13 期待
「さあ春彦くん!座学は終わったし、早速悪虚を探しに行こう!懸賞金が待ってる!」
朔は元気良く春彦を誘うが、春彦はげんなりした顔で断る。
「今何時だと思ってるんだよ、夜の七時だぞ。帰るに決まってるだろ」
本来は委員会職員の定時は夕方六時だが、第三課は学生の出勤が学校終わりであることを考慮して、定時は午後七時とされている。なお正職員の暁と菜緒子は出勤を一時間送らせて時差出勤しているので同じく定時は七時だ。
「言い忘れたけど、戦闘部隊は残業歓迎よ」
「ふざけるな、だいたい俺はまだ訓練生なんだから行けるわけないだろ」
加入して三ヶ月は訓練生と位置付けられ、市街地での戦闘は禁止されている。
すると机に腰かけていた暁が試すような口振りで春彦に提案した。
「訓練生期間を免除されろよ。そしたらすぐにでも免許を得て殲滅任務に出られる」
「三課は育成機関なのに任務に出ていいのか」
「育成機関であり予備部隊である。卒業したら実働部隊の第一課へ配属されるが、三課在籍中でも戦闘は可能だ。ノルマも課されてるって知ってんだろ」
「肩の力抜けって言葉はどこへ行ったんだよ」
「お前はもう刀を持ってるだろ。普通は訓練生を卒業する時に自分の刀を渡されるが、お前の刀は特殊だから、お前自身の為にも早く使えるようになった方がいい」
しかし春彦は若干不満だった。
(こっちは高校入学したてでやること多いのに、余計に勉強時間がなくなる)
春彦は秀才型だ。つまり日頃から勉強しておかなければ成果が出せない。なのに委員会の職員になったお陰でその時間は大幅に削減されてしまった。
すると何かを見透かした暁は、器用に片目をつむった。
「お前の焦りはよく分かる、だが今免除されておく方が後々お前の為になる。へたに三ヶ月も拘束されるより、さっさと戦闘許可持って、任務と言って適当に外回りしてこっそりサボった方が時間の有効活用出来るだろ」
「それを有効活用と言っていいのか」
「ダメに決まってんでしょ」
「リーダー……」
それが肩の力を抜くと言って良いのかは分からないが、ひとまずここは承諾しておくことにした。
「そもそもどうやって訓練期間免除されるんだ」
「遠距離攻撃が出来ると証明する」
遠距離攻撃が出来るということは、敵から距離を取って身を守りながら攻撃出来る。つまり逃げる余裕を持っている。なので戦闘に未熟でも、最悪逃げることが出来、自分の命に責任を持てるという証明だった。
春彦達は近くの演習場へ向かった。そこは本部から地下鉄を使って十五分で着く距離にあり、委員会の所有地だ。広大な敷地には屋根は無く、野晒しになっている。
しかし夜でも煌々とライトが周囲を照らし、ナイターのように明るい。さらに地面はコンクリートのような特殊な素材で加工されている。そして回りは高いフェンスで目隠しが施されているので、一般人に見られることはない。
ここでは普段多くの職員が普段ここで模擬戦闘を行っているが、通常勤務時間は朝から昼にかけてなので、この時間帯はほぼ貸切状態だった。
春彦は布袋から延珠安綱を取り出した。
「延珠から火の鳥を出せる春彦くんなら余裕だよね。あれこそまさに遠距離攻撃の鑑」
「まさか八城の置き土産が役に立つとは」
今延珠が春彦の手元にあるのは、和歌山支部所属の八城が刀の所有権を東京本部第三課へと移譲したからだ。
意外なことに和歌山支部は何の見返りも求めてこなかったという。そして本部上層部も、正規の戦闘員に持たせて想定外の危険を孕むより、予備部隊の第三課に任せるという決断に至った。その後、今後の継続的なデータ採集と銘打って、延珠安綱を春彦への貸与を許可した。
春彦は鞘から延珠を抜く。同時に菜緒子がシミュレーターを起動する。地面から悪虚のホログラムが現れ、そのリアルさに春彦は思わず身体が強張った。色こそ青一色だが、触手の動きや皮膚の感じまで、細部に至るまで再現されている。
(大丈夫だ、あれは本物じゃない)
加入試験時の霊力証明での恐怖を振り切るように、春彦は地面を蹴った。
(行くぞ、延珠!)
