裏切りー3
三
結婚式まで後ひと月という時になって、哲志の会社の同じ部署の方や同期、そして大学の学部の友達でそれぞれお祝いと称しての飲み会が頻繁に行われるようになっていた。私も会社の同期や大学の友人達と会ったりしてお祝いしてくれたりしたけれど、あまりに頻繁なので哲志に一度釘を刺しておこうと思った。そんな時また哲志からLINEが入った。
『一華、今日も遅くなる。今日は学部の面子。』はぁ、またか、私の口から溜息がでた。ただまだ律子の時のような心配はないものの、やはり哲志の学部にも女性はいるだろうしとも考えてしまう。集まるのは男性ばかりだからと言われていても、私を不安にさせないために言っているだけではと勘繰ってしまう。私は未だに彼を信じきれていないのかもしれない。
私達は同じサークルだったけれど、サークルのメンバーでの飲み会はお互いに行かないようにしていた。それは律子に会いたくないからって言うのもあったけど、サークルメンバーは割と地方出身だったり、また地方に就職したり点でバラバラだったので、大学を卒業してから会うことも稀だった。
今日も一人ご飯かぁと思いながら、LINEを閉じようとした時、色葉さんから電話が入った。
『一華ちゃん、まだ仕事?』
色葉さんに今から帰るところだと伝えると、今日向葵ちゃんのお宮参りをして、色葉さんとお母様が料理を作りすぎたらしく、よかったら来てくれないかとお誘いされた。私は『おめでとうございます。ではお言葉に甘えてお邪魔させてもらいます。』と伝え、電話を切った。
私は会社を後にすると、帰りに近くのショップでお祝いののし袋とペンを購入し、レジカウンター脇のあいたスペースをお借りしてのしがきをした後、お祝い金を入れ鞄にしまった。そして駅前のケーキ屋に立ち寄り、日持ちのするクッキーを購入した。この店のクッキーは口当たりが軽くて食べやすいので、手土産に持って行くのに丁度いい。色葉さんや灯真くんもお気に入りだ。
駅に着きすぐ来た快速電車に乗り込み、電車に揺られて三十分くらいのところに兄夫婦の最寄り駅がある。私達の家の最寄り駅より少し手前の駅で降りる。普通しか止まらないうちの最寄りの駅はその駅で乗り換え、さらに二駅程先にある。駅に到着し改札を出てからは、一階にスーパーのあるマンションの前を抜け、道路を渡り奥に進んで行くと、戸建が建つエリアがあるのだけれど、その中に兄夫婦の家があり、そこまで歩いて行った。電話では駅まで車で迎えに来てくれるって言っていたけど、兄はお酒飲んでるだろうし、そうなると色葉さんが迎えにくることになるので、私なりに考えて歩くことにした。まぁそこまで遠くもないしね。
兄夫婦の家の前にたどり着いて色葉さんに電話を入れた。
『もしもし、一華ちゃん駅着いた?』
『いや、もう家の前よ。扉開けてもらっていい?』
『えっ、直ぐ開けるわ。』そして少しして中から色葉さんが出てきて開けてくれた。駅まで迎えに行ったのにと言ってくれたけど、兄はお酒飲んでるかと思ってと返すと『赤ちゃんいるから、みんな飲まないのよ。さぁ、入って。』そう言って私は家の中に通された。
家に入りすぐにお祝いと手土産を渡し、洗面所で手洗いうがいをさせてもらいダイニングに入ると、テーブルにはご馳走が並んでいて、それを囲むように色葉さんのご両親や灯真くん、兄が座っていた。
私が挨拶をすると、『お疲れさん。』そうそこにいる人達に声をかけられ、私は『本日はおめでとうございます。それとお声かけ頂きありがとうございます。』と伝えた。そして兄に先に仏壇に手を合わせてこいと言われたので、隣りの和室に色葉さんと入って行った。
仏壇には二ノ宮の両親の位牌が納められている。チャッカマンで蝋燭に火を灯し、短い線香を三本立てた。
私達の両親は私が学生の頃に相次いで病に倒れた。父は私が高校三年の頃、心筋梗塞で突然だった。父の職場から母に連絡が入ったようで、母が兄と私の学校に連絡を入れた後、里帰りしていた姉と姉の子供と共に病院に向かったようだ。私は兄と駅で偶然会い、再度母に連絡をして病院内の指定されたところに行った。
私達が病院に到着した時には、父は既に息を引き取っていて、父が横たわっているベッドの横に、呆然とする母と泣いている姉の対照的な姿がそこにあり、姉の子は何もわからないまま、椅子にちょこんと座っていた。兄と私は父の姿を見て立ち竦んでいた。何で急にこんなことになってしまったのか。
