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カーテンコールのその後に  作者: 紺野千昭
第二幕 ――咎人の嘆き――
9/22

敗者達の慟哭

「――相変わらず怖いもの知らずですねえ……団長?」


 七つ目の角を曲がった先、松明たいまつの道標の末に到着した真っ暗な部屋。

声はその奥から響いて来ていた。


「……そんなことはない。部下たちはどうした?」


 出所不明のその声にも、ヘクトルはなんら動じない。


「ああん? この俺が、あんたを叩きのめすチャンスを他人に譲ると思ってるんすかあ?」

「ふっ、やはりお前はそういう男だな」


 瞬間、部屋の各所で松明がともる。と同時に、一人の男の姿が浮かび上がった。


 らんらんと煌めく漆黒の瞳、不敵な微笑をたたえた口元。全身から放たれるのは、殺気にも似た威圧感。――野獣じみたその男は明らかに常人ならざる雰囲気を纏っているが、何より異様なのは腰に差した二振りの双剣だった。


 それぞれが一メートルを越す規格外の大長剣。普通ならば両腕で抱えてもまだ持て余すほどの長物を、男はごく自然に携えていたのだ。


「エリオス=フォクスハンド――できればこんな形で再会したくはなかったな」

「へえ、そうですかい? 俺は割と嬉しいけどねえ。――何十年かぶりに、あんたから闘気を向けられるのは。……まっ、得物えものがそんなおもちゃってところが気に食わねえが」


 ヘクトルのげたロングソードを一瞥いちべつして、エリオスは不満げに鼻を鳴らす。


「……もはや魔物と戦う必要はない。これで十分だ」

「嘘が下手だね、あんた。……『無名』を手放したのは‘けじめ’のつもりなんだろ? んん?」


「……否定はしない」

「はっ、そんなこったろうと思ったよ。……だけどな、それは本当の理由じゃない。教えてやろうか? あんたの本心ってやつを」


 エリオスの眼が恐ろしいほどに鋭くなった。


「――あんたは怖いんだよ、あれ|(無名)を持っているのが。……そうだろう、ヘクトル? あれは死んだ仲間たちの武器から鍛えた剣だものなァ? 復讐の誓いそのものだものなァ? 今のあんたに持つ資格なんかねえものなァ?!! 違うか? 団長さんよォ?!!」

「……否定はしない」


 ヘクトルは頑なに同じ言葉を繰り返す。


「……だが、強いて言うのならば、‘今の私には’ではない。団長として何も成し得なかった私には、最初から持つ資格などなかったのだ」

「……チッ、てめえの弱音なんざ聞きたかねえよ……」


 その自嘲的な態度が気に食わなかったのか、エリオスはいらだたしげに舌打ちをする。


「そうだな、エリオス。私の話など今は不要だ。故に、今度はお前の事情を聴こう。――なぜこんなことをした? 話せ。今なら私一人だ」

「事情か……まあ、ないこともない。が、俺が野盗を働いていたのは紛れもない事実さ。事情は後からできただけのことよ。……さて、ここまで聞いてあんたはどうする? 見逃してくれるかい?」


「……罪が事実だと言うのならば、然るべき処罰を与えるだけのこと。我々は常に規範であらねばならぬ。情調酌量の判断を下すのは私ではなく、調停所の役目だ」

「だよな、そうだよな……ククク……やっぱ、あんたは変わらねえな……」


 エリオスは心の底から嬉しそうに嗤った。


「――だったら、早いとこやりあおうぜ。……かったるい話はその後でもいいだろう?」


 危うげにぎらついた餓狼の瞳。口元では我慢できないとばかりに舌なめずりをしている。――ヘクトルは嫌と言うほど知っていた。これこそ、エリオスが標的を切り刻む直前に見せる獣の相貌そうぼうだということを。


