24 消した記憶
うっすらと目蓋を開くと、誰かが覗き込んだ。
「ユーリちゃん!」
「……朔」
「よかった、目が覚めて」
朔は安堵と不安を織り混ぜたような表情をしていた。少し離れて立っていた日置と高野が駆け寄る。ユーリは意識が覚醒すると、一気に状況を思い出す。
「お兄ちゃんは!?」
半身を起こすと、朔が支えてくれる。隣には常一郎が眠っていた。
「大丈夫、常一郎さんも精神干渉を脱したみたい」
「そうなのね」
ユーリは胸を撫で下ろす。
ふと視界の端に、NOR5が殲滅されチリになっているのが見えた。あの大物を仕留めてしまえるのは、間違いなく朔だろう。
「やっぱりさすがね」
「日置さんと高野さんのお陰だよ」
朔は謙遜するが、高野と日置は目をそらす。
「ううん、私達はほぼ何もしてないよ」
「周りのカスを削ってたくらいだ」
二人が朔の戦闘の気迫に圧倒されている姿が目に浮かぶ。
「いえ、そのお陰で集中して殲滅出来ました。それよりユーリちゃん、どうして春彦くんは目を覚まさないの?」
ユーリはハッとして辺りを見回した。常一郎とは反対側に、春彦は寝かされていた。
「春彦!」
「精神干渉を受けているの」
「まさか……」
朔の表情に微かな不安があったのは、春彦が目を覚まさないからだったのか。
「……悪虚は私の精神に取り憑いていたはずなのに、突然春彦が深い穴に落ちていったの」
意識の無い春彦は酷く青白い顔をしていた。彼の手元にある刀に目を奪われる。彼は幻覚の中でも刀を使っていた。
「延珠安綱に霊力を奪われ過ぎているんじゃないの」
日置が頷く。
「あり得る。元々大量の霊力を注いでいたからな」
「でもそれってまるで『悪虚』みたいじゃーーー」
高野の言葉に朔が顔色を変えて、慌てて春彦の心臓に手を当てた。動いてはいる。だが氷のように冷たく、まるで人の生気を感じられない。
朔は刀には触らず、春彦の心臓へ霊力を込める。
「やめなさい朔!あなたは治療員じゃない!それにあなたがその刀の求める霊力を補えるとは思えない!」
「でも霊力が足りなくなったら最悪死に至る!そんなこと絶対にさせない、絶対に!」
※※※
今度気が付くと、真っ暗な闇の中だった。
「ここは」
「お前の深層心理だ」
「延珠」
延珠は刀ではなく、金髪の少女の姿をしていた。ここへ呼ばれる時、彼女は人の姿をしている。
「ここは、ずっと前から俺の中にあった空間だったんだな」
彼女は澄ました顔でどこか遠くを見つめていた。
「ああ。だが今日ここへ呼び出したのは私ではない。どうやらSP6の最後の反抗のようだな」
「同じ独立型悪虚として共鳴するのか」
「お前達人間の分類で言えば同じかもしれんが、私と此奴では何も同じではない。私はこうも人間に興味は無いからな」
闇の奥を進むと扉が現れる。素朴な扉には頑強な南京錠がかけられており、到底人の手では開きそうにない。
「鍵がかかっている」
「だがその鍵はお前の手の中にあるぞ」
春彦は、いつの間にか大きな金の鍵を握ってきたことに驚く。
「どうして俺の手に」
「元からお前のものだからな。この扉は私ですら開けられなかった。だが、これからここを開けるも開けないも、お前の自由だ」
どうする、とでも言いたげな顔で延珠は春彦を見上げる。春彦は鍵を見つめた。無意識ながらに、ここには自分にとって大事なことが仕舞われていることを感じ取っていた。
「開ける。多分これは、今開けなきゃならない」
錠前に鍵を挿し込むと、ガチャリと大きな音がして錠前と鍵が霧散する。そして扉を開くと、眩しい光が射し込んできて目がくらむ。そしてその先にはどこかで見た道が広がっていた。
「ここは、本部の管理区画の辺りか?」
「お前が父親に捨てられた日の記憶だ」
ドクンと心臓が飛び跳ねる。春彦は無理やり笑ってみせた。
「なるほど、確かに趣味の良い嫌がらせだ。だがここでの記憶を、俺自身が隠していたのか」
「ーーー誰を待っているの」
背後からかけられた声に振り向いた。夕日すらも吸い込む黒い髪の女。委員会支給の黒いコート、本部のものではない制服を着て、右手にだけ革手袋をはめている。春彦は彼女の正体に息を呑んだ。
「冬馬和涅」
これは十年以上前の記憶だというのに、彼女の姿はこの前と全く変わっていない。それは若さどうこうでは誤魔化しがきかない。彼女は十年も同じ姿でいるのか。確か魔女と呼ばれるのもこれが所以だという。ただ少し違うのは、あの長い黒髪は、この頃はまだ肩ほどまでだということ。
「お父さんに捨てられました」
