望まぬ再会
一夜明けた午後。
ヘクトルは宿屋にて、野盗討伐のための準備を整えていた。といっても王都へは手ぶら同然で来たため、荷造りの必要もない。……ただし、お荷物がないのかと言えば、特大のものが残っているのであった。
「ふんふん、ふっ、ふ~ん!」
鼻歌混じりに身支度をするのは、わざわざヘクトルの部屋で荷造りをしているチコ。
ヘクトルは念のため、ご機嫌な従者に尋ねた。
「……チコ、一応聞いておくが……何をしている?」
「へえ? 何って、出発の準備に決まってるじゃないですか~。もうすぐ案内の人が来るんですよ、忘れちゃったんですかぁ?」
などと言いながら、少女はうきうきでリボンを結ぶ。
ヘクトルは大きく溜め息をついた。
「チコ、昨晩散々言って聞かせたはずだ。……お前はここで待機だ」
と告げると、チコはまるで初めて聞いたかのように驚きの声をあげる。
「えぇ? なんでですかぁ?! 私は団長の従者なんですからぁ! 一緒に行きますよぉ!」
「そもそも私は従者として認めた覚えはないのだが……ともかく、危険なことになるかも知れん。お前に怪我などさせようものなら、ディディ殿に申し訳が立たん」
「大丈夫ですよぉ、おじいちゃん『全身全霊でお仕えしろ』って言ってましたし~」
「そういう問題ではないのだが……」
口下手なヘクトルは、この強情な見習い従者を説き伏せるのにどうしても難儀してしまう。そこで、とある秘策を思いついた。
「……そうだ、ならばこうしよう。小遣いをやるから、この街の現状調査をしてくるのだ。無論、食事や休憩などは自由にとっていいぞ。これは重要な任務だ」
「お小遣い……食事……自由……! うぬぬぬぬぅ……」
任務という響きを与えつつ、食べ物で釣るヘクトル渾身のアイデア。……が、意外に真面目なチコは、葛藤の末に誘惑を撥ね退けた。
「うぬぬ……でも、やっぱりヘクトル様についていきますよぉ! だいたい、カサントスちゃんはどうするんですかぁ? 隊長が降りている間に何かあったら、手なずけられるのは私だけですけどぉ?」
「ウムムム……参ったな……」
さしものヘクトルも従者の扱いは大の苦手。困り果てた様子で頭をかく。
そこへとうとう、タイムリミットを告げるノックの音がした。
「――失礼いたします、ヘクトル副兵長。本日案内人を務めさせていただくセルマでございます」
声に続いて入ってきたのは、にこにこと柔和な笑みを浮かべた優男。案内人というからには一応兵士なのだろうが、とても剣を握れるようには思えない。
「時間になりましたので、御迎えにあがりました」
「ええ、それはわかっているのですが……」
「あ、大丈夫でぇす! 今行くので~!」
「こら、チコ……勝手なことを……」
そうして有耶無耶のまま戸外へ出た二人は、案内に従い街を出る。
だがそこには、予期せぬ同行人たちが待っていた。
「――同行者は砦までの案内人だけ、という話だったはずですが?」
門外に並んでいたのは、ずらりと整列した兵士たち。全員がいかめしい武装に身を包み、騎馬を伴っている。
「本日護衛を務めさせていただく、副宰相旗下・中央特務憲兵隊です」
「副宰相旗下……」
初めて聞く部隊名だ。それがテレジアの言っていた『パリスの私兵まがいの部隊』だということは容易に想像がついた。
「ヘクトル副兵長、引退なされたとはいえ、あなたは元連合兵団長です。万が一があってはなりません。副宰相殿のはからいで、急遽このような形になりました。いやあ、事前通達が遅れしまって申し訳ありません」
セルマは笑い顔のまま頭を下げる。
「……エリオスは強者です。皆様にも危険が及ぶことになりますが?」
と、ヘクトルは暗に残るよう要請するものの、憲兵隊の長らしき男はまるで気にも留めずに頷いた。
「承知の上だ。我々を甘く見ないでいただきたい。……何より、相手は逆賊エリオスだけではなかろう。奴の部下全員を一網打尽にせねばならぬ。無論、そちらの従者殿の安全も確保しよう」
憲兵隊長はちらりとチコに目線を遣る。
その一言で、ヘクトルは否応なく決心するしかなかった。
「……わかりました。よろしく頼みます」
「無論だ。我が部隊の誇りにかけて、な」
――――……
――……
ブラウ地方北部・森林地帯。
ミュケネスとの国境を走る広い林道に、ヘクトルたち一団の姿があった。
