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王の後悔

掲載日:2021/05/10

 城門(じょうもん)が破(やぶ)られた。

 押(お)し入(い)ってきた兵士(へいし)たちの怒号(どごう)が城(しろ)の空気(くうき)を震(ふる)わせる。

 城(しろ)の内外(ないがい)で剣(けん)が交(まじ)わる金属音(きんぞくおん)が鳴(な)り響(ひび)く。

 城内(じょうない)を走(はし)り回(まわ)る兵士(へいし)たちの足音(あしおと)と「王(おう)を探(さが)せ」と叫(さけ)ぶ声(こえ)が私(わたし)を包囲(ほうい)せんとしていた。

 この城(しろ)は直(じき)に制圧(せいあつ)される。私(わたし)は捕(と)らえられ、断頭台(だんとうだい)に立(た)たされることになるだろう。


 嫌(いや)だ。


 私(わたし)は身震(みぶる)いした。

 自分(じぶん)が悪(わる)かったのだと分(わ)かっていても、惨(みじ)めに捕(と)らえられ、民衆(みんしゅう)の悪意(あくい)の視線(しせん)と怒号(どごう)が集(あつ)まる中(なか)に引(ひ)き出(だ)される姿(すがた)は、想像(そうぞう)ですら耐(た)え難(がた)いものだった。

 私(わたし)は剣(けん)の柄(つか)を握(にぎ)り、刃(やいば)を首筋(くびすじ)に当(あ)てた。

 だが、手(て)が震(ふる)えて押(お)すことも引(ひ)くこともできない。

 私(わたし)は剣(けん)を放(ほう)り投(な)げた。


 情(なさ)けない。なんて情(なさ)けない。


 隠(かく)れていた部屋(へや)の扉(とびら)が蹴破(けやぶ)られ兵士(へいし)が飛(と)び込(こ)んできた。

 私(わたし)は反射的(はんしゃてき)に逃(に)げ出(だ)した。どこをどう逃(に)げ惑(まど)ったのか、気付(きづ)くと窓際(まどぎわ)に追(お)い詰(つ)められていた。

 兵士(へいし)は怒(いか)りで訳(わけ)のわからない言葉(ことば)を叫(さけ)び剣(けん)を振(ふ)り上(あ)げた。

 私(わたし)は「ひいっ」と情(なさ)けない悲鳴(ひめい)を上(あ)げると思(おも)わず窓(まど)を押(お)し開(ひら)いていた。そしてそのまま、窓(まど)の外(そと)に転落(てんらく)した。


 こういう時(とき)は生(い)きたまま捕(と)らえるんじゃないのか。なぜ剣(けん)を振(ふ)り上(あ)げたんだ。殺(ころ)されるかと思(おも)ったじゃないか。


 落下(らっか)しながら馬鹿(ばか)なことを考(かんが)えたものである。

 次(つぎ)の瞬間(しゅんかん)、私(わたし)は地面(じめん)に衝突(しょうとつ)し息(いき)絶(た)えた。

 願(ねが)わくは、次(つぎ)の生(せい)では穏(おだ)やかな人生(じんせい)を送(おく)れますように。





 そして私(わたし)は目覚(めざ)めた。

 柔(やわ)らかい布団(ふとん)の上(うえ)で身(み)を横(よこ)たえる私(わたし)の目(め)に映(うつ)るのは、見知(みし)った部屋(へや)の風景(ふうけい)だった。

 とは言(い)え、それは私(わたし)が王太子(おうたいし)時代(じだい)に使用(しよう)していた部屋(へや)だった。

 あれだけの戦闘(せんとう)の後(あと)だ。こんなに綺麗(きれい)に残(のこ)った部屋(へや)などあるはずがない。

 私(わたし)はゆっくりと体(からだ)を起(お)こした。

 これは夢(ゆめ)か。それとも今(いま)までが長(なが)い夢(ゆめ)だったのか。

 少(すく)なくとも手(て)に触(ふ)れるものはすべて現実的(げんじつてき)で、とても夢(ゆめ)の中(なか)とは思(おも)えなかった。

 乳母(うば)が来(き)て、『殿下(でんか)』と呼(よ)ばれたので、やはり今(いま)は王太子(おうたいし)なのだと確認(かくにん)した。

 乳母(うば)が言(い)うには、私(わたし)は高熱(こうねつ)を出(だ)して寝込(ねこ)んでいたのだそうだ。

 私(わたし)が「もう大丈夫(だいじょうぶ)だ」と伝(つた)えると、乳母(うば)は安心(あんしん)して顔(かお)を緩(ゆる)めた。

 私(わたし)は今日(きょう)の年月日(ねんがっぴ)を尋(たず)ねた。寝込(ねこ)んでいたせいで時間(じかん)の感覚(かんかく)がはっきりしないというと、納得(なっとく)して答(こた)えてくれた。

