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地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
4章 深淵
33/63

33 ヌシ

 岩屋の温度は昼夜問わず涼しかった。それはここが標高の高い場所にあるからというのは薄々気付いていたが、昼間でもエアコン無しに過ごせた。そして徐々に気温が下がってくる。夜が近付いてきたのだ。


 しかし恐らく今夜、二人がここで夜を越すことはない。ヌシへ霊力を捧げる儀式は拐われた次の夜と決まっている。


 まんじりともしない空気の中、ふと春彦は柏木の視線に気付いた。


「何?」

「お前を見てると誰かに似てると思ってたんだけど、思い出した。和涅さんだ」


 その名前を出されてドキリとする。


「なんで?」

「あの人も霊力固定化と、霊力探知が使える。何より戦いの天才だよ。俺達一係なんて目でもない」


 一係係長が手放しに誉めるのだから、和涅の実力は本物なのだろう。


「俺も会ったことある。すごい戦い方だった」


 本部管轄の演習場で現れた悪虚に対し、和涅はでたらめなくらい豪胆で、怒りが溢れた戦い方をした。


「だよな。俺ら一係で、和歌山支部に遠征に行ったことがあるんだけど、俺さ、あの人の戦いを見た時絶望したんだ。強すぎる」

「でもアンタも一係係長じゃないか」

「俺じゃ何年経ってもかなわないさ。追い付こうと考えるだけでもおこがましい。そのくらい圧倒的だった」


 柏木の瞳に憂いが帯びる。朔も似たようなことを言っていた。和歌山支部で自分の実力不足を痛感したと。


「いつか行くかもしれないけど、和歌山は激戦区だよ。悪虚の出現率がはるかに違う。和涅さんですら全ての悪虚を殲滅し尽くすことはできない。一体俺達は何の為に戦っているんだろうな。ここ最近は東京でも悪虚の様子がおかしいし」


 不意に外から話し声が聞こえ始めた。柏木が腰を浮かす。声をひそめて話す。


「儀式だ」

「どうするんだ、逃げるか?」

「ひとまず抵抗せず従う。だが春彦、お前は隙をみて逃げろ。被害者は年々重症になってる。伝承では生け贄は死んでた。時代と共に命だけは助けていたのかもしれないが、それじゃあ満足できなくなっている。今年二人も拐ったのは力を求めているからだろう。下手をすれば今年は殺される」


 春彦は息を呑む。


「俺だけ逃げてどうする。アンタは死ぬつもりなのか!?」

「逃げないわけじゃない。俺とお前は対人戦闘は専門外だ。まして、お前を守りながらじゃ共倒れにたる。お前が先にいけば俺も心置きなくむちゃくちゃできる。……あとこれは伝えておく」

「なんだよ」


 改まった様子で、柏木はある事実を告げた。


「宍戸暁が成績改竄したっていうのはデマだ。あれをやったのは入相課長だ」

「課長が!?」


 問い詰めようとしたが面を着けた男達が入ってきて鉄格子の南京錠を開ける。

 二人は手を後ろに回され、それぞれ縄で縛られる。


「外へ出ろ」


 春彦が先に歩こうとしたが、柏木がよろけながら立ち上がって春彦にぶつかった。


「俺が先に歩く」


 ぶつかったのは演技で、その僅かな接触で柏木は春彦へ小さなくないを渡していた。


「柏木っ……」

「喋るな!歩け!」


 誰もくないに気付いた様子はなかった。春彦の霊力を固体化したものを認識するのは、悪虚を認識するのと似ているが、普段から悪虚と接触している委員会戦闘員と、ヌシのみを視認している村人では()()()()が違ったのだ。


 固定化した霊力は持ち主から離れると消滅する。柏木の近くを歩いているとはいえ、本人はかなりの集中力を注いでいるだろう。柏木の首筋に大粒の汗が伝う。早く縄を切らなければと思うが、歩きながらでは思うように切れなかった。


 岩屋を出ると夕陽が目を射した。恐らく山の中腹あたりだった。気絶させられてさほど遠くまで連れてこられていなかったのかもしれない。柏木と春彦は微かに整備された山の斜面を歩かされる。


 そして歩いてる間、春彦の頭の中にはさっきの言葉が回っていた。


『あれをやったのは入相課長だ』


(何故さっきあんなことを)


 一係は特殊な任務が多い性質上、一課長と連携が密だ。その分繋がりも深い。たとえそれが事実であったとしても、一係の人間がわざわざ職階が下の春彦へと教えるのは通常ありえない。


(まるでもう自分が一係じゃないから……いや、死ぬ前に真実を伝えたのか。普通えこひいきでエースになった男はそんなこと言わないんだぞ)


