1 始まりの刀
「暑い…」
今日は四月では歴史上稀に見る高気温を記録していた。じりじりと肌を刺す日差しの下、神崎春彦は腕をまくって軍手をはめて、花壇の雑草を引き抜き山積みにしていた。
「何でこんなに暑いんだよ。こんなに暑いなら、もう四月は春なんて名乗るのやめちまえ」
春彦は独り言を大声で言いながら、草をブチブチと抜いていく。
東京都芯兎区。高級住宅地の一角にこの自宅がある。塀とフェンスで囲んでおり、人の目にはつかないのでプライバシーやセキュリティの面は完璧。ただこの自宅に文句を付けるとしたら、それはこの庭だ。
庭の中に家庭菜園があり、かなりの広さを面積を有しているのだが、とにかく管理が大変だった。春夏は花壇の草むしり、水やり。秋冬は樹木から木の実を集め、枯葉を掃除する。その他季節ごとに違う野菜の手入れ。
やることが多くて疲れないのかと母親に聞いたら、手がかかる方が楽しいというのだから仕方ない。見かねた春彦がこうして時々手伝っている。
「さて、もう終わりだな」
終わりが見え始め、立ち上がって腰を伸ばすと、不意に嫌な予感がして眉をひそめる。
(あ、久しぶりに近いな。この感じ)
春彦は時折直感で嫌な予感を感じることがあった。胸騒ぎがするようで、何か気配を感じるのだ。いつもその方向に出向くことはないが、今日はすでに近く感じる。こういう時は少し家の中で様子を見る。
休憩も兼ねて家に入ろうとした時だ、突然、背後でドォンッと大きな音と爆風が吹いた。
「え…?」
何が起こったのかと恐る恐る振り返ると、視界が見通せないほど土煙が舞っていた。目を凝らして見ると、地面に大きな穴を開いて、その中心に刀が突き刺さっていた。それも鞘ごと。
「…不法投棄?」
としか思えない。空を見上げても何も無い。一体誰のものなのか、そもそもどこからやって来たのか分からない。
しかし不法投棄にしては勿体ないことをする。刀の柄は黒色、鞘は臙脂色。サイズ的に太刀だろうか。地面に垂直に突き刺さり、刀のだというのにどこか堂々としているように感じる。何よりこの今の衝撃で折れるどころか傷一つ付いていない。
たった一振の刀なのに、荘厳な雰囲気を醸し出していた。
「何なんだよこれ…」
ふと隣を見やると、頑張って積み上げた草がさっきの爆風で辺り一面に散らばっていた。春彦はうめく。
「うっわ最悪だ…誰だか知らねーけど俺の努力を無にしやがって!」
苛立ち紛れに土まみれの軍手を投げ捨て、刀に歩み寄った。鞘を持って抜き取ろうかと思ったが、突然思い立った。気のせいかもしれない、むしろただ単に自分がそうしてみたかったからかもしれない。急に、刀を抜いてみたくなった。そうしろと誰かに言われている気がした。
柄に手を伸ばす。そういえば昔こんなシーンを本で読んだことがある。しかしそれはこういった日本刀ではなかった。
「和風のアーサー王かよ」
そして春彦の言葉通り、その刀を掴んだことが春彦の命運を決めた瞬間となった。
※※※
ーー二時間前。都内某所、ビル屋上のヘリポート。晴れ渡る空の下で一台のヘリが任務を待つ。
黒く分厚い装甲で覆われ、ガラスは防弾のもの。ここ日本で、しかも軍用機でもないのに、様々な特殊装備が備えられているのには訳がある。
ヘリの所属は『特定環境殲滅委員会』。表立って組織表には記されないもののれっきとした公共機関である特殊組織で、その成り立ちは組織内の人間でもごく一部の人間にのみ知られている。
謎の多い組織だが、ただこの組織の存在意義は『殲滅』にあることは確かだった。
ヘリに透明なガラスケースに入れられた刀が運び込まれる。
「リーダー、あれが時価総額五十億の刀ですか」
興味津々に眺めるチームメイト正門樹。短大を卒業したばかりでノリの軽さが目立つ。一係リーダーの柏木宗介はその雰囲気をそこそこ気に入っていた。年も近いし、堅苦しい他のメンバーよりずっといい。
だが今は彼の質問に複雑な表情を浮かべる。
「あれが単なる骨董品なら俺だっていくらか興味が湧いたさ。だがあの容器に入れられているというのが気になる」
「霊力遮断ガラスですか?」
