47. 死んだ人生。それは努力も挫折も決意も個性もない人生。
「覚える気あるんですか?」
「うぅ・・・・・・」
かくして始まった勉強会という名の俺の学力を上げる会。
そこには早速北本の叱責にうろたえる俺がいた。
「まあ数学と物理はいいです。というかそれなりにできています。しかしそれ以外は話になりません。」
「・・・・・・そんなに?」
「そんなに。」
北本の剣幕に俺は正座で小さくなってうなだれるしかなかった。
そんな俺を白川と佐々木は苦笑いで見ている。
ああなんか悲しくなってきた。恥の多い生涯を送っています。
「とりあえず今日は英語と古文と歴史を本気でやってください。いいですね。」
「・・・はい。」
「と言ってもそういってできるならこんな惨状になっているはずないので私が教えますけど。」
「ありがとうございます。お心遣い痛み入ります。」
「まずは英語です。とにかく英単語を本気で頭に叩きこむので覚悟してください。」
英単語帳をぱしぱし叩く北本の気迫に怖くなる。
「・・・北本は自分の勉強しなくていいのか?」
「ご心配なく。誰かと違って学校でちゃんと勉強していますので。」
「そうでしたね。ごめんなさい・・・・・・」
「いいから他のことを何も考えず目の前にある英単語のことだけを考えればいいんです。まずは今すぐここまでの100個覚えてください。」
俺にはもう退路はなかった。
いやそれでいいんだ。それくらい俺は追い詰められている立場なのだから。
それに気づかせてくれた北本には感謝しなくてはいけない。
「私が教える以上必ず平均点は超えてもらいますから。」
「あの、そこまで本気にならなくても・・・」
「いいえ、やる以上は赤点回避ごときに甘んじるなんてこと許せません。そもそも平均点というのも妥協で・・・」
「平均点以上を目指して全力を出します!」
そう、どこまでも追い詰められているのだ。
「みなさんは大丈夫かと思いますが、なにかあったら私に聞いてくださいね。」
二人は笑顔で応える。
俺への言い方とうってかわって柔らかい言い方である。そりゃそうか、俺だけできねえんだからな。
それにしても殊勉強となると北本は実に頼もしい。
心なしかいつもより生き生きしているように見える。
前あんなこと言っていたが、なんだかんだ勉強が好きなのかもしれない。本人は絶対そう言わないだろうけど。
「なにぼーっとしてるんですか。あと10分したら英単語のテストをしますよ。」
「なにそれ初めて聞いたんだんだけど!?」
「初めて言ったので。アウトプットしないといつまでも覚えられませんからね。ほら、単語帳から目を離さないで!」
あまりにも生き生きしてるのも考えものだが・・・・・
「・・・ちゃんと覚えようとしました?」
「うん・・・」
北本が範囲の中から選んだ20個の単語をテストした結果答えられたのはわずか8個。
これでも今週自分でテスト範囲の単語を勉強したんだけどね・・・・・
「はあ。いつもどうやって覚えているんですか?」
「そりゃ単語をじっと見て・・・。」
実は覚えていないがその答えが恥ずかしいという感覚はぎりぎり残っていた。
「それがダメなんですよ。言葉なんだから文章の流れで覚えないと。」
そういうものなのか。
「では次は例文を覚えることを意識して5分復習。はい。」
再び単語帳を開いた。
・・・。
「まあとりあえずはいいですかね。」
テスト3回目にしてようやく合格ラインを超えたらしい。
「では次は古文単語を同じようにして覚えていきましょう。まずはここまでの50個。」
「英語はもういいのか?」
「ずっと英語ばかりやってると飽きますし、英語の後に古文をまとめてやったら英語を忘れかねません。」
「なるほどねぇ・・・」
確かに一理ある気がする。
「まあこれは普段の学校でやっていることなんですけどね。ほんとにどうやってこれまでの単語テスト乗り越えていたんですか?」
そもそもあんまり乗り越えられてはいないという事実はここでは伏せさせてもらった。
それからの時間はひたすら暗記の繰り返しだった。
