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真面目な話の後で1

 未来の侯爵夫人であるアリアは、ランスレイ貴族となる心構えを教わる必要がある。

 一通りの礼儀作法や食事のマナーなどは大聖堂で教わっていたが、国が違えば風習も変わる。ユイレでは正しくてもランスレイでは間違いと判断されることもあるので、もう一度学び直す必要があった。作法だけでなく、ランスレイの歴史や現在の各国の情勢を学ぶことも重要である。


 本日は朝から雪が降っており外出もできそうにないので、アリアはジャンヌと一緒に授業を受けていた。本日の講義内容は、現在の大陸の情勢についてだ。


「――西の軍事国家デューミオンは、今年の夏にエルデを、秋にサンクセリアを陥落させました」


 講師である高齢の男性貴族はそう言い、テーブルに広げた大陸地図を見るようアリアたちを促した。西のデューミオンから、南のエルデ、北のサンクセリア――と、彼の骨張った指先が帝国軍の推定侵攻ルートをたどる。


「ジャンヌ様もアリア様もご存じだとは思いますが、内陸国家であるデューミオンは艦隊を所有しません。当然海上での戦闘にも慣れておりませんので、彼らはユイレ・ランスレイに手を出しかねている状況です」

「おまけに、帝国軍は冬の戦いに弱い。奴らが今現在進軍を止めているのは、ユイレが雪の時季に入っているからなのよね」


 ジャンヌが述べると、講師は頷いてユイレ領内に長く伸びる山脈をなぞった。


「軽騎兵中心の小隊ならばともかく、重装備兵や軍事用馬車でこの山脈を越えるのは困難でしょう。そのため帝国軍が大軍でユイレに侵攻するとなれば、山脈を南方から迂回し――しかも雪の解ける春になるまで待つしかありません」

「だから叔父様は、冬の間にアリアをこっちに寄越すことでランスレイからの支援を増やそうとしたのね」


 ジャンヌがちらっとこちらを窺ってきたため、アリアも頷いて地図上の港を示す。


「私が今回、ランスレイに渡る際に利用したのはこの港です。ユイレの港町は複数ありますが、ランスレイに最短時間で到着できるのはこのプレールですね。この港も帝国軍の侵略ルートも南側。よって大公は大公国南側の兵力を増強するでしょう」

「そうですな……万事うまくいけば、そうなるでしょう」


 老講師の言葉に、アリアとジャンヌは顔を見合わせた。

 そう、大公がランスレイとの条約を守っていれば、南部の港を封鎖するなりしてランスレイへの侵略ルートを断ち切るだろう。


(約束を、守れば――)


「……ユイレだけに任せてはいられないわ。叔父様だって万能ではないもの」


 ジャンヌははきはきと言い、ランスレイ島を指で叩く。


「いざとなったら、海上戦になる覚悟を固めなくてはね。とにかくデューミオン軍を上陸させてはならない。ユイレの船をぶんどるなりして侵略してきた場合、海上で片を付けなければ」

「左様。一度上陸させれば、陸上戦に秀でた帝国兵に勝てる見込みは低い――よって、帝国軍の船を撃沈させねばなりませぬ」

「戦闘方法は、火矢を使って遠距離から帆を焼き落とす、とかでしょうか」


 アリアが述べると、ジャンヌは肩をすくめた。


「確かに帆船に対して有効な攻撃ではあるわね。ただ……身内だからこそ言えるんだけど、うちの帆船は火矢対策で帆を強化しているの。詳しい構造は教えてもらえなかったけれど、耐火効果のあるものを塗っているそうよ」

「それは陛下方もご存じのことですか?」

「前にちらっと話したことはあるわ。でも、春を迎えに前に今一度情報提供した方がよさそうね。ユイレが陥落することだって……十分考えられるのだから」





 その後、老講師は満足そうな表情で退出していった。侍女たちがお茶の準備のために席を外したタイミングで、アリアはジャンヌに問うてみる。


「……その、ジャンヌ様は大公閣下について――」

「皆まで言わなくていいわよ、アリア。……講師殿の前だからぶっちゃけることはできなかったけれど、正直なところ――叔父様が約束を反故にすることだって十分考えられるわ」

「ジャンヌ様……」


 傍らに立っていたサンドラも、不安そうな目でジャンヌを見やる。これは、ユイレから来た者同士だからこそ打ち明けられることだった。


「護身のために、さっさと港を明け渡す可能性だってあるわ。そうなったら、ユイレはランスレイにとって裏切り者。……私たちは、どうなるんでしょうね」


 諦念さえ感じられるジャンヌの呟きに、アリアもサンドラも何も言うことができなかった。


(大公閣下は、最悪私たちを切り捨てる気でいらっしゃる)


