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地殻の魔女  作者: 藤宮ゆず
1章 加入
10/63

10 恐怖

 月曜日、委員会の定めた期限がやってきた。春彦は学校を休まされ、思わぬ場所へと呼び出された。東京都光虎(こうこ)区はビジネス街で、大きなビルがひしめきあって建っている。


 その中でも一際高く、鏡のようなガラスで覆われたビル。テナントの一覧にはどこかで聞いた企業ばかり。しかしここに呼び出された理由は分からない。そして今日は監視の朔が居ない。


 ビルの入り口に立っていると、呼び出した菜緒子が迎えに来た。


「お待たせ!」

「ここどこ?」

「殲滅委員会東京本部よ。はい入館証」


 菜緒子に連れられ、二十階の二課研究室へ向かう。テナント一覧にはまるで違う企業名が書かれていたが、あれはフェイクだったらしい。


 病院の研究室とは比較にならないほどの広さと設備が整っていた。そして最奥の部屋に通されると、集まっていたのは重鎮の雰囲気を醸し出したスーツの男達と、白衣を着た八城、そして暁。


「わざわざ来てもらっておおきにね、春彦くん。今日はこれから君の霊力検査による霊力証明を行う」


 春彦は目を丸くした。


「一体どうやって」

「こうやるんや」


 八城が手に取ったのはランタンのような形をしたガラス容器。その中でうごめく生物に目を剥いた。小さくても姿形は変わらない。


「悪虚……?」


 悪虚の幼体なのだろうか。八城は振り返り、スーツの男達に声をかけた。


「では始めますよ、栄議長」


 栄と呼ばれた男は険しい顔で頷く。議長とは殲滅委員会のトップの役職だと聞いたことがある。つまり今春彦を観察している男達は皆、殲滅委員会の何かしら重要な役職に就いている人間なのだと察した。そしてこれから春彦は真価を問われる。


「ちょっと我慢してや」

「え?」


 八城はガラス容器の蓋を開けると、悪虚を放つ。

 悪虚は春彦まっしぐらに飛び付いた。そして小さな触手を春彦の首もとへまとわりつかせ、徐々に身体を膨張させる。


「春彦くん!」


 春彦に近寄ろうとした菜緒子を羽交締めにして止めたのは八城だった。


「離して!何よこれ、こんなの聞いてないわよ!」

「これは霊力計測器が実用化される前に採用されてた霊力計測方法やねん」

「まさか!」

「悪虚は霊力吸収量に比例して巨大化する。つまり春彦くんに取り憑いた悪虚のサイズをみれば霊力量は一目瞭然。アナログやけど確かやろ」

「嘘よ、こんな方法、聞いたことないわよ…」


 しかし栄率いる幹部達は動じていない。これが正式な霊力検査であることも否定しない。


(でも、だからって…!)


 八城は菜緒子の力みが無くなった感じて解放した。物分かりが悪い菜緒子ではない。しかしその表情には苦渋が(にじ)んでいた。


「悪虚の体長が二メートルを越えたら検査クリアや」


 春彦に取り憑いた悪虚はボコボコと膨れ身体が巨大化していく。


(何だこれ、動けない…!)


 刀にいくら霊力を吸われても何ともなかったのに、悪虚に霊力を吸われると急に身体が動けなくなった。目眩がして視界が回る、気分が悪い。春彦は膝を着く。


「苦しいやろ、悪虚の幼体は霊力吸収時に動きにくくする微毒を吐き出す。せやからしばらくの辛抱やで」


 励ます八城の声がひどく遠くから聞こえる気がした。

 悪虚は加速度的に大きくなっていく。そしてもう少しで二メートルに達するという時に、突然悪虚は身体を振り回して暴れだした。触手を放出し、八城達を遠ざける。


「暴走しよった」


 八城は苦笑いする。


「議長退避して下さい!」


 一課長の入相が栄の前に立つ。副議長の足尾は情けない声をあげながら栄の後ろに逃げた。

 悪虚の身体はあっという間に三メートルに達し、やがて人を遠ざけた悪虚は敵意の矛先を春彦に向けた。触手が春彦へと向かう。


「春彦くん!」


 手を伸ばす菜緒子よりも前に動いた人物が居た。ーーー暁だ。


 暁は無数の触手が春彦に届く前に、悪虚の頭部を刀で一突きした。やがて硬直した悪虚は倒れながらチリとなって地面に消える。取り憑いた悪虚が消え力尽き意識を失った春彦を、暁が片腕で支えた。


「検査はもういいだろ。コイツはもう十分頑張った」


 八城はニッコリ笑って栄の方へ向き直る。


「というわけで栄議長、彼は委員会の霊力検査クリアしましたよ」

「八城!お前危機管理はどうなっている!危うく我々にも危害が及ぶところだったぞ!」

「足尾副議長、落ち着きましょう」


 入相が足尾なだめる。栄は春彦を一瞥(いちべつ)した。


「いいだろう。今は廃止されたとはいえ、これは委員会の定める霊力検査だ。よって神崎春彦の霊力証明を認め、委員会への加入を許可する。並びに延珠安綱に関しては、三課は不問とする」


