12 守護石
春彦が殲滅委員会に加入してしてしばらく経った頃、いつしか春彦、朔、山田の三人で昼食を食べるのが日課になっていた。いつも通り弁当を開くと、山田は目ざとくある事に気付いた。
「お前と宇化乃さんの弁当一緒じゃね?てか宇化乃さんの弁当におかず入ってるの初めて見たんだけど」
容器のサイズは異なるが、二人の弁当には全く同じおかずが入っている。そして配置も同じだ。勿論味も同じ。
「俺が作ったからな」
「お前が!?」
弁当は全て春彦の手作りだ。
「私のおにぎり弁当じゃ栄養が偏りすぎって言われたんだけど、恥ずかしながら料理は不得意で。でも節約もしたいし。そしたら春彦くんが作ってくれるって」
「いいんだ、完璧な朔にも苦手なことがあって俺は安心した。弁当ぐらいいくらでも作るさ」
完璧人間だと思っていた朔にも不得手なことがある事に、卑しいかもしれないが春彦はホッとしていた。
「春彦、お前料理なんて出来たのかよ」
「練習した」
「学校の成績に取り憑かれてるお前が、わざわざ料理を?」
「朔の為だからな」
「ありがとう春彦くん、すごく美味しいよ」
山田は眉根を寄せる。
「俺は何を見せられているんだ。まさかもう一緒に住んでるとか言わないよな」
「それはーーー」
「一緒の所で住んでるよ」
「えーっ!!」
朔の発言に驚愕する山田。春彦は頭を抱えた。
「またお前は誤解を生むことを…」
一緒の所というのは、同じ家ではない。委員会の職員専用の寮のことだ。職員の中でも基本的に戦闘員はいつでも出動出来るように、寮生活が義務付けられている。しかし委員会の存在は部外者に口外してはならない。
(一緒の寮って言えればいいが、わざわざ実家から出たことを詮索されても困る)
山田にどう説明しようか考えあぐねていた春彦だったが、意外にも山田はあっさりと引き下がる。
「まあ婚約してるから同棲してても問題ないか」
春彦は目を見開く。
(こんなところであの適当な設定が役立つとは)
あの胡散臭い菜緒子もたまには役に立つものだ。
「ところで宇化乃さん本当に部活しないの?運動部からは引く手数多だって聞いたよ」
「うん。誘ってくれたのは嬉しかったけど、今どの部活にも興味無いんだー」
朔はニコニコ笑って、色とりどりのおかずを美味しそうに頬張った。春彦は朔を横目に見て、少し沈黙した。
放課後、都立病院ではなく本部に向かう春彦と朔。いつも病院に居たのは春彦が委員会の職員ではないので本部に立ち入れなかったから。今は正式な職員となったので、堂々と本部へ向かう。
二人の手には布袋に入った刀がある。委員会の戦闘員は常に臨戦態勢で居る。常に帯刀しているが、何故か学校の生徒はその刀について触れてこない。朔いわく、刀に限らず霊力をまとえば『人の意識から外れる』らしい。
それは悪虚と同じ性質だ。悪虚も実体の有無に関わらず、特定の人間にしか認識されない。
だが今まで見えていなかった人間も、何かをきっかけに『意識』することで認識する。だから戦闘していても一般人の目に止まることはほぼ無く、布袋に入れている刀について詮索されることもない。
その道中、春彦は朔にそれとなく尋ねた。
「本当に部活をしないのか。もう監視任務は無いのに」
思えば朔は元々春彦の監視の為に転校してきた。それならば自分の元居た学校に戻ることも可能だったが、朔は今も春彦と同じ高校に通い続けていた。
「いいの。監視任務が無くても殲滅委員会の仕事はあるし、それに私は学校に通えてるだけでも楽しいから」
「そうか」
朔がそう言うのならば、これ以上春彦が言えることは何もなかった。
殲滅委員会本部に着いて、春彦は渡されていたIDカードをエレベーターにかざした。このビルのエレベーターは職員のIDが無ければたどり着けないし、そもそもこのエレベーターも特殊なもので、委員会の職員以外は使用不可能だ。なので他のテナントのサラリーマンから視線を向けられても、このエレベーターにさえ乗ってしまえばここからは委員会の領域だった。
