34 腹の中
触手を切断され、春彦を奪われたヌシは怒りを露にして社から這い出てくる。
『よくも……!』
ヌシの再生力は凄まじく、すぐさま新しい触手が生えて、春彦と柏木の居る屋根へと伸ばす。しかしすんでのところで暁がその攻撃を阻んだ。
触手は硬く鋭いが、暁は瞬き一つすることなく全て弾き返す。
「宍戸!」
そして甘利と菅原が隙をみて本体に近付き、うねって硬化していない部分の触手を切り落とす。しかし四百年もの間、他の悪虚を寄せつけず生き残ったヌシはそう簡単には討ち取らせてくれない。三人の激しい剣劇と、うねる触手が柱を破壊して社全体が傾く。
その衝撃に巻き込まれそうになって、面の男達は野太い悲鳴を上げながら逃げ回っている。
そこへ朔が割って入る。
「皆さん私の後ろへ!危ないからどうか動かないで!」
朔は彼らを背に触手のとばっちりを防ぐ。
正門と西谷が傾いた屋根に飛び乗ってきた。
「リーダー!」
「リーダー!生きてますか!」
正門は相変わらず鞘に貼ったネオンカラーのステッカーが目に刺さる。西谷の宝石を埋め込んだ鞘も松明の火に照らされ煌めく。一晩しか離れていないのに、柏木は長い間会っていないかのような懐かしさを覚える。
「正門!西谷!無事だったか!」
「それはこっちのセリフですって。でも無事でよかった!」
遅れて屋根に飛び乗って走ってきた暁を見て、柏木は目を見張る。
「柏木!」
「宍戸、どうしてお前がここに!」
すると西谷が不服そうに答える。
「入相課長が第三課の参加を認めて、仮のリーダーに宍戸を指名したんですよ」
「あ、今のシャレじゃないですから」
「正門!こんな時に茶化さないでよ!」
「いたっ!」
西谷は正門を殴る。
「でもお前ら、今俺のことリーダーって」
正門は確かに柏木をリーダーと呼んだ。正門はニヤリと笑う。
「先に理江先輩がそう呼んだからですよ。あなたが羨むほど実力のあるあの人が、あなたをリーダーと呼んだなら、それはもうそういう事ですよね?」
「まあこの男よりマシですしね」
「本人を目の前にして言ってくれる」
柏木は今までリーダーと呼ばれても何も嬉しくなかった。しかし今日は初めて自分がリーダーであると実感した。柏木は目頭が熱くなったのをグッとこらえる。
不意に暁が近寄って、柏木の腕の中でぐったりとする春彦を引き受ける。
「柏木、お前は『エース』だ。行ってくれ」
「いいのか。ここでお前が前に出れば名誉挽回のチャンスだぞ。俺はあの日見たんだ、入相課長がお前の端末をーーー」
しかし暁は皆まで聞かなかった。
「だとしても今俺が守るべきは第三課だ」
そのまっすぐな瞳に、柏木はそれ以上何も言わなかった。
「分かった」
柏木は刀を握り直す。
「ところで入相課長はどうした?」
「ここに向かって来ようとする村の人達を食い止めてる。戦闘に一般人が混ざるとややこしくなる。だから今の内に早く!」
「ああ」
屋根からヌシへ飛びかかる降りる柏木。
「西谷、正門!援護!!」
「「了解!!」」
動く触手を足場にして滑るように本体へと近付く。
そして甘利と菅原が周りの触手を食い止め、柏木は身体を捻って全力で本体を押し切る。そして上半身と下半身を分離させた。
『なに!』
そして身動きが取れなくなったヌシの頭部を甘利と菅原が双方向から刃を刺し、目一杯の力で押しこんだ。
ヌシは声すら発せられず、触手を天高く突き上げ、やがて持ち上げられた触手は地面に落ちて完全に動かなくなった。
