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地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
4章 深淵
28/63

28 転落

 三係に配属されても、暁が態度を改めることはなかった。


「暁!!」


 下から名前を呼ばれて、暁はくわえていたタバコを外して半身乗り出した。


「何か用?リーダー」


 入相は腕を組み、仁王立ちして見上げてくる。


「早く下りて来なさい!巡視開始時刻はとっくに過ぎてるんだよ!」

「へーい」


 タバコを潰して用具倉庫の上から飛び降りる。暁はまだ十九歳なので、入相の目の前で吸うと当然説教が始まる。


 こうして隠れて吸ってはいるが、おそらく匂いでは気付いているはずだ。しかし登ってきて吸い殻を突きつけることはせず、目を瞑ってくれるのは彼の甘さなのかもしれない。


「ただの巡視なんだから、そんなに気張らなくていいんじゃねーの?」

「僕達三係は他の係と違って悪虚の頻出地域を回る。一分一秒をムダには出来ないんだよ」

「マジメー」

「君が不真面目過ぎるんだ」


 怒っていても優しい人相がまるで威厳を感じさせない。そのうえ童顔なので、とても三十一歳には見えない。二十代後半と言われても違和感がない。


「でも同期の中で一番不真面目な俺を選んだのはリーダーだろ。あれから凪査がありえねーくらい絡んでくるんだけど」


 暁を三係に引き入れた張本人は入相だった。一係から異動して係長になったばかりの入相には人事権が与えられていた。


 六係に配属された凪査は悔しがって、「どうして研修で一番受講態度の悪かったお前が三係なんだ!」と会うたびにやっかんでくる。というかほぼ毎日会うので毎日同じ絡みをされる。常一郎とユーリは「入相係長って物好きなんだね」と笑っていた。


 降り立った暁は、入相はむくれた表情で襟元を指さされ、開いていた襟元正す。


「座学も実技も、君が一番優秀だった。それは嘘偽りの無い事実だ。僕は君に可能性を感じているんだ」

「俺にそこまでの可能性があるとは思えねーけど」

「ほら行くよ」


 誰もが反対した問題児の三係加入。しかし周りの予想とは反し、暁の成績と実力の伸びは目を見張るものだった。新人とは思えない風格と勘の良さ。裏から他の係に引っ張りがあるほどだ。


 だが暁の実力向上は、リーダーである入相の指導のおかげだった。


 ある時暁が無鉄砲に悪虚へと突っ込んで全治一週間の傷を負った。霊力治療がありながら一週間もの治療を要するにというのは、通常では完治するのも難しい大怪我になる。


 包帯を巻いて松葉杖をつく暁を見て、入相は悲痛そうに言った。


「アンタが怪我したみたいだな」

「調子はどうなんだ」

「知ってるだろ、一週間後には動ける」

「今のままじゃ仲間を守れない」

「仲間守る為に戦ってるわけじゃねーだろ」

「なら君に悪虚を憎む理由があるのか?」


 憎む、と言われると言葉に詰まる。なにせ暁は委員会に入ってから悪虚の存在を知り、害獣駆除程度に感じていたからだ。親族に職員が居れば、多少なりとも過去に悪虚と因縁があるかもしれないが、暁が悪虚を直接憎む要因は無かった。


「それは……」

「無いだろう。無くていい。それは幸せなことなんだよ。でも戦うことに理由は必要だ。それなら君は仲間の為に戦いなさい。誰かを守ろうとするならば、必然的に自分も守ろうとする。生きなければ守れないからね」


 入相は微笑んだ。暁はどうしたらいいのか分からなくなる。


「リーダーは俺をどうしたいんだよ」

「僕は君に『エース』になって欲しい」

「エース?」

「一係係長のことだよ」

「リーダーがじゃなくて?」


 入相は以前は一係で活躍しており、三係の係長になった。一係係長の任期が残っていたことと、他のメンバーとの兼ね合いから、所属する係の係長になることは滅多にない。そのため一係に配属されたら必然的に一係係長になることはなく、出世できないとも言われている。


 しかし入相には一係係長相応の実力がある。それに他の係に配属された後、一係係長になる可能性が無いわけではない。


 暁は、入相がもう自分のことを諦めたのかと思った。しかし違った。入相は自信ありげな顔で笑う。


「エースは君、僕は一課長だよ」


 暁は驚いて目を瞬かせた。入相は決して出世欲の無い人間ではない。それにしても。


「大それた夢だな」

「決して非現実的じゃない。君と僕になら出来る。だからそんなつまらない怪我なんてしないでくれ。君には可能性があるんだ。期待しているよ」


 期待している。入相はそう言って暁を育てた。暁は彼にそう言われる度、嬉しかった。これからも彼の求める強さを得られるよう頑張った。認められたかった。そして彼に言われた通り一係係長(エース)を目指した。


