想いの言葉と、繋がれた心
――暦七〇九年、秋。
ランスレイ島の広葉樹が葉を赤や黄色に染めており、澄んだ青空には雲一つ浮かんでいない。
窓の外に広がるランスレイの秋の風景を、アリアは眺めていた。思えば、ランスレイで秋を迎えるのはこれが初めてである。
「アリア様、何かご心配な点でもございますか?」
アリアが何も言わず外を見ているからか、部屋に控えていた侍女が心配そうに申し出てきた。
振り返ったアリアは、努めて明るい笑顔を浮かべる。どうしてもぎこちない感じにはなってしまったのは仕方ない。
「大丈夫です。少し緊張しているだけで……」
「まあ……では、お茶でも淹れましょうか?」
「ありがとうございます。でも、せっかくきれいに口紅まで塗ってくれたのだから、お式が終わるまで我慢しますね」
侍女に微笑みかけ、アリアはそっと自分の二の腕を撫でた。
手袋越しに感じられるのは、柔らかな絹の手触り。ほんのり黄色を帯びた絹の布地は肌触りがいい。
今日のために誂えられた一級品のウェディングドレスである。
(まさか、私がこれに袖を通す日が来るなんて……)
数年前の自分が聞いたら、驚きで固まってしまっただろう。
花嫁を彩る絹のドレスは、パニエをふんだんに使用しているため裾がきれいな円錐型に広がっている。
スカートのデザインは比較的シンプルだが、同じ生地で作られた女神の象徴花である百合がウエスト部分を飾っており、女性らしい華やかさと聖堂の元シスターらしい清楚さを醸し出している。
ドレスの胸元からロングスリーブ部分にかけては、これまた百合を刺繍したビーズレースで飾られている。女神のもとで仕えていたシスターが嫁ぐ際には、これでもかというほど百合のデザインを盛り込むことになっているのだ。左手中指に嵌めた指輪にも、百合の形にカットされたオレンジ色の宝石が付いている。
ドレス背面を飾るトレーンは薄手の布を幾重にも重ねており、ユイレ・ランスレイ間の海を連想させる。一枚一枚が薄くて軽い素材なので、難なく歩くことができる上、微かな衣擦れの音が水面に広がる漣を彷彿させていた。
普段は下ろしており作業中でも簡単にまとめるだけの髪は、毛先だけ鏝をかけて内巻きにしており、その上にベールを被る。すんなりとしたラインを描く喉元には、百合の形にカットされた宝石が美しいペンダントトップが輝いている。今年の夏、結婚式用にと婚約者が買い直してくれたものだ。
それまでは戦争終結前に贈られた安物のブレスレットを身に付けていたのだが、結婚式では様々なしきたりを守らなくてはならないため、侯爵家の家紋入りのものを改めて贈られたのだ。もちろん、あのブレスレットも大切に保管している。
(……本当に、いろいろなことがあったわ)
花嫁衣装を纏ったアリアは、感慨深いようなしみじみとしたような思いで、ここ数年間のことを思い返す。
ファルトとの結婚を命じられたのが、二年前の冬。
ランスレイに渡り、翌年の春には大公の死を受けてユイレに帰国。
まもなく帝国軍の侵略を受け、連合軍に加わった。
去年の秋にやっとファルトと再会を果たし、今年の初春に皇帝を討ち取ったことで戦争は終結した。
春から夏にかけて結婚式の準備や新都の建設のために奔走し、そして今日、一年以上先延ばしになった婚約者との結婚式を迎えることができたのだった。
「アリア・ロットナー様。ファルト・マクスウェル侯爵がいらっしゃいました。こちらへどうぞ」
着替えを手伝ってくれた侍女が告げたため、アリアは急ぎドアへ向かった。
(ファルト様が来られた……!)