しかし刀を振りかざした時、微かな違和感を感じた。
(声が聞こえない)
はっきりと聞こえることはなくても、いつも延珠の意識は感じ取れていた。なのに突然何も分からなくなった。春彦の刀には炎こそ纏うが、火の鳥は出ない。その様子に朔は驚き、菜緒子は顔を曇らせた。しかし暁だけは一切表情を崩さなかった。
そして接近したホログラムも、結局は刀が直接的に切り裂き、遠距離攻撃による殲滅とはならなかった。
「何でだ延珠、いつもは俺の意思すら関係無く火の鳥を出してたのに……」
偽物なのがいけないのか。それにしても延珠の意識を感じないのが不可解だ。
すると暁は咥えていたタバコを外して、春彦の肩に腕を乗せた。
「まあこういうこともある。今日が全てじゃない、焦らずいこうぜ。な?」
「ああ……」
暁はそう言ったが、春彦は煮え切らない返事をして、しばらく延珠を見つめていた。
その次の日、また次の日も演習場で模擬戦を行うが、何度試しても火の鳥は出ない。
春彦は、本部に初出勤した日以来、延珠の意思を感じ取れず、夢にも出てこないことに不安を感じていた。いつもは鬱陶しいと感じていたのに、今はまるで泳げないのに水の中で突然手を離されて戸惑う子供のような気持ちだった。
とうとう春彦は学校を休んだ。放課後の限られた時間だけではなく、真剣に延珠と向き合おうと思った。
今日は午前中に本部で定例ミーティングがあるらしく、平日で貸切状態に出来る絶好のチャンスだった。
だがどれだけ刀に霊力を注いでも、延珠は反応しなかった。
「夢に出るなって言ったのを怒ったのか」
「延珠と話してるの?」
背後から声をかけられ春彦は飛び上がった。
「朔!」
ニコニコと笑っている朔は、制服ではなく私服だった。黒いゆったりしたシャツに、赤いチェックのスカート、底上げブーツ。朔はよくこういったパンクロックなファッションに身を包む。
「私も休んじゃった」
「弁当置いてただろ」
「後で食べるよ」
春彦は異様にショックを受けた。
(何だろう、せっかく弁当を作ったのに子供に学校をサボられた母親の気分だ)
朝早く起きるのだって楽ではないのに。しかも毎日献立を変えているのに。
春彦の心中をまるで気にせず、自らの刀を抜いた。よく見ると朔の刀の鞘には、十字架のチャームやチェーンが巻かれている。刀の装飾は自由なので、かなり個性が出る。
「手伝うよ」
「遠距離攻撃が出来るのか?」
「集中しないと出来ないから実戦では使ったことないけど、力にはなれると思う」
「お前は何でも出来ていいな」
「料理は出来ないじゃん」
「いや、それでもお前が本気を出せば料理くらいどうってことはないだろうな。俺もお前くらいのポテンシャルが欲しかったよ」
それは春彦の本音だった。
医者である父の実子ではないので、その優秀な血は春彦に流れていない。だから努力に努力を積み重ねてきた。それで着実に結果も出してきたし、頑張ることは苦痛ではないと思っていた。
だが、家を出て気が楽になった。そして自分が努力して期待されようとしていたことに気付いた。
捨てられそうになりながらも、なお、春彦は父のために努力してきた。それも徒労に終わった。なのに。
(朔を羨ましいということは、俺はまだ期待されたいのか?)