 栄はそれだけ告げると、足尾と入相を連れて部屋から出ていった。


「どこでこんな方法を知ったのよ。まさか幹部のデータベースに不正にアクセスしたんじゃないでしょうね」

「やとしたらこんなん『僕が犯罪者ですー』って自白するようなもんやん。そんなことせんでも、これは二十年前までは当たり前に行われてた正規の霊力検査やねんから、当事者に聞けば当時の様子を知れる」


 菜緒子はハッとした。この方法が運用されていたということは、当然この方法で委員会に加入した人達が居る。菜緒子自身は悪虚から霊力を吸収された経験は無いが、その経験はからPTSDに陥る戦闘員も過去複数居た。春彦もきっと耐え難い苦痛を味わったはずだ。


「誰からこんなことを?」

「内緒。でも今も在籍してはるよ」


 そんな恐怖を最初に味わってなお、今もなお在籍してとなるとかなり限られてくる。ふと彼の上司を思い出した。彼女ならーーー。

 不意に刀を鞘に納める音がした。暁が春彦をおぶさっている。


「春彦を医務室に連れていく」

「お願い。……暁」


 立ち去ろうとする暁を呼び止める。


「朔ちゃんを部屋から出してくれたのね」


 暁は背を向けたまま答えた。


「話は八城から先に聞いてた。この光景を朔に見せるわけにはいかない。だが春彦は違う。この組織に入るからには、組織の闇の部分を知っておいた方がいい。知らないで通ることは出来ない」


 そう言って部屋を出ていく暁に、菜緒子はそれ以上声をかけることが出来なかった。






 目が覚めると誰かにおぶされていた。その背中は細身で無駄な肉が無い。しかし華奢でもない。ほどよく筋肉質で、普段からしっかり鍛えられているのが分かる。


「起きたか」


 その時初めて春彦は、自分が暁におぶされているのだと気づく。


「ぅ……」


 言葉を発しようとしたが、まだめまいがして呻いた。


「辛いだろ。もうすぐ医務室だ」

「……悪虚は」

「俺が倒した。ーーー悪虚は恐ろしかっただろう」


 恐ろしかった。いつも刀を持っていた時は何とも感じなかったのに、悪虚に取り憑かれ、身動きが取れなかった。目前で巨大化する悪虚を見つめている間、心臓をきゅっと握られているような感覚で、呼吸さえうまく出来なかった。春彦は暁の首に回していた腕に力が入る。


「悪いな、八城が止めなきゃ俺が菜緒子を止めてた。俺達を恨みたきゃ恨め。その権利がある。だがお前を殺させない為には、どんな目に遭っても入ってもらわなきゃならなかった」


 今この苦しさを味わってなお、まだ死んでないというなら、死ぬ時はどんなに苦しいだろうか。でも死にたくなければここに居なければならない。ひどい矛盾だ。


「……朔も昔、悪虚に取り憑かれたことがある。だから今日の検査から遠ざけた」

「朔が…?」

「霊力を意識を失うまで奪われ、緊急搬送された。その後委員会の医療員に霊力治療を施され、多額の負債を負った。でもすぐに戦えたわけじゃない。朔はその恐怖体験からなかなか抜け出せなかった」

「あの朔が……」


 そんな過去があったなんて、今の姿からは想像がつかない。だが少し()に落ちたのは、朔の悪虚に対する殺気に満ちた目だ。ほんの少しの慈悲もなく、ただひたすらに殲滅する姿から怒りと恨みを感じるのはそのせいだったのだ。


「それでも必死の努力で克服して、やっと戦えるようになったって時に、霊力量を見込まれ和歌山に異動になった。だが奴らはすぐに朔を見放し、この三課に引き取った」


 暁は鼻で笑った。


「とんでもねークソみたいな組織だろ」


 確かにその通りだ。都合が悪ければ人の命を奪うことすらも(いと)わない。


「なぁ、暁はなんでここで戦うんだ」

「過去の自分を成仏させる為」

「自分を?」

「最初は何気ない気持ちで入った。無試験で公務員になれるんだからな。戦う中で、憧れる人と出会った。その人の役に立ちたいって心から願ってた。でもある日ーーー裏切られた」


 怒りも悲しみも無い、淡々とした声だった。


「何があったんだ」

「それは長くなるからまた今度な。でも俺は、そもそも裏切られたと思った自分がガキなんだって気付いた。俺の見る目が無かっただけなのに、勝手に傷ついた。でもあの時傷付いた自分がまだ心の中に残ってる。その自分を成仏させてやる為に、ここに居る」


 過去の自分と同伴するわけではないが、切り捨てるのでもない。暁らしいと思った。


「俺はただ死にたくないって思っただけなんだ。それでも耐えられるだろうか」

「十分な理由だろ。それにこの先ずっと辞められないわけじゃない。探すんだ。お前にとって最善の何かを。それまで俺や菜緒子、それに朔が居る」


 春彦の頬を頬を熱い何かが伝った。



 ※※※

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