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カーテンコールのその後に  作者: 紺野千昭
第一幕 ――老兵と道化――
7/22

狂気と惨劇

「うええぇぇん! ぐやじいでずよお~」


 テウクロイの路地裏に情けない泣き声が響き渡る。


「こんな屈辱は初めてですよおぉ~! 私のプライドがああぁぁあん!!!」

「だからいつも言っているであろう。公共の場でつつしみを持たぬからこういう目に遭う。第一、あの方の言葉は正しい。反省しなさい」


「ヘクトル団長のいじわるー! 鬼―! 筋肉お化けー! ヴぇぇえええん!!!」

「はあ……まったく……」


 悪口を叫ぶ割にはしがみついたまま泣く従者に、ヘクトルは何度目かの溜め息をついた。


「まあまあ、そう責めないであげてください。……少なくとも、これで団長もわかったでしょう? あの酒場に蔓延まんえんしていた反兵団の雰囲気は自然なものではない、と」

「……そうだな。あの事件が起きた頃に戻ったような気がしたよ……」


 テレジアの言葉に、ヘクトルは遠い昔を思い返す。


 『九七団長事件』もしくは『トロイオンの狂気』と呼ばれる事件――それは、先々代にあたる第九十七代連合兵団長・コウニア=トロイオンが引き起こした忌まわしき惨劇である。


 魔術立国ミュケネスの名家・トロイオン家出身の彼は、並外れた魔術の才能と先見性を備える優秀な団長だった。ただ、彼にはあまりに先が見えすぎていた。恒常的な資金不足、慢性的な兵員不足、そして日々疲弊していく兵士たち……


 眼前を覆う暗い未来は、いつしか彼を狂わせる。人類を守るためには必要だった。対価を求めず、魔物にも怯まず、言われるがままに任務を遂行し、命じられるがままに死ぬ『優秀な兵士』が。


 そうして生み出されたのが、対象の自由意志を剥奪し、術者の意のままに操る禁忌の呪法――隷属れいぞく魔術。その結果、団員たちが異変に気付いた時にはもう、三つの村が丸ごと『優秀な兵士』へと作り変えられた後であった。


 人類最後の盾であるはずの兵団が起こした、この狂気の事件。人々が受けた衝撃は大きく、その反動から来るトロイオン一族や兵団に対するバッシングは凄まじかった。特にミュケネス国内においては、過剰とも言えるほどの反発が生じていた。


 だがそれも無理はない。隷属魔術の被害を受けたのはいずれもミュケネス国内の村。トロイオン姓を持つ家系はことごとく蔑視べっし迫害はくがいの対象となった。それは、先ほど話題に登ったエピウのように、事件当時にはまだ生まれてさえいなかった者も例外ではなく、国外逃亡をはかる家も少なくはなかった。


 この一連の事件は三十年経った今なおミュケネスの歴史に暗い影を落とし続けており、トロイオン一族の名誉回復も未だなされてはいない。


 ヘクトルは、そんな当時の苦い空気を思い出していたのだ。


「気のせいではありませんよ、団長。この王都では今、事件が風化する前と同じ……いや、それ以上に兵団に関しての悪意ある流言飛語りゅうげんひごが飛び交っています。エリオスの件とて、普通なら一般市民が知っているような情報ではありません。……誰かが、意図的に漏らしでもしない限り」


 その口ぶりから、ヘクトルは言わんとしていることを理解する。


「……それもパリス殿の仕業だと?」

「先ほども申し上げましたが、あの男は恐ろしく権謀術数けんぼうじゅっすうに長けています。噂や風説を利用して国民の感情を操る術を心得ている。演劇すらその手段の一つです。あなたを含め、兵団出身の熟練兵が揃って辺境へ送られたのだって偶然ではありません。……兵団を中央から排斥し、民衆を扇動して実権を握り、操りやすい若者を中心として軍隊を再編成。最近ではほとんど私兵ともいえる独立部隊を設立しています。……これでも、‘否定するべきではない’とおっしゃるのですか?」


 ヘクトルはむつかしい顔になる。先ほどの男たちは、道中であった田舎出身の御者とは明らかに違う。どちらも勇者を崇めてはいるけれど、酒場の方は兵団に対して異様に攻撃的だった。


 ヘクトルは都に着いて何度目かの溜め息をこぼした。


「……魔物相手に剣を振るっていた頃の方が、よほど楽であったやも知れぬな」

「あなたはそういうお方ですからね。それをわかってもらえただけで、私はあの酔っ払い殿に感謝したいぐらいです」


 棘のある言い方に、ヘクトルはやや居心地が悪そうな顔をした。


「……感謝するのも良いが、止めに入ってくれても良かったのではないか?」

「あら、助けて欲しかったのですか? それは失礼しました」


 悪びれた様子もなく、テレジアは上辺だけの謝罪を口にする。


「しかし、私には団長が聞きたがっているように見えましたので」

「……そんなことは……」

「無理に納得しようとなさる必要はないのでは? あなたはそんなに器用な方ではありませんよ」


 ヘクトルはむっつりと唇を引き結んだまま答えなかった。


「……まあいいでしょう。今日のところはそろそろ失礼します。明日はどうぞご武運を」


 テレジアはさばさばと切り替えて踵を返す。

 だがその間際、はたと立ち止まった。


「……それと、いつなんどきも決して気を抜かないでください」


 それだけ言うと、テレジアは今度こそ振り返らずに立ち去った。

 気丈な元部下の背中を見送ってから、ヘクトルは幼い従者の頭に手を乗せる。


「チコ、そろそろ泣き止みなさい。……帰りに飴細工の屋台に寄ってやろう」

「えーん、えー……えっ!? 本当ですかぁ!? わーい!!!」

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