私は何をしていいのかわからないまま時間は過ぎていて、その後父の葬儀は考えている暇もなくあっという間に終わっていた。そんな中でも母だけは気丈に振る舞い、涙ひとつ流さなかった。いや流せなかったと言うのが相応しいかもしれない。
全てが終わった時、私はこれからどうなるんやろうと漠然とした思いがあり、私自身は大学入試を控えていて、本当に受験していいのだろうかとも考えていた。まぁこの時は奨学金を借りて大学の費用は何とかなったのだけれど、母はこれからの生活をどうするのか、私以上に考えることは多かっただろうと思う。
父が亡くなって四年後に今度は母に癌が見つかった。癌に侵されて見つかった時には既に三期から四期だった。体もだるかったらしいが栄養剤を飲んで仕事に行っていたようだ。だから病院に行くのが遅れてしまった。
私がまだ学生であったし、まだ兄も社会に出てまだそんなに経っていない状態だったし、まして姉に至っては海外で小さい子供を抱えて生活しているから、一人で抱えこんでしまったのだろう。
手術はできなくて抗がん剤治療をしていたけれど、癌の種類があまり良くなかったのか、抗がん剤があわなかったのか、あっという間に肺に転移してしまった。そして治療の甲斐もなく、父の待つ天に昇っていった。
この時もどうすればいいだろうと思っていたけれど、自身がバイトをするのと、兄と、姉の旦那さんに協力してもらい、私が社会に出るまでの間は生活費を融通してくれていた。だから姉家族や兄家族には心から感謝している。
私は仏壇の両親に手を合わせた。色葉さんはそばにいて私を見守っていた。その後仏壇の蝋燭を消し、線香は短いものなのでそのままにして、色葉さんと一緒にダイニングに行った。
今日の主役向葵ちゃんは、リビングに置かれたバウンサーに寝かされていた。少し近づいてみると、隣りのダイニングのお爺ちゃんお婆ちゃん、パパ、灯真くんの声を聞きながらもスヤスヤ寝ていた。『可愛い寝顔だねぇ。』そう小さい声で横にきた色葉さんに言うと、『灯真の赤ちゃんの時そっくりだよ。』と同じく小さい声で囁くように言った。たまにこちらにお邪魔をしていたけれど、灯真くんの赤ちゃんの頃の面影を思いだせるわけもなく、母だからこそ覚えていることなのかも知れないなぁと感じていた。
テーブルに着くと、お皿とお箸が用意されていた。『頂きます。』目の前のご馳走に箸をすすめた。『美味しいー。』思わず声をだすと、色葉さんがそれは母が作ったのよと言っていた。それは蓮根の挟み揚げのような感じだけれど、揚げてないのかなぁ、それで色葉さんのお母さんに気になって聞くと、いったん両面に焼きめをつけて、醤油だしで煮込むのよと教えてくれた。あと中のお肉は鶏肉で生姜や玉ねぎや葱も入っているらしく、あっさりして食べやすかった。他には筑前煮があったり、アボカドやトマトきゅうりなどを混ぜたサラダだったり、ご飯はホールケーキのようなチラシ寿司になっていた。その他にも鶏の唐揚げだったり、マグロやえびの生春巻きもあった。彩りも美しい料理に舌鼓を打って十分頂いた後、『ご馳走様でした。』そう言って私は箸をおいた。
食べた後は後片付けを手伝い、食後のコーヒーを頂きながら、今日のお宮参りの話になり、写真や動画を見せてもらった。向葵ちゃんはお婆ちゃんに抱かれて大人しくしていたけれど、神主さんの祝詞が始まるとしばらくして、しっかりした鳴き声をあげていた。灯真くんはその様子を横目で見ながら、パパとママの間の椅子に背筋を伸ばして座っていた。灯真くんに『ちゃんと座ってて偉かったねぇ。』そう言うと、誉めて貰ってるとわかったようで嬉しそうにしていた。
しばらく皆んなで話をしていたけど、お婆ちゃんの膝に座っていた灯真くんは眠そうにしていたので、色葉さんと歯を磨きに行きパジャマに着替えてから、『おやすみ。』と私達に声をかけてお婆ちゃんと一緒にダイニングを後にした。今日はお婆ちゃんと一緒に寝るのだそうだ。
そのあと哲志の話になった。最近飲み会の頻度が多くてと困ったように話すと、色葉さんのお父さんが、哲志くんがどんな友人と会ってるのと聞いてくれたので、携帯にあった学生時代の写真をお見せした。たまたま卒業の時に哲志の学部の子と一緒になったので写したのだった。それとついでにサークルのメンバーの写真も見せた。それらの写真を見ながら、よく飲みに行くメンバーがこの子達で、この前兄に釘を刺してもらった人物がこの子です。そしてこの子がちょっとお節介気味な子でと話をした。すると、色葉さんのお父さんが、
