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地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
4章 深淵
30/63

30 囮

 村へは車は二台で、一課の乗るワンボックスカーと、三課の乗るSUVで村へと向かう。合同作戦というので、春彦は移動時間の車内がどんな空気になるか不安だったが、別々だと分かって少しホッとしていた。菜緒子が居ないので代わりに運転している暁も軽口を叩いて、いつも通りだった。


 ホテルから一時間ほどで村に着いた。村は深い山間(やまあい)にあり、切り立った崖や急斜面の森に囲まれていて、地理的に閉鎖的な場所だった。


 村に着くと、役場が村の入り口にあり、まるで検問所のような役割を果たしている。ここで先に受付を済ませなければならない。車を役場の前に止めると、中に声をかける前に背筋が伸びた七十過ぎの老人が出てきた。後ろに四十代と二十代の男が付いてくる。老人がハリのある声で入相に声をかける。


「アンタらが関東宝生大学の入相ゼミの人間か」

「はい、そうです」


 とても七十代とは思えないハキハキとした喋り方だった。


「よおこんな遠いとこまで来た。歓迎する。ワシは村長の坂松(さかまつ)だ」

「初めまして、入相です。三日間よろしくお願いします」


 挨拶を終えると、四十代と二十代の男が名簿を持って待機していた。


「では身分証明書を見せて下さい。欠席者はいますか?」

「いえ、いません」


 全員用意していた偽の学生証、もしくは職員証を提示する。今回は国の管轄下にある国立関東宝生大学に極秘で協力してもらい、職員証を作成し、大学ホームページの教員紹介にも入相は偽の教授として掲載してもらった。


「さすが国立大学、評判通り賢そうだね」

「いえそんな」

「最近経済学部の先生の論文が学会雑誌に掲載されたそうだね。アンタも大学から尻を叩かれているんだろう」


 坂松はかなり入念に大学のことを調べているようだった。しかし入相は動じることなく、困ったような笑みを浮かべていた。


「そうなんです、僕達文学部も何とか頑張りたい所存で、大学院生の子達にもわざわざ来てもらいました」

「そうかそうか。まあせいぜい民俗学の研究とやらを頑張ってくれ。だが、すでに伝えてあると思うが、カメラや通信機器は一切禁止だ。こちらで預からせてもらう」


 全員が抵抗することなくカメラとダミーの端末を提出する。本物は菜緒子が預かっている。どちらにせよこの村はほとんどの場所が圏外になっている。隠れての通信は不可能だ。


「写真や資料が欲しければこちらが用意する。遠慮なく言いなさい」

「ありがとうございます」

「それにしても閉鎖的な村だなー。僕端末無しに三日も生活するなんて苦痛なんだけど」


 正門の言葉に坂松は明らかに不機嫌になった。


「この村には野菜育成の特許技術も多い。情報漏洩を避けるためだ」


 すかさず柏木がフォローする。


「歴史あるお祭りを守る為でもありますよね。なにせ神聖な儀式ですから、野菜の収穫量が変われば村の存続に関わりますし」

「そうだ。アンタはよく分かっとるね」


 少し機嫌を持ち直した坂松。甘利と西谷が話をすり替えて険悪な空気を打ち消す。


「この村は野菜のブランディングに力を入れてて、どれもすごく美味しいんですよね。やっぱり『土神様』のおかげかしら」

「野菜食べるの楽しみー!」

「ああ、そうだよ。土神様に感謝して、美味いものをたんと食べていくといい」


 それ以降正門は入相の後ろに隠れて静かにしていた。実はこれはあらかじめ決めていた台詞で、本物の端末を提出したと思わせる為の段取りに過ぎなかった。坂松は正門のことを気にくわなくなったようだが、逆に柏木や他ゼミ生への信頼を会得した。


(一係の中でも汚れ役を買わなきゃならない時があるんだな)


 入村手続きを終えた一行は、引き続き車で公民館へと向かう。道中には田畑やビニールハウスが多くあり、農業が盛んなのが見てとれた。しかし村人達の表情は冷たく、あまり春彦達を歓迎していないように見えた。


 五分ほどで到着する。公民館は非常に立派だった。この村には宿が無く、公民館が期間限定の宿となる。とはいえ公民館は改装されて間もなく、正直昨日まで止まっていた民泊より新しく感じた。あらかじめ宿としての役割を担って作られ、泊まる部屋はトイレバス付きだ。


 春彦らの他にも一般の宿泊客が何人か居た。俗世から離れたいとか、自然を感じたいとか、理由は色々だが、彼らは望んでここに来たようだった。恐らく祭りの後に起こる行方不明事件を知らないのだ。


 部屋は入相で一室。柏木、菅原、正門で一室。暁、春彦で一室。甘利、西谷、朔で一室。合計四室に別れる。


「村は好きに散策してくれて構わんよ。アンタらは客人なんだからな」


 坂松の、客人、という言葉に含みを感じたのは春彦だけではなかったらしく、荷物を置いて外に出るなり朔は春彦を捕まえた。部屋では盗聴機対策で作戦に関する私語は厳禁とされてる。


