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地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
3章 清算
23/63

23 沼の底

 SP6が殲滅された頃、雨が止んだ。しかしユーリは意識を失ったまま、目を覚まさない。


「ユーリ!ユーリ!」


 常一郎が呼び掛けても反応は無い。


「精神干渉の影響力が抜けないのか」

「くそっどうしたらいいんだ!」


 霊力値に問題は無い。このまま病院に運んでも精神干渉の根本の解決にはならない。これは戦闘員自身の精神状態が関係している。ここで意識を戻せなければユーリは一生昏睡状態となる。


(どうしたら)



 ーーーお前も奴の心へと入ればいい。



 脳へと直接語りかけてくる声に、春彦は目を見開く。


「延珠!?」

「どうした」


 常一郎が顔を上げる。


「延珠……刀が、ユーリの心の中へ入れって」

「そんなことが出来るのか?」

「分からない……」


 でも、延珠がわざわざ明確に意識を言語化して伝えてくるのは珍しかった。暁を仰ぎ見ると、頷いて促す。


「大丈夫だ、お前の好きなようにしろ」


 春彦は延珠の声をより鮮明に聞く為、刀に手を添える。



 ーーーユーリの額に手を置け。



 春彦はユーリの額に触れようとしたが、その前に常一郎へと手を差し出し、真っ直ぐと彼の目を見据えた。


「一緒にやってくれるか。多分ユーリにはお前が必要だ」

「でも」

「お前は妹と話さなきゃならない。それが今だ」


 常一郎は一瞬迷いを見せたが、すぐに春彦の手を取った。


「分かった」


 不意に暁が何かに反応した。耳元の通信機に手を当てる。菜緒子から何か連絡が入っているのか。


「どうした?」

「ここは任せる」


 そう言って一人どこかへ飛び出していった。


「……始めるぞ」


 春彦と常一郎はユーリの額に手を重ねて、ユーリの意識の中へと飛び込んだ。






 ※※※






 真っ暗な夜道を電灯が点々と照らしている。その下を整然と進む五人の人影。その先頭に立つ男は二係係長青砥凪査(あおとなぎさ)。後頭部で結い上げても肩まである長い髪を風になびかせながら現場へと急ぐ。しかしその先で待ち構えていた一人の男に気付き、後ろのメンバーに制止を合図する。


