入相は慣れたように車の助手席に乗り込んで、ドライブレコーダーのSDカードを抜いた。会話が録音しない為だ。


「よく来たね」


 いつも通り穏やかな表情と声音。しかし今日ばかりは彼の胸ぐらを掴みたい衝動に駆られる。それをぐっとこらえて、代わりにハンドルを握り締めた。


「三課のメンバーは無事なんですよね」

「ああ。医療班の治療を受けてる」

「こんな村で?」


 菜緒子は眉根を寄せる。昨夜の一件から十時間以上経過している。いまだに委員会直轄の医療機関へ移動していないことは不可解なことだ。


「協議会が事情聴取と現場検証を優先したんだ。命に別状はないよ」

「だからって無茶がすぎる……」


 入相は黙って笑った。「ほらね、こういう組織なんだ」と言わんばかりに。


「しかし今回、あなたの思惑は失敗したということでよろしいですか?」


 菜緒子は無意識に語調が強める。


「思惑って?」


 入相はとぼけているのではなく、菜緒子がどこまで真実にたどり着いているのか確認していた。


「あなたは二係が九係と合同で任務することを知った。そして九係を快く思わなかったあなたは、一係を担当に据えた。しかし戦力不足を考慮して三課を無理やり参加させた。そうですね?」

「ああ。九係はもとよりこの村を廃村させるつもりだった。その為にあえて悪虚を放置して被害を拡大させようとしていた。これでも最悪の事態は回避できたんだよ」

「でもあなたが頼りにしていたのは、暁一人でしょう。その為に私になんの説明も無く、朔ちゃんと春彦くんを巻き込んだ。私は今回のことを許しません」

「それは課長として正しい判断だ。真摯に受け止めるよ」

「……甘いとは言わないんですか」

「確かにそれで足元をすくわれることもあるかもしれないが、仲間思いなのは君の良いところだよ」


 入相はその平静を装った表情の下で、少し落ち込んでいるようにも見えた。


(今回、課長は被害を最小限に抑えたとはいえ、理想通りの結末ではなかったはず。この人は歴代一課課長とは違う。純粋に優しい人柄だわ。きっと苦労することも多いのに、それでも課長を続けるのはきっと、暁への贖罪(しょくざい)から……)


 菜緒子はため息をついた。


「あまり出すぎたことをすると『協議会』に睨まれますよ」

「元々三課を作ったのだって良く思われていないさ」


 菜緒子は手の力を緩めた。


(そう、全てはこの人が始まりだった。組織に絶望した私に三課復活の道筋を立て、陰ながら協力してくれた人)


 入相がいなければ今の三課は無かった。


「どんな手を使ってでもあなたは暁を救いたかった。あなたにとって暁の存在はそれだけ大きかったんですね」

「僕の右腕となってくれるのは彼以外あり得ないと思っていた。それを手放したのは僕だ」

「柏木くんをエースにしたのは、偽装工作を見られたことへの口止めの為ですよね。暁を手放して、嫌われて、作戦も失敗して、あなたは後悔してますか?」


 すると入相は自嘲気味に笑った。


「僕のせいで暁は何もかもを失った。罪を悔やむことは甘えなんだよ。後悔なんて微塵も許されない」

「……」

「君が彼を三課に引き取って、もう一度立ち上がらせてくれたことには感謝している」


 一時期の暁はひどく荒れていた。それがあれほど持ち直したことに、入相は心の底から安堵していた。


「暁が朔ちゃんと、春彦くんを守ろうとして、勝手に前を向いたんです。私は何もしてません」


 菜緒子は入相が暁を協議会から遠ざける為、暁に濡れ衣を着せたことを事件後に知った。そして菜緒子に三課を復活させたのは、所属無しになった暁の居場所を作り、また組織の指示系統から外す為。


 三課は育成機関として、便宜上委員会儀長の直轄組織とされている。そうなれば異動や作戦参加は決議する副儀長ではなく、組織を統括する儀長を経由させる必要がある。現儀長の栄は堅物な人物だ。彼を納得させ三課から九係へ異動させるには、かなりハードルはかなり高くなる。


(結局何もかもこの人の手のひらの上なんだ。私も暁を守る為に利用された。でも、これを利用しない手はない。私だってこの状況を利用してやるんだから)