「こんなに広い道ができていたとは……知りませんでした」
「戦後になってできたばかりですからね。‘不毛地帯’を経由してミュケネス北部の魔王領開拓地までつながっているんですよ」
‘不毛地帯’とは読んで字の如く草木も生えない土地全般を差す。動植物に乏しい岩ばかりの土地であるため、人間はもちろんのこと魔物すら棲みつくことができない空白の地帯だ。特にトゥルヴィア周辺に多く分布しており、魔王存命時には魔物の侵攻を防ぐ天然の盾として重宝されていたのだが、今となっては魔王領開拓を阻む足枷でしかない。開拓団はその不毛地帯を物資輸送ルートとして整備していたようだ。
「野盗はその開拓地への物資を狙って現れるんですよ。ご覧の通り、場所的にもミュケネスとの国境付近と厄介でしてね。大軍を動かすとミュケネス側が抗議してくるものですから。近頃は開拓地の方でもいちいち突っかかってきて困っていると聞きますし、まったく、小国の癖に生意気でいけませんね。奴らの兵力など、我々トゥルヴィアの二十分の一にも満たないというのに」
セルマの口調はいたって穏やか。けれど、そこには明らかに見下しの心が秘められている。
ヘクトルは眉根をぴくりと上げたが、無駄に突っかかろうとはしなかった。
それから新しい街道を往くこと数時間。はしゃぎ通しだったチコが疲れを見せ始めた頃、彼らはようやく目指す場所に到着した。
「遠路お疲れ様です、ヘクトル殿。……ここが野盗共の砦と目されている場所でございます」
馬を近場に留めたヘクトル含む憲兵隊は、木陰からそっと盗み見る。
どうやら岩棚をくりぬいて造られた砦らしく、外観としては本当にただの岩の壁だ。しかし、よくよく見れば確かに人一人がやっと通れる程度の入口が備えられている。間違いではなさそうだ。
「といっても、どうも他に出入り口が多数あるらしく、確認できたのがここだけという次第で……」
ヘクトルは最後まで聞く前に、懐かしそうに笑った。
「ええ、そういうものです。奴のごろつき時代の根城も、同じような造りでしたから」
「なるほど……ならば話は早いですね。まずは先遣隊を派遣して――」
「不要です」
言って、ヘクトルは無防備に木陰から踏み出す。
「これでもあやつとは二十年来の付き合いです。性格は良く知っている。奴が私から逃げるなどということは、天地がひっくり返ってもありません」
「で、ですが、罠があるかも知れません。それにエリオスには手練れの部下たちも……」
「いいえ、罠も伏兵もないでしょう。あの男は自分でやりたがる。そういう性分なのです。私を正面から叩きのめせる絶好の機会を、わざわざ部下に譲りはしない」
そして、ヘクトルははっきりと言い切った。
「無礼を承知で言わせていただく。ここから先は私一人で行かせていただきたい。エリオスとの戦いでは、あなた方憲兵隊は足手まといになる。乱戦はあやつの十八番ですので」
率直な物言いに、憲兵隊の面々は言葉を失う。静かな口調ではあったが、そこには有無を言わせぬ響きが含まれていたのだ。
「その代わりといってはなんですが……どうか、チコを頼みます」
「団長! 私も一緒に――」
「――チコ、聞き分けなさい」
流される形でここまでの同行は許可した。だが、これ以上の譲歩はないという宣告。
チコは唇をへの字に曲げたが、だだをこねようとはしない。
「ウム……いい子だ」
ヘクトルが頭をぽんぽんと撫でると、への字だった唇がこそばゆそうに笑った。
「……それでは、後ほど」
そうしてヘクトルは、ぽっかりと口を開けた入口へと足を運ぶ。
砦内部は迷宮のように複雑な構造になっていた。岩壁をくりぬいて造られた無数の部屋と、同じく四方八方へ伸びる無数の通路。しかし迷うことはない。
理由は実に単純。砦の通路には、まるで導くように燭台の灯りがともされていたのだ。
「……ふん、エリオスめ、相変わらずの不敵さよ」
呟く口元が微かに笑っていることに、本人は気づいているのだろうか。
ヘクトルは微塵の躊躇いもなく進む。罠も伏兵も、端から疑ってなどいない。
そして事実、ヘクトルの往く手を阻むものは現れなかった。――その場所へたどり着くまでは。
「――相変わらず怖いもの知らずですねえ……団長?」
七つ目の角を曲がった先、松明の道標の末に到着した真っ暗な部屋。
声はその奥から響いて来ていた。