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ワンスアイヤー  作者: 丸顔のうさぎ
20/20

ワンスアイヤー エピローグ

桜坂 - 君がいた 恋をした 君じゃなきゃだめなのに ひとつになれず



2020年10月25日日曜日、私はまた横浜の街を彷徨っていた。


目の前にはみなとみらいのビル群が、右手には港が見える。秋空は抜けるように青く美しい。でも私の頭の中は全く別のことを考えていた。


今日は彼が結婚する日だ。


朝からずっと、「今頃大阪から駆けつけたお母さんと電車で移動をしているのかしら?」とか、「恵比寿のお家で家族となる人たちと食事をしているのかしら?」とか、「食後にはきっと典型的な山手のお屋敷のサンルームのような部屋で、結婚の誓いをしているのかしら?」などと想像していた。


彼はきっと晴れの日にふさわしい華やかなネクタイを締めていることだろう。緊張しながら家族の前で新婦を「幸せにします」と宣言している事だろう。そしてその横にはその家で生まれ育った品の良い女性が、恥ずかしげに寄り添っているのだろう。

そんな想像をしいると、彼がとんでもなく遠い人のように感じられる。

「もう私の知っている彼はいないんだ」と自分に言い聞かせるたびに涙が出る。どうしたら私はこの苦しみと寂しさから解放されるのだろうか。いつになったら泣かない日々が訪れるのだろうか。


胸の真ん中に穴が開いて、風がすーすーと通り抜ける感じ。これには覚えがある。以前彼にふられた後も、しばらくこのように心に穴が開いたような状態が続いていた。あれから17年も経っているのに、私はあの頃と全く同じように泣きながら街を歩いている。


この数ヶ月と言うもの、私は彼とどんなふうに付き合ってきたのか思い出せずにいた。「付き合おうと思っている人がいる」と言われた日から、まるで夢遊病者のように、彼のことばかり考えていたのだ。目の前に主人がいて、愛犬がいても上の空の状態が続いている。比べてもしかたないのに自分と彼女を比べ、年齢も学歴も出自もあまりにも違いすぎる自分の身を哀れんだ。そしてそんな完璧な人と結婚しようとしている彼の気持ちが私からはなれてしまっても仕方がないと、彼のことを何度もあきらめようとしていた。


しかしこの日ふと、「なぜ私は彼と無理矢理別れようとしているのか?」と不思議に思った。「な~んも変わらんのやで」と彼は言ってくれているじゃないか。何より私は別れられるのか?彼のことを諦められるのか?会えずにいられるのか?・・・できない。だってまだ彼のことが大好きだから。そして「いつまでも会える人」でいたいから。それなのに彼の前でもメソメソして、不安がって、彼に嫌われることばかりしていた。これも17年前と一緒だ。


私はこの17年間、いったい何をしていたのだろうか。何も学んでいないじゃないか。


そう思うといてもたってもいられなくなった。慌てて家に戻り、彼が返してくれた私の日記のコピーを読み返す。これは彼に初めて出会った頃から書き始めた日記で、振られた後は失恋日記になり、彼と再会するまでの日々を綴ったものだ。ちょうど10年前、彼の一人暮らしが始まって、私への気持ちが一番盛り上がっていた時に見せると、彼がコピーを取ってずっと持っていてくれたのだ。そして彼女との結婚を機に、先週私に返してくれたのだった。久しぶりに読み返すと、今と同じように悲しんでいた自分が日記の中にいた。まるでデジャヴだ。


17年経っても成長していない。これじゃ彼と過ごした貴重な日々が無駄になってしまわないか。


彼はこれまで言葉で言い尽くせない程、私をとても大切にしてくれたし、私は彼と一緒にいられて本当に幸せだった。二人でお互いを気遣い、思いやり、楽しい思い出を作って来たではないか。あの輝くような日々を忘れたくない。そして私の日記を読み返すことで、あの頃日記を書く事が、気持ちの整理につながって、精神的に助けられたことを思い出した。


もう一度彼とのことを文字にしよう。


彼と過ごした私にとって宝石のような日々を忘れないために、これまで付き合ってきた17年間を書き残そう。思えばこの数ヶ月私は自分を責めてばかりいた。もっとこうしてあげればよかったとか、彼のことをほったらかしてばかりだったからその報いが来たんだとか。でも本当にそうだっただろうか?


私は一生懸命彼のことを愛していたはずだ。十分じゃなかったかもしれないけれども、私の気持ちに嘘はなかった。そして彼も私の事をとても好きでいてくれた。彼のあの気持ちも嘘ではなかった。それだけは断言できる。2人で過ごしてきたあの日々は確かに存在していたのだ。それを小説にして書き残すのだ。


読者はただ一人、彼だ。


もうすでに新しい方向に向かって歩き始めた彼にとっては、迷惑な話でしかないかもしれない。読んでも「今更なに?」と思うかも知れない。そもそも面白くないかもしれない。


でもいつか彼が人生を振り返った時、私のような女がひと時彼の傍らにいた事を思い出してほしい。そして誰よりも彼のことを好きでいて、誰よりも大切に思っていたことを懐かしく思ってほしい。


これは私から彼に送る長編のラブレターになるだろう。


彼が新しい伴侶と共に、人生の再スタートを切った日、私は彼との思い出を振り返る作業をスタートさせる。でもこれは思い出に生きるためではない。後ろを振り返って懐かしむためでもない。共に過ごしてきた月日を愛しみ、彼に感謝をし、そして私自身も新しいスタートを切るためだ。


夢遊病者のように彼の後ろ姿を追って、自分を責めてばかりいた。そんな自分にサヨナラをするためには、自分が確かに幸せだったことを思い出し、そのほのぼのとした温かい気持ちを胸に抱いて、前を向いて歩いていかなければならない。そして彼が私を必要とする時に、笑顔で応えられる自分でいたい。だって私は彼にとって「いつまでも会える人」でいたいのだから。


10月25日、今日がお天気で良かった。彼の門出に相応しい青空で良かった。彼はもう入籍を終えただろうか。


私は福山雅治の「桜坂」を口ずさんでいた。

 君よずっと幸せに

 風にそっと歌うよ

 愛は今も愛のままで


彼にはきっとこの歌は届かないだろう。でもそれでいいのだ。

 逢えないけど

 季節は変わるけど

 愛しい人








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