 やがて暁が委員会に加入して二年が経とうとしていた。あの大怪我以来暁は怪我をしなかった。三係の中でも信頼を寄せられ、一係二係に劣らない戦績を残した。


 暁、凪査、常一郎は合法的に酒を飲めるようになり、行きつけの居酒屋ができていた。

 すると凪査がウイスキーに口をつけながら、こんなことを呟いた。


「お前、次期一係係長に内定してるらしいぞ」


 暁は硬直し、常一郎も枝豆のさやから豆を落とした。


「え、次の人事?」

「四年後」

「なんだよ。いや、それでもすごいことか」


 常一郎はテーブルの豆を拾って食べる。暁はウイスキーを飲み干す。


「どこ情報だよ」

「俺の叔父。多分あと一年三係の後、二係係長を三年して、一係係長になる」


 つまり第四課課長からの情報となる。四課は人事や総務を担当している。確かな情報だ。


「あんまり門松課長の情報漏洩を公表してやるな。また白髪が増えるぞ」


「お前は困らないだろ、もし実現すれば史上最年少の一係係長だとさ」

「それを平然と伝えるお前はどういう心境なんだ」


 いつだって凪査は上を目指している。暁を妬ましかったことは、一度や二度ではないはずだ。そして凪査はそれをきちんと暁に伝えてきた。


(とうとう俺達のこの飲み会も終わりなのか)


 いつまでも同じ関係が続くとは限らない。

 だが、凪査からはそんな言葉は出てこなかった。


「これでお前が『オレそんなのいらねー』とかほざけばぶん殴ってる。だが違うだろう。お前エースを狙ってただろ」

「ああ」

「お前は入相係長の下に就いてから変わったよ。いや根本的には変わってないな。巡視のふりしてサボるし、係長に隠れてタバコは吸うし」

「そーそー、一応ウチ敷地内禁煙なんだよ?」

「火災報知器が鳴らなきゃセーフだ」

「そこが不思議なんだよね。どうやってんの?」

「それより、話を戻すぞ!お前は上を目指して努力してた。研修の頃とは別人みたいだ。つまりお前が一係係長への道に乗ったのは、組織の公平な判断だ」


 素直ではないので、こういう回りくどい言い方をするが。


『認めている』


 多分凪査はそう言いたかったのだ。


「だが俺はまだ諦めたわけじゃない。必ずエースを目指す。お前を追い落としてでもだ」

「やってみろよ」


 暁と凪査はお互いを見合って、ふっと笑った。


「いいなー、そのライバルとの熱い友情みたいなやつ僕も混ぜてよ」

「お前は妹に抜かしてほしいなんて考えてる時点で論外だ」


 凪査がハッキリ言いきる。


「だってユーリが優秀なんだから仕方ないだろ。よし、僕の代わりにユーリに凪査と暁に睨み合ってもらおう」

「お前本当に妹好きだな」


 三人は笑った。こんな真面目な話をする方が珍しく、普段はくだらない話ばかりしていた。この三人で飲むのは楽しくて、いつまでもこの関係が続いて欲しいと願っていた。


 やがて次年度の配属発表が近づいたある冬の日。暁は上層部に呼び出された。その理由は尋問だった。儀長以下幹部クラスが雁首(がんくび)揃えて暁を待ち構えていた。そしてそこには呼ばれるはずのない入相も居た。


