許しと報復
ヴィルヘルムは、エルデへの進軍を秋に予定している。
ユイレ大公国の南西、サンクセリア王国の南に位置するエルデ王国は、盆地続きなこともあって一年を通して温暖な気候で、特に夏場はかなりの気温と湿度になる。
食物も腐りやすく兵の疲労も溜まりやすい夏場にエルデで戦闘するのは、連合軍にとって非常に不利だ。それならば連合軍の特訓や物資の調達に集中しながら秋まで待機し、涼しい時期にエルデ解放、サンクセリア解放、そして翌年の春には帝国に乗り込む計画を立てているという。
その間のランスレイの動きとしては、まず連合軍の出発と同時にエルバート王子はランスレイに戻る。彼に代わり、ランスレイ軍の代表として連合軍に同行するのはアステルだ。国家間の取り決めにより、ファルトやルシアンも連合軍に加わって帝国撃破までヴィルヘルムに付き従うことになった。
そしてユイレだが、ランスレイ解放戦では水夫を必要としたがこれ以降は陸上戦になるため、帆船関連は必要なくなる。元々ユイレは軍事国家でも何でもないので、ユイレ軍も連合軍に同行するほか、聖魔道士も数名随行することになった。
とはいえ、連合軍の聖魔道士団はフィーネ率いる少年少女たちで十分主力にはなっている。ユイレ出身の聖魔道士たちは、前線ではなくエルデやサンクセリア各地の傷病者を癒やすよう命じられたのだという。
(なんというか……結構無茶な計画だとは思うけれど、ヴィルヘルム様ならやってしまいそうなのよね)
ジャンヌから教えてもらったヴィルヘルムの計画に、アリアは苦笑しつつも納得していた。
ユイレとランスレイを解放し味方に付けたことで、兵力は格段に上がった。連合軍の設立が去年の冬だというのが信じられないくらいの勢いである。
(各国で味方を募って敵を味方に引き入れているのも、戦争中だけでなく、戦後のことを鑑みての行動ね)
まったく、ヴィルヘルムの行動には驚かされてばかりだ。彼にいつも付き従うフィーネやシャルロットは色々と大変だろう。
そういうわけで、秋まではファルトたちもユイレに滞在する。連合軍の大半は、大公館の別館に寝泊まりできるようにしていた。別館に入りきらなかった一般兵も、街の宿を開放して寝泊まりの場所に活用している。祖国を救ってくれた連合軍に、国民たちも助力を惜しまないようだ。
アリアは変わらず、大聖堂の代表としての日々に勤しんでいた。戦後処理に追われていた夏頃と違って、今は側にヴィルヘルムたちがいる。ユイレ国民からの信頼も戻ってきたので、アリアはシスターとしてのおつとめや聖魔道士としての医療行為に専念することが多い。
早朝。
アリアは大聖堂の小さな礼拝室で祈りを捧げていた。
本来ならば大聖堂でも最も立派な礼拝室を利用するのだが、あそこは現在立ち入り禁止となっている。
アリアにとってはブランシュに裏切られた場所であるし、ジャンヌにとってはブランシュを討ち取った場所である。いずれあの礼拝室は取り壊しになるだろうとジャンヌは語っていた。
今アリアが定期的に通っている礼拝室は、ランスレイで作った臨時礼拝室よりはましだが、かなり狭い。狭くても、立派な女神像があるし日当たりもいい。天窓に取り付けられた円形のステンドグラスも大きさは控えめだが、その慎ましさが好ましいとアリアは思っている。
「女神様。今日も一日、わたくしどもにお恵みをお与えくださいませ」
女神像の前で跪いて祈りを捧げたアリアは、ふうっと息をついて顔を上げた。
アリアは、祈りを捧げるこの空間と時間が好きだ。
子どもの頃から染みついた習慣でもあるが、女神に祈りを捧げることで心穏やかになり、今のような朝のおつとめであれば、今日も一日頑張ろうという気持ちになれるのだ。
連合軍に加わっていた頃はどうしてもおつとめをするのが難しかったが、心の中で女神に祈りを捧げる習慣は忘れなかったし、落ち着いている時であれば荷物に入れていた手製の女神像に祈りを捧げていた。
(よし、今日も一日頑張ろう)
「――ちょうどよかったです。お話ししたいことがございまして」
立ち上がったアリアは、ドアの向こうから聞こえてきた声にはたと動きを止めた。これはサンドラの声だ。
彼女には、毎日大聖堂までおつとめに向かう際の護衛を頼んでいる。アリアとしては単独行動くらいいいのではないかと思うのだが、念には念をということだ。ジャンヌやヴィルヘルムたちにも、護衛を付けることは推奨されたので、ならばサンドラをと指定したのだ。
そのサンドラにはドアの前で待っていてもらっていたのだが、どうやら誰かと話をしているようだ。
(話が終わるまで、待っていればいいよね)
アリアがどれくらいの時間祈りを捧げているのかは、サンドラには分からない。会話が終わった頃に出ていけばいいだろう。
……そう思って椅子に腰掛けたのだが。
「……はい、もうお聞きになっていらっしゃるでしょう。アリア様を追いつめたのは、わたくし。あなたには、どれほど責められても仕方ないことをしました」
「えっ」
思わず声を上げるが、サンドラには聞こえなかったようだ。
「侯爵は、アリア様を脅迫した者の首を刎ねる、と仰せになりましたね」
「……確かに言ったな」
サンドラに応えるのは、ファルトの声だ。
アリアは呼吸を浅くし、ドアに耳を押し当てて廊下でのやり取りに集中する。
(サンドラと、ファルト様? まさか――)
「――アリア様とジャンヌ様からはお許しをいただきましたが……侯爵は、アリア様の夫となられる方。わたくしを罰したいとお望みならば、なんなりと」
いけない。
(そんな……いえ、でもまさかファルト様は――!)