 それは私(わたし)が十八才(じゅうはっさい)、高等学院(こうとうがくいん)の三年(さんねん)時(じ)、創立記念(そうりつきねん)パーティーの一月前(ひとつきまえ)だった。

 私(わたし)が長(なが)い夢(ゆめ)を見(み)ていたのか、これまでのことはすべて現実(げんじつ)だったが時間(じかん)を逆行(ぎゃっこう)してしまったのか、どちらかは分(わ)からない。

 だが、たとえすべて夢(ゆめ)だったとしても、あれが現実(げんじつ)には絶対(ぜったい)に起(お)こらないと言(い)い切(き)ることは、私(わたし)にはできなかった。

 充分(じゅうぶん)起(お)こり得(う)ることだ。ならばやり直(なお)さなくてはならない。もしすべて現実(げんじつ)だったとしたら尚更(なおさら)である。

 贅沢(ぜいたく)を言(い)えば、もっと前(まえ)からやり直(なお)したかったが、そんなことは言(い)っても意味(いみ)のないことだ。

 私(わたし)は早速(さっそく)、手紙(てがみ)を二通(につう)書(か)いた。

 一通(いっつう)は私(わたし)のこの時点(じてん)での婚約者(こんやくしゃ)である公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)へ。

 もう一通(いっつう)は私(わたし)の愛(あい)する人(ひと)へ。

 それは明日(あす)の早朝(そうちょう)、自習室(じしゅうしつ)への呼(よ)び出(だ)しの手紙(てがみ)だった。




 高等学院(こうとうがくいん)三年時(さんねんじ)の創立記念(そうりつきねん)パーティー。

 それは私(わたし)が後悔(こうかい)してもしきれない過(あやま)ちを犯(おか)した日(ひ)であった。

 その日(ひ)私(わたし)は大勢(おおぜい)の生徒(せいと)、職員(しょくいん)、招待客(しょうたいきゃく)がいる中(なか)で、公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)に婚約(こんやく)破棄(はき)を宣言(せんげん)したのである。

 公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)が私(わたし)の愛(あい)する人(ひと)に対(たい)して行(おこな)った数々(かずかず)の非道(ひどう)な仕打(しう)ちを並(なら)べ立(た)て、責(せめ)め立(た)てた。それが後(のち)にどのような事態(じたい)を引(ひ)き起(お)こすかを考(かんが)えもせずに。

 公爵(こうしゃく)は憤慨(ふんがい)した。当事者(とうじしゃ)一人(ひとり)の証言(しょうげん)だけで、ろくに調(しら)べもせずに娘(むすめ)に罪(つみ)があったと決(き)め付(つ)け断罪(だんざい)したことは赦(ゆる)しがたいと。

 父上(ちちうえ)にも「なぜ前以(まえもっ)て相談(そうだん)しなかったんだ」と、怒(おこ)られた。

 だが、当時(とうじ)の私(わたし)は自分(じぶん)が間違(まちが)ったことをしたとは微塵(みじん)も思(おも)っていなかったので、まったく聞(き)く耳(みみ)を持(も)たなかった。

 その上(うえ)公爵(こうしゃく)には、悪事(あくじ)を働(はたら)いた娘(むすめ)を庇(かば)うなら爵位(しゃくい)を剥奪(はくだつ)する、とまで言(い)ったのだ。

 もちろん、当時(とうじ)の私(わたし)にそんな権限(けんげん)はない。従(したが)う必要(ひつよう)など無(な)かったのだが、公爵(こうしゃく)は爵位(しゃくい)を返上(へんじょう)し一族(いちぞく)もろとも姿(すがた)を消(け)した。

 父上(ちちうえ)からしたら、そもそも婚約(こんやく)破棄(はき)自体(じたい)が間違(まちが)いだと思(おも)っているようだったが、それは今(いま)さら言(い)ってもどうにもならないことだと考(かんが)えているようだった。

