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地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
4章 深淵
31/63

31 リーダー

「……い、おい!神崎!」


 誰かが自分を呼んでいる。


「ん……」


 目蓋を押し上げると、うすぼんやりとした灯りが辺りを照らしていた。硬く冷たい床は岩肌が剥き出しで、身動ぎすると身体が傷んだ。


「気が付いたか」


 薄暗い中、春彦の顔を覗き込んだのは柏木だった。


「アンタは、っ……!」


 春彦は後頭部に痛みを感じてぎゅっと目をつむる。柏木が眉をひそめる。


「殴られたのか?」

「ああ」


(そういえば、奴らに囲まれた後殴られたんだったな)


 徐々に状況を思い出す。しばらく気を失っていて、その間にここへ連れてこられたらしい。周りを見回すと岩肌に囲まれ、灯りがある方には出口が見えるが、鉄格子がはめられていて扉部分には錠がかけられている。ここはどこかの岩屋だ。そして脱出は困難といったところ。


「朔は?」

「宇化乃?いや、ここにいるのは俺とお前だけだ」


 春彦が立ち上がろうとすると、柏木が肩を掴んで座らせる。


「待て、応急処置だけしておく」


 柏木は春彦の後頭部に手をやると、徐々に痛みが和らいでいく。


「ありがとう。治療員なのか?」

「まさか。我流だ。悪いな、完全に痛みは取れてないだろ。これが限界だ」

「いや、ずいぶん良くなった。助かる」


 柏木は微笑む。


「どこからか落ちたのか?よく見るとあちこち擦りむいてるな」

「ああ。でも、落ちる時妙な感覚があったんだ」


 春彦は崖を滑り落ちた時に感じたクッションについて話すと、柏木は自らの顎をなでる。


「もしかして霊力固定の前段階なんじゃないか」

「あれが?」

「知らずにやったんだな。まだ能力は未熟だが、才能がある。和歌山支部の人間はその能力を使って空中を移動できるんだ」


 春彦は息をのむ。


(朔ができなかったやつだ)


 しかし今はそんなことよりも、当の朔の居場所を掴まなければならない。


「朔がいなくなった気がして、その後誰かの足が見えたと思ったんだ」

「いや、宇化乃は甘利と西谷とでトイレに行ったのを見たぞ」


 春彦は目を丸くした。


「まさか連れ去られてたのはアンタだったのか!」

「俺をあんなか細い女子と間違えるなよ!」


 柏木は頭を抱える。

 春彦が柏木の足元を見ると、黒いスキニーではなく細身のジーンズ。靴も厚底スニーカーには似ているが、メンズの白いダッドスニーカーだ。そもそも身長が違う。暗闇で分かりづらかったとはいえ、冷静さを欠いていたばかりに早とちりしてしまったらしい。

 ひとまず朔は無事だろうとホッとした。


「なあ、この状況的に、生け贄は俺とアンタの二人になったということか?」

「そうらしい。誤算だった。よりによって三課のお前が狙われるなんて。だが奴ら目の付け所がいい。お前、延珠安綱を使いこなせているんだろ」

「ああ」

「俺は一係で一番霊力量が多い。多分霊力が高くて無防備だった人間から捕えたんだ」

「むやみやたらに選んでるわけじゃないってことか」

「村の奴ら、まさか測定器でも持ってるのか?」

「いや……」


 春彦には思い当たる節があった。それは神事の最中に聞こえたあの声。


「多分悪虚がーーーSP7が選定したんだ」

「なんで分かる?」

「一瞬だけ気配を感じた」


 柏木は驚いて目を見開いた。


「霊力探知も使えるのか!お前、本当にただ者じゃないな。今も気配は感じるか?」

「いや、神事の時の一瞬だけだった」


 ふとあの悪虚の声が聞こえたことにある疑問が浮かぶ。


(そういえばあの声は悪虚自身のものなのか?精神干渉する独立型悪虚はこちらの意思をくんで話している。だが今回の独立型は自己の意思を持っていた)


 つまりいつもとはまた異なる悪虚の性質を持つ。約四百年もの間、委員会に見つからず身を潜め続けたヌシ。


 不意に複数の足音が近付いてきて、春彦と柏木は会話をやめる。岩屋に入ってきたのは儀式と同じく白い山伏装束に能面を付けた男達。仮面越しで表情は分からないが、春彦と柏木を観察するように見つめる。


「コイツらが今年の贄か。二人もいては後の処理に困るな」


 最初に喋ったのは一番背が低い男。袖から見える腕の肌から老爺であることは分かる。


「土神様のご要望です」


 若い男が答えると、老爺は「そうか……」と少し考え込む。


「まあここ数年収穫量も減っとるからな」


 その年の割に張りのある声には聞き覚えがあった。意を決して柏木が尋ねる。


「その声、坂松さんですか」

「さすが、若者は耳がええの」


 坂松は仮面を外して素顔を晒した。


「突然連れてこられて驚いたか」

「当たり前だ!ここはどこなんだ、何が目的だ!」


 柏木が憤る。


(知らないふりをするのか)


