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カーテンコールのその後に  作者: 紺野千昭
第四幕 ――対面、そして死地へ――
18/22

戦争の行方

 イヌスに案内された先は、アルゴー北部の平原だった。見渡す限りの草原には、無数の天幕てんまくが張り出されている。ここがミュケネスとの戦争における後方基地なのだろう。そしてイヌスが示したのは、その奥に設けられたひときわ大きなテントだった。


 ヘクトルの姿を見るなり、天幕を囲む衛兵たちは武器を構える。だが、ヘクトルの全身から放たれる無形の闘気が彼らの心をすくませた。イヌスでさえもう道案内は済んだとばかりに退散する。


 もはやヘクトルをはばむ者はいない。老兵は静かに入口のまくをくぐった。


 その先に待っていたのは――


「パリス=ロア=ヴァレングルシア――直接戦地に出向いているとはな」

「ヘクトル=アーバンカイン――ようこそ、我らが英雄。お待ちしておりましたよ。劇は最前列で観るのが趣味なものでね」


 天幕の中、たった一人でたたずんでいたのは、いつも通りの微笑を張り付けたパリス本人であった。


「ようやく会えたな」


 ヘクトルは静かに一歩詰め寄る。そこからあふれ出るは歴戦の猛者でさえ震え上がるほどの威圧感。けれど、パリスはまるで怯えた様子を見せなかった。


「よく迷わず来られましたね。イヌスの案内のお陰ですか?」

「……お前の差し金か?」

「いいえ、とんでもございません。私はただ、何も言わなかっただけですよ」


 その一言で確信する。パリスは部下が取るであろう行動を予期していた。それをあえて見逃したのだ。ヘクトルに敗北することまで含めて。


「目的は、何だ?」

「目的? はて……一言では言い尽くせぬものですが……あえてまとめるなら‘原点回帰’でしょうか? 古き良き、争いの時代に立ち帰ろうと思いましてね、ええ」


 なおもおどけて見せるパリスは、ささやくように付け加えた。


「――あなたもお好きでしょう?」

「……ふざけるな」


 ヘクトルは静かな怒りを込める。


「こんなことをして、お前やトゥルヴィアに何のえきがある?」

「私やトゥルヴィアに? ……ははは、これは面白いことを言う。大方あのテレジアから吹き込まれたのでしょうね」


 パリスはすべてを見透かしてせせら笑った。


「彼女はさとい。計算高く、合理的だ。いやらしいぐらいにね。しかし、結局は自分の尺度で私をはかろうとした。いや、彼女だけではありませんね。宰相のプリアノスや他の議員たちもそうだ。考える頭のある者は、それ故に私を誤解する。自分の論理に当てはめようとするのですよ。これじゃあ無知による思い込みと大差ない。そうは思いませんか? 

 私に言わせれば、私を英雄だと崇める民衆も、私を利用価値のある道化だと決めつけた議員たちも、私を危険な国粋主義者だと恐れるテレジアたちも、みな等しく盲目だ。――私はただ、演じたまでのこと。彼らが望む英雄を、彼らが求める道化を、彼らが恐れる敵役を、パリス=ロア=ヴァレングルシアという役名でね」


 そう告げるパリスの顔には、のっぺりとした微笑がはりついている。それはさしずめ、演者の被る仮面のようであった。


「私にとってはどうでもいいのですよ。トゥルヴィアも、ミュケネスも、人類というやかましい種族もね」

「……戦争そのものが目的だった、と?」


 ヘクトルは確かめるように問うた。今やその闘気は、天幕を震わせるほどに膨れ上がっている。だがパリスはそれすら涼しげに受け流すのだった。


 圧倒的な力を持つヘクトルを人外と呼ぶのなら、その脅威を前にして微塵も揺らがぬパリスもまた、人の形をした怪物である。


「だったらどうするのです? 私を殺しますか? いいでしょう。是非ともそうしなさい。あなたなら小指の先だけで事足ことたりるでしょう。……ですが、そんなことをしてももはや意味はない」


 断言したパリスは、高々と両腕を掲げる。


「既に幕は上がった! それも、これは第一幕にすぎない! 最初はこの開拓地、次はミュケネスとトゥルヴィア、最後はこの大陸全土で! 脚本は私、演者は人間すべて。観客は……そうですね、今は亡き魔物たちということで。いかがでしょうか?」