 まず口を開いたのは副儀長の足尾だった。眉間には深いシワが刻まれ、怒りが(あらわ)にされている。


「宍戸、お前殲滅数を過剰に報告したな」

「何のことだ」


 足尾は机を拳で叩く。


「とぼけるな!お前のしたことだろ!」

「とぼけてねーよ!」


 瞬時に言い返した暁に、足尾はやや怯む。


「落ち着け宍戸」


 儀長の栄が牽制する。


「俺はそんなことしない!そもそもこんなとこに呼び出される筋合いもねーよ!」


 そして暁が気になったのは、自分の味方であるはずの入相が沈黙を貫いていることだ。

 すると足尾は机の上に置いてあった機材を指で弾いた。


「これはお前の戦闘レコーダーだ。確か故障して殲滅数は端末で手入力したんだったな」

「そうだ」

「確かにこれは戦いの衝撃で内部が破損していた。だがこれを見てみろ」


 足尾が二課課長の杉澤にあごをしゃくると、杉澤がモニターにリモコンをかざす。モニターに写し出されたのは誰かの戦闘レコーダーの映像だった。


「これは二係戦闘員の戦闘レコーダーだ。様々な角度から解析し、お前の殲滅数を割り出した結果、殲滅数は七体」

「ああ」

「だがお前から提出されたデータには九体とあった」


 杉澤の言葉に暁は耳を疑った。


「そんなわけ……」


 入力時、細心の注意を払って入力した。


(自分の殲滅数は自分がよく分かっている。そもそもデータを手動で入力すれば、それを他の戦闘員のレコーダーから検証されることだって分かってた)


 ただ、一つ気になったことがあった。


(あの時の確認画面、違和感が無かったか?)


 データ提出時、暁は急激な腹痛に襲われた。しかしやりかけている事を途中で放り出したくなくて、なんとか提出ボタンを押してから席を立った。


 その際、通常はポップアップで『確認しました』と文章が出て、下部に『OK』ボタンを押さなければ画面は移動しない。戻ってきて端末を見ても、『OK』のボタンは押されずにそのままだった。


 ただそのコマンドの後ろの画面が、自分がデータを提出した画面と少しだけ違った気がした。


 ひとまず『OK』を押して、提出した内容を確認しようとした。しかし係長が入力データを承認してしまっていて、暁が再度確認することは出来なかった。


 足尾は、黙った暁がクロだと確信し畳み掛ける。


「自分が不正を働いたことを思い出したか?このデータはちゃんとお前の端末から入力されていることがアクセスログから判明している」

「他にも改竄の記録が見つかった」


 過去の提出データも、自分が入力した数値より上乗せされていた。だがそれに関しては確実に自分ではないと断言できた。


「前回までのデータを入力した時、先輩のチェックが入ってた。だいたい過去のデータなんて、係長クラスの承認が無いとヒラに戻せないだろ」

「裏コマンドを使っておきながらよく言う」

「裏コマンド?」

「改竄時、メンテナンス用のコマンドに特殊コードを入力し、本来アクセスできるはずのない本部のサーバーにアクセスされた履歴があった」

「そんなの知らねーよ……」


 意味の分からない話が次々と降って湧いてくる。


「これに関しては誰から情報が漏洩したんだか。こんなこと二課の端末管理部門でしか扱わない機密だろう」


 足尾に睨まれ、杉澤が慌てて首を横に振る。


「わ、私の知るところでは」

「まあそれは追々か。ひとまず宍戸暁、お前の処分だ。改竄、およびサーバー侵入は重罪だ。観念するんだな」


 足尾に負けじと、暁は並ぶ面々を睨み付けた。悪虚にすら感じたことのない沸きだつ怒りと憎しみ。


「俺がそんな姑息なマネするわけないだろ。ーーーそうだろ?さっきから黙ってんじゃねーよ!リーダー!!」


 入相は着席したまま、暁と視線を合わせようとすらしない。


「端末を開いていた時、アンタしか居なかったよな。俺がトイレに行った間に裏コマンドを開いたのはアンタじゃねーのかよ!」

「人のせいにするな!入相は腹心の部下の過ちを正そうと、断腸の思いで自ら通報したんだ」


 足尾の言葉が暁の神経を逆撫でする。


「腹心の部下……ならどうして、俺を陥れるんだよ!!」


 ずかずかと歩み寄って、暁は入相の胸ぐらを掴む。


「何とか言えよ!!」


 ようやく暁を視界に入れた入相は表情一つ無く、ただ冷たい瞳をしていた。


「成績改竄は職務規定違反だ」


 彼から放たれた言葉はそれだけだった。それなのに暁は、心を鈍器で殴られたような錯覚に陥った。入相からそんな言葉をかけられるなんて、今まで想像だにしなかった。手から力が抜けて、掴んでいた襟を放す。


「あのまま下手なことをしなければエースになれたものを」

「副儀長!」


 慌てて止めに入ったのは四課課長の杉澤だ。

 もうエースだなんだというのはどうでもよかった。暁は何もかもに絶望して、その部屋から出ていった。


 その後、暁の証言通りトイレに行っていたことは証明されたが、しかし端末をその場に置いていったのか、トイレに持ち込んだのかは証明されなかった。つまり暁が裏コマンドを操作した証拠は無く、嫌疑不十分で処分保留となった。