「……もはや是非ぜひもなし、か――」


 応じるようにして、ヘクトルも長剣の柄に手を掛ける。

 そしてその切っ先が抜き放たれた瞬間――エリオスの巨大な双剣がヘクトルを襲った。


 息継ぎすらもままならぬ、暴風の如き不可避の連撃。四方八方からほぼ同時に襲い来る剣閃は、数百の狂獣の群れと相対しているかのよう。


 そんな神速の斬撃を、ヘクトルは剣一本でいなしていく。……だが、さばききったはずのヘクトルの右肩から、突然血が噴き出した。


 老兵を襲ったものの正体、それは――真空の刃。剣戟の合間に放たれた攻撃魔術だ。それも、龍の息吹さえものともしないヘクトルに、手傷を負わせるほど強力な。


「どうだ、懐かしい感触だろ? ヘクトルさんよお?」


 本来ならば、極度の集中と数十節の詠唱を必要とする攻撃魔法。だがエリオスは、苛烈な連続攻撃の片手間で、絶え間なく魔術を起動させていく。


 剣技と魔法による怒涛の連携。こと、攻めの手数においてはヘクトルさえしのぐと言われた男の本領である。


「ははははは! どうしたどうしたァ! 亀の真似ごとかァ? 骨になるまでやってろよォ!」


 ますます勢いづくエリオスに対して、ヘクトルは防戦一方。双剣は防げても、魔術により徐々に生傷が増えていく。


 魔術には魔術で対抗するのが定石。元兵団長ともなれば当然知っているはず。だというのに、ヘクトルは一向に魔法を扱う素振りを見せない。――いや、彼は魔法を‘使わない’のではない。‘使えない’のだ。生まれながらに魔術適正がゼロだったヘクトルは、新兵が真っ先に習う身体強化魔術でさえ習得してはいないのである。


 故にヘクトルは、ただひたすら熾烈な攻勢に耐え続けるしかない。だが、いつ終わるとも知れぬ斬撃の嵐は……しかし、不意に途絶えた。――エリオス自身が自ら手を止めたのだ。


「……やっぱ気に入らねえな……」


 突如攻め手を止めたエリオスは、苛立たしげに鼻を鳴らす。そのねめつける先には、ヘクトルの握る長剣があった。


「そんなもん捨てちまえよ。爪楊枝みてえにちっちぇえ剣なんざ、あんたにとっちゃ邪魔なだけだろ?」


 だが返事をしようともせず、ヘクトルはなおも長剣を構えるだけ。

 その態度がエリオスの神経を逆なでしたらしい。


「舐めんのもいい加減にしろよォ、クソジジイ!!!」


 憤怒の咆哮と同時に、エリオスの全身が膨大な魔力で覆われる。そして一拍の間断かんだんもなく更に苛烈な猛攻が始まった。――体中に張り巡らされた魔力による超加速。その速さたるや、先ほどまでの比ではない。


「俺にはそれで十分ってか? 本気は出さねえってか? ふざけんじゃねえぞ! てめえは戦い方まで忘れちまったってのかァ? あぁっ!?」


 激情に駆られるがまま繰り出される、乱打にぐ乱打。そのあまりのはげしさに、大気までもが白熱する。


 そしてエリオスは、身を焦がすような怒りの絶頂で叫んだ。


「そんな――おもちゃで――どうして――魔物が――れるってんだよおおおお!!!!」


 一言ごとに打ちつけられる大双剣。腕力と魔力の相乗による痛烈な衝撃が、齢五十を越える老体へ牙を剥く。その圧倒的な暴威を前にして、ヘクトルよりも先に彼の武器が限界を迎えた。


 パリン――と甲高い断末魔が響き渡る。最後の一撃を受けた瞬間、ヘクトルの長剣が粉々に砕け散ったのだ。


 そしてその隙をついて、魔力を纏った一蹴が老兵の胸部を正面からとらえた。


「――ッ!!?」


 軽々と吹き飛ぶ老兵の巨体。固い石壁に叩きつけられてもなおその勢いは衰えず、ヘクトルは壁を突き破って更に隣室の壁に打ち付けられる。衝撃により崩れた瓦礫が、がらがらと老体に降り注いだ。