『やっぱり、あれは哲志くんだなぁ。飲み屋に行ったら見かけるから。』それを聞いて驚いた。兄のように真っ直ぐ家に帰られると思っていたので、意外だなぁと思った。私が驚いた顔をしていると、『たまにはね、同じ事務所の子達を労うんだよ。その時にね、今月はニ度ほど見てる。』
『今日帰ったら注意しようと思ってたんですけど、今日もLINEで飲み会の連絡がきていたので。』
『うーん。そうか。じっくり二人で話あった方がいいなぁ。』そう言ってくれた。色葉さんのお父さんは、父が生きていたらこんな風に言ってくれたのかなぁと思わせてくれるような、温かい眼差しだった。
その他にも仕事の話とかもしていたけれど、時計を見ると十時を少し回っていたので、そろそろ帰りますと言って席を立った。
駅までは兄が送ってくれるって言っていたけれど、色葉さんが兄に、『夜道は危ないし、嫁入り前なんだから、家まで送ってあげて。』と言ってくれて、結局家まで兄の車で送り届けてくれた。
兄とマンションの前で別れてから、家の玄関を開けても哲志はまだ帰っておらず、LINEも入ってなかった。
『哲志どこにいるの?』そうメッセージをしても、既読もつかず、私はさっさとお風呂を溜めて入り、身支度を整えてから寝室に行き布団に入った。
布団に入ったのはいいけれど、中々眠れなかった。それから三十分くらい経った日付けが変わった頃に、玄関の開く音がした。
私は布団から出て、帰ってきた哲志に言った。
『哲志ちょっといい、あのさ、もう結婚式までひと月切ってるの。こんな遅くまで何考えてんの。何かあったらどうするの。』そう哲志にちゃんと聞いてほしくて言っても、のらりくらり交わされるだけだった。私は彼が週に4回は飲んでること、結婚式まで時間ないから気を引き締めてもらいたいこと、このままじゃ結婚式で大変なこと起きかねないってことを真剣に伝えたけれど、酔っているので話にならない。
『一華は心配症だなぁ。明日は早く帰るからぁ。』そう言って話を終わらせてしまった。
私もこのまま話をしても無駄だと思ったので、私は明日もう一度話をしようと言って、一人寝室に行き布団に入って眠りについた。哲志はこの後リビングでそのまま着替えもせずに寝ていたようだった。
翌日の朝哲志に昨日の事覚えてるのか尋ねると、『ごめん、覚えてない。』と言われた。哲志は酔うと次の日には忘れていることがよくあるので、いつも確認するようにしているのだけれど、私はいつものことながら、大きく溜息をついた。そして再度、結婚式まで一ヶ月切ってるので気を引き締めてほしいこと。今月になってから週四行ってる飲み会をいい加減控えてほしいこと。それを伝えると『ごめん、でも、今日も約束あるんだけど。』そう言ってきたので、朝から呆れて哲志に言い放った。
『断って。何度も飲みに行く必要ないでしょ。昨日も酔ってる時、明日は早く帰るって言ってたんだけど約束破るの。これ以上続くなら、私もやっていけない。好きにすれば。』
そう言うと『でも…。』と言いかけたので、あなた前科あるんだからと一番哲志が気にするであろう言葉を発していた。意地悪なことだとわかってる。けれど私にとっても一番不安になることだったのだ。
『あっ、あれを今持ち出すのかよ。』
そう言ってきたので、そして最後通告のように今日行くなら覚悟してと哲志の顔を睨みつけるようにして私は伝えた。そうすると、沈黙のあと『わかった。』と返事したので、それを聞いて私はさっさと家を出た。
話合いっていっても、一方的に私が責め立てる感じになってしまったけれど、これくらい言わないとまた前の律子の時みたいになぁなぁになってしまって、困るのは哲志自身でもあるのに、それに私のことちゃんと考えてくれているのだろうかとさえ思ってしまう。こんなもやもやを抱えたままにして、結婚していいのだろうか。結婚後の生活もやっていけるのだろうか。私はまた溜息をつき、駅までの道を早足で向かった。
仕事をしている間はそちらに集中できるので、その他の余計なことは考えなくて済む。今日はあまりにも集中し過ぎて、昼過ぎぐらいまでかかる入力作業が昼までの間に終えてしまったぐらいだ。
昼休憩の時間になり、同期で同じテーブルに着いたとき、また私は溜息をついた。
『二ノ宮、どうした?』山田に声をかけられた。
『ああ、ちょっとね。』そして山田と宮本と佐野に昨日からのことを話をした。
