パリスという男
「いや~、いやいやいやいや――」
嫌味なほど良く通る声が、広間中に響き渡った。
「これはこれは、みなさん! お待たせしてしまい、まっことに申し訳ございません!」
声の主はすらりとした痩躯の男。年齢的には二十代後半ほどだが、軽やかな身のこなしのお陰か更に若々しく見える。服装もかなり現代風で、高価な生地をベースに各所に洒落れた装飾が施されていた。
「今日という良き日に遅れましたこと、我が身一生の不覚でございます!」
大げさな身振りで汗を拭きつつ、男は優雅な足取りで王座の前へ進み出る。
「ああ、麗しの我が君、どうか私めに罰をお与えください!」
「大丈夫ですよ、問題ありません。そんなことよりも、ヘクトル殿にご挨拶をしたらいかがでしょう?」
「おお、寛大なる我らが主君に敬意を!」
そう叫んだ男は、マントをはためかせながらくるりとヘクトルに向き直った。
「これはこれは、どうもどうも! 不肖私、副宰相を務めさせていただいております――パリス=ロア=ヴァレングルシア、と申します。……こうしておまみえするのは初めてですねえ」
パリスと名乗ったその男は、慇懃な仕草でお辞儀をする。
一挙手一投足が鬱陶しいぐらいに大仰で、その姿はまるで大舞台に立つ演者のよう。思わず大勢の観客がいるものと錯覚しそうになるほどだ。
今まで見たことがないタイプの男に戸惑いながらも、ヘクトルは礼儀正しく膝を折る。
「ご挨拶遅れまして申し訳ありません。私はパウリナ地方警護の任を仰せつかっている、ヘクト――」
だがその挨拶は途中で遮られた。
「おっと、お待ちを! 堅苦しい自己紹介など不要ですよ。私はあなたのことをよーく知っている。ええそうですとも、ヘクトル=アーバンカイン殿! 我らが無敵の英雄よ! ‘歴代最強’の兵団長を知らぬ者がおりましょうか! ふふふ、私はあなたの一番のファンを自負しているぐらいですよ」
と、強引に握手を交わしたパリスは、突如天を仰ぐと演劇がかった口調でしゃべり始めた。
「ヘリーニャ村の小麦農家に生まれ、十二の若さで兵団入り。そのひと月後には初の魔物討伐を果たし、十九の年には第二十八次魔王討伐遠征隊に見事抜擢! 三十一で副団長に就任してからはますますその辣腕ぶりを発揮して、六年後の第二十九次討伐遠征の際にはとうとう先任アルモス殿に代わって団長を拝命! 以来終戦までの二十一年間を一日休まず勤め上げた、と――ああ、まったく、あなたは我がトゥルヴィアの誇りですよ!」
まるで早口言葉の如く滔々(とうとう)と語られる老兵の半生。ヘクトルはしばし唖然としてしまった。
内容の正確さに驚いた……のではなく、よく舌を噛まないものだと感心してしまったのだ。
「……お、お褒めに預かり光栄です。しかし、それもみな私を支えてくれた部下たちのお陰です」
「またまた、御謙遜を! おお、そうだ。一度あなたにお尋ねしたかった。トロールを片手で百メートルも放りなげたというのは本当ですか? 素手でアイアンタートルの甲羅を割ったというのはただの噂? 野営地を奇襲したドラゴンを肉切り包丁で細切れにしたというのは、酔っ払いの見た夢ですよねえ?」
おどけた調子で尋ねるパリスに、チコが後ろでむっとした顔を向ける。無論、そんなささやかすぎる攻撃にパリスが気づくはずもなく、軽やかな口上はますます冴え渡る。
「‘歴代最強’の呼び声高いあなたの武勇には事欠きません。一つ一つ語ろうとすれば、それだけで季節が一巡してしまうことでしょう! ……しかし、それだけに私は少しばかり心配です。あなたが……あー、その、現在の地位に不満を持っていたりしないかどうか、ね」
「……不満、ですか……? いえ、そのようなことは――」
と否定しようとするヘクトルの言葉は、パリスの声で掻き消された。
「ほら、‘団長’‘団長’ともてはやされていた頃に比べたら、パウリナ地方というのは些か地味でしょう? いやいや、勘違いしないでください? 議会がパウリナ派遣を決定したのは、あなたの元兵団長という実力を買ってのこと。国防の要は中央にあらず! 目立ちこそしませんが、辺境こそ熟練のあなたに任せたかったらしいのですよ、ええ」
「問題ありません。拝命いただいた任務を全うすることが兵士としての義務。それは如何なる地においても変わりません」
「素晴らしい! いやあ、あくまで私個人としては、あなたのような方には中央に居て欲しかったのですがね。ただ、そうにもいかない事情がありまして……あなた方兵団は、ほら、例の事件以来民衆からあまり良い目で見られていませんでしょう? 勇者様が現れて以後は『人類の盾』なんて形容もとんと聞かなくなりましたし。無論、私は偏見など持ってはいませんよ? ですが、国民感情への配慮というのも為政者としての職務でしてねえ。苦渋の決断というやつですよ」
勇者と比較されたのが頭に来たのか、チコの唇がへの字に曲がっている。
そこへ、見かねたセレナがやんわりと口を挟んだ。
「パリス殿、そろそろ本題に入ってはいかがでしょうか? わざわざヘクトル殿にご足労頂いたのは、世間話のためではないでしょう?」