「さっきの聞いた?大事な客人だって。あっやしー!!この村怪しいよ、春彦くん」

「周りの石像とかもちょっと怖いな」


 その辺の道には(ほこら)や、見たことのない石像が並んでコケむしている。それらは全て心の不安を煽ってくる。


 小道のその先には大きな石の鳥居があって、出店や提灯を飾る等、祭りの準備が着々と進んでいた。


「結構若い人が居るな」


 設営を手伝っている若者ははつらつとしていて、畑で見た村人達とは雰囲気も印象も少し異なった。


「普段は村の外に出てても、この時期だけ戻ってくるんだと」


 そう言ったのはタバコをくわえた暁だ。この作戦でしばらく村から出られないので、スーツケースにワンカートンも忍ばせているのを春彦は見たのだ。


「誰から?」

「その辺のタバコ吸ってたむろってる奴らから。久しぶりだとか、他の地方の話をしてて、何気なく話しかけたら意外と気の良い奴らだったわ。祭りの手伝いに帰ってきたら小遣いがたんまり貰えるんだと」

「ならずっとこの村で居てたらいいのに」

「全員自分の意思では外に出てないらしい」

「どうして?」

「あんまり大所帯になると秘密が漏れるからですか?」

「そ、朔ちゃんさすが~」


 村に残す若者も最小限にして、秘密を守り続けてきたということか。

 春彦は眉をひそめる。


「それでよそ者を生け贄にして、自分達は裕福な暮らしをしているなんて、ムシがよすぎる」

「何か気配は感じるか?」

「いや、何も感じない」


 春彦は霊力探知を使えるが、独立型悪虚には通用しない。


(延珠が居れば違ったかもしれないが)


 今回は刀の持ち込みは許可されなかった。それは入相からの指示だった。儀式まで絶対に正体に気付かれてはならない。その為、霊力を使っての行動も禁止。あくまで一般人として行動する。頼れるのは各々の直感のみ。


「本部もここ数年で存在をキャッチしたぐらいだもんね。多分霊力周波を感知したのも本当に偶然だったんだよ。気を抜かないようにしないと」


 朔は真剣な表情で話していた。それなのに昼食時、朔は一人で五人前の量を平らげた。


「もーお腹いっぱい」


 空になった御膳の前で満足そうにごろりと転がる。広間には大勢集まって食事していたが、朔は気にしていなかった。


「そんなんじゃ祭りで動けないぞ」

「タダだからつい」


 ここでの宿泊費は全て本部予算から捻出される。そこに付随する食費も特別経費で賄われるため、朔も遠慮がない。


 食事は豪勢なものだった。村で採れた山菜を使った副菜が複数と、川魚の焼き物。特にブランド登録した野菜の料理は五種類も並べられ、主菜には村で育った豚肉ステーキが出された。食べ終えた春彦も満腹だった。


(丸々と肥えさせようとするのが余計に生け贄っぽいな)


 遅れて来た西谷と甘利は食事に手をつけたばかりで、西谷が笑顔で甘利に自分のサラダを差し出す。


「理江先輩、よかったら私のトマト食べて下さい」

「嫌いなもの押しつけるのはよくないですよ」


 横から正門が口を挟むと、西谷は彼を睨み付ける。


「違うわよ!理江先輩はトマトが好きなの!」

「えー自分が苦手なだけなんじゃないすか」

「正門ォ!」

「棗ちゃん落ち着いて」


 隣では紐で綴じた古い書物を読む菅原に柏木が声をかける。


「何読んでるんだ?」

「古文書。読んでいいらしい」

「へぇ。何て書いてあるんだ?」


 古語を読める菅原が要約して読み上げる。




 昔、雨が降らず、川が流れず、地が乾いた。草木は枯れ、人々は飢えた。天が見捨てたかと思ったその時、土ノ神が訪れた。


 土ノ神は痩せ細り、気をやってしまっていた。これに同情した人々はかき集めた一握りの粟を差し出し、土ノ神をもてなした。


 やがて気力を取り戻し、もてなしに感服した土ノ神は人々に豊穣をもたらした。そして人々は土ノ神を子々孫々崇め奉った。




 菅原は古文書を閉じる。


「なんてことはない。『授業』で予習してきた通りだよ」


 その内容に関しては、合同ミーティングの時に事前に教えられていた。


『これは後の時代に作られた都合の良い作り話だと思うけど、これを読んで分かることがある。村人にはヌシが見えたということだ。つまり鋳瀬村の人間は今もそういった感性を受け継ぐ可能性がある』


