10. 北本雫が勉強をする理由。そして学生期間の本当の意義。
白川と図書室についた頃には北本はすでに自習をはじめていた。
「お疲れ様です。」
「おつかれ。」「お疲れ様です。」
まるで運動部みたいだ。運動部に入ったことないけど。
「今日もずっとお勉強ですか?」
「はい。そのために入部したので。」
白川は少し寂しそうな顔をしたがすぐ笑顔になってこちらを向いた。
「では今日も将棋をやりましょう。」
「ああ、でもその前に、どうだ?」
「もう、しょうがないですね。1回だけですよ。」
棋士の前に少し雀士になっておくのも悪くない。
東発、早速跳満をあがり白川と18000点の差がつく。
「やりますね。でもまだまだこれからですよ。」
目の前の勝負師は俄然やる気のようだ。
その後は、白川お得意の怒涛のツモが続く。白川も嬉しそうだ。俺の点棒はみるみる減っていく。
・・・。
それよりさっきからちらちらと目線を感じる。今日は目線を感じることが多いな。だた、今の目線はどこから向けられているかわかる。
しかし声はかけない。なぜならさっき学んだからだ。不用意に話しかけてもいいことはない。
結局逆転負けを喫する。麻雀なんて2度とやるもんか。時代は将棋だ。
「よし、将棋をやろう。」
「そうですね。」
白川は例によってカバンから将棋道具一式をとりだす。
「もうその道具一式ここに置きっぱなしにすれば?毎日持ってくるのも大変だろ。」
「そうですけど。置いておいて大丈夫ですかね。」
「大丈夫だろ。そもそもこの部屋誰も来ないし。」
「そうですね。今日からここに置かせてもらうことにします。でもまずは使うのが先です。」
「実は少し勉強してきたんだ。まずは1局指さないか。」
「そうですか。」
「でも、平手じゃ敵わなそうだから少しハンデちょうだい。」
「わかりました。じゃあ私は2枚落ちで指します。」
「よしきた。」
2枚落ちした盤面を見るとどことなく勝てそうな気がする。麻雀の恨みを晴らさせてもらおうか。
しかし局面が進めば進むほど俺の駒が減っていく。
・・・。
あ、これ負けるやつだ。
そう察すると集中力が切れた。集中力が切れたからか再び浴びせられていた熱い視線に気づく。
お前は勉強するために入ったんじゃないのか。シャーペンを持つ手は全く動いていないように見えるが。
「負けました。やっぱりまだ基本の動かし方がわかっていないようだ。」
「そうですね。でも以前より上手になったと思います!」
「そ、そう?」
「はいっ。」
白川と遊ぶと楽しい。こいつが敵を作らない理由がわかる。
それよりも勉強しに来たと言っていた人はまだこちらを見ている。何をしに来たのだろうか。
「ところで、北本は勉強捗ってるか?」
思わず話しかけてしまった。いい加減目線が気になる。
「え、ええもちろん。」
急に話しかけられ狼狽しているようだ。
「でもまあずっと勉強していても疲れるだろう。どうだ、こちらで少し休まないか?」
さすがの俺でも、あの目線がなにを意味しているか解読できた。あんなに羨ましそうな顔されたら誰でもわかる。
「え?あ、そ、そうですね。では少しだけご一緒させてもらいます。」
北本は一瞬嬉しそうな顔をした後、慌てて平静を装っていた。
いや、さっきまでの視線でもうバレてるから。こいつすっごいしっかりしてそうな見た目しているが意外と抜けてるところあるな。また第一印象に騙されたらしい。
「なにかルールの知ってるゲームはあるか?」
このご時世大抵のゲームはスマホでできる。
「実は割と何でもできます。」
「すごいですね!さすがです。」
俺もすごいなと思う。でも考えてみればルールの知らないゲームは見たりしないか。
「麻雀も将棋もわかるのか。」
「ルールを知っている程度ですけどね。」
やっぱり。しかも「ルールを知っている程度」だと言う。俺はこの言い方には実に懐疑的な立場をとっている。白川の麻雀の一件があったからだ。
「将棋は二人でしかできないが麻雀は3人でできるし麻雀をやるか。三麻のルールはわかるよな?」
二人はうなずく。まさか高校に入って女子二人と麻雀をすることになるとは夢にも思わなかった。
途中三麻特有の大きな点棒移動が多く発生し何度もトップが変わる展開だったが終わってみれば白川のトップだった。
俺はもうすっかり慣れたので素直に白川を讃えていた。
しかし北本はそうではなかった。
「もう1戦、もう1戦やりましょう。」
俺と白川は顔を見合わせて笑った後姿勢を正した。
「はい。」「よし、今日はとことんやるか。」
下校のチャイムが鳴るまで北本は諦めることはなかった。
「くう、悔しいいい!」
北本はまだ悔しそうにしている。
「なんでそんなに強いんですか。もしかして、イカサマ?」