 パリスは戦乱さえも平然と舞台になぞらえた。彼にとって戦争など、壇上の遊戯と同じなのだ。


「……貴様は人の命をなんだと思っている」

「はて、なんなのですか? 私にはわかりかねますね」


 おちょくっている……だけではない。その疑問は彼の本心でもあった。


「戦争とは、ある意味とても人間らしい行為ではないですか? 人間は敵を求めるもの。仲間だけでは安心できないのです。唯一信頼できるのが、心置きなく攻撃できる相手だけ。それが無力であれば、なお良い」


 パリスはふざけた調子で囁く。だが最後に付け加えられた一言には、深い影が差していた。


「――ヘクトル、お前は人間の残酷さを知らない」


 ヘクトルはほんの束の間沈黙し、そして口を開いた。最後の問いかけをするために。


「……もう一度だけ聞く。なぜだ、パリス。なぜお前は戦争を求める?」

「理由、ですか……かつて私も同じ疑問を抱いたことがありました」


 造り物の微笑を張り付けたまま、パリスはありし過去に思いを巡らせる。


「だが意味はないですよ。私の理由があなたの理由にはなりませんから。強いて述べるなら……あの頃と同じですよ。――私が私であるから、ただそれだけの話です」


 ヘクトルは対話を諦めた。いや、最初から言葉など通じていなかったのだ。


 歩んできた過去、今見えているもの、そしてその先に目指す場所。何もかもが違いすぎる。


 ヘクトルは無言のまま背を向けた。


「おや、どちらへいらっしゃるおつもりで?」

「兵たちにお前の招集状を見せに行く。少なくとも今回の宣戦布告が議会の決定でないことはわかるだろう。お前の処遇はその後だ」

「なるほど、そうですか。確かにあなたは顔が知られている。あるいは兵士たちも信じるかもしれませんね」


 自分の計略が無にそうとしているにも関わらず、パリスは余裕の表情を浮かべている。止めようとすらしない。そしてその理由は、すぐに明らかとなった。


「……しかしですね、ヘクトル殿。あなたはいささか遅すぎた。言いそびれていましたがね――もう戦端せんたんは開かれてますよ」

「なんだと……!?」


 ヘクトルの全身に、かつてない衝撃が走った。

 その様を満足気に見分しながら、パリスは滔々(とうとう)と事実だけを述べていく。


「丘を幾つか越えた先の盆地でね。開戦はほんの一時間前に指示しておきましたので……今頃は敗残兵の処理を始めた頃でしょうか? なにせ六万対四千の戦いですから。あなたが来る少し前ぐらいまでは、ここまで地鳴りが響いていましたよ。ミュケネス側は一体何人生き残れましたかねえ?」


 あざけるようなパリスの言葉も、老兵の耳にはほとんど入っていなかった。

 ヘクトルの心にのしかかるのはたった一つの事実だけ。


 ――戦争は始まっていた。


 すべてはもう手遅れ。絶対にとめなければならない災厄を防ぐことができなかった。ヘクトルは失敗したのだ。……そう、魔王を仕留められなかったあの時と同じように。


「くくく……あなたはまた間に合わなかったようですね――ヘクトル=アーバンカイン?」


 ヘクトルの表情を暗い絶望の色が覆い尽くす。

 折しもその時、天幕の外がにわかにざわめき始めた。


「おっと、これは良いタイミングだ。どうやら伝令が来たようです。思ったよりもずっと早いですねえ。ミュケネスは戦わずして敗走でもしたのでしょうか?」


 そしてパリスは演技めいた口調でしゃべりだす。


「さあご照覧しょうらんあれ、ヘクトル団長! あなたが立会人だ! 我々人間による、新たなる戦争の歴史――その記念すべき一頁いちぺーじ目のね!」


 天幕内に反響する勝鬨かちどきの声。その余韻が消えぬうちに、パリスは外の伝令に命じた。


「――入れ」


 数人の衛兵に伴われ、息せき切らして駆け込んでくる伝令。彼は己が任務に従い、すぐさまパリスの前にひざまずく。


「ご、ご報告します!」


 だが、その口からもたらされた報は、誰一人として予想だにしていなかったものだった。


「――我が軍は大敗!!! ミュケネス軍は現在、こちらへ向かって進軍中であります――!」

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