14.5 無知への恐怖 未知への期待
待ちに待った週末がようやく訪れた。
今週は本当に疲れた。全力でだらだらしよう。
・・・。
ぼーっと今週のことを考える。
思い返してみると、思い返したくなくなるほど色々なことがあった。
俺は何もない日々を望んでいたのではなかったか?
なんでこんなことになったんだ・・・・・・・。
全ての元凶は白川である。
あいつさえ・・・あいつさえいなければ・・・。
・・・。
そうだったら、本当に理想の高校生活を送れていただろうか。
そうだとは言い切れない。
現状に問題があるからと言って、他の選択が正解ということにはならない。
仮に白川と出会わず、俺は適当な部活に入ったとする。
それで理想の高校生活は実現していたかと言われれば、多分そうではない。
また現在のものとは異なる問題が発生していただろう。
下手したら今よりも面倒なことになっていたかもしれない。
理想とは違うのは確かだ。しかし理想が間違っていた可能性はないか?
改めて自分の信条を考えてみる。
なぜ俺は日常至上主義者になったのだろうか。
俺は今まで友だちができたことがない。友達という言葉の定義は曖昧なので、一緒に遊んだり過ごしたりする人はいなかったと言い換えてもいい。
別にそのことに不満はなかった。
生まれつき一人で過ごすことが得意だったのかもしれない。
誰かと遊ぶことなく家で一人本を読んだりテレビを見たりしていた。
それが楽しかった。
つまり他人と交流を持つということがどういうものかを一切体験せずに育った。
現状の、孤独に不満がないことと、他人と交流することへの経験不足から俺の信条は形成されたのだ。
現状に問題がないと思っている人は変化を求めるだろうか。
少なくとも俺は求めなかった。
間違いなくそれなりの生活を送れる孤独と、ハイリスクハイリターンな集団生活を天秤にかけた時、俺は孤独を求めた。
しかし白川の登場でそれらは一転した。
他人との交流を経験したのだ。
今一度自分に問いかける。
本当に何もない日々だけを望んでいるか?
俺はただ『知らないこと』を怖がっていた子供だったのかもしれない。
いつ何が出てくるかわからないお化け屋敷に怖がるように、何が起こるかわからない他人との関係の構築に怯えていたのかもしれない。
俺は今の生活が苦痛だとは感じていなかったのだ。
一緒に麻雀をやったり将棋をやったりして盛り上がった。
あれは決して俺の望んだ『何もない日々』ではなかったが、苦痛ではなかった。むしろ楽しかったかもしれない。
俺の中にある俺だけの世界に他人が入ることは忌むべきことでも、苦痛なことでも、不幸なことでもなかった。
白川、それに北本も佐々木も、この事実を俺に教えてくれた。
人との正しい関わり方とはなんなのだろうかと考える。
俺は今までの自分のスタンスに多少の間違いがあったことを認めた。
しかし基本は孤独という構造自体に問題があったとは思えない。
なぜなら前にも言った通り人は基本孤独なのだ。
自分がいる世界は他の何者とも共有していない。
住んでいる世界は日本であり地球なのだから共有しているではないかと思うかもしれないが、それは実は共有していない。
なぜなら他人とは見ているもの、住んでいる世界が同じであったとしても見えているものが違うからである。
神の視点からは、自分と他人は世界を共有しているかもしれない。
しかしその視点に意味はあるのだろうか。
自分の生きる世界を俯瞰している者は自分でないと意味がないのだ。
では集合で生きるとはどういうことなのだろう。社会とはなんであろう。
俺はこれを『各々の世界の共通部分』と捉えている。
視点も考え方も生き方も違う人々が、ここまでは自分の考え・世界を迎合できると定めたものの共通部分が社会であると思っている。
皆が皆、自分の好き勝手に生きていたら社会は成り立たない。ある種の妥協点として社会が作られている。
しかし、しばしば社会と自分の価値観はズレる。
特に人間関係については各々の基準が大幅に違うことが多くあるため、うまくいかないことが多くあるように感じる。
佐々木の例だと、クラス全員とそれなりに仲良くなることは佐々木基準ではセーフだと考えたが、クラスの一部では鼻についたらしく受け入れられなかった。
こういった感覚のズレを考えると、俺はどうしても人間は孤独なものだと思ってしまう。
結局自分の感覚でしか生きられないのに、その感覚は世界で自分しか持ちえない。
自分の見えている世界、自分がいる世界は自分以外存在し得ないのだ。
そんな中でも人間は他者と関わりを持つ。
非常に危ないように思えるが、現実ではそこそこ円滑に行われているから不思議だ。
畢竟他人との関わり方はバランスが肝要なのだろう。
俺は孤独に偏り過ぎていた。だから他人との関係への苦心が耐えない。
白川と佐々木はどうだろう。
白川との出会いのきっかけになった一件は、他人の感覚と自分の感覚のズレをうまく許容できなかったから起きたと言える。
佐々木の一件は、他人は感性が異なるということをわからなかったから起きたといえるかもしれない。
つまり、孤独な世界を知りすぎても、孤独な世界を知らなさすぎても良くないということなのだ。
こういう言い方が適切かは微妙だが、結局世界観の齟齬から軋轢が生まれうるというリスクと他人から得られる幸福感のリスク・リターンを考えることが人との適切な付き合い方を導き出してくれるのだろう。
100%1万円をもらえる選択肢を選ぶか、n%の確率でm円もらえるかの選択肢を選ぶかは、nとmにもよるし、人にもよる。
ただ、俺が高校に入る前まで、正確には白川・北本・佐々木に出会うまで思っていた数値よりも、現実のnやmは後者の選択肢が選ばれるには十分な程度には大きいみたいだ。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
ひとまず1章は終わりです。
2章以降も執筆中です。
これからは毎日投稿できるかわかりませんが、今後も読んでいただけたら、そして楽しんでいただけたら嬉しいです。
引き続きご愛顧のほどよろしくおねがいします。




