第九十八話「素の」
(まだ見せていない技は一つだけ。無駄使いは出来ない)
今の紅が会得出来るレベルの技は、決定力か安定性に欠けているものが多い。
何度も見せればすぐに見破られ、決まらなくなる。
特に元プロの目は誤魔化せない。
紅は大量の技で初見殺しを繰り返しているだけなのだ。
(『北風』!)
紅はやや離れた位置から台の角に向けて打つ。
志織も半歩下がって打ち返す。
(『スピンコート』)
『北風』には特殊な回転がかかっていない。
簡単に上塗り出来る。
「つ」
ラケットに当てた瞬間、左側へ流れてアウトになった。
(『スパイラルドライブ』)
長めの下回転は『スパイラルドライブ』の格好の的。
これを返すのは至難の業だ。
(あと一点が、遠い)
早く切り札を使いたいが、焦ると無駄にしてしまう。
最後の一点で粘る志織を紅は恨めしくさえ思った。
「紅もかなりバテていますね」
紅のスタミナは尽きかけ、動きは精彩を欠いている。
それこそ、一発分の力しか残っていない。
「はぁ、はぁっ」
息を整えながら考える。
(もっと集中。真珠みたいに、深くまで)
余計な事に体力を使わず、目の前の点を取る事だけを考える。
紅の精神がどんどん冷たくなっていく。
(ふうん、目が変わったな)
次が正念場だと志織は直感した。
「ふっ!」
志織のドライブが紅のフォアに炸裂する。
(『ワンダーナックル』)
回転量の少ないドライブで迎え打つ。
通常のドライブと似たようなフォームで打てるため、相手からすると見分けにくい。
予想外に回転量が少なければ浮いてチャンスボールになってしまうだろう。
(浮いたか)
志織は『ワンダーナックル』で浮かされても冷静だった。
紅のスマッシュをさらに一歩下がってブロックする。
(『浮草の波紋』)
ネット際に落とす。
こちらも回転がほとんどかかっていない。
短い球を読んでいた志織は既に前に詰めてきていた。
(来る)
紅の思考が加速する。
死の間際に走馬灯を見るように、時間がゆっくりと流れているように感じる。
(使える技は、無い。全部使っても決め切れなかった)
紅は手札を全て見せてしまった。
ここまでやって勝ち切れなかったのは純粋に紅の実力不足のせいだ。
(それでも!)
紅はラケットを強く握る。
膝を落とす。
床を蹴る。
(諦めないっ!)
紅の心が再び熱く燃え始める。
志織に叩き込まれた渾身のフォアハンドを紅のグリッドプライドが捉えた。
技を使い切った紅は素の攻撃力で志織に挑む。
(こっちも良いじゃないか)
数々の技を習得する過程で、紅の地力は上がっていた。
紅の強みは技の連発だけではなくなっていたのだ。
「ゲームアンドマッチトゥ紅」
克磨はどことなく満足げに言った。
「やったな紅!」
「勝つと思ってたよ!」
「わっ!?」
春呼と真珠が飛びつく。
紅の疲れた顔に笑みが浮かぶ。
「私の負けだ。見事な試合だった」
志織が手を差し出す。
紅はラケットを右手に持ち替え、左手を握り返す。
「ありがとうございました!」