 霊力や能力というものは遺伝する。もしかしたら村に残される若者とそうでない若者にも、そういった違いがあるのかもしれない。


「まあ調査通り、この祭りは江戸時代から続いていたみたいだな。今夜の祭りが楽しみだな」

「それで、この後はどうするんですか『教授』」


 甘利が入相に尋ねると、彼は朗らかな笑みを浮かべる。


「行程表に変更は無いよ。このまま続行する。村を散策しながら研究を進めてね」

「はい」


 春彦は入相がホテルで言った指示を思い出す。


『甘利と西谷は離れるな。三課も単独行動をしないこと。今回の作戦の囮となるのは柏木、菅原、正門、もしくはーーー僕だ』


 春彦が暁を見ると、どこかぼんやりと空を見つめていた。






 ※※※






 午後六時、祭りが始まった。とはいえ観光客はほとんど居ないので、ほぼ身内での盛り上がりと言える。出店が立ち並び、笛や和太鼓の音色が響く。


 毎年行方不明者の多くは、この祭りの最中に拐われたという。この浮わついた空気の中で、春彦達委員会メンバーだけは、自分が囮になるかもしれないという覚悟を持って平然を装っていた。


 不意に祭囃子の音が止んだ。神主が本殿の前で祝詞を読む。神事が始まったのだ。メンバーの間で一気に緊張が張り詰める。


 そして敵を誘い出すため、囮役の四人が散開した。三課も指示通り、離れないようにして神事を見守っていた。


 やがて大きな和太鼓が轟く。身体に振動が響くほどの音だ。中央の広場では人白い山伏装束に能面を付けた男達が、火を付けたワラの束を背負って、和太鼓に合わせてテンポ良く跳ね回る。やがて松明でワラに火を付け、大きな円を描いて振り回す。先入観を抜きにすれば圧巻のパフォーマンスだ。


(昨日の朔を思い出すな)


 朔もあんなふうに花火を振り回していた。


 ふと、暁の向こうに朔が見当たらないことに気付く。


「暁、朔は」

「朔ちゃん?朔ちゃんならーーー」


 一斉に歓声が沸いて暁の声が聞こえない。火の付いたワラを投げて一ヶ所に集める見せ場。そこへ土をかけて火を消すのだが、もうそれどころではなかった。


「朔がーーー」


 春彦がそう言いかけた時だ。沈下した土が微かに青く光る。


『小僧、お前に決めた』


 声と共に、春彦の肌をぞわりとした悪寒が這う。


「なんだ!今の声!」

「声?」


 暁は春彦の様子に戸惑う。


(今の声が聞こえなかったのか。あの一瞬の気配、あの青い光はヌシのものだ!)


 慌てて周りを見回すと、林の中で面をつけた男と目が合った。男は何かを肩に抱えていて、去り際、バタつかせる誰かの足の影が見えた。


「朔!」


 反射的に春彦は走った。


「おい!春彦!」


 暁も追いかけようとすると、誰かにぶつかりかける。


「うわっ、ビックリした」


 暁を見上げたのは西谷だった。隣に朔と甘利もいる。


「どうかしたんですか?」

「朔ちゃん!」


 暁は朔を見て青ざめた。


(まさか!)


「あれ神崎くんよね、どうして一人で走っていったの?」


 甘利の首をかしげる。実は朔がトイレに行きたいと言うので、甘利と西谷に一緒に行ってもらっていたのだ。もしかすると太鼓の音に紛れて、暁を挟んで向こうにいた春彦には聞こえていなかったのか。


 暁と朔は目が合った。二人とも同じくらい青ざめていて、次の瞬間には走り出していた。






 一方、神社の向かい側にある雑木林で男を追いかける春彦。


(誰か連れ去られている!)


 今日の朔はいつものパンクロックを封印して黒いスキニーをに厚底スニーカー履いていた。あのシルエットは彼女のものだ。


 あらかじめ定めていた囮のメンバーならいざ知らず、女子である朔を囮にするのは非常に危険だ。それは入相の本意でもない。それなら朔を逃がして自分が囮になってもいいはずだ。


 するといつの間にか自分の他にも人の気配がした。


(囲まれている!)


 急に目の前を走っていた男が姿を消す。


(なに!)


 どこへ行ったのかと首を巡らせていると、急に身体が宙に放り出された。急斜面になっていた。


(まずい!)


 滑落が止まらない。斜面を転がり落ちて、やがて地面にぶつかるのを覚悟しつつ、反射的に身体の中で霊力を込めていた。すると身体が地面に接触する直前、何も無いはずの空間でクッションのような、大粒のゼリーに包まれた感触がした。


 しかしゼリーと表したのはその抵抗が固形ではなく、あくまで緩衝材としての役割しか果たさなかったためだ。やがて春彦は衝撃を和らげながら落下し着地した。身体に全体に痛みが走るが、本来の落下よりマシだったことだろう。


 何が起こったのか分からずも、無理やり身体を動かす。それほど高い場所ではない。地形を知っていれば滑り降りることも出来たはずだ。誘拐犯はまだ近くにいる。しかしその前に追手に追い付かれた。春彦は逃げようとしたが、追手は鈍器で春彦の頭を殴る。やがて春彦は気を失ってその場に倒れた。




 ※※※


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