 ようやく縄が切れて手元が緩んだ。


「へっくしゅん」


 春彦の合図が伝わってくないが消える。春彦は手元が自由になったことを悟られないよう、緩んだ縄を握っていた。幸い日も暮れてもう手元は見えていない。


(柏木は今から縄を切る。なんとか目的地までに縄が切れないと)


 ふと山頂に横向きの建物が見えた。目をこらすとボロボロになった鳥居も見える。


「廃神社か?」

「廃れてもこっちが本殿であることに変わりはない」


 そう答えたのは、神社の前で立つ面を着けた男。その背格好と声から、坂松であることが分かった。登りきると神社の周りに松明が灯される。


「よう来たな。これから土神様がいらっしゃる。心しておけ」


 わざわざ横から山を登ってきたのは、廃神社の前方にある階段は崩れ落ちて上ることができないからだ。


 その鳥居を通して麓にある村が一望できる。まるで鳥居の先が崖のような錯覚に陥った。


 春彦と柏木は男達に頭を押さえつけられ、本殿に向かって額ずく。一瞬柏木の手元を垣間見ると、すでにくないは消失していた。


 不意に(やしろ)の中で、床板が軋む音がした。


(奴がいる……!)


 独立型なので霊力探知は使えない。しかし言い知れぬほどおぞましい何かが近付いてくるのを感じた。やがて軽やかな鈴の音と共に社の扉が開け放たれ、奥から悪虚が体をよじりながら床を這いずって現れる。

 坂松以下村の衆一同頭を垂れる。


「土神様、ご機嫌麗しゅうございます」


『今年も待ちかねたぞ』


 その声を聞いて鳥肌が立つ。神事で聞こえたあの声はやはりヌシだったのだ。柏木は縄を振りほどき、自分を拘束していた村人を押し倒す。


「春彦!」


 春彦も押さえつけられた手を振り払って同じように立ち上がった。頭を上げると、村人達が面の上からでも驚いているのが分かった。そしてヌシの姿を初めて見た。普通の悪虚よりも黒みを帯びていて、体長は五メートルほど。そして浮遊せずに床に這いつくばり、触手をうねらせながらこちらの様子をうかがっていた。


 柏木は刀を生成して構える。


「俺が時間を稼ぐ、お前は元来た道を走れ!」


 春彦は言われるままに廃神社から逃げ出そうとする。しかし人を避け、伸ばされた触手をも避けて逃げるのは意外と難しいことだった。普段なら触手だけを刀で凪払うことができるのに、今回は人間をも相手しなければならない。できれば怪我をさせたくない。そんな甘さが失態を招く。案の定村人が逃亡を阻害したせいで触手に足を掴まれる。逆さに宙吊りにされる。


『今年は活きがいい』

「さっきから喋っているのはお前自身の声なのか!」

『我に意志が無いというのは思い込みだ。ここで四百年、生け贄から力を吸い続けた我は、人の思考を得た』


 柏木は村人を足場にして飛び、春彦を掴む触手を断ち切って叫ぶ。


「悪虚が人の思考を得るなんて、一体どれだけの人間から命を奪えば、そんな罪深い存在になれるんだ!」


 柏木がヌシへと飛びかかる。しかし本物の刀ではない霊力固体では強度が足りず、本体を切った時に砕け散った。ヌシはというと次から次へと触手を伸ばしてはくるが、その速度は遅い。わざと避けさせて、二人をからかって弄んでいるようにも思える。そして村人も二人を捕まえようと躍起になって飛びかかってくる。

 柏木も春彦が居て自由に動けていない。


(くそっ、俺は逃げることすらできないのか!)


 やがて足がもつれて地面に倒れる。


「春彦!」


 春彦は触手に四肢を捕らえられ、やがて細く柔らかな触手が首に巻き付く。目眩がして視界が回る、霊力を奪われていくのを感じる。


『なんたる美味!今までの中で最も優れて上質な霊力だ!』


 饒舌になるヌシ。春彦は必死に身体に力を入れて抵抗する。


「春彦!」

「かしわ、ぎ……逃げろ」


 しかし柏木も村人に押さえつけられ、身動きが取れなくなる。もうダメかと思ったが、柏木は何かハッとした表情をして、やけくそに笑った。


「春彦、俺の実力じゃ任せろとまでは言えないが、俺の仲間は信用してくれて構わないーーーアイツらは本物の一係だからな」


 春彦達が上がってきた道とは反対側の木々から複数の人が飛び出てきた。鞘ごと刀を振り回して村人をなぎ払っていく。


「リーダー!!」


 柏木に向かってそう呼んだのは甘利だった。彼女は柏木に刀を投げる。柏木はもみくちゃにされる中、空へ腕を伸ばして刀を掴んだ。そして渾身の力で振り払って、瞬時に刀を抜くと触手を切って春彦を救い出す。身体に力が入らない春彦を抱えて社の屋根へと飛び乗った。

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