そう答えたのは、春彦の隣に立っていた子供だった。これはかつての自分。淡々としていて、表情も薄く子供らしくない子供だと、父もよく言っていた。
「なら私と一緒に来る?」
和涅の問いに春彦は目を見開いた。
(ここからは記憶が無い。俺は一体何て答えたんだ)
すると幼き日の春彦は首を横に振った。
「……いいえ、お父さんが僕のことを嫌いでも、お母さんは僕を待っていてくれるから、僕は帰りたいです」
春彦は呼吸を忘れたように、不器用に息を吸った。まさか自分がそんな風に答えていたなんて。
「迷子になったことは覚えてるのに、どうしてあの人との会話を忘れていたんだろう」
「都合の悪いことは自ずと記憶から消してしまうものだ。お前は無意識に、あの女に手をさしのべられたことが、これからの親子関係に支障をきたすと、本能的に理解したのだろう」
「……どういうことだ」
「前にあの女が私に触れた時、霊力が酷似していることに驚いた。だが人間でない私ですらも分かる。お前達はどことなく似ておる」
「まさか、あの人が俺の母親だというのか」
すると和涅は左手を差し出して、春彦を片腕で軽々と抱きかかえた。
「家まで送り届けてあげる。だから私がいいと言うまで目をつむっていて」
また景色は一転した。そこからはまた春彦も覚えている。家の前での出来事だ。和涅の腕から下ろされた春彦が叫ぶ。
「おかーさん!!」
家から裸足で飛び出してきた母ーー泉美は、春彦を見るやいなや力一杯抱き締めた。
「春彦!」
「お母さん!」
泉美に抱き締められた温もりと、その後ろに立つ和涅。彼女がどういう表情をしているのかは、彼女の後ろに立った春彦と延珠からは見て取れなかった。
しかし突如ノイズが響き、和涅が振り返った。彼女の目が赤く煌めく。
「ーーーあなたが記憶を消したのは、あなたは泉美さんを選んだけれど、泉美さんはあなたを捨てたことに気付いたからよ」
春彦は事実を突きつけられ身体が強張った。
「可愛そうに、『和涅』の手を取れば、家族として仲睦まじく暮らすことが出来たかもしれないのに。でも泉美さんに捨てられたことすら忘れては、いつかまた間違える。だから和涅とのやり取りだけ消した」
「違う、俺は帰ったことを間違っていたなんて思っていない!」
「春彦、今話しているのは記憶の和涅ではない、SP6の妄言だ。まやかしの言葉に耳を貸すな」
和涅は頬を吊り上げるように笑う。
「泉美さんは優しい。あなたが帰ってきたから仕方なくあなたを育てている。優しくしなければ自分の良心が痛むから。あの時、あなたが私の手を取っていれば、育ての父から疎まれることもなく、泉美さんがあなたと夫との板挟みで苦しむことはなかった」
「っ……」
春彦は言葉が出ない。
「今が苦しい?でもそれはあなたの決断によるもの。あなたは愛してくれるかもしれないという望みを賭けた。でもその賭けに負けた。それだけ。何もかもあなたが悪い」
父親の冷たい眼差し、遠い背中。悲しみに背を丸める母の姿。春彦は目を覆った。
「俺のせいで……」
足元が揺らぐ。黒いねっとりとした液体に足を掴まれ、身体にまとわりついてくる。
「ここで死んだ方が泉美さんは幸せよ」
「春彦!」
延珠が黒い液体に触れようとすると激痛が走った。
「っ……!」
春彦は徐々に黒い液体に飲み込まれていくが、抵抗もしない。
ずっとずっと逃げていた。見えないふり、聞こえないふりをしていた。泉美が本当は自分をどう思っているのか、記憶を消して考えないようにしていた。
でも逃げたって現実は変わらない。
(俺なんて死んだ方が……母さんは……)
液体が首元まで迫った時だ。
「春彦くんっ!」
あの慣れ親しんだ声が聞こえた。春彦は彼女の名前を呼ぶ。
「朔!」
※※※
傷だらけになって戻ってきた暁に一同が驚いた。
「どうしたのその怪我!」
「それはこっちのセリフだ。これはどういう状況だ」
春彦の胸に朔が覆いかぶさって倒れている。暁は苛立ちを隠せていない。高野が努めて冷静に説明する。
「神崎くんが精神干渉と知り、霊力が不足しないよう宇化乃さんが自分の霊力を注いでいたようなんですが、突然意識を失ってしまって。二人とも急速に体温が低下しています」
「霊力不足だ。治療員の出動要請は?」
「精神干渉によるものは、治療員にはどうにも出来ないと本部に断られーーー」
言い終わる間もなく暁は図書館の壁を殴り付ける。壁にはヒビが入り、コンクリートの破片が地面に落ちた。
「これ以上の器物破損は見過ごせないぞ」
「元からここは戦闘でボロボロだろ」
