8【アクアマリンの宝物】
「こんにちは、アクアマリン。」
柔らかな女性の声がして、アクアマリンは湖の中から顔を出した。
声の先には、金色の長い髪を靡かせた細身の女性が立っていた。
「カルラ~! 今日も来てくれたんだ~! 」
古き森の奥にある小さな家、カルラはその家に聖霊石達と暮らしていた。
水の聖霊であったアクアマリンは、人魚の姿をしていて、家の近くの湖に住んでいた。
カルラはいつも、アクアマリンに会いに来てくれていた。
「えへへ、カルラが来てくれるの嬉しいな~! 」
「わたしもアクアマリンに会えると元気が出るわ。」
ぱしゃぱしゃと水を跳ねさせながら、アクアマリンが湖の中を嬉しそうに泳いだ。
「アクアマリン。」
「ん? なぁに? 」
「私ね、お腹に赤ちゃんがいるみたいなの。」
まるで何でもないことのように。
今日の天気でも話すように、さらりとカルラは言った。
「あかちゃん。」
「そうなの、どうやらもうすぐ産まれるみたいなの。」
「へ~、魔女のあかちゃんって突然産まれるんだねぇ。瓶の中で産むんだと思ってたよ~。 」
「それはホムンクルスね。魔女の妊娠期間はとても長いのよ。時間をかけて魔力を与えて産み落とすと聞いているわ。だから産まれる直前まで妊娠に気付かないんですって。」
「そ~…なんだぁ…。」
「……わかってないわね? 」
正直な話、アクアマリンはカルラの話の半分も理解していなかった。
聖霊は子どもを産まない。
だから、出産して子孫を残す人間や魔女達の生態を詳しく把握していない。説明されても上手く理解が出来なかった。
「とにかくね、もうすぐ赤ちゃんが産まれるから、アクアマリンにしばらく会えなくなっちゃうかもしれないの。」
「え!? どうして!? 」
それは嫌だとアクアマリンは思った。
モルガナイトが眠りについて以来、アクアマリンをまともに構ってくれる相手は、このカルラだけだった。
他の聖霊石達はカルラと同じようにあの小さな家に住んでいて、滅多にこちらに来てくれない。
風を司るエメラルドに浮遊魔法をかけてもらえば、家に行くことが出来るのだが、アクアマリンが来ると騒がしくなるからと、滅多にしては貰えない。
エメラルドは物静かな聖霊で、騒がしい場所が嫌いなのだ。
水の魔法で無理やり行っても良いのだが、あちこち水浸しにしてしまい、カルラに迷惑をかけてしまうことになる。
大好きなカルラの迷惑になることはしたくないなと、アクアマリンは遠慮していた。
「赤ちゃんを無事に産むまではあんまり動かない方がいいのかなって……。ごめんなさい、アクアマリン。」
「……。」
「私も出産なんて初めてで、少し怖くなってるのかもしれないわ。」
「…それはそうだよね。」
人間の出産はいくらか見たことがある。
どの女性達も命がけで赤ん坊を産み落とし、時に命と引き換えに産んでいた。
今誰より不安なのはカルラなのだ。少しカルラに会えないからと、我が儘を言ってはいけない。
ぐっと唇を引き結び、アクアマリンは落ちていた気を引き上げた。
「大丈夫だよ! カルラが元気な赤ちゃん産むまで、ここでお留守番してるね!! 」
「……うん、ありがとうアクアマリン。それと、ね。」
カルラは言いづらそうにもじもじした。
「? なぁに? どうしたの? 」
「え……とね。」
「うん。」
「この子の、……お父さんなんだけど。」
「おとうさん。」
カルラの言葉を繰り返して、アクアマリンは目を見開いた。
そうだ、子どもというのは男と女がいなくては生まれない。
カルラという母親がいるのだから、勿論父親がいるはずなのだ。
「……え? ……あっ!? …あーーー!!!!!! 」
「ふふふ。そうなの、気付いてくれた? 」
カルラは悪戯が見つかった子どものように笑っていた。
その笑顔はとても幸せそうで、この上ない幸福に満ちている。
アクアマリンは瞳を輝かせてカルラのお腹を見た。
信じられない気持ちでいっぱいだった。
もう、自分達しか残ってないと思っていた。
水が欲しいとお願いされて、思わず契約した魔法使い。
その魔法使いの生きた証が、自分達以外にあったのだ。
カルラのお腹に宿った小さな命。
大好きなカルラの赤ん坊は、大好きだった魔法使いの赤ん坊なのだ。
だからその時決めたのだ。
大好きなカルラと魔法使いの宝物。
もういなくなってしまった魔法使いのために、アクアマリンが守るのだと。
***
カルデラの町は賑わっていた。
十四年ぶりに、枯れていた湖に水が戻ったのだ。
