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俺だけがいる世界  作者: 北野こち
第5章 それは個性か、枷か、それともそれ以外の何かか
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63. 間違った世界の歩き方3 子供の頃の夢の行方・「夢を持ちたい」という夢

 


 川辺を歩きはじめて30分くらいして、往路のゴールとなる橋に着いた。これを渡ってぐるっと一周するのが俺の散歩コースであり今日のコースである。


 対岸に渡り復路を歩き出した。まだ日は沈みそうにないが、ちらほらと会社帰りと思われる人も見えるようになった。

 仕事終わりだからかすれ違う会社員風の人はみな疲れた表情をしていた。

 そんな彼らを見て不意に思う。

 この中で自分のやりたいことを職業にしている人はどれくらいいるのだろうか。


 子供の頃、俺のなりたい職業は消防士だった。

 理由は単純で幼心に消防車が格好良く思えたからだ。

 だがもちろんそんなふわふわした動機の夢は簡単になくなるわけで、今は消防士になりたいとは思っていない。

 というか何かになりたいという夢が無くなった。

 いつからだろう、人生に夢がなくなったのは。

 今や目指すものも憧れるものもないのが当たり前になっている。

 ただその日だけを生きてその日を終える。

 次の日のことは次の日に考える。それ以外のことは考えない。

 遠くの未来から逆算して考えるほど遠くの未来が明確に見えない。

 いつからだろう、そんな日々を過ごすようになったのは。

 


 今の高校生はどれだけなりたい職業を持っているのだろうか。

 勉強はできないが、寝る間も惜しんでできる何かを持っている人と、何でも器用にこなせ何にでもなれるが、好きなものを持っていない人。まぁ俺はどちらでもないが思考実験として考えた時、果たしてどちらが幸せだろうか。

 どう考えても前者だろう。

 好きなもの見つけられているというだけでどれだけ幸せなことだろうかと、見つけられていない俺は思ってしまう。

 しかも今の時代、社会もそういう人材を求めている。

 今の社会では何か1分野に秀でた才を持つ人が重宝されているらしい。

 何でも中途半端にできる人は、何をやらせてもぴったりハマらない。

 それなら他のところでは全くはまらないが、ある場所でぴったりハマる人が重宝されるのも理解できる。

 だから何かひとつ早く自分の人生をかけてもいいと思える何かを見つけるべきなのだろう。

 わかる。言っていることわかる。

 そんなことはわかっているのだ。

 わかっていても見つけられない。

 心の底からそう思っていても見つけられない人が現に存在している。

 経験が足りないとか、知識が足りないとか、色々言われる。しかし見つけられない俺からすると「好きなものを見つける」ことにも才能が要ると思うのだ。

 経験が足りないとか知識が足りないとかそういう言葉はいつでも見つけることができた人が言う。

 それは当たり前だ。言っている人は自分の感覚をもとに話しているのだから。

 だからそれゆえに聞き手と感覚が乖離している。


 持つものと持たざるもの、そこには埋めることのできない絶対的な溝がある。

 だれとも言葉を介せば意思疎通ができるなんて綺麗事を言うのは簡単だし、それは同じ言語の話者ならたしかにある程度担保されるだろう。

 だが意思疎通できることと理解・納得できることは別だ。

 言っている内容はわかっていても、腑に落ちるかどうかわ聞き手次第だろう。

 俺は持たざるものだ。だから持っている人の感覚がわからない。

 だから持っている人も持たざるものの気持ちがわからない。

 むしろ俺は持たざるものの話を聞きたい。

 すれ違う会社員に「今、やりたいことをできていますか」と聞いてみたい。

 はたしてどんな言葉が返ってくるだろう。そもそも言葉が返ってくるだろうか。



 もちろんそんなことは絶対にできない。

 きっと世界はそういう人が大多数だからだ。その問いはあまりに幼稚であまりに無意味で、そしてあまりに残酷である。

 だから俺は思う。

 「やりたいこと」と「やらなければいけないこと」をどれだけすりあわせることができるか。

 その妥協点が人生の点数なのかもしれない、と。



 でもまぁただひとつ救いがあるとしたらそれは人間には「慣れ」があることだろう。

 大人が言うには「仕事ってのはやっているうちに楽しくなる」らしい。

 俺も人間をはじめてまだ十数年だ。もしかしたら人生もやっているうちに楽しくなるかもしれない。

 それかこの人生に慣れるか。

 それとも生きることを「やらなければいけないこと」と割り切ってしまうか。


 とにかく生きていくうちに何かあるかもしれない。

 もしかしたら夢中になれる何かを見つけることもできるかもしれない。

 それに今流行りの異世界に行ける可能性も0じゃない。

 いや、異世界に行ったとしてもなにか特技がないといけないか。

 でも今時の異世界ものは転生時になにか特技が与えられることもあるんだっけ。

 どちらにせよ異世界でもなにか得意分野がないとダメなんだな。

 どの世界も世知辛いものである。おちおち気楽に死ぬこともできない。


 ・・・待てよ、もしかして「好きなものを見つけてる」人たちはこの世界に転生してきたのではないだろうか。

 たしかにこちらから送られ続けられては異世界側も迷惑だろう。

 この世界に転生してくる人がいても不思議ではない。



 ・・・・・・なんてな。

 どうやら歩くのに疲れたらしい。

 いつもの思考の旅がいつもより迷走している。

 頭を振り思考をリセットする。

 人生なんて生きてみないとわからないんだ。

 生きる前から意味を持たせることなんてやめよう。

 とりあえず生きてみて死ぬ時「ああなんだかんだで楽しい人生だった」と言えれば多分それでいい。

 そう思うためにはとにかく生きてみないといけない。

 日本なら俺みたいなやつでもあと80年くらいは生きてても大丈夫だろう。

 それくらいの自分勝手は許してくれ。

 ただ「好きなものを見つけよう」とする努力は怠らないようにしよう。

 今のところ夏休みの予定は何もないが。

 まあなんかあるだろう。今から考えても仕方ない。なるようになるだろう。俺の人生もこの川のようにはるか遠くまで流れてゆくのだから。



 気づけばスタートでありゴールの公園に着いていた。

 ベンチに座り夕日できらきら輝いている川の水面を見つめる。

 ふう。

 1時間弱も歩いた実感はないが、スマホの時計を見るともういい時間だ。


 長いようで短い散歩だった。

 さあ帰ろう。

 街の人の流れに乗って俺は自宅を目指し再び歩を進める。

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