「へへ、どうだい? 少しは目が覚めたかよ、‘おじいさん’?」


 会心の一撃にほくそえみながら、エリオスはゆっくりと瓦礫の山へ向かう。いかに頑強な肉体とて、あれだけの衝撃で手傷を負わないはずがない。


 ――だがその視線の先、崩れた壁の奥で、鋭い眼光が瞬いた。


「――ああ、今のは骨身に響いたぞ――」


 刹那、四散する礫片れきへんの山。


 気づいた時にはもう、老兵はエリオスの懐深くに踏み込んでいた。


「チッ――!?」


 撃ち出される鋭い掌底。

 エリオスは咄嗟に双剣を盾にするも、超人的な怪力を受け流すことは不可能だった。


 先ほどとは逆に、今度はエリオスの体が宙を舞う。だがその勢いは天と地ほどの差。一枚、二枚、三枚と、まるで障子紙しょうじがみか何かのように易々(やすやす)岩壁を貫通して、エリオスは一直線に弾き飛ばされる。ようやく止まったのは、八枚目の壁に特大のひび割れを残した後だった。


「……がはっ、無茶苦茶やりやがる……! 今の、俺じゃなきゃ内臓ぶちまけて――っ!」


 ごぼり、とエリオスは咳き込みながら血を吐く。――その眼前には、既に巨大な拳が迫っていた。


「休ませてもくれねえか――ッ!」


 微塵の容赦もない追撃の掌底。

 エリオスが紙一重でかわすと、老兵の拳は石壁に突き刺さり……まるではりぼてか何かのように軽々と砕き割った。


 瓦礫の崩壊音を背景に、二人の視線が交錯する。


 見せつけられた歴然たる力の差。だがエリオスは、むしろ嬉しげに笑った。


「へへ……そうだよ……そうこなくちゃなァ!!!」


 常軌じょうきいっした力量を目の当たりにしながらも、エリオスはあえて前へ踏み出す。

 この老兵相手に生半可なまはんかな防御など無意味だと知っている……という理由もあるが、それ以上に、これがエリオスの持つ元来の気質なのだ。


 剣技と魔術を織り交ぜた疾風怒濤の連続攻撃。恐ろしいことに、その速さは一秒ごとに増していく。他方、ヘクトルもまた一歩も引くことなく素手のみでそれを捌いていた。長剣を使っていた時とは明らかに動きのレベルが違う。


 そして技と技との継目を完全に見切ったヘクトルは、再びエリオスを弾き飛ばす。……が、今度はエリオスも予期していたらしい。


「そう来ると思ったぜェ……!」


 微かに動くエリオスの唇。

 異変に気付いたヘクトルが立ち止まった瞬間、その眼前に黒炎の竜巻が湧きおこった。


 炎と風、二つの属性による強力な合成魔術。火竜でさえ焼き殺すほどの焦熱だ。さしものヘクトルもこれには二の足を踏むしかない。


「ほおら! こいつはどうすんだァ?!」


 逃げ場のない閉鎖空間を、炎の暴風が恐るべき速度で飲み込んでいく。対策を考える時間とて幾許いくばくも残されてはいない。このままでは数秒後には黒焦げになるだろう。


 だが、ヘクトルの答えは単純明快だった。――逃げ場がなければ、作ればいいだけではないか。


 おもむろに拳を振り上げたヘクトルは、そのまま足元へ叩き下ろす。轟音と共に始まった床の崩壊は、ヘクトル自身のみならずエリオスまでも巻き込んだ。


 崩れ落ちる瓦礫の雨霰。その残骸を蹴ってヘクトルは宙空を駆ける。肉薄する先は未だ体勢の整わぬ敵の懐。


 そんな急襲さえも、エリオスは常人離れした反射神経で受け止める。――だがそこまでだった。


 足場のない空中では、突っ込んで来た勢いを殺すことができない。ましてや相手は人外の怪力。エリオスはそのまま地面に叩きつけられる。そして、激痛で歪む視界に映ったのは、まっすぐ振り下ろされるヘクトルの鉄拳だった。