「おっと、これは失礼いたしました。生ける英雄を前にして、私、少々舞い上がってしまいましてね」
仕切り直しのためか、おおげさに咳払いしたパリスは、仰々しい調子でヘクトルに告げた。
「ヘクトル‘元’団長、我々トゥルヴィア王国議会は先日、あなたにある野盗の捕縛を命ずることにしました」
「野盗……? パウリナ地方の、ですか? そのような報告は受けていませんが……」
「ノンノン、ブラウ地方北部の森林地帯……ミュケネスとの国境付近ですよ」
提示されたその土地は、ヘクトルの管轄であるパウリナとはほとんど正反対の場所だった。
「……無礼を承知でお伺いしますが……何故わざわざ私なのでしょうか? 管轄上、ブラウ地方の駐屯防衛隊か、もしくは中央防衛隊で対処するべき事案では?」
「あー、それが……その野盗というのが少々厄介な相手でしてね……」
もったいぶるように言葉を切ったパリスは、靴音を響かせながらうろうろ歩き始める。
「ええ、厄介も厄介。とんでもなく面倒な相手なんです。……理由は単純。奴らは強すぎるのですよ。被害に遭ったという商会からの要請で、我々はこれまで、地方・中央混成の討伐隊を三度派遣しました。けれど結果はいずれも同じ。兵士たちは全員身ぐるみはがされた状態で帰ってきました。数百人規模の正規部隊が、ですよ? これは国家と国民に対する挑発行為です! 早急に対処せねばなりません!」
「そうですか、それほどの戦力を……して、野盗の素性に目星はついているのですか?」
その質問を待っていたとばかりに、パリスの瞳が光った。
「目星? ええ、ええ、もちろんですとも。情報とは何よりの武器ですからね。……しかし、ことによると、私よりもあなたの方が良くご存じの相手かも知れませんねえ」
「……どういう、ことでしょうか?」
ヘクトルが聞き返したその瞬間、パリスは大げさに声を張り上げた。
「ああ、なんたる悲劇……野盗団の頭目の名は‘エリオス=フォクスハンド’――元・第九十九代連合兵団副団長にして、あなたの右腕と呼ばれていた男なのですよ!」
その名前が出た瞬間、チコが小さく声をあげる。
ヘクトルもまた、微かに目をそばめた。
「まあ、あれですね……元々良い噂を聞くことのなかった御人ですから、ある意味で当然の帰結だったのかも知れません。何しろ兵団に入る前はごろつきをやっていたのでしょう? 在団中はおとなしかったとはいえ、兵団解体後の辺境警備任務も放棄しましたし……最近では酒場を渡り歩いて毎日飲んだくれていたなんて噂もあります。きっと、暴れる以外に能の無い男だったのでしょう。ようやく本性が現れたということですかねえ」
侮蔑と嘲笑の含まれたパリスの口調。……それが聞くに堪えなかったのか、ヘクトルは静かに口を開いた。
「……エリオスは、そのような男ではありません。……確かにあやつは口も素行も悪かった。けれど、真に仲間を思う強き男です」
「んーなるほどなるほど、では、手当たり次第に商隊を襲っているのも、今はなき兵団のため、と。……いやー、実に泣かせる話ですねえ?」
明らかなパリスの挑発に、ヘクトルは何も反論しなかった。彼は言葉を重ねる無意味さを良く知っているのだ。
「……まっ、ともかく、流石はあなたの右腕ですね。腕っぷしの強さだけは紛うことなき本物です。率直に言って、並の兵士を幾ら集めたところで話にならない。そこで、勇者様が去られた今、唯一奴以上の実力を持つあなたに出張って貰おうということです。……おわかりかとは存じますが、これは既に議会で決定されたこと。すなわちトゥルヴィア国民の総意でもあります。……よもや、断るなどということは……ありませんよねえ?」
値踏みするようなぎらついた視線が、まっすぐヘクトルを射抜く。
かつての腹心と刃を交えるか、それとも国家に背くか。迫られた最悪の二択を前にして……しかし、ヘクトルはあっさりと決断した。
「謹んでお受けいたします。昔の関係とはいえ、部下が道を踏み外したのなら始末をつけるのが長たる者の役目。是非、私にやらせてください」
「……ふうん、そうですか……ええ、結構です。では、この話題は以上ということで」
ほんの僅かに残念そうな表情を浮かべたパリスは、すぐに立ち直って新しい話題に移る。
「――ところで、ヘクトル殿。今晩、予定は空いていますか?」
「……今晩、ですか……? 他にも何かご用命が……?」
「いえいえ、なんのことはありません。プライベートの話ですよ。ディナーでもとりながら、一緒に観劇などいかがかと思いましてね。折角王都にいらしたことですし……ねえ?」
唐突な誘いに困惑しながらも、ヘクトルは正直に答えた。
「劇、ですか……申し訳ない、その手の享楽には疎いもので」
「んー、それは残念。新築したエピデュロス劇場を是非ともお見せしたかったのですがね。古代トゥルヴィア風のコリント様式を忠実に再現した外観は、それだけでもう一つの芸術品! もちろん、演じられる内容も以前までとは比較にならないクオリティです!
