未来の始まり
いちゃらぶ編開始です
季節は、春。
「――アリア様。ジャンヌ様が戻られました」
大聖堂で書類仕事をしていたアリアは、若いシスターに呼ばれて顔を上げた。
「そう、ありがとう。それじゃあ皆で大公館に向かいましょう」
「かしこまりました」
シスターが去っていき、アリアはデスクに散らばっていた書類を手早くまとめる。
本日はとても気候がいいので、窓を開け放って換気することにしていた。そうするといたずらな春風が書類を弄んでしまうかもしれないので、まとめた書類の上に重石を乗せておく。
アリアはふと、窓の外を見やった。
(……春、か)
ユイレの大地を駆ける風は、甘くて優しい。
きっとこの風は、彼のもとにも春の香りを届けていることだろう。
大公館と大聖堂に招集が掛かり、主要人物たちは急ぎ大公館のホールに集まる。
「ジャンヌ様、とうとう戻ってこられたのね」
「サンクセリアまで遠いよなぁ。戦後処理会議、うまくいったんだろうか?」
「そう信じなさいよ」
ホールに集まった使用人たちが噂話をしている中、アリアはローブの裾を翻して壇上に向かう。
デューミオン皇帝がヴィルヘルムによって討ち取られて、二ヶ月。サンクセリアで行われた戦後処理会議に出ていたジャンヌが本日、結果通知書類を手にして戻ってくるのだ。
最初はアリアもサンクセリアまでの旅に同行する予定だったが、ジャンヌだけでなくアリアまでユイレを離れるのには不安が多かった。しかも、高齢だった聖女アグネスが春を待たずに女神のもとに旅立ったため、代理を立てることもできない。
よってアリアはサンドラと共にユイレに残り、他の護衛を付けたジャンヌのみがサンクセリアへ向かうことになっていたのだ。ジャンヌと会うのも約二ヶ月ぶりである。
大聖堂の代表として、アリアは壇上の椅子に腰掛けた。ここからは、ホールに集まった者たちの姿をよく見渡すことができる。アリアよりも上座に座るべきなのは、現在仕度をしているジャンヌだけである。
間もなく、湯浴みを終えて着替えたジャンヌがホールに現れた。使用人たちが作った花道の間を堂々と歩くジャンヌは、久しぶりに見ても凛々しくて美しい。
深紅のドレス姿のジャンヌは段を上り、椅子から立ち上がったアリアを見て威厳たっぷりに微笑む。
「ただ今帰ったわ、アリア。留守を守ってくれてありがとう」
「お帰りをお待ちしておりました、ジャンヌ様。ご無事そうで何よりです」
公女とシスターは微笑み合って互いの無事を確認した後、それぞれの席に着く。ジャンヌはホールに集まった者たちに向き直る形だが、アリアの席は斜めに据えられていた。
ジャンヌに同行していた騎士が歩み出て、彼女に書状を差し出した。ちらっと見ると、書状の端に大きな璽が捺されていた。おそらく、サンクセリア王家の印であろう。
「皆も、私が不在の間よくユイレを守ってくれた。感謝する」
ジャンヌが朗々とした声でねぎらいの言葉を掛けると、皆は深く頭を垂れてジャンヌの言葉を受ける。
「早速だが、先日サンクセリア王城にて開かれた戦後処理会議の結果を通知する。各国への賞罰事項も多々あるが、今はユイレに関連したことのみ簡潔に述べよう」
ジャンヌが書状を開く様を、皆が固唾を飲んで見守っている。アリアもまた、斜め向かいの席に座るジャンヌの些細な動き一つたりとも見落とすまいと、呼吸を浅くして見つめていた。
「まず、大公家についてだ」
――ジャンヌが語ることによると。
ブランシュ公女が連合軍と対立して己の国民すら顧みない行動を取ったことから、ユイレ大公家は国主としての権利も信頼も失っている。
よってヴィルヘルムは、ユイレ大公家を廃し、大公家最後の血筋であるジャンヌが当初の予定通りランスレイ王太子エルバートのもとに嫁ぐことによって、ユイレ大公家の歴史を終えることを命じたのだった。
ヴィルヘルムが下した処置に、皆はやや苦い顔をしたものの最後には納得の表情になった。
彼らも、ユイレ解放のために戦った連合軍を非難したし、ブランシュに唆されたとはいえジャンヌやアリアを祖国の裏切り者扱いして罵倒したという過去がある。その咎が大公家のみに集められ、しかもジャンヌも嫁ぐため実質ユイレの戦後賠償がなくなるということだ。国民がヴィルヘルムを恨む道理はないだろう。
「そして、私が去った後にユイレがどうなるかだが――ここからは大聖堂の今後とアリア・ロットナーが関わってくる」
名を呼ばれ、アリアは背筋を正してジャンヌに向き直った。
いずれ、自分の名を呼ばれることは分かっていた。
今アリアは大聖堂の代表者であり、大聖堂の今後が委ねられるとしたら自分だろうと覚悟は決めていたのだ。
(……でも、ファルト様との約束だけは叶えたい)
無意識のうちに、右手が左手首をそっと押さえる。
ローブの布地越しにビーズのブレスレットの感触がした。
一生独身で聖堂暮らし、ということだけは免れたいと願っていた。
(これじゃあ、ブランシュ様のことを悪く言えないわ)
