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同じ気持ちで

はちみつ

「……さあ、そういうことで!」

「皆、集まったかしら!?」

「はい、ジャンヌ様、サンドラ様!」

「名付けて『アリア様を着飾り隊』、全員集合しております!」


 ビシッ! と整列して元気よく返事をする侍女たち。

 なんだか妙に既視感のある光景だ、と彼女らに取り囲まれるアリアはぼんやりと思った。脳みそは既に、深く考えるということを放棄している。


「皆に任せたいのは――サンドラ!」

「はい! それは、『アリア様の魅力を失うことなく、可憐に飾り立てる』ことです!」

「なるほど!」

「しかと!」

「承りました!」

「わたくしたちに!」

「お任せください!」


 ここは大公館の衣装部屋ではなく、どこかの練兵場だろうか。騎士であるサンドラや元気いっぱいなジャンヌはともかく、なぜ侍女までこれほどまでの大声量を出せるのかが不思議だ。


「制限時間は、二時間!」

「お迎えが来るまでに、アリア様を完璧に仕立てること!」

「衣装や宝飾品はあるものを存分に使いなさい!」

「これは我がユイレにとっての一大行事! 国庫を開いてでもアリア様を美しく飾るのです!」

「えっ、あの、お金は大事にした方が――」


 アリアの呟きには、誰も答えてくれなかった。

 一切の遠慮をしなくていい、とジャンヌ直々に許可をもらった侍女たちは、目をらんらんと輝かせてアリアに迫ってくる。

 顔立ちは皆、アリアよりずっと可愛らしいのだが、侍女たちは闘志の炎を目に灯してアリアを追いつめてくるものだから、その気迫たるやすさまじい。

 簡単に言うと怖い。


「……え、ええーっと……そろそろおつとめが――」

「捕獲なさい」

「はい!」

「ジャンヌ様の仰せのままに!」


 ……逃げられない。


(女神様……これは一体何の試練なのでしょうか)


 敗北を悟ったアリアは、全ての思考を投げ出した。

 そして、侍女たちにもみくちゃにされることを受け入れたのだった。












「うふふ」「おほほ」と楽しそうに笑う侍女たちにもみくちゃにされること、約一時間。


「さあ、こちらですよ、アリア様」

「は、はい」


 落ち着いたオレンジ色のドレスを着たアリアはサンドラに手を引かれ、大聖堂に向かっていた。

 まさかこのように着飾って神聖なる聖堂に入るのか――と冷や汗ダラダラだったが、サンドラがアリアを案内したのは大聖堂内ではなく、庭園だった。


 大聖堂の庭園は大公館ほど華やかでないし意匠も凝っていないが、大理石の女神像があちこちに立っており、きれいに刈り込まれた芝生の間を縫うように水路が張られている。

 薔薇のような華やかな花の代わりに、女神の象徴花である百合が慎ましく植えられている庭園は、大聖堂に勤める者や訪れた者たちにとって心安らげる場所として愛されてきた。


 先の戦いでこの庭もしばらくの間はくたびれてしまったが、帝国軍もさすがに女神像を破壊したり百合の植え込みを刈ったりはしなかったようだ。踏み荒らされた芝生を整え、泥が混じっていた水路をきれいに掃除した結果、庭園は以前とほぼ変わらない輝きを取り戻していた。


「ねえ、サンドラ。一体何が起きているの?」


 美しい庭園を歩きつつアリアが問うと、サンドラは心底嬉しそうに笑った。


「ふふ。それは今しばらくのお楽しみですよ」

「……ヒントは?」

「あら、答えを急いで求めるのが正解とは限りませんのよ?」


 流されてしまった。抗議するように軽く睨んでやっても、サンドラはどこ吹く風だ。

 やがて彼女はアリアを庭園のガゼボまで案内し、「しばしこちらでお待ちくださいませ」と言って、庭園を出て行ってしまった。


(……こうして一人になるの、久しぶりかも)