一番人気の演目は『Histoire des braves et le diable』――こちらは古代トゥルヴィア語のタイトルなのですが……そうですね、現代語に訳すなら……『勇者と魔王の物語』。まあタイトル通りの英雄譚でしてね、国民の皆様に大好評なのですよ。ええ、無論私も月に一度は足を運んでいます。何を隠そう、私、観劇がライフワークでしてね。特に好きな場面は‛カーテンコール’!
……おっと、こう言ってもヘクトル殿には伝わらないでしょうか? 劇というのはですね、上演が終了した後にすべての演者が舞台上に並び、挨拶をする時間が設けられているのですよ。それがカーテンコールと呼ばれているのです。人によっては物語の雰囲気が壊れる、なんて毛嫌いする方もおられますが……私に言わせればそこが面白い! 役目を終えてずらりと並ぶ演者たちの荘厳な姿! 虚構の時間は終わり、役者本来の顔が初めて見られる瞬間! それが、なんだか実に爽快なんですよねえ……」
うんうん、とパリスは一人で頷く。
「思えば、このような享楽を国民の皆様に提供できるのも、すべては勇者様のお陰ですねえ。兵団に回っていた税金を民衆に還元できる、為政者としてこれほど喜ばしいことはない。……そう、苦しい戦いを終えた今、国民が必要としているのは娯楽! 豊かな文化は豊かな娯楽から! これからは国民が主役たる歓びの時代なのですよ!」
そしてパリスは、長広舌の最後に付け加えることを忘れなかった。
「……ああ、しかしヘクトル殿、もしかするとあなたは見ない方が良いかも知れません。大変申し上げにくいのですが……『勇者と魔王の物語』劇中での連合兵団は……あー、魔王にやられるだけのいわゆる‘噛ませ役’でしたからね」
添えられた嫌味なウインクに、ヘクトルの背後でぶちっと堪忍袋の緒が切れる音がする。……が、カンカンになったチコが副宰相に噛み付くより先に、セレナから助け舟が送られてきた。
「パリス殿、お話はそのあたりで。アーバンカイン殿は明日に備えて休まれる必要があります」
「おっと、これは失敬! 私、またしても舞い上がってしまいました! ……それではヘクトル殿、またの機会に是非、一緒に劇を観ましょうね。私とあなたの約束ですよ?」
と強引に約束を取り付けてから、パリスはマントを翻した。
「それでは皆様、ごきげんよう」
何かにつけて気障ったらしい若き副宰相は、高らかに靴音を響かせながら、来た時と同じように颯爽と帰って行くのだった。
「さて……少しは静かになりましたね」
嵐が去った後、セレナは一息ついてから話題を戻す。
「……アーバンカイン副兵長。召喚の仔細については先の通りです。第四次野盗討伐隊の出発は明日の正午。敵地までの案内人はパリス殿が都合してくださるとのこと。……ですので、今晩はゆっくりと休んで下さい」
「承知いたしました。……それでは、失礼いたします」
余計な長話に付き合わされたものの、これにて王城での用件は終了。ヘクトルは一礼すると、従者を伴って退出しかける。
その背中を、セレナが小声で呼びとめた。
「……ああ、そうそう、特には関係ないのだけれど……夕飯の場所は決まったかしら?」
「……? いえ……まだですが……」
「そう、なら『盲目の吟遊詩人亭』という店がオススメよ。名前は変でも、料理の味は絶品なの。特に卵料理がね。それじゃあヘクトル、チコ、良い夜を」
訝しげな顔のヘクトルにそう告げると、セレナはにこやかに手を振った。