だが、アリアは約束したのだ。
醜いと言われても、一人だけ幸せになるのかと詰られても――幸せを掴み取りたいのだ。
ジャンヌが書状の次の項目を読み上げる。
「――大聖堂のシスターであるアリア・ロットナーは婚約誓約書の通り、ランスレイ王国マクスウェル侯爵であるファルト・マクスウェルと婚姻を結ぶ。そしてユイレ大公国領をマクスウェル侯爵家の直轄地に定める。大聖堂の聖女制度を廃止し、大聖堂を管理するのは代々議会によって選出された神官とし、大聖堂含むユイレ領全ての権限がマクスウェル侯爵にあるものとする」
これにはあちこちから驚きの声が上がった。
つまり、大公国としての力を失ったユイレ領は、実質ランスレイ王国に吸収されるのだ。
そして併呑されたユイレ領を管理するのは、ランスレイ王国マクスウェル侯爵家。大聖堂の元シスターであるアリアが侯爵夫人に宛われ、夫婦で元ユイレ領を治めていくのである。
(な、なるほど。ただ単にランスレイと併合してランスレイの人間が統治するなら国民から反発が起こるかもしれないけれど、マクスウェル侯爵夫人がユイレの人間――私なら、国民も無下にはできないということね)
ヴィルヘルムとしては、ユイレ領にジャンヌかアリアを残したかったのだろう。そして二人が記した婚約宣誓書を鑑みると、王太子と婚約したジャンヌよりも侯爵と婚約したアリアの方が融通が利く。
ランスレイ王国には自国の元公女が嫁ぎ、ユイレ領には自国の元シスターがランスレイの侯爵夫人として残る。ユイレ国民としてもランスレイ国民としても納得のいきやすい折衷案である。
続いてジャンヌが述べたことによると、聖女制度の廃止の背景にはブランシュの暴走はもちろんのこと、昔から聖女の選出で物議を醸すことが多かったということがあったという。
アリアたちが生まれるよりも前のことではあるが、去年の冬に亡くなったアグネスが就任する際も、シスターや聖魔道士、大公家の間でかなりの悶着が起きたため、制度を見直すべきだと前々から提案されてはいたそうだ。
(そういえば、ジャンヌ様のお母様は大公様のお姉様だったけれど、聖女候補として期待されていたから大公様と姉弟仲が悪かったんだっけ)
そういう背景を踏まえ、ならばいっそ国民たちの投票や神官による審議によって決まった者が大聖堂の管理者となる方がよいだろう――という結論に達したのだという。ユイレは大公家だけでなく大聖堂も、近隣諸国に迷惑を掛けてきたようだ。
(でも……これで色々なことに決着が付く)
ユイレ大公国の終焉。
大公家の断絶。
大聖堂の制度改定。
ジャンヌとエルバート、そしてアリアとファルトの結婚。
(……ファルト様)
ジャンヌの言葉を聞きながら、アリアはそっとブレスレットのビーズを撫でた。
ファルトについては、皇帝討伐後にハインから「ファルトってやつ、無事だったよ」という報告を受けたっきりだ。
それでも。
(……会いたい)
誰よりもアリアを思ってくれるあの人に。
将来を誓い合ったあの人に。
会いたい。
ホールでの報告会が終わり、使用人たちはあれこれ話をしながら三々五々散っていく。
「お疲れ様、アリア」
サンドラを伴ってホールを出たアリアに、ジャンヌの快活な声が掛かった。ドレスの裾を捌きながら歩いてくるジャンヌは報告会での凛とした雰囲気から一転、いつもアリアたちの前で見せる陽気な笑顔である。
アリアもほっと肩の力を抜いてジャンヌの前でお辞儀をした。
「はい、ジャンヌ様こそお疲れ様でございました」
「私はただサンクセリアで話を聞いて、書状をもらって、その内容をこっちで喋っただけ。頑張ってくれたのは皆の方よ。……さっきも仰々しく言ったけれど、私が不在の間、国を守ってくれてありがとう」
ジャンヌは続いて、アリアの背後に控えるサンドラを見やる。
「サンドラ。あなたもね。……あら、しばらく見ないうちに髪、伸びたのね」
「お疲れ様でございます、ジャンヌ様。……髪は、そうですね。切ろうと思ったのですが、アリア様がそのまま伸ばせばよいとおっしゃるので」
「短い髪もいいけれど、やっぱりほどほどに長い髪の方がサンドラらしいかと思ったのです」
アリアが補足すると、ジャンヌも納得顔で頷く。
「確かにそうね。……自分の気に入ったようにしなさい、サンドラ」
「か、かしこまりました」
「……あ、そうそう。アリア、ローブから着替えておきなさい」
「え?」
ジャンヌに指示されたアリアは、はっとして自分の姿を見下ろす。
(式典用ローブは、洗濯したばかり。靴も磨いた。手袋もきれいに手入れしたし……)
自分の姿を確認するアリアを見、ジャンヌは急ぎ手を振った。
「ああ、違うの。汚れているから着替えろって言っているわけじゃないの」
「では、なぜ……?」
「ん? ……んー、そうね。ほら、ローブよりもドレスの方がなんかこう……盛り上がるじゃない?」
「……何がですか?」
惚けたように問うたアリアだが、ジャンヌはそれには答えてくれなかった。