「二係諸君にはしばらくここで待機願う」


 声を張り上げた彼は、凪査がよく知る人物だった。


「暁」


 名前を呼ばれた暁は笑って、凪査の前まで悠然と歩み寄る。


「何しにきた?」


 暁の問いに凪査が淡々と答える。


「俺達はお前達の加勢に来た」

「結構だ。ここで群がってくる悪虚の殲滅でもしててくれ」

「それは無理だ。怪我人の容態も確認しなければならない。一課長から命令されている」

「嘘だな」


 言いきった暁。あまりにはっきりとした言いぐさに、凪査は眉をひそめる。


「何を根拠に」

「お前の目を見れば分かる、凪査。そもそも二係に治療員はいないだろう」


 凪査は黙った。そして納得する。暁は第三課所属だが、何故二係がここに居るのか三課課長の徒塚菜緒子から情報を得ているのだと察した。暁の目が鋭く光る。


「本当の目的は春彦だな」

「……これ以上悪虚を集めれば、周囲への被害は計り知れない」

「そんなこと春彦に延珠を与えた時点で分かっていたはずだろ」

「ここまでの影響力とは思っていなかった。ここは一般住宅街だ」

「まどろっこしいな。はっきり言えよ。今春彦がしていることで、上層部にとって何か都合の悪いことでもあるんだろ」


 ここでの会話は通信機を通して本部に傍受されている。それは暁も承知している。つまり彼は本部へ反抗すると宣戦布告したということだ。


 凪査は苦虫を潰したような顔をする。これ以上話すべきではないと判断し、仲間へ密かに合図を送る。


「……我々は神崎春彦の腕を切り落としてでも、延珠安綱を回収する」


 刀を抜くと、暁も肩に乗せていた刀を凪査へと向ける。闇夜に刀の切っ先が煌めく。


「出来るものならやってみろ。俺は可愛い後輩二人の為にここを退くわけにはいかない。どうしても通りたきゃ、俺を殺していけ」






 ※※※






 遠くで川のせせらぎが聞こえる。新緑から光が射し込み、涼しい風が木々の隙間を通り抜ける。


「ここは……」


 近くに別荘のようなロッジがある。どこかの避暑地のようだった。しかし春彦はなぜ自分がこんな所に居るのか思い出せなかった。


 ふと別荘から子供が二人出てきてこちらへ向かってきた。半ズボンを履いた男の子と麦わら帽子の女の子。二人はまるで春彦が見えていないような様子で、春彦を追い抜いていった。


「おいでユーリ!」

「待ってお兄ちゃん!」


 ユーリと聞いて、春彦は全て思い出した。


(あれは常一郎とユーリなのか。そうだ、俺はユーリの精神世界へ入ったんだ。ならばあれは、ユーリの記憶か?)


 やがて森を抜けると、ユーリは常一郎を追い抜いた。そして振り向くと常一郎が消えていて、キョロキョロと辺りを見回した。


「お兄ちゃん、どこ?」


 やがて周りの新緑が急速に枯れ、木々が朽ち果てていく。


「どうしたんだ」


 あまりに急な周囲の変化に春彦も戸惑った。

 そしていつの間にかユーリは今の姿にまで成長していて、虚ろな目をしていた。


(もしかしてこれは、ユーリの深層心理の具現化なのか)


 だとすればここはあまりにも色あせた世界だった。空気は乾いて、日の光も無い。幼少期とは別世界だった。


 いつの間にかユーリの背後に沼が現れていた。広く大きく、底の見えない淀んだ沼。


 どこからか見知らぬ誰かの声が聞こえてきた。その沼の上で泥人形達が話している声だった。



 ーーー兄の方は実力が今一つだな。

 ーーー妹が優秀過ぎるのも辛い話だな。せめて常一郎にもう少し霊力があれば。


 ーーー怪我をしただと、治る見込みはあるのか。

 ーーーいや、これは好都合だ。

 ーーーもはや常一郎は組織にとって用済みだ。我々にはもう一人使える駒がある。



 ユーリは辛そうに両手で耳を塞いだ。


(そうか、ユーリは自分のせいで比べられた常一郎の評価に心を痛めていたんだな)


 二人いれば嫌でも比べられる。それはこの兄妹に限ったことではないが、兄を慕うユーリには耐え難いものだっただろう。


 やがて泥人形が沼に沈むと、対岸に常一郎が背を向けて立っていた。彼に気付いたユーリは追いかようと沼に入った。腰まで浸かる深さで、身体は思うように進まない。


「俺は劣等生だ」


 うなだれる常一郎にユーリは首を横に振る。


「そんなことないよ、お兄ちゃんはすごいよ。こんなに優しいお兄ちゃんなのに、どうしてみんな悪く言うの」


 そしてユーリは沼の泥を自ら顔へ塗りたくった。


「私が醜くなれば、みんなお兄ちゃんを見てくれる」


 対岸へと辿り着いたユーリ。しかし岸から彼女を見下ろした常一郎の頬にはべっとりとした泥が滴っていた。


「もう遅い」


 常一郎の目は窪んで幽鬼と化していた。


「イヤァァア!!」


 ユーリの悲鳴に地面が揺れ、沼から(いばら)が現れ彼女を捕らえて(はりつけ)にする。ユーリの目から光が消えてしまう。


「ユーリ!」


 沼に飛び込もうとする春彦の腕を掴んだのは、常一郎だった。


「常一郎!」

「私は……」


 掠れた声で、言葉を振り絞るユーリ。常一郎はその言葉を一言一句聞き逃さないよう、食い入るように彼女を見つめている。


「私は何を間違えたの……私はいつもお兄ちゃんの後を追っていただけなのに……」


 その時春彦は理解した。今までの光景は全てユーリの記憶の追体験なのだ。常一郎を背中追っていたはずが、いつの間にか追い越して、周りから常一郎よりも評価されるようになった。