自分はこんなにも未練がましい。自分が醜いとすら感じる。きっと朔はそんな思いをしたことがないのだろう。そう思っていた。
「私も挫折したことあるよ」
春彦はわざとらしく眉をひそめる。
「いつ」
「和歌山支部で」
朔から和歌山という言葉を聞きギクリとした。以前の八城との様子が脳裏をよぎる。
朔は春彦ちらりと見て笑う。
「そんなに気まずそうな顔しないで。いつか話そうと思ってたんだよ。私の過去を」
十五歳の夏、朝から季節外れの冷涼な日だった。突然目眩がして、朔は道路で膝を着いた。その時ぼんやりと、アノマロカリスのような巨大な生物が、朔の首に触手を巻き付けているような幻影を最後に意識を失った。
目が覚めたら都立病院だった。
「朔!」
ベットの傍らに居た両親は朔が目を覚ましたことに涙を流して喜んだ。
「ここは……」
「待ってろ、先生呼んでくる」
「本当に、目を覚ましてくれてよかった」
熱中症にでもなったのかと思い、大げさだよと笑った。しかし主治医が来て事の経緯を聞かされ、耳を疑った。
「悪虚?霊力欠乏症?」
何もかもが耳にしたことのない単語だった。どうやら自分は悪虚という化け物に霊力を吸われ、瀕死だったらしい。娘が死にかけていたというのなら、確かに両親の反応も腑に落ちる。
それに最後に見たあの幻影も現実だと知る。霊力を吸われた際に、生命の危機本能が悪虚を可視化させた。霊力が多い人間にはまれにある事例だという。
しかし朔は、自分が助かったせいでとんでもないことをしでかしたのだと知る。
「一千万円!?治療費が!?」
「はい。霊力治療は保険適用外なんです。なので朔さん、あなたはこの治療費を払う義務があります」
「そんな……」
「でもあなたはまだ未成年なので、ご両親が支払うことになります」
一千万円という途方もない金額に呆然とした。朔の父はサラリーマン、母はパートの一般家庭だ。返済することは容易ではない。
「こんなこと大声では言えませんが、もしあなたが死んでいたのなら、この請求はありませんでした。この治療費はあなたの負債となる。しかしご両親は相続放棄が出来るので、請求は実質無くなるのです」
「じゃあ私が生き残ったせいで、お父さんとお母さんはそんな大金を払わなくちゃならないんですか?」
「ご両親はあなたが生きていることにあれほど喜んでくれたんです。例え二千万でも、三千万でも、同じだったでしょう。あなたのせいなんて責任を感じる必要はありません。それにあなたにはまだ手段があります。特定環境殲滅委員会に加入することです」
朔は殲滅委員会での給与と、懸賞金付き悪虚を殲滅した賞金で借金を返済することになった。支払い期限は十年、朔が二十五歳になるまで。
それから朔は高校には入学せず、十六歳の年に殲滅委員会に正式加入した。霊力量の多さからすぐに遠距離攻撃を習得し、訓練期間を免除され、第一課の八係に見習い加入した。ーーーしかし事はそう単純には進まなかった。
朔は三ヶ月もの間実戦に参加出来なかった。いざ悪虚と遭遇しても、悪虚への恐怖がフラッシュバックして身体が動かないのだ。
その頃朔の世話を焼いてくれたのは、当時二課研究員だった菜緒子だ。
「大丈夫よ、きっと良くなるわ」
菜緒子はそう言って、朔を付きっきりでみてくれた。悪虚への恐怖を克服する治療や、シミュレーターを使って悪虚以外の敵を投影し模擬戦闘を行った。とにかく戦うことで自信を付け、悪虚を恐怖の対象から『倒せる敵』と認識を変えようとした。
しかし朔の症状は一向に良くならない。見かねた当時八係係長の矢作博史は、朔に対し事務職転向を勧めた。
「事務職に回ることは負けではない。人には向き不向きがある。無理をして、これ以上心に傷を負わない方がいい」
「でも私が事務職に回ったら、基本給も変わるし、何より懸賞金も狙えません。そうなったら両親の借金の負担が増えます」
青ざめる朔に、矢作は無理強いしなかった。
「君の気持ちは分かった。だが、もしも本当に辛いと思ったのなら、逃げ出してもいい。いつかそれで良かったと思える日が来る」
八係は新人の登竜門ともいえる部署だ。だからこそ任務での死傷率も高い。矢作は戦闘員で最年長の三十六歳、様々な若手を育て上げてきた。そんな彼だからこそ、朔に与えたのは逃げ道だった。
矢作が立ち去った後、立ち尽くしていた朔に菜緒子が声をかけた。
「こんな所でどうしたの?朔ちゃん」
「菜緒子さん、私あと一週間以内に悪虚を殲滅出来なきゃ、事務職に転向しなきゃいけないんですよね」
委員会には、訓練期間を免除された場合、本来訓練期間であったはずの三ヶ月以内に、悪虚を一体でも殲滅出来なければ戦闘許可剥奪という規則がある。それは誰にもどうにもならない絶対条件。
矢作はそれを知っていて、朔が焦って無茶をしないように先に声をかけに来たのだ。
矢作も菜緒子も、両親も優しい。優しいゆえに苦しかった。
「どうして私助かっちゃったんだろう……」
朔は目から涙がこぼれた。
「あの時死んでおけばよかった。そしたら借金も戦いも何も無かったのに」
あの時は喜んでくれたとしても、借金を抱えた今、両親の心中を察れば、朔は自分を責めずには居られなかった。
膝を抱えた朔が泣き止むまで、菜緒子は背中をさすってくれていた。
それから三日後のことだった。委員会出勤前のこと、直前に通信端末のブザーが鳴った。近隣に悪虚が出現したサインだ。抜刀し端末に示された地図に従って進むと、スーツ姿の男性が体長三メートルほどの悪虚に襲われていた。触手で首を巻かれ、霊力を吸われ意識を失いつつある彼は地面に這いつくばった。
その光景に朔は怖くて動けなかった。
「本部、至急応援を……一般人が襲撃されています」
応答したのは菜緒子だった。
「朔ちゃん!今そこにはあなた以外戦闘員が居ないの!朔ちゃんだけでも逃げて!」
「でも私が逃げたらあの人はーーー」
誰が助けてくれるんですか、そう言いそうになり言葉を飲み込んだ。今彼を助けられるのは目の前に居る朔だけなのだ。
しかし身体が強張って動かなかった。自分が襲われた時の恐怖がよみがえる。こみ上げる悪寒、目眩、暗転する視界。
(誰か、誰か……!)