息を荒くして肩を上下させる甘利と菅原に、柏木が駆け寄った。
「甘利!菅原!」
息も絶え絶えに、甘利は笑った。
「久しぶりね。まさかリーダーが拐われちゃうなんて、アタリ引いたわね」
「何がアタリなんだよ!」
「しっかりしてくれないと、また宍戸がリーダーになっちまうぞ」
「だからこうして無事だっての!」
「そうだったな」
「はは!あはははは!」
三人は声を挙げて笑った。ヌシを討ち取れたのが嬉しかったのか、緊張が解けたからかは分からない。ただ、三人はようやく『仲間』になれたのだと感じていた。
正門と西谷も駆け寄ってくる。
その楽しそうな声が聞こえてきて、春彦は徐々に意識が覚醒した。
(柏木、きっとお前が思うよりも、一係はお前を迎え入れているぞ)
暁は腕の中で春彦が微笑んでいることに気付いた。
「春彦」
暁が名前を呼ぶと、応えるように春彦が目蓋を開いた。
「俺はよくお前に抱えられてるな。前は背中だったけど」
空の真ん中に満月が見えた。煌々と輝いて、こんな状況にも関わらず、なんていい夜なのだろうと思った。
「降ろしてくれ」
「立てるのか」
「ああ。柏木が少し治療してくれてた。それに吸われる霊力も調整できた」
春彦は暁の腕から降り立つ。
霊力の操作を練習する内に、悪虚にむやみやたらに霊力を吸われないよう、身体の中での流れをコントロールできるようになったのが幸いした。
「春彦くーん!」
朔が全速力で駆けてきて春彦の首にかじりつくように抱き締める。
「朔!」
「よかった!無事だった!」
「探してくれてありがとな」
「仲間だからね。ですよね、暁さん」
「ったく、しゃーねーなぁ」
暁はそう言いながらも笑って、タバコを咥えてジッポで着火した。
ーーーおい春彦、匂いがつくから早く離せと言え。
延珠の声に春彦は目を丸くした。暁の背中には布袋で覆われた刀が背負われていた。
「延珠?」
暁は刀を片手で春彦へ差し出す。
「忘れてた。菜緒子からの贈り物だ」
「やっぱり延珠だったのか」
ーーーふん、私を置いていくとは。偉くなったものだな。
「仕方ないだろ。そういう任務なんだから」
春彦は延珠を袋から出して腰に差す。延珠は何故か腹を立てているようなので、春彦はなだめようと無造作に柄をぽんぽんと叩いた。
一方で、面を着けた村の男達は呆然としていた。
「村は終いだ」
「坂松さん……」
坂松はしわがれた手で面を外す。
「土神様無くして村は成り立たない」
春彦が彼らに近付こうと、崩れた社から飛び降りようとしたその時だった。
「春彦!」
柏木の叫びと、伸びた触手が春彦の目前に迫っていたのは同時だった。
「え?」
暁が瞬時に刀を抜いて切り捨てる。しかしそれは人の頭ほどの大きさの悪虚。見ればヌシの切断された胴体から、無数の小さな悪虚が湧いて出ている。
「うわぁ!」
「なにあれ!」
暁は目を凝らし、眉をひそめる。
「悪虚の幼体だ」
ざっと数十体はいる。これほどの数があの腹の中に収まっていたというのか。
下にいた一係がすぐさま体勢を立て直す。
「何体いるの!」
甘利が刀を振り回す。小回りが利いて的としても小さい。柏木も殲滅に苦戦している。
「人だけでは飽きたらず、悪虚も食っていたのか」
「でも近年力が足らなくなって、腹の中で腸食い潰されていたってとこか」
菅原はヒビの入ったメガネを押し上げた。一方で西谷は悲鳴を上げる。
「ひー!ちっちゃくてキモいー!!」
「俊敏さに自信は無いんだよなー」