 だが、さすがに公爵(こうしゃく)一族(いちぞく)が姿(すがた)を消(け)したことには気(き)を弱(よわ)くし、体調(たいちょう)を崩(くず)して寝込(ねこ)みがちになった後(あと)に亡(な)くなられてしまった。

 父上(ちちうえ)の死(し)は辛(つら)く悲(かな)しいものであったが、望(のぞ)み通(どお)り愛(あい)する人(ひと)を妃(きさき)に迎(むか)え、私(わたし)は上手(うま)くやっているつもりになっていた。

 少(すく)なくとも即位(そくい)後(ご)十年(じゅうねん)は何事(なにごと)もなく平穏(へいおん)に過(す)ぎていった。

 そしてある日(ひ)突然(とつぜん)、平民(へいみん)たちが蜂起(ほうき)したのだ。

 各地(かくち)で紛争(ふんそう)が起(お)こり、その対処(たいしょ)のために兵(へい)を送(おく)ったが、平民(へいみん)出身(しゅっしん)の兵士(へいし)たちの中(なか)には寝返(ねがえ)る者(もの)も多(おお)くいた。

 前年(ぜんねん)の天候(てんこう)不良(ふりょう)によりどこの農地(のうち)も不作(ふさく)だったにもかかわらず、税(ぜい)は例年(れいねん)通(どお)り払(はら)わなければならない。元々(もともと)、ギリギリの暮(く)らしをしていたのだ。これ以上(いじょう)はもう耐(た)えられないと、彼(かれ)らは口々(くちぐち)に言(い)った。

 たしかに、王妃(おうひ)の衣装(いしょう)や装飾品(そうしょくひん)のために税率(ぜいりつ)を上(あ)げてはいた。それだって徐々(じょじょ)にだ。いきなりではない。妻(つま)に「貴方(あなた)のためにいつも美(うつく)しい私(わたくし)でいたいの」と言(い)われて断(ことわ)ったら夫(おっと)が廃(すた)るというものだろう。

 彼(かれ)らを主導(しゅどう)をしていたのが元(もと)公爵(こうしゃく)とその一族(いちぞく)だと知(し)った時(とき)には愕然(がくぜん)とした。そして、憤慨(ふんがい)した。

 今(いま)さら何(なん)なのだと。あの時(とき)の恨(うら)みを晴(は)らしに来(き)たのかと。

 初(はじ)めの内(うち)こそ抵抗(ていこう)した。私(わたし)が王(おう)なのだ。逆(さか)らう者(もの)が悪(わる)いのだと。

 だが、王妃(おうひ)が逃(に)げ出(だ)したと知(し)って、私(わたし)の心(こころ)は折(お)れた。

 そしてあの日(ひ)を迎(むか)えたのだ。




 次(つぎ)の日(ひ)、私(わたし)は少(すこ)し早(はや)く学院(がくいん)に行(い)き、自習室(じしゅうしつ)で二人(ふたり)を待(ま)った。

 まず公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)が来(き)て、私(わたし)の体調(たいちょう)を気遣(きづか)う言葉(ことば)をかけてくれた。相(あい)変(か)わらず隙(すき)のない完璧(かんぺき)な振(ふ)る舞(ま)いだ。

 次(つぎ)に、私(わたし)の愛(あい)する人(ひと)が入(はい)ってきた。

 二人(ふたり)とも呼(よ)び出(だ)されたのは自分(じぶん)一人(ひとり)だと思(おも)っていたようで、お互(たが)いの顔(かお)を見(み)て驚(おどろ)いて「あっ」と小(ちい)さく声(こえ)を上(あ)げた。

 手紙(てがみ)では他(ほか)の誰(だれ)かが来(く)ることも話(はなし)の内容(ないよう)も特(とく)に書(か)かなかったのだから無理(むり)もない。

 私(わたし)の愛(あい)する人(ひと)は公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)を気(き)にしつつ私(わたし)に近(ちか)づき、体調(たいちょう)の心配(しんぱい)をしてくれた。

 公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)と違(ちが)い、たどたどしい話(はな)し方(かた)ではあったが、私(わたし)自身(じしん)を心配(しんぱい)してくれていることが大事(だいじ)なのだ。