北本が言うには、基礎部分を暗記しないと話にならないらしい。
まあそもそもテスト直前ともなれば暗記くらいしか打つ手はないと推測できる。
「斉藤くんは暗記の仕方が悪い。」
今日さんざん言われたのはこの言葉だった。
確かに俺は暗記が苦手だ。
だがそれは頭の出来の問題というより方法論の問題だった。
暗記というのは闇雲に覚えるだけではいけないらしい。
英単語なら例文で、古文単語なら物語で、歴史なら一連のストーリーで覚えないと意味もなければ定着しないという。
実際そういうことを意識して勉強するとスラスラとは行かないが、幾分覚えるのが楽になった。
こういっては手前味噌だが、中学校までは勉強しなくてもどうにかなっていた。
地頭はどちらかというと平均以上だと思っていた。
しかしそれも高校入学までが限界だった。
俺はこれまでの人生で「正しい努力の仕方」というものを学んでこなかった。
なにかに本気になることが全く無かった俺には挫折を経験する機会も、不撓不屈の精神で努力を重ねる動機も一切訪れなかった。
だから今の俺は努力に慣れていなかった。
努力を直視せず、努力をすることから逃げ続けた。
目の前の壁を迂回することしかしてこなかったのだ。
それで気づけばこの有様だ。
勉強会が決まって少しした自習も努力ではなく、罪悪感からだった。
北本への、そして一緒に勉強会をしてくれる2人への申し訳無さを慰めるための行動に過ぎなかった。
この1週間の行動にはもとより硬い信念がなかった。決意なきままただ自分の居心地の悪さをごまかすために突き動かされた行動しかしていなかった。
努力も、決意も、知らないままここまで生きてきた現実だけがそこにはあった。
十数年の時間を過ごしただけで、そこには俺の人生がなかった。
これまでの人生は、ただ生きていただけだった。中身がなく、叩かれればただ虚ろな音が響くだけである。
「聞いてます?」
「あ、ああ、すまん。」
しかし今の俺は一人ではなかった。
努力の仕方を知っている友人がいるのだ。
「なにか気になることでもありました?」
「い、いや・・・・・・」
「本当ですか?なにか考え込んでいたようでしたが。」
だがそんな貴重な友人の懇切丁寧な説明を話半分に自己嫌悪に陥っていたというのはあまりに失礼であまりに恥ずかしい。
「いや、なんでこんな勉強を必死にしてるんだろうなって急に思えてきて。悪い。」
だからとっさにごまかすしかなかった。
なんでこんな言葉が出たのかはわからない。
多分心のどこかでそう思っていたんだろう。
「まあ、ありますよね。そう思えてしまう瞬間。」
てっきり呆れるか怒ってくるかと思っていたので申し訳無さそうに言ったが、北本の反応は意外なものだった。
まさか共感してくれるとは思わなかった。
「北本でもそう思うのか。」
「それは・・・まあ・・・・・・」
そういう北本はどこか諦めたようなニヒルな笑みを浮かべていたように見えた。
それを見て俺はようやく北本が日々勉強をしている理由を思い出した。
いつでも当たり前にさせられた勉強。
いつしか当たり前になった勉強。
それ自体の意味を考えたことなど数えきれないだろう。
昔勉強の意義なんてこと考えないと言っていたが、それは考えぬいた結果なのだろう。
「すまん・・・・・・」
「なにに謝っているんですか。」
俺は返す言葉が思いつかなかった。
「それに関しては確かに人より考えることは多いと思います。でもこの話はとりあえずこの1週間はしないほうがいいでしょう。」
「そう・・・だな。」
北本はこの話をしないように釘を差してきた。
テスト前に考えるべきでないことなのは間違いない。
しかし最後の言葉には惹かれるものがあった。
眼鏡の奥の北本の目がこの話の答えを持っていると言ったような気がしたからかもしれない。
「さ、続きをやりましょう。ラストスパートです。」
だか今は集中しよう。
ようやく正しい努力の方法と未熟な決心を手に入れられたのだから。
俺は今、死んだ人生を殺す。