 アリアは唇を噛み、教科書をぎゅっと胸に抱いた。


(私やジャンヌ様は、ユイレがランスレイとの約束を守るという保証書のようなもの。約束が破られたなら、保証書だって破り捨てられる――)


 アリアの政略結婚を止めようとしたブランシュ。

 アリアが来ると聞いて憤ったというジャンヌ。


(みんな、分かっていたんだ)


 もしかするとアリアもジャンヌも花嫁衣装を纏うことなく、裏切り者としてランスレイで始末されるかもしれない。


 ジャンヌは全てを見通した上で、夏にこの島に渡った。

 今ではエルバート王子と仲むつまじくふれあっているが、もし大公がランスレイを見捨て、ジャンヌが裏切り者の姪になってしまったら?


(ジャンヌ様は、サンドラは、私は――どうなるの?)


『守らせてください』


(私に誓いを立ててくれたファルト様は――?)


 どうなるのだろうか。










 ランスレイ王国にいる聖魔道士は、アリアだけである。

 最初それを聞いたときは、まさかと思った。


 確かに聖魔道士の生まれやすさには土地の差が大きい。傾向としては、ユイレ、サンクセリアなどがやや生まれやすく、デューミオン、ランスレイは生まれにくいようである。

 ランスレイは人数こそ少ないだろうが、聖魔道士ゼロということはなかったはず。


「……ええ、確かにしばらく前までは国内にも聖魔道士はいました」


 ファルトとのお茶の時間に聞いてみたところ、ファルトはやや苦い顔で教えてくれた。


「しかし、ユイレとの提携のため今年の夏頃に全員島を離れました。そういうわけで、成人しており十分な素質を持っている聖魔道士はあなただけということになるのです」


 ファルトの言葉に、アリアは絶句した。


(そうか、ランスレイからユイレに渡ったのは兵士だけじゃなくて、聖魔道士もだったのね……)


「元々、ランスレイにはそれほど強力な聖魔道士はいませんでした。育ちにくい環境なのかもしれませんね。聖魔道士団長でも、出血多量の場合は治療ができないとおっしゃっていましたから」


 それは確かに、ユイレにいる聖魔道士よりも力は弱そうだ。

 ちなみにアリアはユイレで登録されている聖魔道士の中では、実力は並程度。それでも、大聖堂には負傷者は病人が毎日運ばれてくるため場数だけは踏んでいるつもりだ。


(……でも、それだったらランスレイからユイレまで、聖魔道士を送る必要があったの?)


 一度引っかかってしまうと、後は疑念ばかり湧いてしまう。


 アリアの能力が並程度ならば、ランスレイから派遣された聖魔道士たちの能力はそれ以下。そんな彼らがユイレに行っても活躍の機会は少ないだろう。

 むしろ、ランスレイの聖魔道士をゼロにすることが目的だったのかもしれない。

 もしくは――


(……街で聖魔道士を見かけることはなかったし、大聖堂にも訪れなかった。ということは、ランスレイ出身の聖魔道士は――戦場に送られたのかもしれないわ)


 大公の行動理念を踏まえれば十分考えられることだ。

 アリアが大聖堂で慎ましく生活している頃、ランスレイから駆り出された聖魔道士たちはどこに向かったのだろうか。


(……でも、私でさえ思いつくことなのだから、陛下やエルバート殿下は……)


 そっと正面の席を窺うと、ファルトが険しい顔で茶を飲んでいた。彼も、自国の聖魔道士たちの行方を案じているのだろうか。


「……ごめんなさい、ファルト様。お茶の席にふさわしくない話をしてしまいました」

「え? ……ああ、そんなことか」


 とたんにファルトは表情を緩め、テーブル越しに手を伸ばしてアリアの髪の房に触れてきた。


「なにをおっしゃいますか。ランスレイやユイレの将来に関わることをこうして話し合うのは、非常に有意義ではありませんか。あなたにはいずれ、俺の妻――侯爵夫人になっていただく。高位貴族の夫人が国の将来を思う発言をするのは、間違いではありません。俺もあなたのような人を妻に迎えられると思うと、嬉しいばかりです」

「……そう、でしょうか」

「もちろんです」


 そこでファルトは一息つき、「そういえば……」と、アリアの姿をじっと見つめてきた。

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