 ふと入相は、ふっと笑みをこぼした。


「こんなことを僕が言えた立場じゃないけど、君達を見てるとかつての三課を思い出すよ」

「確か課長も三課出身でしたね」

「少しの間だったけど、楽しかった。かけがえのない時間だったよ」

「今はどうなんですか。組織は変わりましたか?」

「変わらないよ。何も。何年も何十年も。だから君は早くこの組織を壊せるといいね」


 菜緒子は息をのみ、何も答えられなかった。


「それじゃあまた後で」


 ドアを開け片足を出す入相を菜緒子は引き留める。


「あ、待って!暁とは話しましたか?」

「何を話しても、僕の罪が消えることはないよ」


 入相は心を隠すように微笑み、SDカードを菜緒子に渡して車を降りた。


(それでも、話せば少しは重荷が取れるのに)


 それが入相の言う『甘え』なのだろう。入相はこの先もずっと、自分の十字架を捨てずに全て背負って歩ていくつもりなのだ。

 菜緒子はため息をつき、SDカードを差し込もうとした時、一係の甘利が入相の元へとやってきたのがフロントガラス越しに見えた。






 ※※※





 一週間後、検査入院を終え、問題無く退院できた三課は任務完了を告げられた。そして本部へ帰還して初めて三課のオフィスへと戻ってきた。


「みんなお帰り~!!」


 菜緒子はお祝いのクラッカーを鳴らす。出勤しただけなのに祝われているのは不思議な心地だったが、誰も欠けることなく任務を終えられて菜緒子もホッとしているのだろう。春彦は素直にその祝福を受け入れた。


「久しぶりに出勤した感じがします」

「一週間で久しぶりに感じるんだから、私達って社畜よねぇ」

「あーだる。有休取りたい」

「出勤してすぐタバコ吸うなよ」

「買い溜めしてたタバコのストックが有り余ってんだよ」

(そりゃそうだろ)


 春彦は心の中で突っ込んだ。あのキャリーケースいっぱいに詰められたタバコは任務終了の予定が未定だったのを見込んでのものだ。当然鋳瀬村での三日間では吸いきらず、また検査入院している病院ではタバコを没収されていた。ストックは十分だろう。


「いつも通り使えば長期間吸えるんじゃないんですか?」


 朔が不思議そうに尋ねると、暁は苦笑した。


「そうだと思うだろ?でも手元にあると余分に吸っちゃうんだよ」

「でもタバコ吸ってる場合じゃないわよ」

「いやさっきから思ってた。あれ何?」


 暁の目線の先には鍋とカセットコンロ。取り皿も準備されている。


「今日は闇鍋です!!」

「寄せ鍋ではなく!?」


 春彦は驚愕する。暁は眉をひそめる。


「菜緒子てめー自分が民宿で食いきれなかった食材片っ端から入れやがったな」

「あはは、正解!」

「楽しそ~!」


 どこがだよ、と春彦は言いかけたが、暁は朔の言葉を聞くやいなや即座に意見を変える。


「だよな、俺もそう思った」

「でた、手のひら返し」

「春彦もそうだってさ」

「言ってない!」


 すると暁はくるりと振り返る。


「でも闇鍋なら、一人が持ち寄った食材じゃ面白くないだろ。俺も持ってくる」


 そう言いながらどこかに早歩きで向かって消え、数分後本当に何か入った紙袋を持ってきた。


「入れていいけど中身は見ちゃだめよ」

「へーい」


 ふたの隙間から食材を入れ、鍋をミーティングルームへ移動させ加熱した。すでに鍋はほぼ完成しているらしく、すぐに沸騰して出汁のきいた良い匂いが部屋に漂った。出来上がったのを見計らって照明を暗くし、小さな灯りだけで各々で小皿に具材をよそう。