 あくまで『一般人』を装って作戦を続行するらしい。


「確かに分からないままではあまりに不安だろうから、少しだけ教えてやろう。アンタらが読んだ古文書は不完全だ。土神様の物語には続きがある」






 土ノ神は村人を飢えから救った。そしてこの土地に根付き、やがて毎年生け贄を求めるようになった。飢えの辛さを知っている村人達はもう二度とあんな目に遭いたくはないと、その要求に応えた。


 土ノ神が指定した者を、村人は老若男女問わず差し出す。選ばれた者は息絶えるまで命を吸われ、土の肥やしとなる。そして村は未来永劫、飢えることなく栄え続けた。






 結末を聞いた春彦は顔をしかめた。


「息絶えるまで……」

「心配せんでええ、命までは取らん。今時警察が厄介でな」

「でも無事じゃ済まないんだろ」

「そうだな」


 坂松はニヤリと薄気味悪く笑って、また能面を付ける。


「本当の神事は明日が本番だ。残り僅かな時間を惜しむがええ。行くぞ」


 坂松は男達を引き連れ岩屋を出ていった。

 確かに近年の被害者達は命は助かっている。時代に合わせて神事も変化してきたのか。


「神崎、大丈夫か?」

「ああ。まあ最初からあのじいさんは怪しいと思ってたよ」

「だな。それは一係も満場一致で同意見だった」

「そういや一係はリーダー不在で大丈夫なのか?」


 入相がいるとはいえ、普段の指揮官は柏木のはずだ。少なからず運営に支障が出るのではないかと思った。


 しかし柏木は自嘲気味に笑って目をそらした。


「むしろ、俺なんていなくていいと思う」






 ※※※






 神事の後からゼミ生が行方不明になったと騒いだが、神聖な神事はまだ続いているので外との交流は禁止と相手にされなかった。当然村の出口も封鎖されている。盗聴されている前提でわざとらしくあわてふためく会話を残して夜を過ごす。


 やがて朝陽が昇り、入相率いる委員会メンバーは朝もやの立ち込める川を散策していた。遠くの木の影にに見張りがいるのは確認している。しかし川のせせらぎで会話を打ち消してくれる上に、この距離なら口も読まれない。


 入相が声を小さくしつつ、川に石を投げる。


「拐われたのは柏木と神崎か」

「俺の責任です、通達ミスでした」


 珍しく丁寧な言葉で謝罪したのは暁だった。朔が首を横に振る。


「暁さんのせいじゃありません。私があの時しっかりトイレに行きたいって大声で言えばよかったんです!」


 それに関しては賛同しかねる、と全員が思う。

 入相は新しい石を掴んで見つめる。


「いや、神崎は悪虚の声を聞いたと言ったんだな。そして何かに気付いたように走り出した。彼はすでに狙われていた可能性が高い」


 甘利が大きめの石の上に腰を下ろす。


「悪虚が人の言葉を話すということは、かなり知能が高いですね」

「だとすれば神と崇め奉られるのも分かる」


 菅原もメガネをくいと持ち上げる。菅原も甘利も表情は暗い。


「この後、本来なら宇化乃が熱中症になったとして、三課は待機の予定だった。だが神崎が拐われた。どうします?」

「……」


 すると暁が入相に頭を下げた。


「入相課長、三課を作戦に加えて下さい。俺達は一係の指揮下に入ります」


 本来係長級の暁が他の係の指揮下に下ることはない。ましてや一課と三課は指揮系統が異なる。そしてこれは制度上の問題ではなく、プライドの問題だ。


 しかし暁は春彦の為に、自分のプライドを捨てたのだ。それを察して朔も一緒に頭を下げる。


「良いだろう。君達は元々正規の戦闘員だ。君達を加えて臨時のチームを編成する。そしてリーダーは宍戸暁とする」


 暁が弾かれたように顔を上げる。即座に西谷が異議を唱える。


「入相課長!普通なら理江先輩をリーダーにするのが筋じゃないんですか!」


 菅原も西谷に同意する。


「俺も納得できない。今まで柏木不在でもリーダーを変えたことはなかった。しかもよりにもよってこの男だなんて。コイツは不正を働いたんでしょう。それは課長が証明したじゃないですか」

「ーーー私は異論ありません」


 全員が振り返る。


「理江先輩……」


 立ち上がる甘利の長い髪が風に揺れる。その目にはただ、冷静さだけが宿っていた。


「棗ちゃん、課長の決定よ。従いなさい」

「っ……、正門はどうなの!」


 西谷は隣のカラフルパーカー男を見上げる。


「俺はどっちでも。てか甘利先輩が言った通り、課長の決定に従うほかないと思いますけど。ここは()()ですよ」


 黙り込む西谷。

 入相が手を叩いて張り詰める空気を崩す。


「儀式は今日の夕刻だ。それまで騒ぎを起こせばヌシを誘きだせなくなる。……頼んだよ、暁」

「……はい」


 暁は頷いた。ただ内心では動揺していた。隣にいた朔も暁の心の揺らぎを感じ取っていた。一体入相は何を考えているのか。まるで分からない。



 ※※※

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