「助けてくれ……!」
そう呟いた彼に朔はハッとした。いつの間にか身体が動いた。地面を蹴った朔は天高く舞い、刀を悪虚頭部の急所へ一撃で突き刺した。そして残る体躯を切り刻む。朔にあったのは怒りと恨み。ただそれだけだった。
その時から朔の中で、悪虚は恐怖の対象ではなく、人に仇なす殲滅対象となった。
やがて朔は八係で任務を遂行する内に、殲滅成績を買われて和歌山支部に引き抜かれる。
しかしここでまた朔は壁にぶつかることになる。和歌山支部に在籍する為の絶対条件をクリア出来なかった。それは『空間固定』。霊力を固体化させ、さらに空間に固定させる技術。それが出来れば宙に足場を作ることが出来、戦闘空間を広げられる。
和歌山の悪虚は非常に狂暴で、空中戦が出来なければ到底太刀打ち出来ない。しかし朔にはどうしてもそれが出来なかった。
やがて和歌山支部から除籍され、半年で東京へ戻されることとなった。
「身勝手な奴らだな」
春彦は何もかもがそう感じられた。本人が意図せず施した治療に巨額の費用を請求し、使えるからと引き抜いてもたった半年で異動させる。当人の感情はことごとく無視されている。
(あの和歌山支部に戻った八城の朔への暁の態度も、今ならよく分かる。暁は全て知っていて、感情の行き場の無い朔の代わりに、八城へ噛みついていたのだ。朔はきっと、心でどう思っていても、誰かに八つ当たりする奴じゃない)
朔は首を横に振った。
「役立たずは捨てられて当然だよ。私は基準をクリア出来なかったんだから」
「八係には戻れなかったのか?」
「編成変えがあって、定員オーバーだったの。矢作係長は何も悪くないのに、謝ってくれたのは申し訳なかったな。でもその時拾ってくれたのが菜緒子さんだったの。復活した第三課でやり直さないかって。その時高校にも通わせてくれるって話になったの」
「高校に?」
「うん。私はどっちでもよかったけど、せっかくだからって言ってくれて。あと暁さんの勧めもあったんだ。それで次の年の春、私は高校へ入った。すぐに転校したけどね」
春彦ははたと気が付いた。
「そういえば、さっきの話からして中学卒業して高校に入学するまで一年あったってことだよな。転校って今年の……お前一個年上だったのか!?」
驚愕する春彦に、朔は照れくさそうに笑う。
「実はそうなんだ。更に言うと、私転校するまで不登校だったの」
「嘘だろ、全然見えないぞ」
「知り合いも居ないし同級生は年下だし、行くのが怖かったんだ。それで転校してようやく通い始めたの。任務だったから行くしかないし。でも高校生活、思いのほか楽しかったんだ。これって春彦くんのお陰なんだよ」
「俺の?」
「春彦くんが私に学校へ行くきっかけをくれたの」
真剣に言う朔に、春彦は目を見張って、思わず吹き出した。
「まさか、それでお前を救えてたとは思いもしなかったよ」
ふざけた人生に、ふざけた展開だと思っていたあの時。それでも彼女にとってはそれが救いになったのだ。それなら、あの時の春彦の苦労も無駄ではなかった。
朔が顔の高さまで手を上げる。
「だから今度は私が春彦くんを助けるよ」
その力強い言葉だけでも、今の春彦の心を救っていたが、それは気恥ずかしくて言えなかった。だからせめてその期待に応えて示そうと思った。
「ああ、頼む」
春彦と朔は手を叩いた。