第三課のオフィスへ向かうと、何故か菜緒子がクラッカーを持って待っていた。
「春彦くん、ようこそ殲滅委員会第三課へ!」
クラッカーのヒモを引っ張ると、発砲音と、カラフルな紙吹雪が勢い良く宙を舞う。
「初出勤おめでとう~」
「どういう祝いだよ」
確かに春彦が委員会に加入してから、まずは両親への説明や、手続き、引っ越しと慌ただしく、本部へ出勤したのは初めてだ。だがそれがめでたいかと聞かれると、加入までの経緯も含めて微妙なところだ。
しかし菜緒子は全く気にしておらず、後ろに居た暁はのんきに肘をついてタバコを吸っていた。
「改めて紹介するわ。課長は私、戸塚菜緒子。課長補佐兼部隊リーダーは宍戸暁。そして構成員の宇化乃朔ちゃんよ」
すると暁が腕を上へ伸ばした。
「まあどうせお前らは訓練機関の見習い、正式な実働部隊じゃない。肩の力抜いてけよ」
「リーダーは抜きすぎじゃないですかね?」
「朔ちゃんひどーい、俺泣いちゃうよ」
「絶対泣かなさそうだな」
「ね」
春彦と朔は頷く。暁はそんなタマではない。
「さて、みんな席に着いて。今日は座学よ」
「うっわ、つまんねー」
暁は心底げんなりしていた。すると朔がニヤリと笑う。
「とか言って、実はリーダーは座学の優秀成績者だったって聞きましたよ」
「なんだ、テスト勉強してないとか言って、実は裏で勉強するタイプかよ」
そう言うタイプが一番厄介なのだ、と成績の亡者である春彦は心の中で毒づく。
すると暁は呆れたように肩をすくめる。
「俺だって勉強ぐらいするっつーの。まあその時の講師が甘かっただけってものあるけど」
菜緒子がプロジェクターの電源を入れ、部屋のライトを消す。スクリーンに写し出されたのは様々な年代の新聞記事だった。
「日本各地では歴史上、様々な不可解な事件が巻き起こっていたわ。例えば商業施設で大人数が失神する事件。住宅街で大量の瓦礫が散乱する事件。これは全て悪虚によるもので、そして悪虚へ専門的に対処する為に組織されたのが、この『特定環境殲滅委員会』」
この東京本部写真が映される。
「悪虚と戦った際に起こる爆発などを、委員会が情報操作や隠蔽工作してガス漏れによる爆発事件として世間に発表したり、最近ではハッキングも必要地応じて行っているわ」
(サラッと情報操作と隠蔽工作って言ったな)
今さら驚くことでもないが、この組織がいかに異常なのかがよく分かる。
「そして委員会の職員には一定量の霊力が求められる」
菜緒子は自分の右手を軽く握ると、青白い光が固まり、やがて球体の固形物を創り出した。青く透き通るそれは、やや発光しており、机に置くとガラスを置いた時のような音がした。
「霊力があればこんな物をつくったり出来る。そして霊力を身体に纏えば、人より高く飛んだり走れる。そうやって人は霊力を用いて悪虚を退治し、人々の平和を守ってきた。裏の治安維持部隊みたいなものね。一般人に見られたら記憶を消してるから、一般的に周知されることはないし」
「腕章にあるのは委員会のロゴマークか?」
「ああこれ?そうよ」
菜緒子は腕章を見せた。筆で書かれた殲滅という武骨な字に、雑なニコちゃんマーク。アナログすぎると言っても過言ではないマークだ。
「私達は武装を許可され、影から常に人々の生活を守っているの」
春彦はじとっとした目で眺める。
「前から思ってたんだが、そのセンスのないマークは誰が考えたんだ。お前のカッコいいセリフを全て打ち消したぞ」
「分からないわ」
「分からないのかよ」
菜緒子は不服そうに口をへの字にする。
「私達だって誰もこれが良いとは思ってない。でも誰も刷新しようとしないんだもの。最悪、内閣官房直轄組織という点で全ての不信感が払拭されるでしょ」
いくらなんでも無理があるだろ、と言わざるを得ない。