 しかしユーリはそれが受け入れられなかった。彼女が絶対的に尊敬しているのは常一郎だからだ。そして常一郎が評価されるよう誘導する為、自分が汚れ役を担うようになった。それで周りはユーリを見捨てるはずだった。


 だがユーリは兄からも蔑まれることは望んでいなかった。常一郎はユーリを変わらず慕っているのに、ユーリが現実から目を背けたばかりに正しく認識できていなかった。この掛け違いが悲劇を生んだ。


(常一郎がユーリを恨むはずがない。だがユーリがそう感じたのは何故だ……)


 春彦はハッとした。


「そうか。お前は常一郎が評価されて欲しかったんじゃない。ただ常一郎に嫌われたくなかった、それだけでよかったんだな……」


 常一郎は磔にされたユーリを見上げながら、沼に足を踏み入れる。


「すまない、ユーリ。僕は君が思うほど優秀じゃなかったんだ。霊力も大したことなくて、戦闘力も暁や凪査に劣っていた。だから君に劣等感を覚えたことも確かにあった」


 ユーリに近付こうとする常一郎に棘がうねりながら威嚇する。


「常一郎危ない!」


 しかし常一郎は歩みを止めない。


「でも僕はただ、君が一人で寂しくならないように、ただ君を支える為に、ほんの少しの間この組織で腰かけているつもりだったんだ。君が一人でも自由に羽ばたいていけるようになれば、それでよかったんだ」


 やがて棘が常一郎の首を掴んで締め付ける。


「常一郎!」


 刀を手にかけた瞬間、延珠が叫ぶ。



 ーーーまだだ!



 春彦はその声の威圧に思わずおののき手が止まった。延珠は何かを待っている。

 常一郎は必死にもがき、息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。


「君はずっと、僕を信じてくれていたんだね。ごめん、ごめんねユーリ!」


 常一郎の頬に涙が伝う。ユーリの目が見開かれ、大粒の涙がこぼれた。

 すると棘は常一郎の首を掴んだまま沼から引きずり出し、沼の外へと投げ飛ばした。


「ーーーお兄ちゃん!!」


 自我を取り戻し叫んだユーリの後ろから悪虚が現れた。小さな姿をしているが、それはSP6だった。

 延珠が待っていたのはこれだったのだと気付き、春彦は刀を手にかける。


「ユーリの中で生き残っていたんだな。だが悪ふざけもここまでだ」


 鞘から抜けた刀身は勢いよく燃え、春彦の腕をも炎に巻き込む。しかしそれは決して熱くない。炎は自分から放たれているのだ。


 春彦が沼へと足を踏み出せば、その熱で沼が干上がってしまった。SP6が動揺したじろぐ。


 そして沼の上を駆けた春彦は向かい来るSP6へと刀を振りかざし、火の鳥を放った。火の鳥はいつもの何倍も大きく、SP6へと噛みつき、やがて口から吐き出した炎で燃やし尽くした。棘は燃えて灰となり、解放されたユーリを春彦は抱き止める。


「春彦!」


 驚くユーリに、春彦は笑った。


「行け」


 ユーリは頷いて春彦の腕から飛び出した。そして一目散に常一郎の元へと駆ける。常一郎は意識を失って岸で倒れている。


 本当は春彦も後を追いたいが、身体が動かない。もしかしたらこれが霊力が底をつく直前なのかもしれないと、初めて身体で実感した。


 岸で常一郎の具合を確かめたユーリが叫ぶ。


「春彦!お兄ちゃんは無事よ!」

「そうか!」

「ありがとう春彦!フヌケなんて言ってごめんなさい!」

「いや、わざわざ謝ってくれてもそれはそれでダメージが……」


 不意に春彦はめまいがして膝から崩れ落ちる。そして同時に干からびた地面が陥没し、春彦は土くれと一緒に地中へと落下する。


「春彦!」


 ユーリは底の見えない大きな穴を覗き込んだが、そこには深い闇が広がっているだけだった。


 ふと顔を上げると、沼の向こう岸に人影が見えた。横を向いている黒髪の女性、その容貌には覚えがあった。


「あの人は……!」






 ※※※

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