お茶会での誓い
こんぺいとう
ランスレイに渡って最初の十日ほどは、部屋の準備や勉強、各方面への挨拶などで忙しく、なかなか自由な時間もとれなかった。
それもしばらく経つとスケジュールも落ち着いてきて、自由行動の時間が増えてくる。
見知らぬ土地に渡って間もなくであるため不安も大きいが、サンドラやジャンヌのように、気心の知れた者と行動するのは大丈夫だ。世話をしてくれる侍女たちともだんだんとうち解けてきた。
だが婚約者として、ファルトと時間を共にしなければならない時も結構多いのがいまだに慣れなかった。
「そういえば……アリア嬢の家名は、ロットナーとおっしゃるそうですね」
ある昼下がり。
今日は雪も降らず、空は青く澄んでいる。そのため気温の高い昼頃であれば、テラスや庭園でお茶をすることができた。
そういうことで本日アリアはファルトに誘われ、城の庭園でささやかなお茶の時間を過ごすことになったのだ。
向かいの席で優雅に茶菓子を摘むファルトに言われ、アリアはぎこちなく頷く。
「はい……アリア・ロットナーでございます」
「ロットナーという名はサンクセリア風ですね。ご両親がサンクセリア人なのですか?」
「父がサンクセリアの商人で、母はユイレ人――私が育った大聖堂のシスターでした。商売のために各地を回っていた父が聖堂で母を見初め、聖女様の許可を得て結婚したそうなのです」
「そうですか……その、ご両親は?」
「……ええ。ともに女神様の御許へ旅立っております」
そう返し、アリアは胸の前で手を握り合わせて祈りを捧げた。
アリアは、サンクセリアとユイレ国境の小さな村で生まれ育った。
両親とアリアと、四つ下の妹パメラの四人家族。
父が村の万屋を経営し、母は元シスターである聖魔道士として、村人の健康管理にあたっていた。
そんな平和な時間はアリアが六歳の頃、村が盗賊に襲撃されたことで終わりを告げる。
妻子を逃がすために盾になった父が盗賊に殺され、大混乱の中で妹パメラとはぐれた。母は村に火が放たれた際に背中を大火傷し、アリアを連れて命からがら村から脱出したものの、そこで力尽きた。
通りがかった親切な旅人が、事切れる寸前の母の願いを聞いてアリアを大聖堂まで送ってくれた。聖堂で目を覚ましたアリアは治療してくれたシスターに母のことを問うたが――シスターは悲しそうな顔になり、母が身につけていた髪留めの紐を渡してくれたのだった。
当時、シスターは「お母様の形見です」としか言わなかったが、大人になってから詳しく教えてくれた。旅人の報告を受けて聖堂騎士が現場に向かったところ、身ぐるみはがされた母の遺骸を発見したのだという。かろうじて残っていたのが、髪をまとめていた紐だけだったため、それを持ち帰ってアリアに渡してくれたそうだ。
家族を失い孤児となったアリアはシスターとして――聖魔道士として、大聖堂に仕えることになった。女神に祈りを捧げ、両親の冥福と妹の無事を祈る。大公国に咲く二輪の花であるブランシュやジャンヌたちを敬愛し、ユイレのため、神のために身を捧げることを胸に刻んだのだった。
――という一連の流れを、アリアはぽつぽつと語った。
「……妹が生きている確率は、ゼロと言っていいでしょう。当時のパメラは、たったの二歳。……二歳の子が、戦火の中で生き延びるのは難しいですからね」
そう締めくくり、アリアは紅茶をすする。喋っている間に茶は冷めてしまったが、アリアが話し終えたタイミングで侍女が新しい紅茶を差し出してくれたのだ。
熱い紅茶をゆっくり飲んでいると、ふと正面から視線を感じた。むろん、ファルトだ。
アリアが話している間一言も口を挟まなかったファルトは今、神妙な顔でアリアを見つめていた。いつも「挨拶」するときのような柔らかさは欠片もない、真面目な顔で。
「……お話ししてくださり、ありがとうございました。アリア嬢は……ずっと、頑張ってこられたのですね」
「え?」
アリアが思わず瞬きすると、ファルトは己の発言を悔いたように目を逸らす。
「……月並みな言葉しか述べられなくて、すみません。ただ……あなたが敬虔なシスターである理由やあなたの経歴が分かり――己を恥じています」
「え……ええ? どうしてファルト様が恥じられるのですか?」
「……なんだかもう、全ての面においてです」
はあ、と深いため息をつくファルト。そんな仕草にも色気が漂っていて、アリアはどぎまぎしてしまう。