 ただその春の配属発表で、暁は三係から外され、四課預かりとなった。


 不祥事の噂はすぐさま広まって、暁を知らない人間まで暁を知ることとなる。


 だがそんなことより、暁の心には消えない傷が残った。一番信頼して、憧れていた人に裏切られた。


 しばらくやめていたタバコをまた吸い始めた。やめていたのは、入相に止められていたからだ。タバコを吸っていると運動機能が低下するから、戦いに支障が出ると。


 でももう、どうでもよかった。本数を気にせず、ところ構わず吸うようになった。絶対に許されない場所と火災報知器さえ作動しなければ、何故か暁を止める者は居なかった。腫れ物に触れるような態度だ。


 やがて暁は出勤すらしなくなった。四課預かりというのは名目上の話で、実際は仕事も振られずただ無為な一日を過ごさせられる、クビ同然の待遇だ。

 暁は寮から出て、安いアパートで暮らしていた。そこにはたびたび凪査と常一郎が現れた。


「あの程度のことで諦めるのか」

「何かの間違いだよ、上層部の動きはおかしいよ」


 凪査と常一郎が何と言おうと、暁には何も届かなかった。


(諦めるも何も、結局俺は、入相さんに認められたかっただけなんだ)


 心にぽっかり穴が空いたようなまま、半年が過ぎた。季節は秋に入りかけて、家のそばにある紅葉の葉が赤く色づき始めた頃、アパートに菜緒子が一人現れた。


 もうクビになったかと思っていたが、知らない間に三課へ異動になっていたらしい。だがどこへ行かされても何もするつもりは無かった。


 そして菜緒子から朔の委員会への加入の経緯を聞いた。非人道的すぎると一度は吐き捨てた。だが菜緒子もまた組織に振り回された側の人間であり、そして償おうとしていると知って、暁も重い腰を上げた。


 何より朔のことが放っておけなかった。和歌山支部から戻った彼女は自信を喪失し、落ち込んで別人のようになっていた。せめて彼女がまた一課に戻れるまでは、自分ができることを何かしてやりたいと思った。

 菜緒子と協力して朔が少し元気になり、そして春になり、春彦と出会った。






「ーーーそっからはお前の知る通りだ」


 暁は起き上がって、どこか懐かしむように微笑する。


「怒涛の日々だったなー。ありえねーことばっか起こるし、忙しいし、何より楽しかったよ。朔と菜緒子のことも、感謝してる」


 ふと暁は、部屋の柱に花柄の和紙が張られたうちわを見つけて立ち上がる。


「だからな、俺は、今の状況に何の辛さもねーの」

「でも入相課長の顔見るのは嫌じゃないのか」


 うちわの面で春彦の頭を叩く。そこから暁の表情は窺えない。


「あの人を勝手に信じたのは俺の責任だ。今までもう辞めようって何度も思ったさ。お前には悪いが、俺はいつだって辞められる。だがな、あの人に何があって俺を突き放したのか知らないままここを立ち去れば、過去の俺がどこかに置いてきぼりになっちまう。せめて俺自身を納得させてやんねーと……いや、やっぱり、本当はただ諦めがつかねーんだよ」


 その気持ちは、春彦にも少しだけ分かった。SP6に精神攻撃を受けた時、対峙したのは過去の幼い春彦(じぶん)だった。

 黙りこむ春彦に、暁は苦笑して座った。自らをうちわでパタパタと扇ぐ。


「間違っても正義感なんて抱くなよ。そんなもん、自分の首を絞めるだけだ。それにお前と朔ちゃんを育てるのは結構楽しいんだ。本当だぞ?」

「ふーん」


 それが本心かは分からないが、自分の存在で暁の気が少しでも紛れているのなら良かったと思った。暁が胸ポケットからタバコの箱を取り出す。


「暁……」

「ん?」

「ここ禁煙」

「んがー!ボロ民泊のくせに!!」


 暁はうちわを春彦に押し付け、座布団に寝転がった。


(扇げってか……)


 ふと障子からの光が弱まったことに気付いた。日が暮れてきたのだ。春彦が窓を開けると、涼しい風が入ってくる。春彦はうだる暁を扇ぐ。部屋には紫煙の代わりに、蚊取り線香の香りがただよっていた。

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