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愛する人と共に1

お砂糖ターン

 戦後で物資が十分にあるとは言えない状況であるが、大公館の玄関ホールは本日のためにきれいに飾られていた。


 戦前はジャンヌの叔父である亡き大公の趣味で、高価な壺やアリアには何を描いたのかよく分からない絵画、重厚そうなだけで実用性皆無な甲冑などが飾られていた。だが今、ジャンヌが「これ、要らない」と言ったものは全て売り払われ、その金は国の復興に宛われた。おかげで大公館内の見晴らしも雰囲気もよくなったとアリアは感じている。


 とはいえ、あまりも殺風景では連合軍を迎えるのに失礼になってしまう。よって摘みたての花やレース細工など、今の資源でも十分用意できるもので館内を飾ることにしたのだ。


「ジャンヌ様、アリア様。連合軍がお見えになりました」

「お通ししなさい」


 壁際のソファに座っていたジャンヌが立ち上がり、凛とした声で命じる。彼女の声を受けて大公館の使用人が重厚なドアを三人がかりで押し開けた。


 ヴィルヘルムたちの姿が見える前に、最後の確認を――と、アリアは急いで自分の格好を確かめる。

 光沢のあるシルク素材のローブは、大聖堂の高位神官が式典の際に着用する純白の正装だ。ジャンヌは「聖女の衣装もあるわよ」と提案したのだが、丁重に断っておいた。

 ユイレの者たちはアリアを聖女扱いしているが、アリアとしては自分はあくまでも「聖女代理」「大聖堂代表」であり、聖女ではないと考えているからだ。


 ローブ自体は、裾に金色の糸で刺繍が施されているだけのシンプルなデザインだ。神官の中にはこれだけで式典に臨む者もいるそうだしアリアもそうしたかったが、ジャンヌの許可が下りなかった。


 アッシュグレーの髪は丁寧に梳かされて後頭部でまとめられ、白銀輝くティアラが飾られた。シスターが着用するものなのでそれほど華美ではないが、中央に輝くダイアモンド一粒だけでも相当の値になるそうだ。


 喉元には、サンドラの指摘によって変更されたエメラルドのネックレス。手には夏用で通気性のよいレースの手袋を嵌め、靴にはヒールに慣れていないアリアのために歩きやすいサンダルが選ばれた。


 アリアの仕度は大聖堂の衣装部屋で行われ、大聖堂を出る際にシスターから聖書を渡された。アリアも愛用している持ち運びに便利な携帯サイズの聖書ではなく、全体的に大きめで革表紙の重みが伝わってくる年代物だった。


 聖書は敬虔と清純の証。シスターや神官が儀式に臨む際、読む必要はなくても携帯することになっているのだ。アリアも、出迎えの場に聖書を持っていかなければならないというのは事前に知っていたので、自分用を準備していたので、衣装部屋で大きな聖書を渡された時には首を傾げた。


「聖書なら、自分用があるのですが……」

「こちらはアグネス様からお預かりした聖書でございます。大聖堂代表として連合軍をお迎えするアリア様に是非、と」

「そ、そうなのですか。ありがとうございます」


 自分より年長のシスターに言われ、アリアはおっかなびっくりしつつ手元の聖書を見下ろしたものだ。


 仕度の時のことを思い出していたアリアは、アグネスから借りた聖書を胸元に抱き寄せた。


(……アグネス様から勇気をいただけたみたい)


 革表紙独特の匂いを吸い込み、思い切って顔を上げた。使用人によって既にドアは大きく開かれており、夕日に左頬を照らされたヴィルヘルムたちが堂々と入ってくる。


 戦後ではあるがヴィルヘルムは正装姿で、悠然とした笑顔も変わっていなくてほっとした。その背後には、彼の腹心だという三人の騎士と御者係の従者、そしてフィーネとシャルロットの姿もあった。


 ジャンヌが進み出る。

 アリアもジャンヌの半歩後ろの距離を保ったまま前に出た。


「ようこそお帰りなさいました。ヴィルヘルム様、連合軍の皆様」


 ジャンヌがよく通る声で挨拶の言葉を述べた。元々彼女ははっきり響く声の持ち主だったが、ここ数ヶ月でその声には威厳と凄みと気品が増してきたように感じられる。


「ユイレ大公国国民一同、皆様のお帰りを心よりお待ちしておりました」

「丁寧な歓迎に感謝する、ジャンヌ公女」


 ヴィルヘルムは笑い、ジャンヌに握手を求めた。たとえ相手が女性であっても挨拶のキスではなく握手を求めるというのが、連合軍の指揮官である彼の主義の一つらしい。


 ジャンヌも笑顔で握手に応じ、続いてアリアも聖書を片手に持ってお辞儀をする。


「離れた国からではございますが、皆様の武勇伝はお聞きしております。大聖堂は、皆様のお帰りを女神に感謝し、その勇気を祝福します」


 聖書に記されているとおりの、高位神官による挨拶定型文だ。

 ローブの裾を摘んでお辞儀をしたアリアもまた、ヴィルヘルムと握手を交わす。アリアより三つも年下の少年なので油断していたが、握手をした彼の手は驚くほど大きい。おまけに剣を握る者の宿命か、手の平はたこや傷ができておりでこぼこしていた。