「――ああ……むかつくぜ……」


 静まりかえった岩屋の中で、エリオスが呟く。ヘクトルの拳は、彼の鼻先数ミリのところで止まっていた。


「結局、あんたにはかなわねえのかよ……」


 大の字に寝転がったまま、エリオスは双剣から手を離す。それが降参の合図だった。


 ヘクトルに掴み起こされたエリオスは、落ちていた岩塊に腰を下ろす。野獣のような闘気はすっかりしぼんでしまったようだ。


 ただし、頬に浮かべた不敵な笑みだけは戦闘前と何も変わっていなかった。 


「……けど、やっぱり俺が正しかったな。あんた、あの頃から少しも衰えてないじゃないか。辺境に飛ばされた後でも、ずっと鍛錬を続けてたんだろう?」


 ヘクトルは答えない。だが、エリオスにとってはそれが何よりの返答だった。


「へへ、あんたは嘘が下手だな」


 見透かしたような元部下の視線を、ヘクトルは頑なな表情で跳ね除ける。


「……お前がどう思おうと自由だ。だが、もう兵団は終わった。これは揺るがぬ事実だ」

「いいや、終わってないね。……俺や、あんたがいる限り」


戯言ざれごとを。魔王は既に死んだ。死骸も確認したはずだ」

「いいや、死んでないね。……俺たちが殺さない限り」


 なおも言い張るエリオスに、ヘクトルは珍しく声を荒げた。


「現実を見ろ、エリオス! 魔王を倒したのは勇者様だ。我々の役目はもう終わったのだ!」

「チッ……どいつもこいつも、勇者勇者って……」


 苛立たしげに舌うちしたエリオスは、突如形相を歪めて吠えた。


「あんな野郎、俺たちの苦労も流した血の色も知らない部外者だろうが! 俺は認めねえぞ! 勇者なんざ糞喰らえだ!」

「何を言うか、平和を掴み取ったのはあのお方だ」

「俺たちでもやれてたさ!」


 エリオスの叫び声が岩屋いわやを震わす。いつの間にかその眼には、戦闘中に見せていたあの燃えるような輝きが戻って来ていた。


「八年前……勇者召喚さえなければ、魔王討伐遠征が行われていたはずのあの年! 俺たちは歴代最高の兵団だった!」


 そう断言したエリオスは、かつての戦友たちの名前を次々に挙げ始める。


「第一分隊長・ペルティレア=ネイザーム――あいつ以上の大槍遣いを、俺は知らねえ!」

「エリオス……」


「第二分隊長・クリュセール=メムニア――あれほどの狙撃手、他にいたのかよ!?」

「もうよい……」


「第三分隊長・アレイオス=アーヴズ――あの結界術には、あんただって何度も助けられただろうが!」

「やめよ、もう十分だ……」


 だが、どれだけ制止されようとエリオスは止まらない。

 今なお魔王に魂を囚われた男は、ただ感情のおもむくままに叫んでいた。


「ラーグリーズが居た! フラネスカが居た! エピウが居た! ガルシアが居た! それから俺とテレジア! そして――そしてあんただ、ヘクトル=アーバンカイン!!!」


 二人きりの砦に、エリオスの声だけが反響する。


「俺たちには勇者なんか必要なかった! 俺たちの手で勝てたんだ! あんたが一番よくわかってるはずだ! そうだろう? なあ、そうだと言ってくれよ――団長!」


 エリオスの慟哭どうこくには、いつの間にかすがるような響きが籠っていた。


「そうかも知れん。そうでなかったかも知れん。だが仮に勝てたとしても、その過程で必ず誰かが命を――」

「全員覚悟はできていた! 命なんて惜しくなかった! 俺は――俺たちは魔王を殺す、そのためだけに剣を振るってきたんだ! そのための命だった! 俺たちが生きながらえてきたのは、誰かが作った平和な世界で抜けるためじゃねえ! クソッタレな魔王のはらわた引き裂いて、死んでいった仲間の敵を討つためだろうが!」