 私(わたし)は愛(いと)しさに口許(くちもと)が緩(ゆる)むのを必死(ひっし)で堪(こら)えた。

「私(わたし)は、私(わたし)の決意(けつい)を聞(き)いてもらいたくて、二人(ふたり)をここへ呼(よ)んだ」

 公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)の顔(かお)をしっかりと見(み)て言葉(ことば)を続(つづ)けた。

「私(わたし)は貴女(あなた)との婚約(こんやく)を白紙(はくし)に戻(もど)そうと思(おも)う」

 公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)が目(め)を見(み)開(ひら)いた。

 私(わたし)の愛(あい)する人(ひと)は顔(かお)を綻(ほころ)ばせた。

 前回(ぜんかい)、私(わたし)は大勢(おおぜい)の人々(ひとびと)が見守(みまも)る中(なか)、芝居(しばい)のクライマックスを演(えん)じるが如(ごと)く公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)を断罪(だんざい)した。公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)は罪(つみ)を犯(おか)したのだからそれを責(せ)めるのは当然(とうぜん)のことだと思(おも)っていたのだ。

 だが今(いま)はあの時(とき)責(せ)め立(た)てた数々(かずかず)の罪(つみ)が真実(しんじつ)ではないと知(し)っている。

 後(あと)から分(わ)かったことだが、私(わたし)の愛(あい)する人(ひと)に嫌(いや)がらせをしていたのは公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)ではなく、親(した)しくしていた他(ほか)の令嬢達(れいじょうたち)だった。

 公爵(こうしゃく)側(がわ)からその訴(うった)えを聞(き)いた時(とき)は、『それでも指示(しじ)をしていたのは公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)だろう』と思(おも)っていた。

 だが、実際(じっさい)は公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)に阿(おも)ねった令嬢達(れいじょうたち)が勝手(かって)にやったことだったようだった。

 その話(はなし)を聞(き)いたのは公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)の断罪(だんざい)から数年(すうねん)経(た)った後(あと)のことで、その当時(とうじ)の私(わたし)はもうどうでもいいことだと思(おも)っていた。

 おそらく、公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)が私(わたし)の愛(あい)する人(ひと)に直接(ちょくせつ)言(い)った注意(ちゅうい)の数々(かずかず)も高潔(こうけつ)過(す)ぎる性格(せいかく)ゆえだろうと思(おも)われる。私(わたし)の愛(あい)する人(ひと)が泣(な)くほどキツいことを言(い)ったのはやり過(す)ぎだったと今(いま)でも思(おも)うが、公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)なりの善意(ぜんい)だったのだろうと理解(りかい)している。

 今(いま)大事(だいじ)なことは穏便(おんびん)に婚約(こんやく)を白紙(はくし)に戻(もど)すことだ。それさえ出来(でき)れば、徒(いたずら)に公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)を責(せ)め立(た)てる必要(ひつよう)はない。

「理由(りゆう)を伺(うかが)っても宜(よろ)しいでしょうか」

 公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)は抑制(よくせい)の効(き)いた声(こえ)で私(わたし)に尋(たず)ねた。

「真実(しんじつ)の愛(あい)に抗(あら)うことはできないからだ」

 私(わたし)の愛(あい)する人(ひと)はうっとりと私(わたし)を見詰(みつ)めた。

 公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)は表情(ひょうじょう)を崩(くず)さず冷静(れいせい)さを保(たも)っている。

「このことは国王陛下(こくおうへいか)はご存知(ぞんじ)なのでしょうか」

「いや、まだ話(はな)していない。私(わたし)たちの婚約(こんやく)は家(いえ)同士(どうし)のことで王家(おうけ)から公爵家(こうしゃくけ)に伝(つた)えるのが筋(すじ)であるとは分(わ)かっている。だが、貴女(あなた)には私(わたし)から直接(ちょくせつ)伝(つた)えるべきだと思(おも)ったのだ」

「そうでしたか……。分(わ)かりました。今(いま)は何(なに)も申(もう)しません。陛下(へいか)にお話(はな)しになり承諾(しょうだく)を得(え)た後(あと)で、公爵家(こうしゃくけ)としてお返事(へんじ)させていただきます」

 ぐるりと踵(きびす)を返(かえ)し退出(たいしゅつ)しようとする公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)を、私(わたし)は引(ひ)き止(と)めた。

「ちょっと待(ま)て。話(はなし)はそれだけではないのだ」

 公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)は振(ふ)り返(かえ)り、怪訝(けげん)そうな顔(かお)を向(むけ)けた。