西谷と正門は後退した。
小型の悪虚達は坂松達に飛びかかって霊力を吸収した。男達は呻きながら地面に崩れ倒れる。そして悪虚はぐんぐんと大きくなる。元々この村は霊力の多い人間で構成されている。悪虚達の成長も尋常ではなかった。
その光景に朔は髪が逆立つほどの怒りを覚える。
「朔!」
暁が朔の肩を掴もうとしたが、その手をすり抜け朔は悪虚へと飛び出した。
「っ!春彦はそこで待機!」
「気を付けろよ!」
するとそこへタイミング悪く麓の村から村人達が登ってきてしまった。入相一人では大勢の民衆を殺さずに無力化するのは困難だったようだ。
村人達は沢山の『土神様』に感極まって涙を流しながら拝んだ。
「土神様じゃ!」
「伝承は本当だった!」
「違う!コイツらは神なんかじゃない!」
そう叫んだ朔を、村人達は口々になじる。
「なんて罰当たりな!」
「土神様!どうかこの者達に罰を!村に恵みを!」
しかし無情にも悪虚達はそんな祈りを蹴散らすように、新しい出てきた『エサ』に飛びかかる。
「ぎゃあああ!」
「いやぁぁ!」
「うわぁああ!」
阿鼻叫喚の境内、人々が悪虚から逃げ回り捕らえられる様はまさに地獄絵図だった。
朔はあまりの光景に思わず足を止めた。今まで怒りと憎しみに任せて殲滅してきた。でも今日ほど「あの時の恐怖」を思い出して絶望したことはない。
その時、朔の視界に月明かりに刃が煌めいたのが見えた。鬼神の如く悪虚を殲滅していく暁。
「リーダー」
「戦場へ来たのなら立ち止まるな!」
朔はハッとして刀を構え直した。
「はい!」
すぐさま一係の戦闘へ暁と朔が助っ人に入るが、すばしっこくて中々殲滅が追いつかない。次々村人は犠牲になって失神する。
そこへ額から血を流した入相が到着して、あまりに酷い光景に眉をひそめる。
「なんてことだ」
取りこぼした悪虚達が森へと逃げ込み闇に紛れて逃走する。
「悪虚!?」
柏木は先に入相の元へ駆け寄った。
「課長!」
「柏木!無事か!」
次いで暁を見やる。一瞬のことだが確かに、そして柏木に向き直る。柏木は端的に状況を説明する。
「ヌシの腹で寄生していたと思われる悪虚達が放たれました」
入相は手で額を押さえる。
「村へ向かったのか」
「どうしますか」
「急いで村へーーー」
「待て!!」
しかし正門に肩を借りながら屋根を降りてきた春彦が話に割って入る。
「ここへかなり大きな悪虚が近付いてきてる」
「って言ってたもんで連れてきました」
ヌシが居なくなったことと、村人は霊力保有量が多く、委員会所属メンバーがこの場所に集結しているのも一因かもしれない。
ゆっくりだが確かにここへ向かってきている。
「二手に分かれますか」
「負傷者は?」
菅原が小さく手を上げる。
「すみません、実はさっき肩が外れて」
「脱臼は戻してます」
「理江先輩さすが!」
「あとコイツもムリじゃないっすか?」
正門が春彦を親指で指す。
「では菅原と神崎は後方から援護、前衛は宇化乃を筆頭に西谷と正門が補佐」
西谷は嫌そうに唇を歪めるが、朔はどこ吹く風とばかりに無視した。
ふと春彦はあることに気付く。
(待てよ、残りのメンバーは村へ向かうってことだろ)
まだ暁の名前が呼ばれていない。言い知れない緊張が走る。
入相が暁を真っ直ぐ見据える。
「暁、君は僕と来てくれ」
「……エース不在ならまだしも、俺は三課監督役だ」
「それでも来て欲しい。君が必要だ」
暁は一瞬躊躇って、すぐに頷いた。