 エリオスの瞳が敵意にぎらつく。三年が過ぎ去ってなお、彼の胸中を支配する魔王への憎しみは、少しだってかげってはいないのだ。


「俺は絶対に忘れねえ! 仲間が噛み砕かれる音! 焼けただれる臭い! 冷たくなっていく感触! 一つだって、俺は手放しやしねえよ!」


 そしてエリオスは、懐から一枚の布きれを取り出した。


「なあ、ヘクトル、お前は忘れちまったって言うのかよ!? この紋章に誓った日のことを!!」


 掲げられたそれは、盾の紋章が刺繍ししゅうされた旗。人類の盾であらんとする兵団の象徴。千年前から受け継がれてきた、彼ら兵士の魂そのものだ。


「師に、同胞に、部下に……俺たちの手で仇を取ると、死ぬ度に誓っただろうが! みんな約束が果たされることだけを願って死んでいった! 名誉のためでもねえ、報奨金が欲しかったんでもねえ! そんなもんは、全部勇者とやらにくれてやってもよかった! 俺は、ただ、俺たち兵団の手で魔王の首をとりたかった! 死んでいったあいつらとの誓いを、果たすために――!!!」


「――黙れぇぇええええ!!!」


 老兵の咆哮が、エリオスの声を掻き消した。


 放たれた気迫だけで壁一面にひびが走り、砦全体が大きく揺れる。


 そして静まり返った岩屋の底で、ヘクトルは小さく呟いた。


「……忘れるはずが、ないだろう……」


 腕の中で息絶えた部下の顔。初めて魔王と対峙した時の戦慄。死に往く先代の背中。そして、勇者が魔王討伐から帰還し、剣を振るうことなく戦いが終わったあの瞬間。――老兵の脳裏で次々と記憶が蘇る。


「……我々の戦いの日々を、忘れなどするはずが――」


 そう、ヘクトルは今なお、兵団で経験したすべての出来事を克明に思い出すことができる。


 だが、それでも――


「――終わった。エリオスよ、すべてはもう終わったことなのだ」


 今ここにある現実は、たった一つだった。


「……そうかよ。ジジイらしく聞き分けたってことかよ……」


 エリオスの手から、兵団の紋章が滑り落ちる。


「……じゃあ最後に聞く。もう終わったってんなら……全部済んじまったってんなら……あんたはどうしてここ(戦場)にいる?」


 エリオスの問いかけは、老兵の左胸の奥深くに突き刺さる。

 だがその痛みさえも、ヘクトルは胸のうちに仕舞い込むのだった。


「……元団長として、兵団員の後始末をつけにきた。ただそれだけだ」

「……そうかよ、石頭」


 エリオスはもう、食い下がろうとはしなかった。ただ小さく失望の吐息をこぼして、懐から一通の封書を取り出す。


「……ほらよ、あんたの聞きたがってた『事情』ってやつだ」


 差し出されたのは、高級な羊皮紙製の綺麗な外装。既に封は開けられている。

 ヘクトルは封筒を裏返すと、添えられたサインを読み上げた。


「‘フーリ&イポーズ商会’……?」

「田舎に引きこもってたあんたは知らねえか。最近急にでかくなった新興の商会さ。色々と手広くやってるらしいが……一番大きな仕事は開拓地への物資輸送。ちなみにその手紙も、輸送キャラバンから頂戴した物だ」


 エリオスは悪びれもなく略奪した事実を告げる。


「エリオス、貴様……」

「おいおい、苦労して手に入れたんだから、俺をにらむより手紙を読んでくれよ。……なんたって、最近の商隊ってのはすごいんだぜ? 馬は払下げの軍用馬、護衛は馬車一台に十六人。武器には致死性の猛毒が塗られてるし、しまいにゃ御者まで上級魔術で反撃してきやがる。いやー、俺らの知らない間に、商会ってのは軍隊並の組織になったらしいな。その手紙だって、酒樽の二重底に隠されていたんだぜ? なんとも不思議な話じゃねえか?」