 私(わたし)は揺(ゆ)らぎそうになる心(こころ)を振(ふ)り払(はら)うように心(こころ)の中(なか)で自分(じぶん)の背(せ)を叩(たた)いた。

「私(わたし)は気付(きづ)いたのだ。私(わたし)は王(おう)の器(うつわ)ではないと」

「ど、どういう意味(いみ)ですの」

 私(わたし)の愛(あい)する人(ひと)が動揺(どうよう)してしがみついてきた。

 私(わたし)はその手(て)にそっと自分(じぶん)の手(て)を重(かさ)ねた。

「私(わたし)は今(いま)まで王(おう)になるということを深(ふか)く考(かんが)えたことがなかった。いずれ父上(ちちうえ)の跡(あと)を継(つ)いで王(おう)になると言(い)われ、ただ漠然(ばくぜん)とその道(みち)を歩(ある)いて来(き)ただけだった。だが、自分(じぶん)がその器(うつわ)ではないと分(わ)かった今(いま)、王位(おうい)にしがみつくべきではないと思(おも)うのだ」

「つ、つまり………?」

「私(わたし)は王位(おうい)継承(けいしょう)権(けん)を放棄(ほうき)し、市井(しせい)に下(くだ)ろうと思(おも)う」

「はあ!?」

 およそ貴族令嬢(きぞくれいじょう)とは思(おも)えない素(す)っ頓狂(とんきょう)な声(こえ)が室内(しつない)に木霊(こだま)した。

「な、な、な、何(なに)を仰(おっしゃ)っているのですか。王太子(おうたいし)殿下(でんか)がそのようなこと、認(みと)められるはずがありません」

「ああ、愛(いと)しい人(ひと)。心配(しんぱい)することは何(なに)もない。何(なん)の責任(せきにん)も負(お)わず、誰(だれ)からも重圧(じゅうあつ)を掛(か)けられることなく、二人(ふたり)の愛(あい)を育(はぐ)んで生涯(しょうがい)共(とも)に歩(あゆ)もうではないか」

 前回(ぜんかい)は怖(こわ)い思(おも)いをさせてしまったがために、城から逃げ出すことになってしまったが、平民(へいみん)ならば誰(だれ)に恨(うら)まれることもなく穏(おだ)やかに暮(く)らしていけるはずだ。

「お断(ことわ)りいたします」

 私(わたし)の愛(あい)する人(ひと)はそれまで聞(き)いたこともない低(ひく)く冷(つめ)たい声(こえ)でぴしゃりと言(い)い切(き)ると、私(わたし)の手(て)を払(はら)い除(の)けた。思(おも)いがけない言葉(ことば)と態度(たいど)に私(わたし)は狼狽(うろた)えた。

「私(わたくし)は王妃(おうひ)になるのが夢(ゆめ)なのです。王太子(おうたいし)でない方(かた)に用(よう)はございません。失礼(しつれい)いたします」

 そう言(い)い捨(す)てて私(わたし)の愛(あい)する人(ひと)は部屋(へや)から出(で)て行(い)ってしまった。

 私(わたし)は愛(あい)する人(ひと)が出(で)て行(い)った扉(とびら)を見詰(みつ)めたまま固(かた)まって動(うご)けなくなった。何(なん)とか首(くび)だけ動(うご)かして公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)の方(ほう)に顔(かお)を向(む)けると、公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)は私(わたし)が自分(じぶん)の心(こころ)に決着(けり)を付(つ)けられないでいることに気付(きづ)いたのだろう。仕方(しかた)なさそうに溜(た)め息(いき)を吐(つ)いて言(い)った。

「殿下(でんか)は今(いま)、失恋(しつれん)なさいました」

 こうして私(わたし)の『真実(しんじつ)の愛(あい)』は崩(くず)れ去(さ)った。

「で、どうなさいますか」

 公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)は私(わたし)の傷(きず)ついた心(こころ)など無視(むし)するように淡々(たんたん)と話(はなし)を続(つづ)けた。

「ど、どうとは」

「殿下(でんか)が婚約(こんやく)を白紙(はくし)に戻(もど)したい理由(りゆう)の一(ひと)つが無(な)くなりましたが」


 たしかに……。


 だが、今更(いまさら)、やっぱり結婚(けっこん)しようなんて言(い)える訳(わけ)がない。

「さっき言(い)ったことはすべてそのままだ。私(わたし)が王(おう)の器(うつわ)ではないことに変(か)わりはないし、王(おう)にならない私(わたし)と結婚(けっこん)する理由(りゆう)は貴女(あなた)にはないだろう」