「ジャンヌ公女、シスターアリア、歓迎の言葉痛み入る」

「こちらこそ。それでは館内をご案内します」


 ジャンヌの声を受けて、ホールの隅に控えていた使用人たちが動き出す。ヴィルヘルムやエルバート王子などは貴賓室に招かれてジャンヌと今後の話をし、それ以外の者たちは部屋でくつろぐのだ。部屋や湯浴みに着替え、軽食の仕度も万全である。


 館内に案内される者たちを順に見ていたアリアは、列の後方からやって来た者たちを見てはっと息を呑んだ。


 ふわふわの金髪に緑の目の美青年は、エルバート王子。彼の隣に立つ黒髪のがっしりした青年は従弟のアステルだ。彼らは通り過ぎ様、アリアを見てほんの少しだけ微笑んでくれた。


 護衛騎士のルシアンの姿も久しぶりに見られた。彼は王子たちの護衛に付きたかったようだが、サンドラに「ランスレイの騎士の皆様はこちらです」と案内され、後ろ髪を引かれる様子で部屋へと向かっていった。


 そして。


 その姿が見えたとたん、玄関ホールのざわめきが全て吹っ飛んでいった。


 列を成していく連合軍の皆や案内する使用人たちの姿が急にぼやけ、ただの背景になり、世界中でアリアと「彼」の二人しか存在しないかのような錯覚に陥る。


 アリアに気づいた「彼」が、こちらに向かってくる。


 長い間幽閉されていたからか、以前よりも痩せて、金色の髪もくたびれているように思われる。

 それでも。


「彼」はアリアの前に跪き、胸に手を当ててアリアを見上げてきた。


「……お久しぶりです、シスターアリア」

「ファ――」

「再会の証に、あなたの手の甲にキスする権利をいただきたい」


「彼」に請われ、感情のまま飛び付きそうになったアリアはさあっと赤面し、聖書を持たない方の手をいそいそと差し出した。


(そ、そうだわ。ここはまだ玄関ホール。まずは大聖堂代表として対応しないと)


「彼」はまるで宝物でも手にしているかのようにそうっとアリアの手を取り、手の甲に唇を落とした。薄い手袋越しに感じた彼の唇は、乾いている。


「エルバート殿下のことも気になりますが、まずは部屋まで案内をお願いしてもよろしいでしょうか」

「……は、はい。もちろんでございます」


 アリアは急ぎ応える。


 他の騎士たちはサンドラや使用人たちが案内するのだが、「マクスウェル侯爵はアリアが案内しなさい。後は何してもいいから」とジャンヌに言われていたのだ。

 ちなみにジャンヌに指定されたファルト用の部屋の両隣は、空き部屋である。


 ファルトに手を取られ、アリアは火照る顔が皆に見られないよう伏し目になって廊下を進み、渡り廊下を通って別館に向かう。別館に移ってからも廊下は他の使用人たちもうろうろしているので、あくまでもファルトのことは客人として扱う。


「こちらでございます、マクスウェル侯爵」


 別館三階、南西の客室。


 どこまでも丁寧に、よそよそしくファルトを部屋に通す。ファルトもまた、ドアを開けてくれたアリアに礼を言い、そしてごく自然な動作で彼女の腕を引っ張って部屋に引き入れた。


 アリアは彼の腕の力に逆らわず入室し、ゆっくりとドアを閉めた。


 ――とたん。

 アリアの体は背後から長い腕に抱きしめられた。


「っ……! ファルトさ――」

「アリア」


 絞り出すようなファルトの声。

 無防備にさらされたうなじに掛かる吐息。

 乾いた音を立てて、アリアの手から聖書が滑り落ちる。

 アグネスから借りた大切な聖書だというのに。


「あ――」

「ごめん、アリア。……今は、俺のことだけ考えて」

「ファルト様……」


 ファルトの声が震えている。


(……お顔が、見たい)


 そう思って首を捻ろうとしたのに、湿っぽい音と濡れたような感触が首筋に落ちて、アリアは悲鳴を上げてしまった。


 彼の唇が、首筋をなぞっている。


 はっ、と短い吐息がアリアの唇から漏れる。振り返ろうにも振り返られず、アリアは閉めたばかりのドアに爪を立て、首筋から与えられる甘い痺れに身を震わせていた。


「ファルトさ……あっ!」

「ん……ネックレス」

「え?」

「ネックレス、なくしちゃった?」


 そう問う声は限りなく優しい。

 ネックレス、とろれつの回らない舌で反芻した後、はっとアリアは身を強ばらせた。


(ネックレス……そうだ! 謝らないと!)

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