「そう」
柏木のパーマの黒髪がそよ風が当たる。今日は天候にも恵まれ、ヘリの飛行には問題なさそうだった。
「あれは外部の霊力を遮断し、内側に結界のような効果をもたらす。わざわざそんなものに入れる刀が、ただの骨董品なわけがない」
「なるほど。その割に課長は何も言いませんでしたね」
「上層部に口止めされているんだろ。なのにその課長がわざわざ言ったことが気になる」
それはとても単純明快なことだった。
『決して直に触れるな』
正門は首を捻った。
「触ってはならない、なおかつ霊力と遮断しなければならない。もしかして刀は霊力を吸収でもするんでしょうか。なら僕達の装備として貸し出されるのは望み薄かなぁ」
柏木と正門、他一係のメンバーは全員帯刀している。それは一係に限らず、第一課以下一係から八係に所属する者の通常装備だ。
柏木は、ネオンカラーのステッカーで埋め尽くされた正門の刀を見やった。
「刀に容赦無くステッカー貼るタイプだからな。お前に貸し出される訳ないだろ。パソコンじゃないんだぞ」
「一枚あげましょうか?」
「要らん」
するとイヤホン型の無線機が通信を受電した。
「本部よりスピカへ、荷物の搬入完了。総員位置につくように」
本部のオペレーターからだった。スピカというのは一係のコードネームだ。柏木とチームメイトの目に緊張が走る。おしゃべりは終わりだ。
「こちらスピカワン、了解」
柏木はチームメイトを集め、ヘリに乗り込んだ。予め決められた位置に五人が座ると、刀を挟んで向かい合う形になる。
「スピカワンより本部、これより重要管理指定機密貨物の搬送任務を開始する」
「こちら本部。了解。ヘリを出発させる」
するとヘリのパイロットがエンジンをかけ、プロペラの回る轟音が機内に響く。午前九時、一係は東京本部を出発した。
ヘリは上空五百メートルを飛行していた。予想通り揺れは少ない。ある程度揺れたとしても刀は拘束具で留られているので、揺れで破損することは無いだろう。
この任務を任された柏木は前屈みになって手を組み、刀を観察した。柄や鍔にも装飾が施され、鞘は臙脂色。派手すぎない色合いが上品で、果たして刀身はどのようなものなのか興味が無いわけではない。
元々柏木は骨董品はおろか、刀にすら興味が無かった。だが日常的に日本刀を帯刀し、毎日手入れをすれば嫌でも知識を得る。
だから素人の柏木でも分かった。
(この刀、割と新しいな。歴史のあるものじゃないのか?)
先程の正門の言葉が脳裏をよぎる。
(霊力を吸収か。あの推測はあながち間違いではないだろうな。それならこの霊力遮断ガラスで覆うのも納得がいく)
柏木の前髪の下で、額に冷や汗がにじんだ。
(だが、人の霊力を吸い取る物質なんて聞いたことがない。一体この刀は何なんだ。何に使う。もしかして五十億という価値は、骨董品としての存在価値ではなく、利用価値にあるのか?)
ヘリの飛行は運行予定通り順調だった。しかしある地区の上空にさしかかった時、突如として霊力計測器が以上を示す。警告音を発し、数値を示す針が左右に揺れる。柏木はすぐさま操縦席を覗いて確認する。
「どうした!」
「霊力計測器がエラーを起こしています!」
「エラー?どうして!」
「近くで霊力の放出と流出を繰り返す何かがあります!」
「意味が分からん!」
思わず本音が出た。何かってなんだ。
すると今度は刀を見ていたチームメイトの甘利理江が柏木を呼ぶ。
「柏木!刀が!」
「何っ」
振り返ると刀が、まるで拘束具を振り切ろうとせんばかりに動いていた。
「嘘だろ…」
どういう超常現象なんだと混乱している内に、みるみる動きが激しくなり、刀は拘束具を引きちぎった。そして機内を飛び回って縦横無尽に暴れ、やがて防弾ガラスの窓を突破し、外へ出て地上に落下していった。
一瞬全員が呆気に取られ、目の前で起こったことが現実と信じ難い中、一番に動いたのは甘利だった。
「柏木くん!!本部へ報告!!」
※※※