「前にも聞いたが、内閣官房直轄組織ってそれ本当なのか?」
春彦の疑問に菜緒子は力強く頷く。
「勿論よ。でなければ霊力のある人間を、ある程度の人数を集めて組織し統制することは成し得ないもの」
菜緒子の声のトーンが一段下がる。
「ここはね、昔から政財界と深い繋がりのある組織なの。下手なことをすればまともな人生も送れなくなるわ。だから用心して、組織はいつあなたに牙を剥いてもおかしくないの」
「……入れたのはお前らだけどな」
すると菜緒子は「てへっ」と舌を出して笑った。
「そりゃあなたの霊力量じゃ私の記憶消去術が敵うわけないじゃない。出来なくてトーゼン!だとしたら委員会に入るのはヒツゼン!」
「開き直ったな。ムダに韻を踏むな」
「これくらいじゃなきゃ社会人はやってけないのよ!さあ話が脱線したけど、次は悪虚についてよ」
無理矢理に話題を変え、スクリーンに映し出されたのは、春彦が幾度となく見たあの硬い甲殻と触手を持った生物。
「悪虚はアノマロカリスに似ているわ。古生代の海に存在していた生物であるアノマロカリス、その口元から多数の触手が出ているような見た目をしている。悪虚は6600万年前の白亜紀の隕石によって地球へとやって来たと推測されているから、それが要因と考えられているわ」
春彦は軽く目を見張った。隕石に乗ってきたということは、元々は地球に存在していなかったというのか。
「悪虚は宇宙人なのか?」
「まあそう言えるわね。悪虚は地球に着陸した反動で霊力を消費した。だから悪虚本体はマントル近くの地中深くに身を隠し、人や自然から霊気を収集させている」
「ちなみに」と暁が横から口を出した。
「悪虚には本体があるのを知っているか」
「え?」
悪虚の本体と言われて春彦は動揺した。悪虚に本体があるというのは、夢の中で延珠に教えられていたが、やはりあれは春彦の妄想ではなく本物の延珠だったのだと知る。
「知らない」
「そうか。お前がいつも見てきた悪虚は全て分身で、本体は和歌山の地中奥深くに隠れている」
ここでまた和歌山支部の名前を聞くとは思いもしかった。
「和歌山では1500万年前に地殻変動があった。それによりマグマが地中に広がり、地中の割れ目から熱と圧力で温水が地上へ湧き出ている。悪虚は今もその地中のどこかに居て、水の流れを利用して分身を放っている」
「だから和歌山支部の戦力を強化するのか」
しかし暁は不服そうにタバコを灰皿へ押し付けた。
「確かに和歌山の悪虚は段違いに強い。だが霊体の悪虚だけじゃなく、この長い歴史の中で独立型だってとっくに全国各地に散らばっている。結局どこも大忙しなんだ。なのに自分達が一番偉いみたいなあの風潮がいけすかねー」
「仕方ないわよ。日本各地で根付いていた独立型の悪虚をほとんど狩り尽くしたのは和歌山支部の機動調査室だもの。東京本部も歯が立たないわ」
ふと春彦は、先ほどから朔が妙に静かなのが気にかかった。朔を見ると、平然を装ってはいるが、どこかぎこちない微笑を浮かべていた。
「てかさっきから言ってる独立型って何なんだ?」
「悪虚は『分身型』と『独立型』に分類されるのよ。朔ちゃんはその違いと理由が分かるわよね?」
話を振られた朔はいつもの笑顔に切り替えた。
「分身型はマントル近くで潜む本体との繋がりがあり、人や自然から霊力を集め本体へと持ち帰る性質。でも独立型は確立した自由意志があります。だから分身型と違って何を目的とするかは不明な点が多いです」
「そう。とくに独立型は変異したものが多く注意が必要よ。さっきも言った通り、悪虚の主な目的は、霊体となって地上で霊気を集め、本体へ霊気を送ること。だから霊力を集めて初めて実体を形成する。でも独立型悪虚は最初から実体を持っている。それは悪虚本来の生態から外れている」
春彦はハッとした。
(まさか、延珠も独立型の悪虚なのか?)