『それで、二ノ宮はどうしたいの?』そう宮本が効いてきた。正直それを言われて言葉に詰まった。今日真っ直ぐ帰らなければ覚悟しろとは言ったけれど、自分でもこのまま結婚していいのかわからずにいたからだ。
『ねぇ、迷ってるんだったら結婚延期すれば?それでその間に再度見極めればいいんじゃない。』
そう佐野に言われて今更とも思ったけれど、もう一方で確かにそれも一理あるなぁとも思っていた。
『なぁ、話し込んでるとこ悪いけど、そろそろ食わねぇ?時間なくなるよ。』
『あっ、ごめん。そうだね。食べよ食べよ。』
そう言って、私達は箸をつけた。食後は話題を変えて四方山話をして残りの時間を過ごしていた。
今日は仕事を早く終えることができたので、帰りにスーパーに立ち寄って帰ろうと思っていた。それで会社を出たところで哲志に、スーパーで買物して帰るので晩御飯何がいいかとLINEをすると、電話がかかってきた。
『もしもし、一華。』何故か周りが騒がしい。
『ちょっと今何処にいるの?』私は冷たい口調で言葉を返した。すると今会社出たところだけど、会社の前で岡本達につかまってと言ってきた。その名前を聞いた瞬間頭がサッと冷えてきて、これはダメだなぁと思い始めた。すると電話変わるわと言って岡本くんが電話に出た。
『よぉ、久しぶり。昨日も哲志と飲んでたんだけどさぁ、今日また誘ったら、何か今日は飲み会行くのダメって言ってるんだって聞いたからさぁ、そんなんじゃあこの先やっていけないよ。』
『そうだね。』
『じゃあさ、いいだろ。飲み会ぐらい。』
『哲志に伝えてくれる。』
『うん、伝えるよ。』
『あなたとはもうやってけない。さようなら。』
『えっ。変わるわ。』そう言った瞬間、慌てて哲志に電話を変わったようだけど、私は『さようなら。』と伝えて電話を切った。再度哲志から折り返しがあったけど、一切無視をした。
『今から帰る。』そうLINEがきていたようだけど、そんなのどうでもよかった。
私は予定を変更し、そのまま自宅に戻り自分の荷物を纏めはじめることにした。けれど、哲志の方がひと足着くのが早かったらしく、私の邪魔をされることになってしまった。
『一華、ごめん、俺。』
『…勝手にすれば。もう無理だから。』
『そんな、今日はたまたま岡本が待っててさぁ。今日は行けないって言ったんだよ。一華と約束してるからって。そしたら電話変われって言うもんだから変わったら、あんなこといい出して。ごめん一華。』
私は哲志を無視をして、箪笥の引き出しから自分の服を次々と出していき、次々にスーツケースに詰め込んでいった。哲志は悲痛な声で話を聞いてくれと言っていたけど、『裏切り者。結婚前に気づけてよかったわ。』一言それを言って、その後何をいわれても無視を続けた。
『俺、羽目を外し過ぎたよ。結婚に浮かれてた。ごめん。でも、一華とのことを祝ってくれることが嬉しくて、だから…ごめん。』そう言って、膝から崩れて泣き出してしまった。今更泣いても遅い、昨日も大学の学部の仲間との飲み会だった。ただあのお節介な岡本がいたって知らなかった。あいつがいたということは律子がいた可能性が高い。しかも昨日は日付けが変わって帰ってきてる。とても受け入れられない。哲志は泣きながらも私に縋ってきたけれど、私は容赦しなかった。
『あのさ、邪魔しないで。許せないから、もう信用もできない。』
『…ごめん。もう飲み会は全て断るし、真っ直ぐ帰ってくるし、岡本の連絡先もブロックするし、だから。なぁ、一華、俺一華無しでは生きてけない。』
私はその後もずっと無視をし続け、荷物を纏め終わると兄に電話をした。何回目からのコールで兄が電話に出てくれた。そして今日これから家に泊めてほしいと伝えると、すぐに家まで車で来てくれるとのことだったので、荷物を玄関まで運び、喉が乾いたのでダイニングに行き冷蔵庫からお茶をとりグラスに入れて、一気に飲み干した。
哲志は横で項垂れていたが、私は彼が身から出た錆で、自分の行いのつけが回ってきただけなので、その姿を見ても、私の心は動かなかった。
しばらくすると家のインターフォンが鳴ったので、玄関扉を開けると、兄が家に入ってきた。これまでの事情を話すと、一つ溜息をついて、私にこう言った。
『一華、お前も一度冷静になれ。今日は家に泊まったらいい。だけどな、もう一度冷静になってから話合いをしろ。ちょっと今は感情的になり過ぎてる。』
『哲志くん、君も嬉しいのはわかるが、限度があるだろう。君も一度一人になって考えてみるといいよ。今日は一華を預かるから。』
そう言って私は兄と共に家を出た。