ファルトは暫しうつむいたまま沈黙した後、ゆっくりと顔を上げた。
「……アリア嬢!」
「は、はい!」
勢いよく呼ばれるものだから、ついつい自分もしゃきっと返事をしてしまう。
「……今ここで、改めて誓わせてください!」
そしてファルトはさっと立ち上がると、椅子に座るアリアの前に跪いた。彼は朝の挨拶とかでもよく跪くので、それには慣れつつあったが――
「アリア・ロットナー嬢。わたくしファルト・マクスウェルは、生涯あなただけを愛することを剣に、女神に、誓います」
胸の上に手を当て、ファルトは厳かに告げる。
彼のあまりの真剣な眼差しに――その言葉に、どくっ、とアリアの胸が震えた。
「――これは義務感とか、罪悪感とかがあるからではありません。俺は今、アリアという人を守りたい、大切にしたいと――心から思ったのです」
「……私を?」
「俺でよければ、守らせてください」
ファルトは真っ直ぐにアリアを見上げる。
「俺のようなチャラチャラした人間は、信用にならないと思われるでしょう。それならば、俺はどれほど時間を掛けてでもあなたの信頼を勝ち取ります。ユイレに戻りたい、なんて思わせません。ランスレイに来て――俺の所に来てよかったと思ってもらえるようにします」
「ファルト様……」
「俺の誓い、受け取ってくれますか?」
そう問うてくるファルトは、不安な思いを隠せないかのように眉を垂らしている。
出会ってから毎日、大人びた態度でアリアをリードし、翻弄し、振り回してきた彼が、こんな表情をするなんて。
(ううん、これもファルト様の一面なんだ)
きっと、これだけではない。
もっともっとたくさん、ファルトには表情がある。
(私の方からも歩み寄っていけば、もっとたくさんの顔を見せてくださる……)
ためらったのは一瞬。
アリアは手を伸ばし、ファルトの頬に触れた。
今まで治療などのために異性と接することはあっても、こんな風に――胸をどきどきさせて頬に触れたことはない。
「……あなたの誓い、受け取りました」
「アリア――」
「これからよろしくお願いします、ファルト様」
アリアは微笑む。アリアを見上げるファルトも、そっと微笑んだ。
これまで見てきた笑顔とはちょっとだけ違う、ほっとしたような、幼さの残る笑顔に――きゅんっ、とアリアの胸が甘く疼く。
アリアは椅子から腰を浮かし、ファルトの方へと体を寄せた。ファルトの杏色の目が見開かれ、「え?」と拍子抜けたような声が唇から漏れる。
「……私を守ってくれる騎士様に、祝福を」
そうして、彼の前髪を軽く掻き上げると、額にそっと口づけた。
ユイレでは女性が戦地に向かう夫や恋人などに、神の祝福があるようにと額にキスをする習慣があった。それはシスターも同じで、「聖女を守る騎士には、祝福の口づけを」と聖書にも記されている、神聖な行いであった。
とはいえ、アリアは今まで誰かに祝福のキスをしたことはない。ファルトが初めてなので、うまくできただろうかとおそるおそる顔を離したが。
「……ファルト様?」
「……」
「……あの?」
返事がない。
ファルトは驚きの表情のまま、固まっていた。
呼んでも返事がないので、目の前で手を振ってみる。それでも反応がないので、申し訳ないとは思いつつも肩に手をやって軽く揺さぶる。
「ファルト様!」
「……あ」
ガクガク揺すられて、ようやくファルトの唇からため息のような声が聞こえた。とりあえず意識は取り戻したようだ。
アリアのキスで、ファルトは意識を飛ばした。つまり。
(私の祝福のキス……そんなにお嫌だったのかしら)
ショックで青くなるアリアは、気づかない。
今のファルトはまさに、ランスレイに到着した日のアリアと同じような状況だった。
嫌だったのではなく、あまりの出来事に不意打ちを受け、脳みその処理が追いつかなかっただけなのだ。
ファルトは何度も瞬きした後に自分の額をそっと手のひらで覆い、「……むちゃくちゃ幸せ」と、誰にも聞き取れない掠れた声でうめくのだった。
慌てるアリアと、一人幸せに浸るファルト。
そんな二人を影から見つめる者の姿があった。
腕を組み、初々しい二人を睨むように見つめるその人は、やがて低く唸った。
「……そうは、させない」
「……ルシアン、俺は決めた」
「何をだ」
「俺は今日から、顔を洗わない」
「やめろ不潔人間」
「なぜかというと、アリア嬢が俺の額に祝福のキスをしてくれたからだ!」
「知るか。洗え」
あなたは、だあれ?