アリアは息を呑み、ドアノブに手を掛けた。
「……いや、その必要はない」
ドアを押し開けようとしたアリアは冷静なファルトの声に、今にもノブを回しそうになっていた手を止める。
「その二人が許したのならば、俺の方からこれ以上言うことはない」
「……しかし」
「サンドラ・オーランシュ。以前のあなたは髪が長かった。それを切ったというのが、アリアたちへの忠誠心の表れなのではないのか?」
「……はい」
「確かに俺は、アリアを苦しめた者の首を刎ねようとした。……だが、あなたにもままならぬ事情があったのだと聞いている。これ以上苦しもうとするな、サンドラ」
「……苦しもうとするな、ですか」
「ああ。あなたはもう許された。ならば、これ以上罪滅ぼしをして回る必要はない。……そうだろう、アリア?」
「……あ」
突然名を呼ばれ、アリアの唇から吐息のような返答が漏れてしまった。ドアがゆっくりと、外側から開く。
廊下に立っているサンドラはばつが悪そうな顔で、対するファルトは穏やかな表情でアリアを見つめてきていた。
「まあ、薄いドア一枚隔てた程度だから、聞こえても仕方ないな。……アリア、あなたはサンドラを恨んではいないのだろう?」
「はい、もちろんです」
ファルトの問いに、アリアはしっかりと答えた。
サンドラを信じているから、許し合ったから、こうしておつとめの護衛を任せているのだ。
サンドラは視線を落とし、「……確かに」と呟いた。
「わたくしは、謝罪をすることで許されようとしました。しかしそれは実際、自らの首を絞めて自発的に苦しもうとしているだけなのですね」
「サンドラ……」
「……お見苦しいところをお見せして、申し訳ありません、アリア様」
サンドラは数秒間目をつむった後、顔を上げた。
その表情から、先ほどまで浮かんでいた困惑の色は消えている。
「マクスウェル侯爵のおっしゃるとおりですね。……実のところ、わたくしはヴィルヘルム様やジャンヌ様、アリア様からの許しを得るよりも、ファルト様の許しを得ること――そして報復されることを恐れていました」
あけすけなサンドラの言葉に、アリアは目を丸くした。
罪を犯したから、その報復を恐れている――きっとそれは、高潔な騎士であり由緒正しい子爵家の令嬢でもある彼女からしたら、口にするのもみじめなことだっただろう。
だがファルトは変わらず静かな眼差しでサンドラを見下ろし、頷いた。
「あなたも騎士である以前に人間だ。報復を恐れるのは当然の感情だろう」
「……侯爵」
「だが、恐れてばかりいてはならない。……アリアも聞いてほしい。進軍のしやすい時期になれば、俺もアステル殿下に従って連合軍に加入する。エルデ・サンクセリア解放、そして打倒帝国軍という戦いになる。どれほど早く進もうとも半年は掛かるだろう」
「はい……」
「その間、アリアのことはサンドラたちに任せたい。もちろんサンドラにも仕事はあるだろう。……だが、まだ俺に対して後ろめたい気持ちがあるなら――それ以上に、アリアを守りたいという気持ちがあるなら、俺がいない間、俺の婚約者を頼む」
は、とサンドラが息を呑む。
彼女はすぐに眼差しを改め、その場に跪いた。
「……しかと拝命いたしました。今度こそ、アリア様の御身をお守りします」
「頼んだ」
鷹揚に頷いた後、ファルトは視線を動かしてアリアを見つめた。
その杏色の目が緩まり、ほんの少し笑みを浮かべるので、アリアもおずおずと笑みを返すのだった。