ーー一時間前。空の上で起こった緊急事態は直ちに組織内で共有され、実働部隊全チーム緊張招集がかけられた。その中には第一課の他に、第三課も含まれていた。ただし三課は他の係が集まる会議室ではなく、自分達のオフィスで詳細を聞かされていた。
「これが事の顛末よ」
「えっ、五十億の刀が逃げちゃったんですか?落としたのではなく?」
刀が逃げた、という説明を聞いたチーム最年少の宇化乃朔は目をぱちくりさせた。刀に足でもついているのかと聞き返したくなる。それは隣で聞いていた宍戸暁も同様で、タバコの煙を吐き出してケラケラ笑いだした。指で叩いて灰皿に灰を落とす。
「逃げたって何だよ。ホントは失くしたんだろ?」
「それが事実みたいで。機内のカメラに映像が残っていたし」
第三課課長の徒塚菜緒子が困った表情で答える。艶のあるロングストレートの黒髪美人で、困っている姿にも彼女の知的さが滲み出る。
「だからって動物でもないのよ?研究班が言うには、今まで微動だにしなかったらしいわ。ただ…」
「ただ?」
「任務開始前に説明されていたのは、刀に『触るな』という一言だけ」
すると暁の顔色が眉をひそめる。
「探して欲しいくせに触るなだぁ?現場舐めてんのか」
「これは私が仕入れた裏情報なんだけど、刀は霊力を吸収する性質らしいの」
「どの程度の吸収ですか?」
「データからの推定だけど、吸収量は人が一人保有する霊力量をゆうに超えるわ」
しん、と沈黙が部屋に落ちた。
「んなもん、一般人が触れれば霊力欠乏症で即死だぞ。一係でも無事じゃ済まねぇ。一係はそれを一課長から聞いてたのか?」
菜緒子は静かに首を横に振る。暁はタバコを咥えながら怪訝そうに目を細める。
「だから霊力遮断ガラスにも入れられていた。でも何らかのイレギュラーによって、刀に霊力が触れて暴走した。一係の注意管理が足りなかったんじゃないかって『上』は判断してる」
「知らねぇんだから注意しようがないだろ。腐った組織だな。よし、俺はもう降りた」
「えっ」
朔の口から思わず驚きの声が漏れた。暁は笑って飄々とタバコをふかしている。それが冗談か本気かはともかく、彼がこういった類の発言をするのは珍しい。いつもはどんな困難にぶつかっても笑って当たってぶつかるタイプなのだが。心なしかタバコを進めるペースも速い。
すると暁の発言に菜緒子がブチ切れた。
「何言ってんのよ!!バカ言ってないでさっさと出動!タイムイズマネー!あと室内禁煙って何回言えば分かんのよ!横にいる朔ちゃんはまだ未成年なのよ!」
菜緒子は怒ると激昂するタイプで、持ち前のクールビューティーはどこかに蒸発してしまう。
しかし暁は菜緒子の叱責を聞き流し、何の悪気も無さそうにケラケラ笑って新しいタバコを咥えた。彼は二十一歳で重度のヘビースモーカー。三課のオフィスにはガラスの灰皿が常備されている。禁煙も何もあったもんじゃない。
「確かに実働部隊序列一位の一係には同情の余地はあるが、アイツらの尻拭いを俺達第三課にさせるのはお門違いじゃねーか?」
菜緒子はニヤリと笑って自分の長い黒髪を払った。
「これを尻拭いと取るか、第一課を出し抜く千載一遇のチャンスと取るかの違いじゃないかしら?」
菜緒子は前向きな性格であり、どこまでも手柄に貪欲な人間だった。ここぞと言う時は日頃のいざこざなんて気にせず、結果のみを追い求める。
暁は煙を吐き出し、「なるほどねぇ」と呟く。
「ま、五十億の刀がどんなもんか拝んでやるのも悪くねーよな。行くか」
タバコを灰皿に押し付け立ち上がった。
「朔ちゃん出動準備は?」
朔は張り切って手を挙げた。
「できてます!」
「よし。菜緒子、刀の最終観測地点は?」
「都内芯兎区よ」
「超金持ち地区だな」
「やっぱり時価総額五十億だからお金持ちに呼ばれちゃったんですかね」
朔の冗談に暁は声をあげて笑った。
「アッハッハ!朔ちゃん、俺もそう思うわ!きっと一係より自分にピッタリなご主人様を探しに旅に出ちまったんだな」
暁はベルトのホルダーに刀を腰に差す。
「では、第三課チームシリウス出動する」
「了解」
「菜緒子フォロー頼んだ」
「了解。二人とも気を付けて」
暁と朔は他の係を出し抜くべく、オフィスを出た。
※※※