奇跡だと誰もが口々に言い募り、お祭りだと町中で祝っていた。
「騒ぎになったな。」
「……。」
モルガナイトの諫言がミーシャの耳に突き刺さった。
考慮はした。夜明け前の人目のない場所で魔法を行使し、迅速に回収し撤収しようと。
しかしそんな計画は大概上手くいかないものである。
計画や目標なんかは半分達成すれば十分だと、古き森の魔法使いもよく言っていた。
「もっと上手く立ち回らないからこう言うことになる。……見ろ、あんなに人が集まって。………おや、魔女と人魚を見たと騒いでいるぞ。姿まで見られて…。はぁ、嘆かわしいな。」
「……騎士がいたとも言ってるみたいよ? この辺りに騎士がいるなんて珍しいわ、誰かしら? 」
バチリと視線が噛み合った。
ミーシャだけの落ち度ではない。モルガナイトも派手にやり過ぎていたと思う。
ミーシャなりの小さな反撃であった。
「そうだな、誰かさんがもう少しまともにアクアマリンを御せていたなら、ここまでにはならなかったろうな。それもこれも、カスみたいにショボい魔力のせいで…。」
「ショボ…!? 」
「おっと、これはお許しをご主人様。……魔力がショボいのがコンプレックスとは露知らず。」
「……本当に失礼な人ね!! 」
真っ赤になって言い返すと、意地の悪い笑みを向けられた。
思い切り馬鹿にされている。
ギリギリと思わず歯ぎしりをしながら、ミーシャは怒りを耐えようとした。
「ごめんなさぁい……。元々、私のせいだよね…。」
「そうだな。」
「ちょっと!?」
アクアマリンのしおらしい謝罪を、モルガナイトは容赦なく両断した。
「何を庇う? そもそもアクアマリンが原因だ。」
「それは、そうかもしれないけど。」
「元より神秘とは秘匿されるべきもの。一般人の目に晒すなど言語道断だ。……まさかお前、人に捕まった魔女や魔法使いが、どんな目に合うか知らぬ訳ではあるまい? 」
ミーシャは言葉に詰まった。
魔法使いや魔女は多くない。人間の数に比べれば、その三分の一にも満たない。
それ故に特別であり、それ故に忌避されてもいた。
一般人の目に止まった魔女や魔法使いの行き着く先は、死か牢獄のみである。
悪くて、魔女裁判にかけられそのまま命を奪われるか。
良くて王宮付きの魔法使いにさせられる。しかし王宮付きとは牢獄とさして変わらない。数の少ない魔法使いや魔女達を、どこの国も戦力として狙っており、一度仕えてしまえば死ぬまで国に奉仕することになる。
多くの魔女と魔法使いは王宮付きとなることを嫌っていると聞いた。
魔女や魔法使いの安全を確保する一団も存在するらしいが、それも噂に過ぎず、どこに存在するのかも、どうすれば入れるのかも分かっていないらしい。
古き森の魔法使いは、その一団は存在すると言っていたが、詳しくは教えて貰えなかった。
「アクアマリン。お前、何故こんな所にいた? あの小さい湖に住み着いていただろう? 引っ越しか? そうか、広い家に住みたくなったか、そうかそうか。」
モルガナイトはくるりと向き直りアクアマリンに怒りの矛先を向けた。
「…あぅ。……ちがうの、その言い方やめてぇ…。」
「別に構わんぞ。前からあそこは嫌だと言っていたものな? 誰も来てくれないからと。だからって家の守護を放り捨ててこんな所にいるとはなぁ? 」
「そうじゃないのぉ…。」
モルガナイトの激しい嫌味に、一旦落ち着いていたアクアマリンが再び泣き出した。
すんすんと鼻をすすっている。
「モールやめて。」
「やめるわけあるか。大体こいつが……。」
そこまで言いかけてモルガナイトはあることに気付き、目を見開いてミーシャを見た。
その顔は驚きに満ちていて、同時に信じられないという風にミーシャの目を見詰めた。
その顔はみるみる赤くなっていく。
「私も気になるわ。どうしてあの家を去ってしまったの? お母様と過ごしていたのよね? 」
「……うん。」
ぐすぐすと涙をこぼしながらアクアマリンは頷いた。
「私に会いたかったと言ってくれたわね? なら、尚更あの家に居てくれたらよかったのに…。どうしてここに居たの? 」
「それは…。」
「よかったら教えてくれる? 」
ミーシャの真っ青な瞳がアクアマリンを写しこむ。
その瞳を真っ直ぐ見つめ返して、アクアマリンは再びポロポロと泣きだした。
そこに、誰かの面影を見るように。
もう会えないはずの誰かを、ミーシャの中に見つけたように。
アクアマリンは絞り出すよう、小さく小さく、言葉を紡ぎはじめた。