「偽装キャラバン、だと……!?」

「……で、読むのか、読まないのか? いくら石頭のあんたでも、中身を見りゃ理解できると思うぜ。……まっ、平和ぼけしたまま死にたいってんなら、読まないことを勧めるけどよ」


 ヘクトルは無言で封書を開く。


 入っていたのは、備蓄品の目録らしき数枚の羊皮紙。それ自体は商会が持っている封書として不自然ではない。だが、記されていた内容が問題だった。


「一体、これは……!?」

「あんたにとっちゃ見慣れたもんだろ? 物資の在庫票さ。開拓地の、な。……もっとも、議会に提出されてるのとは別物らしいけどよ」

「そうではない、この内容のことを聞いている! この武器や糧食の数、これでは、まるで……」


 束の間、言葉を失うヘクトル。

 その続きをエリオスが引き取った。


「まるでも糞もねえだろ。見ての通りさ。――パリスの野郎はな、ミュケネスとの戦争を起こそうとしてんだよ」


 そう、在庫目録に記されていたのは、尋常でない量の武器や補給品の数々。それが意味するものとは、大規模な戦争の準備に他ならなかった。


「俺らとミュケネスが開拓地でちょくちょく衝突してるって話は聞いてんだろ? あれもそこに載ってる物資と同じ、戦争のための下準備さ。せっせと火種をこしらえて、向こうが攻撃を仕掛けてきたら防衛という名目で晴れてドンパチ開始。おっぱじめさえすりゃあ、万に一つもトゥルヴィアは負けねえ。戦力の桁が違いすぎるからな。ミュケネス全土を征服するのに、三ヶ月とかからないだろう。後は開拓地やら賠償金やら、絞り取れるだけ絞り取るだけ。政治屋の連中にとっちゃこの戦争ほど美味いものはない。今はそのために大義名分作りの真っ最中ってわけだ」


「それらをすべて、パリス副宰相が仕切っていると……?」


「少なくとも、テレジアはそう睨んでる。ってことは事実なんだろうよ。……まっ、俺も少し嗅ぎまわってみたが、あいつは確かにイカれた国粋主義者こくすいしゅぎしゃだ。それも、異常な権力欲って病気まで併発してやがる。他国をぶっ潰しつつ、トゥルヴィア国内での地位も固められるこの戦争は、あいつにとっちゃ栄光ある政治家人生のための踏み台なんだよ。……ふん、反吐が出るね。おこぼれにあずかろうとしてる腐れ議員共も一緒だ」


 エリオスは不愉快そうに唾を吐き捨てた。


「ヘクトル、人と人とが争う時代が来るぞ。……昔だって、山賊や犯罪者なんかの刃傷沙汰にんじょうざたいくらでもあった。だがこの争いは全く別物だ。国と国が、互いの民を守るために起こす戦いだ。あんたもわかるだろう? それがどういうことか。俺たちが魔物共に向けていたあの憎悪が、人間に向けられるようになるんだ。それもお互いにな。……そして、こいつは一度始まったら終わらねえ。復讐の連鎖がどこまでも続く。ずっと、ずっとだ。想像するだけでぞっとしちまうね」


 身を震わせたエリオスは、


「さあて、俺の仕事はここまでだ。あばよ」


 と踵を返しかけてから、思い出したように付け加えた。


「……ああ、それとな、最後に一つ言っとく。あんたは勘違いしてる。俺たちはあんたが団長だからついていったわけじゃねえからな」

「……どういう意味だ?」


 その問いにエリオスは答えなかった。


 静かに去っていく部下の背中を追いかけることもできず、ヘクトルはただ独り部屋の中央に立ち尽くす。掌の封筒が、ひどく重かった。

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