開拓地にて
休みもとらず馬を走らせること、三日と三晩。
幾度もの伏兵の攻撃を退け、ヘクトルは魔王領に設けられた開拓拠点へ降り立った。
『アルゴー』――それがこの開拓者用仮設集落の名前である。
当初は寝食のための簡易住居が並ぶだけの場所であったが、本格的な開拓が開始されてからはや二年半。働き盛りの開拓者たちが作った街ということもあり、今ではもう大きな都市へと発展している。何しろ開拓地の好景気は人間領の比ではない。各種商業施設や生活基盤の整備状況、家々の規模など、あらゆる面で困窮時代に造られたテウクロイを凌駕しているのも当然だろう。
ヘクトルが目指すのは、そんなアルゴーの街においてもとりわけ豪奢な建物――街の心臓部とも言える、開拓地総督府だ。
いわば政府の出張所であるここの責任者を務める人物こそ、他でもないパリス=ロア=ヴァレングルシア。パリスが一足先に開拓地へ来ているとしたら、この場所にいる可能性が高いと踏んでいた。
ヘクトルは閑散とした道を駆け抜け、中心部にそびえる巨大な建造物の扉を押し開ける。そして足を踏み入れた広大なエントランスホールにて、彼を待ち受けている者がいた。
「これはこれはこれは――どうもどうも、ヘクトル殿?」
聞き覚えのある大仰な話し方。――だがその声は、パリスのものではない。
「私はパリス様……の、一番の側近。イヌス=レアネニオと申します」
イヌスを名乗る小男は、嫌味な微笑みを浮かべながらお辞儀した。
その服装や口調は明らかに某副宰相の真似事。どうやら相当パリスに心酔しているらしい。
「……イヌスとやら、パリスの命で私を討ちに来たか?」
「んー、後半は正解ですね。が、前半はノーグッド。パリス様はお前のことなど歯牙にもかけておられません。あのお方の広い視野を前にしては、お前などノミ以下のちいーっぽけな存在ですからね。そういうわけなので、お前を排除するのは私の自発的行為というやつですよ。万々が一にもちょこざいノミがパリス様を煩わせるようなことがあってはなりませんので。良い部下とは命令されなくとも動けるもの。きっとパリス様も私の働きをお喜びになってくれることでしょう! ああ、今からお褒めの言葉が楽しみだ!」
聞かれていないことまでぺらぺらしゃべるイヌスは、既に喜悦の表情を浮かべている。舌の軽さだけはパリスとそっくりだ。
「おっと、安心してください。大軍で袋叩き、なんてことはしませんよ。一線を退いた老人をいじめちゃ体裁が悪いですからね。私はスマートな紳士ですから。そう! パリス様のように!」
イヌスの甲高い声がキンキンとホールに木霊する。
そして自称パリスの腹心は、舞台を取り仕切る司会の如く両腕を高々と掲げた。
「さあ、出てきなさい! ポボス、ビリオム!」
号令と同時に、エントランスの左右に設けられていた扉が開く。ヘクトルを挟むようにして現れたのは、二人の大柄な男。片方は恐ろしく巨大な鎌を携え、もう一方は数トンはありそうな鉄球を振り回している。
「くくく……ポボスとビリオム――私が見繕った無敵の戦士です。おお、そういえば、あなたは歴代最強の兵団長、なんて呼ばれてましたっけ? まあ間違いではないのでしょう。あくまで兵団の中では、ね。くっくっく……」
よほどの自信があるらしく、イヌスは面と向かってヘクトルを嘲笑する。
「良くお聞きなさい! 真の世界最強とは、この二人のことを言うのです! 彼らは最強になるべくして生まれた生粋の戦士! 薬物により戦闘用の肉体を育成し、扱える魔術は上級魔導師クラス! 更には古今東西あらゆる武術を叩き込み、極め付けは特注品の武器! 世界最硬の貴金属・オリハルコンを使った特製の鎌と鉄球だあ! 鋳造するのにも上級魔術師百人がかりで半年かかったほどですよ。金額にすれば街一つ買えてしまうレベルですねえ。もちろん、すべてをプロデュースしたのはこの私! パリス様のためにね!」
一語一語を強調しながら、イヌスは盛んに熱弁をふるう。自慢だらけの前口上はまだまだ続くらしい。
「力、魔術、技術、武器! それからかかった金まで! 彼らはあらゆる点でお前を凌駕している! 精神論ばかりの古臭い鍛え方とはわけが違うのですよ。そもそも戦士のピークは二十代。五十も暮れの老兵が魔法も使わず戦おうなどと……いつまでも心は現役、というやつですか? ハンッ! 年齢を省みない迷惑な老害の考えそうなことだ! 周囲はさぞ、あなたの介護に苦労しているでしょう。……おわかりですかな? 世代交代の時間なのですよ!」
そうしてようやく長広舌を終えたところで、イヌスはあがった息を整えつつ、待ちぼうけている二人に命令を下した。
「ふう……少ししゃべりすぎましたか……さっ、それではいよいよショーの時間です。ポボス、ビリオム、適当に遊んであげなさい。無論、殺さない程度にね。お年寄りは簡単なことで骨を折ったりしてしまいますから」
と、相変わらず嫌味な口調で命じるイヌス。ただ、本人は血なまぐさい殺し合いに興味はないらしい。パリスの真似をしてマントをばたつかせながら、くるりと踵を返す。
「ということで、後は任せましたよ。野蛮な汗の臭いは嫌いなもので。私はパリス様の元へ行かなければ」
そして揚々(ようよう)と一歩踏み出したその瞬間、背後から声がした。
「――そうだな、私もそうしよう」
「は――?」
イヌスは思わず振り返る。
彼の真後ろには、何事もなかったかのような顔でヘクトルが立っていた。
「な、なんだお前!? 私の話を聞いてなかったのか? お前の相手は私ではなく、ポボスとビリオムで――」
と、途中まで言いかけて、イヌスは絶句した。
ヘクトルの肩越しに、大理石の床にめり込んだまま失神している二人の姿を見てしまったのだ。しかも二人の傍らには、まるで紙屑のようにくしゃくしゃに丸められた大鎌と、握り潰されて石ころほどの大きさになってしまった鉄球の残骸が転がっている。それが世界最硬の物質・オリハルコン製だったなどと、もはや誰も信じないだろう。
たった一秒――イヌスが背を向けたその間に、勝負は決していたのだ。
「ば、ばば、ばかな……有り得ない……ありえなぃいいい!!? 貴様、化物かっ?!」
「それは違うな。もしも私が魔物ならば……貴様は言葉を交わす前に食われている」
ヘクトルはただ当然のことを言っただけなのだが、イヌスはがたがたと怯えだす。
「ところで、パリスの元へ行くと言っていたな。私も同行させてもらって構わないか?」
もはやイヌスの脳内は大パニック。恐怖で完全に支配され、体の震えが収まらない。
だがそれでも、イヌスにはプライドがある。敬愛するパリスの腹心としての自負と矜持が。
故にイヌスは、あらん限りの声で叫んだ。
「はい、喜んでっ!!!」