 ぼんやりとした眼差しでサンドラを見送った後、アリアは人気のない庭園を見回しつつ思った。


 元々アリアは深窓の令嬢でも何でもないので、一人で行動するのは苦ではない。むしろ、質素倹約をよしとした聖堂育ちなので、あれこれ世話を焼かれる方が本当は苦手なのだ。


 だがここ最近は、近くに誰かがいるのが当たり前だった。

 ランスレイで過ごしていた頃も、連合軍に同行していた頃も、戦後ジャンヌと共にユイレを守っていた頃も。

 一人礼拝室に籠もっていても、誰かが近くにいた。廊下を一人で行動して謎の男性と話をしたこともあったが、別の廊下には誰かいたはず。


(……そうだ、そんなこともあったわね)


 去年の夏、聖堂の廊下で声を掛けてきた男性。

 彼の正体を推測することは、難くなかった。


(……あの人は、私たちならできるっておっしゃった)


 美しく優しいユイレを守り、愛していくこと。

 戦後処理会議ではどのような内容が決定されるか不安だったが、結果アリアはシスターの地位を退いて結婚するものの、ユイレで生きることが許された。


「ファルト様……」


 アリアは目を閉じ、ベンチの肘掛けに体を預ける。

 少しだけ火照っている体には、頬に当たるベンチの冷たさがちょうどいい。


「……会いたい」


 唇に、願いを乗せる。


 会いたい。

 抱きしめてほしい。

 キスしてほしい。


「……好きです」


 唇が、言葉を紡ぐ。


 今思えば、彼の前できちんと言葉にしたことはなかったのではないか。

 彼はアリアにたくさんの愛を与えてくれるが、アリアの方から彼に与えることは今までほとんどなかったのではないだろうか。


(私の方からも、ちゃんと伝えないと)


「……好きです、ファルト様」


 想いを込めてそう囁いた、直後。


 ふふっ、と忍び笑いする声が。


「……ありがとう。でも、できるなら正面から言ってほしかったな」

「…………えっ?」


 夢だろうか。

 アリアは目を開き、体を起こす。


 アリアが寝そべっていたベンチの背もたれに両腕を預け、中腰姿勢になって顔を覗き込んできている人がいた。春の柔らかな風に金色の髪を靡かせ、垂れ気味の杏色の目には限りない優しさが溢れている。


 アリアはぱちぱちと瞬きをする。


「……ファルト、様?」

「そうだよ。……久しぶりだね、アリア」

「ファルト様」


 これはやはり幻なのだろうか。

 ランスレイに戻ったはずのファルトがユイレに、大聖堂にいるなんて。


 おっかなびっくりのまま、アリアは手を伸ばしてファルトの頬に触れた。指先に感じられた彼の皮膚は温かくて、女性であるアリアやジャンヌたちのそれよりも引き締まっている。


「……本物?」

「本物だよ。それとも、微睡んでいたお姫様には俺が幽霊か何かに見えるのかな?」


 アリアに頬を撫でられているファルトは、おどけたように言った。


 幻じゃない。

 午睡が見せた夢でもない。


(ファルト様、だ)


「あ――」

「アリア」

「……会い、たかった――!」


 声を上げ、両腕を伸ばしてファルトの首に抱きつく。

 ファルトは「おっと」と声を上げた後、長い脚を駆使してベンチの背もたれをまたぎ、ベンチに仰向けになっていたアリアに覆い被さるように抱きしめてきた。


「っ……俺も、俺もだよ、アリア。あなたにずっと会いたかった。こうして、抱きしめたかった――!」

「ファルト様も……同じ? 私と同じ気持ち?」

「そうだよ」


 アリアの視線の先で、ファルトが微笑んでいる。

 ガゼボの天井を背景に微笑む彼は、今にもとろけそうなくらい甘い眼差しでアリアを見下ろし、そっと口を開く。


「……ただいま、アリア」


 その声の優しさと甘さに、アリアの胸がかあっと熱くなる。


「……はい! お帰りなさいませ、ファルト様!」


 杏色の目と深緑の目が互いを見つめ合い、視線が絡み合い、次第に両者の距離が狭まってゆく。


 護衛騎士も侍女もいない、二人だけの世界。


 ガゼボの中で抱き合い互いの熱と唇を求める二人を、女神像だけが見ていた。

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