延珠に問いかける前に、朔が先に菜緒子に尋ねた。
「でも前から思ってたんですけど、アノマロカリスはカンブリア紀の生物ですよね。悪虚はそれより後の白亜紀に地球に訪れ、しかも地上へ上がってきたのは中新世で、年代が合わないです」
「恐らく地中にあった数々の生物の化石が、長い年月をかけて悪虚の姿に大きな影響を与えたと思われるわ。現に分身型悪虚はアノマロカリスに似てはいるけど、完全に一致した姿をしていないし、アノマロカリスの他にも古代生物の姿をした悪虚が確認されている」
「例えば人型とか?」
春彦がさりげなく尋ねると、意外なことに菜緒子は首を振った。
「人型は確認されていないわ」
「え」
「サメとか貝ならあるけど、人間を模した悪虚は見つかっていないのよね」
「でも例えば、人型は人と違いがないから見分けがついていないだけとか」
「それは無いわね。だって悪虚は特殊な周波数の霊力を放っている。もしその周波を感知したら、職員に配布されてる端末がアラームで知らせるわ」
「そうなのか」
しかし春彦は動揺していた。
(だとすればあの延珠の姿は何なんだ。どうして延珠安綱という刀は端末に近付いてもアラームが鳴らないんだ……)
ただ一つ分かったことがある。
(菜緒子達は延珠が悪虚だと知らない)
それを知って使っている春彦は、バレたらまた立場が危うくなるのではないか。また一つ問題が増えてしまった。ひとまずここは黙ってやり過ごすことにした。
菜緒子は一通り春彦に情報を授けると、オフィスでの講義を中断し、春彦はビルの地下へと連れていかれた。地下には監視カメラや人感センサーがいたる所に設置されており、無人で管理されていた。
明るい室内の中央で、ゴツゴツとしたコンクリートのような岩が剥き出しで鎮座している。大人が手を広げたぐらいの大きさで、岩の隙間から群青色の石が覗いていた。
「この石は本部の守護石。ほとんどの委員会職員はこの石に触れて初めて悪虚を視認出来るようになる」
「御神体みたいだな」
「神様ではないよ」
朔が静かに呟いた。暁が補足する。
「これは白亜紀の隕石の欠片だ。科学班によると、この隕石からは悪虚と同じ霊気の周波を計測できるらしい。つまりこれは悪虚の霊力の結晶が化石になったものだ」
「霊力の一部だったのなら、取り戻しに来るはずだろ」
「悪虚は自分以外の霊力の周波数を察知して集まる。つまり自分の霊力には反応しない、そして悪虚はこの石の周波数によって感覚が鈍り、近寄らない。だから霊力の高い人間がこんなにも集まる東京本部には今まで一度も悪虚が出現していない」
「殲滅委員会はこの守護石をいくつかに分け、各地の支部にも設置しているのよ」
すると暁がヤニ切れに耐えかねてエレベーターのボタンを押した。
「そろそろ行こうぜ。ここはさすがにヤニが吸えねー」
「暁さんにも自制心ってあったんですね」
「さすがにここで吸ったら俺も命が危うい」
春彦もあの暁がタバコを我慢していたことに驚く。
「病院で吸うのにここでは吸わないって、それほどなんだなここは」
「バカヤロー、病院でも研究室以外吸ってねーよ。医者に殺されるわ」
ふと去り際に春彦はもう一度だけその石を眺めた。
「これはお前の一部でもあったのか、延珠」
自分にしか聞こえないくらいの声で呟く。しかしその日の延珠はとても静かで、春彦の問いには何も答えなかった。
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