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俺だけがいる世界  作者: 北野こち
第10章 終わりがあるから始められる
199/241

195. 世界の無限のレイヤーの定義は観測者に委ねられる



 放生がノートをめくる音で、ふとあのノートの存在を思い出す。


 思えば放生はたかだか2週間、しかも授業と1日数回の休み時間だけ話す俺含むこのクラスの生徒と近づくため、あんな大層なノートを作るなんてすごいものだ。好評と不評どっちが多かったかはここではあえて明言しないでおくが、そういう努力をしているというのは改めて考えてみると教育実習生でもなかなかできるものではないように思う。


 気のせいかもしれないが、放生は2週間前よりも少し痩せたように見える。やつれたという表現の方が正しいかもしれない。




 「ですから・・・ここで『しかし』という逆接を用いて、読み手が類推しているものと違う展開が始まることを強調しているわけですね」




 正直俺は出会った当初よりも放生という人間を嫌いではなくなっていた。もちろん、直接話して気分が良かったとかそういう単純な話ではない。方向性や正当性はともかく、俺たちこのクラスの生徒と良い関係を築こうとずっと努力していたのが見られた。


 結局休み時間に放生がこのクラスに来るのは今日最終日まで続いた。

 たかが2週間されど2週間。それだけ続けば最初に感じていたクラス内の放生の異物感はだいぶ薄まった。むしろあまり協力的ではないクラスの女子に健気に話す姿に好感すら覚えた気もする。


 だからおととい再び放生に話しかけられたときは前よりも愛想よく会話できた自信がある。放生が高校生だった頃の話、俺の部活の成り立ちや部室となっている図書室の話、放生が本好きという話、いつも校舎の裏の階段で本を読んでいた話。こんなとりとめのない色んな話を聞いた。

 俺のことだから、愛想よくと言っても程度が知れているとは自覚しているが、少なくともにべもない態度の他の女子に比べればいくらか放生も気分良く話せたのではないかと思う。



 これもすべて俺が放生の見えない、いや、見ようと思えば見えてくるはずの努力・頑張りを想像し、思いやって敬意を持つことができるようになったからできるようになったことだ。



 「・・・」


 無意識に手を顎にやる。


 どうやら優しさというのは伝染するようだ。俺は前までこんなに思いやれる人間でも優しい人間でもなかった。

 これまでは理解できないものを理解しなかった。違うものを違うものとして遠ざけていた。つまり自分以外の立場・背景・気持ちを考えようと思ったことすらなかった。


 でも、これらの『優しさ』は、どうやら持っていた方が気分がいいし、その方が楽しいということをあいつらに知らされた。


 

 放生との出会いは俺に俺の変化を自覚させてくれた。

 世界と関わらないで世界に生きるより、世界を理解しようとするほうが面白い。ゲームも世界観を知っている方が面白いのだから当たり前の話だ。だが他人という理解しがたいNPC(プレイヤーはいるけど)が織りなす複雑怪奇なリアルという世界は自分で血を流さないと理解できない。


 これまでの俺はそれに怖がっていた。理解しようと頑張った結果理解できないという事実を突きつけられることに正直言えばビビっていたのだ。



 でも今は違う。

 三つ子の魂百までじゃないが、第一印象は素のひねくれた自分が出てしまう。だがそれ以降相手への理解を深めるための努力をするようになった。

 見えないものを見ようとする、知らない立場を想像で追体験して相手の立場を理解しようとする、そういう行為に躊躇いがなくなった。


 だってその方が楽しいから。






 放生の授業はお世辞にも面白いものではなかった。まぁ授業なんて誰がやっても大抵退屈だから仕方ない。けれど俺は勝手に放生から学びを得ていた。


 ありがとう。これから放生が教職に就くのか、それとも他の道に進むのかは知らないが、とにかく俺にとってはこの2週間は案外悪いものではなかった。


 そう思いながら授業終わりの放生の挨拶に拍手をした。周りよりも音は小さかったが、周りよりもいくばくかの感謝の気持ちは多かったと思う。







 



 しかし、どうやら今の世界は優しさよりも不思議と悪意が当人に伝わってしまうものらしい。


 そして事件というのはいつも小さなもので、しかも最後に起こるものらしい。

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