 自分(じぶん)で言(い)っておいて可笑(おか)しくなって、自嘲(じちょう)気味(ぎみ)に笑(わら)ってしまった。

 公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)は私(わたし)の問(と)いには答(こた)えず、意見(いけん)を言(い)った。

「ですが、市井(しせい)に下(くだ)る、というのは如何(いかが)なものでしょうか。殿下(でんか)には無理(むり)かろうと存(ぞん)じますが」

 意味(いみ)が分(わ)からず返答(へんとう)に困(こま)っていると、公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)は更(さら)に言葉(ことば)を続(つづ)けた。

「殿下(でんか)は具体的(ぐたいてき)にどうなさるおつもりなのですか」

「それは、田舎(いなか)で畑(はたけ)でも耕(たがや)してのんびりと……」

「剣術(けんじゅつ)の稽古(けいこ)も長続(ながつづ)きしない方(かた)がですか? 毎日(まいにち)、鍬(くわ)を握(にぎ)って何時間(なんじかん)も畑(はたけ)を耕(たがや)すと? 根気(こんき)のない殿下(でんか)には毎日(まいにち)休(やす)まず畑(はたけ)や家畜(かちく)と向(む)き合(あ)うなど無理(むり)でございましょう」


 うっ……。


「だからと言(い)って、職人(しょくにん)に向(む)いているとも思(おも)えません。殿下(でんか)は不器用(ぶきよう)でいらっしゃいますから」


 そ、それは……。


「商人(しょうにん)など以(もっ)ての外(ほか)でしょう。殿下(でんか)は単純(たんじゅん)でいらっしゃいますから、騙(だま)されてあっという間(ま)に一文無(いちもんな)しになってしまいますでしょうね。そもそも殿下(でんか)は平民(へいみん)が家事(かじ)全般(ぜんぱん)を自(みずか)ら行(おこな)っていることをご存知(ぞんじ)でいらっしゃいますか。市井(しせい)に下(くだ)るということはそれらも全(すべ)てご自分(じぶん)でなさらなければならない、ということなのですよ。その覚悟(かくご)はございますか」


 そこまで言(い)わなくてもいいじゃないか。

 反論(はんろん)できる要素(ようそ)が全(まった)くないけど……。


「だからと言(い)って、私(わたし)が王(おう)に向(む)いているとも思(おも)っていないのだろう?」

「………それは、まあ。何(なん)と申(もう)しましょうか………」


 そこは言葉(ことば)を濁(にご)すんだな。


 私(わたし)は苦笑(くしょう)した。

 そして、最後(さいご)の提案(ていあん)をした。

「私(わたし)は次期(じき)国王(こくおう)には貴女(あなた)が相応(ふさわ)しいと思(おも)っているのだ」

 公爵家(こうしゃくけ)は初代(しょだい)国王(こくおう)の次男(じなん)、二代目(にだいめ)国王(こくおう)の弟(おとうと)が分家(ぶんけ)してできた家系(かけい)で、王位(おうい)継承(けいしょう)に何(なん)ら問題(もんだい)はないはずだ。

 公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)はすぐには返事(へんじ)をしなかった。

 数秒(すうびょう)の沈黙(ちんもく)の後(あと)こう言(い)った。

「今(いま)の話(はなし)は聞(き)かなかったことにいたします」




 その日(ひ)の授業(じゅぎょう)は気(き)も漫(そぞ)ろだった。放課後(ほうかご)になると、私(わたし)は真(ま)っ直(す)ぐ城(しろ)へ帰(かえ)り、私(わたし)の決意(けつい)を父上(ちちうえ)に話(はな)した。

 初(はじ)めはもちろん全(まった)く本気(ほんき)にされなかった。

 だが、父上(ちちうえ)にも思(おも)うところがあったようで、後日(ごじつ)、公爵(こうしゃく)と宰相(さいしょう)を呼(よ)び出(だ)しこの件(けん)について話(はな)し合(あ)いが持(も)たれた。