そう言いたくなる気持ちはわかるぞ北本。
「うふふ、偶然ですよ、偶然。」
「ほんとにぃ~??」
「もう、だいたいアプリでどうやってイカサマするんですか?」
「それは、課金とか?」
北本の疑惑の念はとどまるところを知らない。
でも、なんだか一緒に麻雀をやったら白川と北本の距離が近づいたように見える。にこにこ楽しそうに話す二人の後ろを俺は歩く。
「では、また」
「おう。」「いつか倒します。」
白川と別れる。
昨日よりも柔らかい表情の北本にずっと思っていたことを聞いてみることにした。
「お前、本当に勉強が好きなのか?」
勉強をするために入ったという割には勉強に対して真剣さが無いと思う節が何度かあった。
「嫌いではないですが、好きとも言えないです。」
北本は少し目を伏せたように見えた。
「じゃあなんで。いや、悪い。」
なんで休み時間も勉強しているのか。なんで部活でも勉強するつもりだったのか。
しかしこれは気軽に聞いていいことではないような気がした。
そう思い話をやめようと思ったが北本は微笑んで続けた。
「別に大した話じゃないですよ。うちの親は教育熱心なんです。他の人の親を知っているわけじゃないんですけどね。私が一時期中学校の時テーブルゲームにはまったときも、そんなことをする時間があったら勉強しろと言われました。スマホを買ってもらえたのも高校に合格してからでした。私にとって勉強は義務というか日課と言うかそんな感じでした。お風呂やトイレを毎日行うのとちょうど同じ感覚です。」
我が家は教育に関しては放任的であったのでいくらか驚いた。しかしこの高校は進学校だしそういう家庭があってもおかしくないとは思う。下手したら我が家みたいなのがマイノリティーの可能性すらある。
「ただ、私は別にこの家庭環境に不満はありませんでした。学生の本分は学業だ。今勉強しないと後悔する。親の言い分には一理あると思います。私はそれに対抗する意見はありませんでした。勉強をしないことを正当化できると言ったら変ですが、とにかく勉強をしない尤もらしい理由はありませんでした。今思えば理由があっても勉強と両立しろと言われていたような気がしますけどね。」
やっぱりこいつは俺に似ている。本当に打ち込めるものが見つからずにこの歳になったタイプの人間だ。
「つまり私は考えることをやめたんです。」
いつも北本と別れる十字路に着いてしまった。
「でも、今日は楽しかったです。」
北本は手を振って一人歩き出した。
ベッドに寝ながら北本の話を思い返す。
北本は考えることをやめると言っていた。
果たして俺は今の生活でなにか考えているのだろうか。
今やっている勉強や部活の間に思考は介在していると言えるのだろうか。
考えると嫌になるという理由で思考を放棄してはいないだろうか。
忙しさに自分を仮託してはいないだろうか。
自分に問いかける。
しかし考えれば考えるだけ嫌になってくる。
例えば今日の英語のテストだ。俺はテストのせいで朝から勉強していたが、そのテストは果たして本当に俺の人生に役立つだろうか。
些細なことからどんどん演繹していくともう何もかもが虚しくなってくる。
こんな気分になるならもういっそ考えるのをやめよう。
これが思考の放棄である。
「考えない」という状態には本質的に違う2種類ある。
一つは自分のやるべきこと、やりたいことが自分で明確に認識している場合だ。自分の信じることを何も疑わずやればいい。考えなくても自分の中から自然とやるべきことが生まれてくる。考えなくても今あるべき状態にいられる。
もう一つは自分でわかっていないが、やるべきことを誰かに提示される場合である。自分でも何をしているかわからない。何をしているのか、する意義を考えようとすると自分が足元から崩れ落ちそうになる。
これらは本質的に違っている。考えなくても誰かがすべきことを規定してくれる。
前者は意思から行動までが自分で閉じている。誰のせいにもできないが誰に言われたものでもない。責任から意義まですべて自分に内在している。
では後者はどうだろうか。意思も無ければ責任の所在もわからない。意義も意味もわからず言われたことをひたすらやる。そこに自分の心はない。ただ、無心でやる。忙しさに身を投じ心を亡くす。
俺は今どう生きているだろうか。
なにか目標を持って生きているだろうか。
わからない。
意思を持った人生を歩んでいるだろうか。
わからない。
ただ、これは言い訳なのかもしれないが、俺はまだ15年しか生きていない。
そうやすやすと自分が生まれてきた理由がわかるほど人生は簡単なゲームではないだろう。
・・・。
・・。
・。
なるほど。思わず声が漏れる。
だから学生期間というチュートリアルがあるのか。