「なんかドロッとしてね?」

「何かがとろけてる……」

「せーので食べるわよ」

「せーの!」


 全員何かしらの具材を恐る恐る口に入れて咀嚼した。

 春彦は口の中でホロホロほどける食感と、広がる旨味に安堵した。とりあえず変なものではなさそうだ。


「チャーシューか?」

「ああ、ラーメン作りしてた時に余ったやつね」

「どんだけ暇してたんだ」


 任務中ドローンの手配や本部との連携を行っていたとはいえ、かなりの時間をもて余していたと見える。


「朔ちゃんは?」


 朔はニコニコと答える。


「ハムでした」

「ああ、きっとおつまみに買った生ハムね」

「火の通った生ハムはもはやただのハムだろ」

「暁は?」


 先ほどからやけに静かだ。春彦が隣を見ると、暁の顔が渋かった。そして二秒後に口の中のものを飲み込む。


「大福」

「あっはははは!!」


 菜緒子は大爆笑した。


「ふざけんなよ!鍋にスイーツ入れんじゃねぇ!」

「三個買ったけど、二個余ったし、もちも固くなっちゃって。でも火いれたら柔らかいでしょ」

「そういう問題じゃねーんだよ。俺は酢豚にパイナップル入れたりするのが嫌いなんだ!」


 鍋に大福は酢豚パイナップルを超えているだろう。しかも大福を二個入れたのなら、まだ鍋の中に一つ残ってるのが最悪だ。


「菜緒子さんは何だったんですか?」

「それがさっぱり分からないのよね。ぷにぷにしてるの」


 菜緒子は首を傾げ、もう一度同じ具材を口に入れる。すると暁が思い出して答えた。


「あ、それ豚足」

「っーーー!?!?」


 菜緒子は青ざめ、ものすごい勢いで水で流し込んだ。

「ハハハハハッ!!」


 暁は大爆笑している。


「豚足なんてどこで買ったんだよ」

「さっき凪査が差し入れでくれた。意外と美味いんだぞ」


 二係係長青砥は親戚が沖縄に在住しているらしい。そのお裾分けだった。

 朔は真面目に菜緒子の心配をしていた。


「美味しくないですか?」

「美味しいけど、気持ちの問題。ねぇこの鍋にまだ入ってるの?」

「まだ鍋に大福が隠れてることの方が恐怖だろ」


 その後、食べ進めるにつれ唐揚げや天ぷら、その他菜緒子が好奇心だけで買って食べきれなかったスイーツが出てきた。途中水で流し込みながらなんとか完食した。暁と春彦はげんなりした顔で、朔はニコニコと笑っていた。


「美味しかった~」

「いや、フォンダンショコラが出てきた時つゆが全部チョコに侵食されたからな」

「私好き嫌い無いから、大福もあんまり気にならなかったよ~」

「これは好き嫌い以前の話だ」


 菜緒子は灯りをつけて人数分コーヒーを入れた。腕を突き上げ伸びをする。


「さ、これでぜーんぶ終わったわね」

「そうだな」


 この食材の片付けは任務完了の総仕上げとも言えた。協議会からの事情聴取、委員会への報告書の提出は全て終了。ようやく全てが終わった。


 そしてこの任務を通して変化もあった。


「一係の甘利さん辞めちゃうんですよね」


 一係の副リーダー的存在でもあった甘利が、来月いっぱいで退職する意向を入相に伝えていた。本人の年齢が二十五歳ということもあり、女性は戦闘員としての経歴はこれ以上積めない。


「でも彼女は晴れ晴れした顔だったわ。きっと何か吹っ切れて、この組織に何の未練も無いのよ。それならそれでいいのよ」

「しかも今時珍しい寿退社だろ。相手は金城重工の御曹司だってよ」

「寿退社ってなんですか?」

「結婚するから辞めるんだ」


 すると暁は菜緒子を気遣うように言葉を付け足す。


「菜緒子、焦らなくてもお前にもそのうち良い出会いが巡ってくるからな」


 菜緒子はこめかみに青筋を浮かべる。


「私何も気にしてませんけど?どういう当てこすりなわけ?」

「親切心だって」

「顔が笑ってるじゃないの!」

「そろそろ涼華なんて忘れて新しいパートナー探せよ」

「ほっといてよ!自分だって彼女いないくせに!」


 ギャーギャーと二人の言い合いが始まる。春彦と朔は顔を見合わせて笑った。すると朔は自分で持ってきたチョコレートを春彦へ差し出した。春彦は一粒受け取る。


「ねえ春彦くん」

「ん?」

「全員無事帰ってこられてよかったね」

「そうだな」


 この任務が始まる時、この誓いから始まった。途中アクシデントはありながらも、ここへ帰ってこられた。そして心なしか暁の表情も以前より明るい。騒がしくて楽しくて、信頼できる仲間。ずっとこのメンバーでやっていきたい。

 春彦はチョコレートを口に放り込んで、その甘味を噛みしめていた。


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