暁の後ろから現れた凪査にユーリは目を丸くした。
「どうして凪査まで傷だらけなの!悪虚にやられたの?」
「このバカにやられた」
「おいおい、俺はお前より筆記試験の成績は良かったぞ」
「そういうことじゃないんだよ!俺はともかく、部下達はお前を恨むぞ」
暁は現れるなり二係を足止めし、ほぼ全員を気絶させた。彼らはほぼ無傷だが、凪査だけはしぶとく抵抗した為、互いに満身創痍であった。
高野はこっそりと日置に尋ねる。
「誰?」
「青砥凪査、二係係長だ。常一郎さんとユーリ、宍戸暁、青砥凪査は全員同期だ」
「え!一個下の子達なのに、私達より出世してるね」
「言うな」
凪査は重なり倒れる二人にため息をついた。
「コイツらは自らその闇に飛び込んだんだ。我々は信じて待つしかない。タバコでも吸ってるんだな」
※※※
朔が春彦の手を握ると、黒い液体が朔の腕にまとわりついて強い電流が流れる。
「うあぁぁあ!」
「朔!」
朔が激痛に悲鳴を上げる。朔は顔に苦痛を滲ませながらも、決して春彦の手を離さない。
「朔、もう離せ」
「嫌だ……!」
朔は首を横に振る。
「春彦くん、言ったよね、死にたくないって。自分の為に生きるって!過去にどんな決断をしても、お母さんが最後に選んだのは春彦くんだったんだよ!」
春彦は目を見開いた。朔はぐっと顔を上げて春彦を真っ直ぐ見据えた。
「戻ってきて!あなたが望んだもの全てを手に入れられなくても、あなたを愛してくれた人が待っているから!」
春彦を見つめる朔、暁、菜緒子、そして泉美。ぎゅっと目をつむって、やがて覚悟を決めた。
「延珠っーーー!」
その名を呼ぶと延珠が高く飛び、宙で刀の姿に変身する。刀を掴み、力一杯に黒い液体を突き刺した。延珠の炎が黒い液体に燃え広がり、春彦と朔から燃やし払う。
黒い液体が燃えると和涅の幻影が叫び狂って悪虚へと変化する。痛みで気を失った朔を小脇に抱え液体から抜け出すと、片手で悪虚を一刀両断した。
やがて刀から、いつもより一際大きな火の鳥が現れる。春彦は刀を納め、火の鳥の足に掴まって飛び立った。しかしこれからどうしたらここから抜け出せるのか分からない。周りは春彦の今まで歩んできた人生が走馬灯のように流れている。
「どっちに行けばいいんだ」
すると流れる映像の前に誰かが立っている。風に髪をなびかせながら、静かに佇んでいるのは和涅だった。和涅は白く細い指で何もない方向を指差した。
「また幻影か?」
ーーーいや、あれは違う。
「え」
延珠は否定し、火の鳥は和涅が示す方向へと身を翻す。その途中、さっきの記憶の続きが流れていた。
泉美が春彦を抱き締めた後、和涅に深々と頭を下げた。
「この子を、連れ帰ってきてくれてありがとうございました」
春彦は唇を震わせ、目頭が熱くなるのを感じた。
(母さん……)
春彦は遠ざかる和涅に振り返った。もしかしたらあの和涅はこの景色を見せようとして、この道を示したのかもしれない。
目を覚ました春彦に、暁が両手で頬を掴んだ。
「春彦!」
「暁……」
暁は泣きそうな顔で笑っていた。
「よく戻ってきた……!」
「それより朔が」
「私なら無事だよ」
春彦の胸の上で呟くと、顔を上げる朔はいつも見せる晴れやかな笑みを浮かべる。
「お帰り、春彦くん」
そして暁が春彦と朔を力一杯に抱き締める。
「よかった……!!もう二度とこんな無茶しないでくれよ!!」
「暁さんにそう言われると少し反省しちゃいますね」
「朔ちゃん、少しじゃなくてしっかり反省してくれよ」
「てか暁がタバコ吸わないことなんてあるんだな」
ふと見知らぬ男が複雑そうな顔でこちらを見守っていた。彼はその後、青砥係長と呼ばれていた。
そこへ突如運転の荒いワンボックスカーが乱入してくる。異常なブレーキ音と共に運転席から飛び下りてきたのは菜緒子だった。
「みんな無事!?」
「菜緒子!」
「菜緒子さん!」
「精神干渉から脱出するなんてすごいわ!今すぐ治療してもらうからね!」
後部座席からフラフラとした足取りで出てきた三人の治療員。どちらかというと彼らの方が要治療に見える。
「よく医療班を呼んでこれたな。二課長の邪魔が入っただろ」
タバコに火を付ける暁に、菜緒子はニヤリと悪い顔をした。
「あの人の邪魔なんて、私にとっては子犬の甘噛みぐらいのものよ。私がだてに三課長をしていないと思い知らせてやったわ」
相変わらず菜緒子は無茶をしたのだろう。彼女が自信満々な時はそういう時だ。
安心して春彦は睡魔に襲われた。今度はきっと、穏やかな夢を見れるはずだと、目蓋を閉じた。
※※※