ランスレイのしきたりらしく、花婿と花嫁がそれぞれの姿を確認できるのは聖堂に入ってから。着替えた後の最終打ち合わせは、ドア越しに行うことになっていた。
ドアの前には既に椅子が据えられており、パニエのおかげで膨らんだ臀部に苦労しつつ、侍女の手を借りて座った。
「アリア、そこにいるかな?」
ファルトの声だ。
どきどきとせわしなく鳴る胸に手を当て、アリアは声が裏返らないよう気を付けて返事をする。
「は、はい。こちらにおります」
「……今、君はとってもきれいに着飾っているんだろうな。聖堂に着くまでお預けというのがたまらなく悔しいよ」
そんなファルトの声は本当に悔しがっているようで、聞いていると緊張も一気に和らぎ、アリアはくすくす笑った。
「確かに、ユイレ式の結婚式では、この時点で既にお互いの姿を確認できますからね」
「らしいね。しきたりだから仕方ないけれど……早く、君の姿を見たい。抱きしめたい」
「……はい、私もです」
素直に思いを告げると、ふっと笑う声が微かに聞こえた。
「それは嬉しいな。……それじゃあ、簡単に打ち合わせだね。俺が先に聖堂に行って、君が来るのを待っている」
「はい」
ファルトには見えないと分かっているが、アリアは頷きながら相槌を打つ。
花婿であるファルトが先に聖堂に向かい、祭壇の前でアリアを待つ。そしてアリアはこの部屋から聖堂までエスコートの者と一緒に向かうのだ。そのエスコート役には、サンドラをお願いしている。
ランスレイの伝統としては、花嫁のエスコートは基本的に父親がするのだが、父親がいない場合は兄弟や上司にお願いする。しかしアリアは大聖堂の元シスターなので、結婚直前に婚約者以外の男性に触れられるのはよろしくないとされている。よって同性であるサンドラに任せることにしたのだ。サンドラも、エスコートを快く受け入れてくれた。
「サンドラはもう少ししたら迎えに来てくれます」
「彼女なら君を任せても大丈夫だろう。俺も安心して待っていられるよ」
そう言うファルトは本当にサンドラを信用しているようで、アリアも嬉しくなる。
「はい。……あの、ファルト様」
「うん?」
「……私、あなたの奥さんになれることが嬉しくて、幸せで。……始まりは私情の絡まない政略結婚だったとしても、結婚できるのがあなたで本当によかったと思っています。……あ、あなたのことを、心からお慕い申し上げております」
(よ、よし! ちゃんと言えた!)
思い切って告げた。
恥ずかしさで顔が真っ赤になるし声も震えたが、ちゃんと最後まで言えた。
ファルトと結婚できることが幸せだということを、式の前に告げようと考えていた。そういうことで先ほど、侍女相手に練習もしていたのだ。今も侍女たちがアリアの周りで、「よくできました、アリア様!」と小声で賞賛してくれておりほっとする。
だがしばらく、ドアの向こうに静寂が訪れた。ことりとも音がしない。
(……えっ、もしかして、声が小さすぎて聞こえなかった――?)
もう一度大声で言うのは恥ずかしすぎるし、今度こそ舌を噛んでしまいそうだ。
どうすべきか迷っていたアリアだが、やがてドアの向こうからファルトの唸り声が聞こえてきたためぎくっと身を強ばらせた。
「おいファルト、ドアを睨んでも仕方ないぞ」
「分かっている。だが……この邪魔な板っきれをぶっ飛ばしたくてな」
「それじゃあ、こうしてしきたりに則って話をしている意味がないだろう」
アリアの告白にファルトは相当衝撃を受けたようで、同行していたらしいルシアンから的確なツッコミを受けている。
「分かっている。……アリア、嬉しいことを言ってくれてありがとう」
「い、いえ。その、今までちゃんと言葉にする機会がなかったので」
「うん、君の口からその言葉を聞けてよかったよ。……俺も君のことが大好きだよ。嫁いでくるのが君で、本当によかった」
――君でよかった。
その言葉が、すとんとアリアの胸に落ち着いてくる。
大聖堂に勤めるシスターの一人、ではなく。
連合軍に所属する聖魔道士の一人、でもなく。
アリアという一人の人間であることに、意味がある。
大勢の中の一人ではなく、アリアを求めてくれている。
それの、なんと嬉しくなんと幸福なことだろうか。
二人の間には、無骨なドアが一枚立ちはだかっている。
だが見えない糸は確実に、二人の心を繋いでいた。




