181. 経験せずして真の感謝は生まれない
白川からなんとか仕事を頂いた俺は慣れない手つきでボウルの中のものをかき混ぜる。
「じゃあ薄力粉入れますよ」
「ああ」
白川が少しずつ薄力粉と呼ばれる白い粉を投入していく。
「もう少し、こう縦に切るように」
白川は俺の手をとってゴムベラの使い方を指南してくれる。白川が何の躊躇もなく俺の手を掴んだことに内心かなりびっくりしたが、白川は平然としているのでこっちが反応するのはなんだか悔しくて俺も平静を装った。
「こう?」
「いい感じです」
生地を混ぜるだけでも一苦労である。
「ごめんな。俺がやると余計時間かかるよな」
自分で提案しておきながら手際の悪さに申し訳無くなってくる。
「いえいえ、助かります」
本当にこいつは優しい。きっと俺が自己満足で手伝っていることも気づいているだろうに。
「それに、なんだかはじめて料理に挑戦する小さい男の子みたいでかわいいです」
白川は口を押さえてくすくすと笑う。前言撤回、優しいんじゃなくてあやされてるだけだった。最近よく思うのだが、俺あの部活内でかなり舐められてるよね。もしかしてカースト最下位?
「まぁ実際料理したことないけどさ・・・」
俺は少しふてくされたように返事をしてしまった。
「ごめんなさい、でもかわいいですよ」
フォローしているつもりかそれで・・・。
「かわいいって言われても嬉しくねぇよ・・・」
白川は相変わらずくすくす笑っている。まぁ白川が楽しそうだからいいけどさ。
「あんたたち、ほんと夫婦みたいね」
「「え?」」
声のするほうを見るとさっきまで炒めものをしていたはずの中谷が台の対面から頬杖をついてこっちを見ていた。
「見てるこっちがお腹いっぱいになるわ」
中谷は呆れる素振りで手を振る。
「・・・」
確かに今の俺たちが他人からどう見えているかということは気にもしていなかった。
白川のほうを見ると何も言わず下を向いてもじもじしている。いや、なんか言い返してくれよ。さっきまでの元気はどうした?
「お、俺はただこいつに料理を教えてもらってただけで・・・」
「あんた、本当に白川ちゃんが誰相手にもそんな態度取ると思う?」
「え?・・・いや・・・え?どういうこと?」
そりゃ白川優しいし、料理を教えてくれと言われたら誰にでも優しく教えてあげるだろ・・・
「白川ちゃんも大変ね」
そう言い残して中谷は他の班の友達のところへ行ってしまった。
・・・。
なんとも微妙な空気が流れる。
白川はというと薄力粉が入っていた空のボウルの縁をうつむきながらなでている。
ちょっとどうすればいいのこれ。
この場面でどういうアクションを取ればいいのか俺にはちっともわからなかった。
「そ、そろそろ良さそうですね」
白川が正気を取り戻すのに少々時間を要したがその間俺は仕方なく無言でずっと生地をこねていたのでボウルの中の生地は最初の頃よりずいぶんと様子が変わっていた。
「もう焼くのか?」
「いえ、少しの間生地を寝かせないといけませんから」
そうなんだ。
「ではこの生地をラップで包んでください」
はい、と白川がラップの箱を渡してくる。
「広げて生地のせればいい?」
「はい」
いつの間に台の上のものが全て片付いている。いつやったんだよ・・・。まったく白川のお膳立てが怖い。
「ではそのラップに4班と書いていただけますか?」
マッキーでラップに班番号を書く。
「これを冷蔵庫に置けばいいのか」
「お願いします」
俺は言われるがままに冷蔵庫に生地をしまった。
言われるがままにだったが、一応自分が育てた生地なのでクッキーの出来上がりが楽しみになってきた。
なんせ今日は昼ごはんが抜きだったから佐々木のお菓子も食べていない。
別に甘党というわけではないのだが、約半年も昼間にお菓子を食べる生活を繰り返しているとどうも習慣づいてしまったようで、昼頃になると甘いものが食べたくなるようになった。
・・・。
というか、俺、いつから佐々木のお菓子をもらうことが当たり前になっていたんだろう。
日常。いつものこと。習慣。ルーティーン。
始めの頃は感謝の気持ちを持っていたはずなのに、繰り返されるうちにいつしか存在するのが当然のものになっていた。
いや、もちろん感謝の気持ちを忘れたことはない。忘れたことなどなかったはずだ。
だがそれは言い訳でしかない。伝えなければ思っていないのと同じだ。
冷蔵庫の方を見つめる。
俺に日頃のありがたさを気づかせてくれたあのクッキーに、もうひと仕事してもらおうか。そんなことを思って調理台の上の片付けを始めた。