 具体的(ぐたいてき)にどのような話(はなし)がされたかまでは分(わ)からないが、私(わたし)の王位(おうい)継承権(けいしょうけん)放棄(ほうき)が認(みと)められ、公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)が次期(じき)女王(じょおう)になることに決(き)まった。

 だが、なぜか私(わたし)たちの婚約(こんやく)はそのままということになった。

 王族(おうぞく)としての公務(こうむ)はあるものの政治的(せいじてき)権限(けんげん)はない。

 よっぽど私(わたし)を平民(へいみん)にしたくなかったのだろう。

 公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)はといえば、意外(いがい)にもこの決定(けってい)に異議(いぎ)を唱(とな)えることなく受(う)け入(い)れたという。本人(ほんにん)に確認(かくにん)してみれば、『ただでさえ国中(くにじゅう)が混乱(こんらん)するような変更(へんこう)をするのです。これ以上(いじょう)は避(さ)けた方(ほう)が良(よ)いでしょう』といった返事(へんじ)をされた。なるほど、公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)らしいと納得(なっとく)をした。

 私(わたし)も元々(もともと)公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)に恨(うら)みや憎(にく)しみがあったわけではい。婚約破棄(こんやくはき)を宣言(せんげん)した時(とき)は初恋(はつこい)で冷静(れいせい)さを欠(か)いていたという自覚(じかく)がある。失恋(しつれん)からしばらく経(た)ち、気持(きも)ちが落(お)ち着(つ)いた今(いま)となっては、私(わたし)に断(ことわ)る理由(りゆう)がないどころか、あれだけ評価(ひょうか)の低(ひく)い私(わたし)を見捨(みす)てないでくれて感謝(かんしゃ)の気持(きも)ちすらある。

 公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)からは『不得手(ふえて)なことは多(おお)いですが、唯一(ゆいいつ)の取(と)り柄(え)は社交性(しゃこうせい)であり、王族(おうぞく)として必要(ひつよう)な能力(のうりょく)でございます』と、貶(けな)されている気分(きぶん)になるような褒(ほ)め言葉(ことば)をもらった。

 この決定(けってい)が国民(こくみん)に発表(はっぴょう)されると、思(おも)ったような混乱(こんらん)はなく、むしろ好意的(こういてき)に受(う)け入(い)れられた。私(わたし)の想像(そうぞう)以上(いじょう)に公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)は国民(こくみん)に人気(にんき)があったらしい。

 高等学院(こうとうがくいん)を卒業後(そつぎょうご)、公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)は城(しろ)に通(かよ)って政務(せいむ)を学(まな)び始(はじ)めた。とても飲(の)み込(こ)みが早(はや)く、半年後(はんとしご)には父上(ちちうえ)の補佐(ほさ)ができるようになっていた。

 それからさらに一年後(いちねんご)、私達(わたしたち)は結婚式(けっこんしき)を挙(あ)げた。

 妻(つま)が政務(せいむ)に励(はげ)み、夫(おっと)である私(わたし)は社交(しゃこう)を担当(たんとう)する。一般的(いっぱんてき)な夫婦(ふうふ)とは逆(ぎゃく)だが、これはお互(たが)いに性(しょう)に合(あ)っていたようだ。妻(つま)は『適材適所(てきざいてきしょ)』だと笑(わら)った。

 ちなみに、私(わたし)の初恋(はつこい)の人(ひと)はあの後(あと)、遠国(えんごく)に留学(りゅうがく)し、そちらで夢(ゆめ)を叶(かな)えたらしい。彼女(かのじょ)も幸(しあわ)せそうでなによりである。

 私(わたし)の元々(もともと)の予定(よてい)とは少々(しょうしょう)違(ちが)う結果(けっか)になってしまったが、むしろこれで良(よ)かったのだと思(おも)えるほど穏(おだ)やかな日々(ひび)を送(おく)っている。


 私(わたし)は今(いま)、何一(なにひと)つ後悔(こうかい)をしていない。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 地獄のように読みづらい、漢字が読めない年齢層はここにこない、ルビなんかいらん
[一言] ルビが何かのギミックになっているのかと思って読み進めたけど徹頭徹尾ただのルビで草。対象年齢いくつを想定して書いたんだろう 内容は丁寧になろうテンプレキャラ揃えたなって感じでした。逆を言えばテ…
[良い点] 誰も不幸になっていないのは好感が持てる。 [気になる点] ルビの多さ。逆に読みづらくなっているね。
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